皐月の末から好天つづき、水無月にはいっても梅雨の足音はまだ聞えない首都圏。この日も暑く陽が射すお天気で、雷門の前には多くの人々が記念の写真を撮っておりました。
このところの浅草は観光客が増えてきているのではないかと、其処で待ち合わせたJさんは言うのです。六月六日、わたくしは浪曲の魅力を教えてくださったSさんと、そしてそのご子息であって、此処浅草にも勤務されていたことのある呉服のプロであるJさんと男三人で、人ごみの仲見世を避けながら、伝法院をぐるりとし、木馬亭へと向かったのでした。
かつてはちょっと繁華なところには必ずやあったと言われる寄席も、ラジヲやテレビの普及以来、いまやめっきりその数を減らしており、まして浪曲を定席としている小屋なぞは関東では此処木馬亭のみとなっている今日でございます(上方には在るのでしょうか?)。
ところが、その木馬亭でも浪曲公演は月の頭の十日間ほどだけ開かれ、残りの日々はその他の演芸種の公演で埋められるありさま。先日、此処に電話をかけ、日曜に伺いたいのですが混み合いますかと尋ねたところ、いや大丈夫ですよ、どうぞいらしてくださいと、おそらくは席亭の方だろう女性の声で仰られ、安堵と同時に寂しい気持ちにさせられたのでした。
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5:22 AM permalink | comments (0) | trackbacks (0)
歌祭文は錫杖を片手に、もう片方には法螺貝をもって歌い語る芸能であったようです。多くコピーペーストされ続けた文献に、法螺貝は吹くものとして挙げられていたようなのですが、小沢昭一氏の聞き書き「日本の放浪芸」によりますと、法螺貝はメガホンの代わりなのだそうです。もちろん門付けの芸。
文楽の「新版歌祭文」の冒頭は、この歌祭文を、世話物本を売る繁太夫節の門付けに替えて演出が為されており、義太夫語りによる繁太夫節という複雑な状態を、ああさすがに繁太夫節は哀切な語り口だなぁなどと知った口を聞けるほど違いを感じることが出来なかったのは日本人として甚く悲しいことでした。
五月十六日の日曜日、待望の文楽による人形浄瑠璃を永田町の国立小劇場にて観てまいりました。
演目は先にも記しました「新版歌祭文」と、舞踏もので短いけれど華やかな「団子売」。
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11:59 PM permalink | comments (0) | trackbacks (0)
放浪の大道芸、諸芸を包含し、浪花節。
空き地に、人を集めて、これ「開き」といふ。
たまに高座を葭簀で囲んだ「開き」あり。
仮説小屋、中には桟敷、これ「箱店」也。
ときは文明開化、明治初期、寄席への進出、前夜のこと。
「浪曲の夕べ」にて伊丹秀敏師匠による浪曲・曲師の至芸を堪能し、冨士路子さんの実口演に触れたわたくしですが、この浪曲なるジャンルがいかに成立してきたのか、そういうことに甚く興味が湧く体質なのですよ。
ところが事前に読んでおりました
●「実録 浪曲史(唯二郎著 青峰書房刊 ISBN 978-4885920486)」
は、浪曲創成期のころの記述に乏しいのです。
いくつかの既存大道芸、放浪芸がミクスチュアされ、それらが明治期にひとつのジャンルとしての浪曲へと至ったのだそうですが、そのあたりを詳らかにするには他の資料をあたるのがそさそうです。
●「定本日本浪曲史」を記した正岡容氏に師事された大西信行氏による、
●「浪花節繁昌記(大西信行著 小学館刊 ISBN 978-4093872645 絶版かも。小学館のサイトでは検索にかかりませんでした。)」
●そして小沢昭一氏の「日本の放浪芸」が参考になります。
小沢昭一氏が1970年代におこなったたいへん貴重な聴き歩きの結実「日本の放浪芸 小沢昭一著」、現在入手しやすいのはオリジナル版と記されました岩波現代文庫版(ISBN 978-4006021054)ですが、白水社版(ISBN 978-4560035856)が写真が多くて参考になります。ただし高価な本ですので興味のある方は図書館などで探してみてください。
この本は浪曲のルーツだけでなく、わたしたちの国にある(あった)様々な芸能を取材しており、ほんとうに素晴らしい仕事を為してくださったとページを捲るたびにその感が強まります。そして本だけでなく(どちらかといえば、こちらが主なのだと思いますが)音源も残してくださっております。
わたくしはこの小沢氏が集めた音源を未聴なのですが、他のシリーズも含めてこれから是非揃えてゆきたいと強く思っているのであります。
(番外2 はそのうちに、)
4:32 PM permalink | comments (2) | trackbacks (0)
浪曲を演じる舞台のうえはKai-Wai散策さんの「『浪曲三味線』はいかが?」で詳らかではございますが、後ろに金屏風、浪曲師の前に口演台となるテーブルがございまして、曲師はたいてい幕やついたてのうしろへ隠れて浪曲師をサポートいたします(そうでないこともあるそうな)。
演劇的なセットはございませんので、如何なる演目においても(物語の)状況はあくまでも浪曲師の(節=歌とせりふ)言葉と曲師の三味線のみで表されます。
節やせりふといった文句の中で雪が降っていれば客たちは「ああそうなのか」と頭で思うのではございますが、そこにしんしんとした雪景色をイメージとして立ち上がらせるのは曲師が付ける三味線の音であったのでした。またときには登場人物の感情までも表すその音が、浪曲師の言葉を増幅させて物語のなかへはいってゆく手助けとなっているようなのでございます。
また曲師の三味線は、おそらくはもともとは大道の芸であったという(浪曲の)ルーツを思わせるのですが、たいへんエモーショナルなもので、これは長い歴史のなかでソフィスティケイトされた長唄(三味線)などの表現とは甚く異なりまして、瞬間的に聴くものの心にぐさりと入り込んでくるように感じられました。
それは殊の外よい心地なのでございます。
三味線は、糸の振動が竿に触れてビヨーンサワサワサワと鳴るというたいへん独特な構造を持っていて(これがギターなら不良品または要調整)、これを「さわり」と呼ぶそうなのですが、浪曲三味線にはこの楽器的特徴だけでなく、思いきり撥で弾いた反動で糸が本体の皮やそれこそ竿にまで当たってバチッという打撃音を加えた奏法が目立つことが判りました。このノイジーな奏法はどちらかというと地方の民謡などをルーツに持つのではないかしら? そんなことを考えながら伊丹秀敏師匠の芸を聴いておりました。
正直なところ、浪曲演目の所謂「なにわぶしだよねぇ」という世界観が現代におきましてどれほど通用するかと云えば、甚だ残念なことになるのかもしれません。然し乍ら明治の時代にジャンルとして確立され、大正、昭和と、近代日本の大衆の中で育まれ、愛されてきた民衆の哀歌が、このような高い完成度の芸能として在ることに感動を覚え、また同時に憂慮の念も抱かずにはいられませんでした。
こうした状況描写や感情描写を受け持つ曲師の芸を目の当たりにできましたこと、「席亭 宇」にて開かれました「浪曲の夕べ」はまたとない素晴らしい時間でありましたこと明らかなのでございます。
<<関連エントリー>>
●MyPlace: 浪曲の夕べ:伊丹秀敏師匠の三味線と浪曲をきいた
●Kai-Wai散策: 席亭 宇『浪曲の夕べ』
●Kai-Wai散策: 宇 光 景
11:59 PM permalink | comments (0) | trackbacks (0)
明日へ続くと書きながら、間を置いてしまった体たらく。
四月二十四日、松戸の「席亭 宇」にて行なわれました「浪曲の夕べ」の第一部は、曲師・伊丹秀敏師匠の至芸を味わおうという、なかなか稀な企画でございました。そもそも浪曲における曲師は如何なる仕事を受け持ち、主となる浪曲師の芸を如何に支えているのかを弟子の水乃金魚(みずのきんとと)さんが進行を務め、それに師匠が応え、演じてみる、というものでございました。
伊丹秀敏師匠は、大正から昭和の中頃まで大活躍をされた浪曲師、(二代天中軒雲月改め)伊丹秀子さんのお弟子さんだったとのこと。八歳でこの道に入門されたのだそうです。
continue reading "端座する名人の背は伸び撥踊る、声色許多で間を走る(2)"
9:09 PM permalink | comments (6) | trackbacks (0)
上野駅を発った常磐線は、隅田川、荒川放水路、綾瀬川、中川と越えてゆき、江戸川を渡れば、其処は千葉県で、ほどなくして松戸駅に着きます。こちらの方面へほとんど来ることのないわたくしですが、四月二十四日の土曜日は、初めてこの松戸に降りたのでした。
駅の西側、江戸川に近いところには坂川を中心にいくつかの川や水路があって、わたくしの目を楽しませてくれるところのようでございます。
ところがこの日、そんな街をゆっくり見物しているどころではございませんでした。駅近くの好立地にございます「席亭 宇」に行かなくては。
「席亭 宇」の名が出れば、当ブログをお読みになられていらっしゃる、おおよその方々はお気づきだと思います。「アイリッシュ・ミーツ・ラテン」へ行ったとき、玉井さんからお誘いがあったのでした。
MyPlace
・「伊丹秀敏の三味線 4月24日土曜日」
Kai-Wai散策、masaさんの、
・「『浪曲三味線』はいかが?」
・「『浪曲の夕べ』への誘い」
洋楽に詳しいが、邦楽にはあまり親しんでこられなかったと仰るmasaさんが、これは凄いと惚れ込んだ三味線。それはいったいどんな音色を聴かせてくれるのか楽しみでなりませんでした。
ところで、わたくしはこれまで小唄や新内流しなどは聴いてきたものの、浪曲にはほとんど縁がございませんで、昨年あたりお世話になっている知人の父君より、浪曲はいいよと、そして浪曲師だけでなく、曲師の合いの手も上手い人のものには陶酔できると、インド音楽のラヴィ・シャンカールやオスカー・ハマーシュタインのミュージカル、オペラのキャスリーン・バトルやレニ・フレミングなどを引き合いに出して教えてくださっていたのでした。
わたくしのなかでは機がまさに果実のごとく熟して、いまにも枝からこぼれ落ちそうになっていたわけです。あとは手を出してみるだけ。
まずは図書館へゆき、浪曲のCDを数枚、そして浪曲の発生や歴史を知りたく「実録 浪曲史 唯二郎著 青峰書房刊」を借りて読んでみたのでございます。
ところで「浪曲の夕べ」が催される二日前、こんなことがございました。
MyPlace
・「新島さんから送られたメール」
曲師に注目した会が行なわれようとしているところへ、なんというタイミングでしょうか。ますます伊丹秀敏師匠の三味線が聴きたくなりますよね。
(明日へ続く)
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映画監督であります篠田正浩氏が著した「河原者ノススメ(幻戯書房 2009)」は豊富な資料を背景に日本芸能史をまとめあげた興味深い書籍でした。
篠田はいまにも血をつなげる芸能の系譜を、大陸や半島、さらにはアジア全域のアニミズムの影響を踏まえたうえで伎楽、散楽の輸入を起点とし、田楽、猿楽、そして能狂言への発展、またアルキ巫女や白拍子、琵琶法師の語る平曲などから、後世の説教、浄瑠璃、歌舞伎への発展などを、ただ時系列に並べるのではなく、その流れのなかで絶えず疎んじられた人々の姿がダイナミックに芸能を動かしていったことを再確認しております。
また(語り物などの)物語からは斯様な人々の悲哀や愁訴が滲みでていることも、この国の芸能史を確認してゆく上での要点であると気づかされます。
この書を読むにあたり、参考にしたいもの、
●日本の音-世界のなかの日本音楽 / 小泉文夫(平凡社ライブラリー)
音階構造など理論面からの考察などは玄人向きかもしれませんが、日本の音、音楽、芸能の全体像をまず浚うには絶好の書。
●日本の歴史をよみなおす (全) / 網野善彦(ちくま学芸文庫)
網野氏のなかでは「中世の非人と遊女(講談社学術文庫)」が直接的資料になりそうですが、まず網野史観のダイジェストとして読んでおきたいです。
●女性芸能の源流-傀儡子・曲舞・白拍子 / 脇田晴子(角川選書)
「河原者ノススメ」でも脇田氏の諸作はたくさん引用されておりました。
●日本藝能史六講 / 折口信夫(講談社学術文庫)
折口の「翁の発生」は篠田の書につながってゆきます。
●歌舞伎以前 / 林屋辰三郎(岩波新書184・絶版)
生憎絶版なのですが本当は一番のお勧め。古書相場では1,000円くらい。
ところで、「河原者ノススメ」のなかで岩佐又兵衛の名がでてきたことにはいたく驚かされました。
continue reading "コノコロミヤコデハヤツタモノ"
11:59 PM permalink | comments (0) | trackbacks (0)
お葉の自作自演による音源のリスニングは叶わぬ夢なのでしょう。
その代わりと言ってしまっては演者にたいへん失礼なのですが、先日クリックしたCDが届きましたので、早速「散るは浮き」を聴いてみました。
ところがこのCDのこの曲、出来があまり良くありませんでした。CD全体が良くないのではなく、この曲を歌われた方の出来の問題であります。声質そのものは渋みがあるのですが唄をうたうための安定した発声に難があるように思えます。いや詳しくは知りませんが、おそらくこのCDにピックアップされている演者はみなこの世界では名の在るお師匠さんなのでしょう。そういった方に対して小唄初心者のわたくしが評をすることは甚だ失礼千万なのではございますが、これでも20年音楽の世界で生きてきた、そして数えきれぬ音楽テイクをジャッジしてきた立場から、敢えて発言させていただいております。正直幻滅いたしました。
しかし作品そのものの魅力には抗えません。お葉が一部加筆した不昧公による詩はたいへん美しいものです。初めて全文を読んだときにはサーッとその情景が目に浮かびました。
それを引用に留まらず全文をここでご紹介しても、既にパブリック・ドメインであるでしょうからまったく問題はないと思いますが、あえてやめておきます。
その代わり、その詩から想起したイメージを写真として作品化し後日ここでご紹介したいと思います。おそらくは1年後。そのころまでに作品化できればと考えております。
わたくしが想起したのはほんとうに拙いイメージ。それをお見せできる写真として表すことができるかどうか、「柳橋」作品群の最後を飾る一枚として作ることができるかどうか、それを来年の目標に掲げましょう。
さて、大晦日を迎えました。これが本年最後のエントリーになります。
この1年も多くのみなさまに支えていただきまして感謝に尽きることはありません。
どうかみなさま良いお年をお迎えくださいませ。
2:01 AM permalink | comments (2) | trackbacks (0)
「唾玉集(だぎょくしゅう)」という書籍が明治39年に刊行されました。これは当時の文豪(露伴、紅葉、二葉亭、緑雨、鴎外など)、芝居人や音楽家、そして市井の庶民(網頭、探偵、芸妓や行司なども)などから文学談、芸談、苦心談などを聞き出したインタビュー集です。これはこの本の編者が文芸雑誌「新著月刊」に明治30年ごろ掲載したものを集め再編したもの。わたくしは1995年に平凡社・東洋文庫より復刊されたものを図書館から借りてきました。
このインタビューのなかに前エントリーで触れました、この時代の名人、五世清元延寿太夫が養父母である先代四世とお葉を伴って清元節について語っているのです。
始めに五世より清元発祥から代々の履歴が話され、当時の芸人社会と自分たちの在り様、そして先人の苦心談から古典曲へと話しが移ってゆきます。そしてその後お葉によって作譜(作曲)について語られるのですよ!
この世界では、家元の奥方はたいてい節付け(作曲)をしていたそうで、初世の妻「えつ」は鼻の高いところがあり天狗という渾名があったそうですが、つけた節は名作として多く残っている(五世談)、またお葉の母、二世の妻「磯」も節をつけていた。お葉が17歳になると母と合作で劇場の浄瑠璃はすべて二人で節をつけたのだそうです。それに先立ちお葉、16のとき、前エントリーにも書きましたが不昧公による詩「散るは浮き」が出てきた。そこで端唄のようなものに拵えたらいかがだろうと母に相談すると、それはよろしかろうということに。ところが実際に節をつけてゆくと文句(詩)が足りない。大それたことだけれど私(お葉)が加筆して唄えるものに拵えたとのこと。
おお!伝説の人の生の声です。
さらに興味深かったのは、最近(明治30年ごろ)おまえさんも何かを蓄音機に入れて(録音して)おけばと勧められたのだと言います。で、入れるものに困ると応えたのだそうです。これといって自分に弟子はいないが、器用な人に教えると自分より上手くやる。ところがいくら教えても他人にはできないものがあるならば一つ入れてもよいと。
ところがその後実際に入れたのか入れなかったのか記録や資料がございません。おそらく録音はしていないのでしょうね。エジソンの発明から二十余年、既にベルリナーによる円盤レコードも登場している時代ですが、電気吹き込みは始まっておりません。もし残っているとすれば大きなラッパの前で演奏し、それをダイレクトに切った盤ということになりますが、もしそれがあるなら是非聴いてみたいです。お葉の自作自演を。
さてこの「唾玉集」は借りてきたばかりで、まだ清元の項と、芸妓の姐さん「千歳米坡」さんの項しか読んでおりませんが他の項も期待できそうですね。清元の3名も、千歳さんも、昔はよかった、ところが最近の若い奴らぁ、と言っているのが、あれ?これ昭和か平成のことかと思えて面白い。
ところで数々のインタビューが「唾玉集」としてまとめられ初版が発行された明治39年には、各人への取材(明治30年ごろ)からだいぶ時間が経っているのですが、そのとき既に四世延寿太夫とお葉は亡き人となっていたのです。
(続く)
4:37 PM permalink | comments (0) | trackbacks (0)
「小唄」は前々エントリーにて少しだけご紹介いたしました「うた沢」より少し遅れて「端唄」の影響を受け生まれてきた音楽ですが、その発生には「清元節」という浄瑠璃音楽が強く絡んでおります。
わたくしも詳しくはないのですが、浄瑠璃とは文楽に代表される「語り物芝居」の音楽および語りで、「義太夫節」を筆頭に「豊後節」から別れた「常盤津節」「富元節」「新内節」「清元節」など多彩な流派を形成しているとのこと。
「清元節」はもっとも新しく(江戸後期に)起こった、分派した、浄瑠璃で、もっとも「粋」で「いなせ」なものであるとのこと。とても気になります。創始者は初世清元延寿太夫。
さて「小唄」は二世延寿太夫の実子(=初世の孫)である「お葉」が、清元贔屓であった雲州松江の殿様・松平治郷不昧公による詩「散るは浮き」に節をつけたのが始まりということです。そのときお葉は16歳だった。もちろんお葉は清元においても数多くの節をつけ(作曲を為し)、夫である四世延寿太夫、そして明治から昭和初期において希代の名人とされた五世延寿太夫(四世とお葉の養子)の両人に多大な影響を与えているとのこと。伝説的な女性アーティストなのであります。
そのお葉による小唄発祥の楽曲「散るは浮き」をどうしても聴いてみたいと思い、こんな商品を買ってしまいました。
(続く)
6:41 PM permalink | comments (0) | trackbacks (0)
小唄は三味線の撥を使わず爪弾くのだそうですが、それがなんとも言えない味わいを伴奏に付加しており、弾き語り音楽としても充分広がりのある豊かな音楽的世界観を内包していると思えます。
さて、そんな小唄を聴いていると、
柳橋から小舟で急がせ 山谷掘 ~
ありましたよ、「柳橋から」という古典楽曲が。山谷掘(※)すなわち舟で吉原へ向かう経由地です。君を思えば逢わなかった時間がずいぶんと長かった、今日はどうしていらっしゃったの?という最初の声を聞きにきたんだ、という粋な唄でございます。
わたくしが聴いているCD(小唄名曲集/日本伝統文化振興財団)ではこの曲「市丸さん」という有名な歌手によるテイクが収録されています。市丸さんは歌謡曲なども歌っていらっしゃったのですが、本来長唄、清元、そしてこの小唄において名取となるほどの実力をもった元芸妓さんで、艶やかな声はたいへん魅力的です。と言いつつ、個人的にはその艶のあるお声はたいへん美しいのですが長く聴くには渋みが足りないような、、、もっと皺枯れているほうがこの小唄をCDというメディアで聴くのには良いのかもしれないと思い上がった感想を漏らしてみたり、、、
ところで「小唄」はたいへん耳にやさしく、深夜暗室作業をする際には恰好のBGMとなっております。西洋の音楽はクラシックであろうが、ポップスであろうが、基本的に縦に積まれた響きを、横に断続的に変化させてゆく音楽であると考えることができますが、日本の音楽は基本的に横、すなわち時間的な移ろいに要点があるように思われます。間(ま)がとにかく大切なのかもしれません(間といっても音的なブレイクを必ずや指しているわけではありません)。その音の移ろいは川面に反射した提灯のゆらめきのようで、耳を撫でるがごとく、聴いているとなんとも言えない心地よさに包まれ、最高のヒーリング・ミュージックとなっているのでございます。
(続く)
(※)山谷堀:現在隅田川に架かる言問橋、桜橋の中間あたりに注いでいた堀(川)で、三ノ輪近辺まで続いていたそうです。現在堀は暗渠となり、その上は公園になっております。
11:55 AM permalink | comments (0) | trackbacks (0)
此処最近、柳橋に惚れ芸妓や花街について調べものをしたり、フィクションを読んだりしているうちに、どうしても聴きたくなった音楽がありました。「小唄」です。
江戸小唄と本来呼ぶこのジャンルは、江戸後期に起こり明治大正そして昭和と発展し続けてきた大衆唄ものであります。江戸大衆唄ものでは「端唄(はうた)」というものが先にあり、伝統的な「長唄」などを気楽に、そして短く庶民が歌ったもので、
梅は咲いたか、桜はまだかいな
という詩、ときにはメロディも、多くの現代人も知っていることと思います。
またこの「端唄」をより芸術的に完成度を高めたものに「うた沢」というジャンルもあり、これも気になるところ。永井荷風の短編「深川の唄(すみだ川・新橋夜話/岩波文庫にカップリング)」の最後、夕刻の深川不動の境内で盲目のうた沢唄いが登場するのですが、かわりゆく景観に憂うこの小説の語り部の心境に深く染み入ってゆく江戸の芸が対比的に扱われ、たいへん印象的。この短編に素晴らしい余韻を与えておりました。
話しが逸れましたが、わたくしまずは「小唄」から聴いてみました。
(続く)
2:02 PM permalink | comments (0) | trackbacks (0)
十代の頃より、多くのジャンルの音楽を聴いてまいりました。ロック、ジャズ、クラシック。そして民俗音楽の一部も早くから聴いておりました。ところがどうしても好きになれない音楽があったのです。
純邦楽。すなわち日本の伝統的な音楽がそれでした。
ところが年齢を重ねるうちにそれらの良さがだんだんと解るように。
最初は雅楽でした。この日本の宮廷音楽、最近ではポップスのアレンジにのって篳篥などを奏する方もいらっしゃるのですが、きちんとオフィシャルな雅楽もいいものです。あの時空感覚、全てが間延びされた感覚というのは宮廷音楽ならではのものでしょう。まったく唯一無二の世界であります。
次に仏教音楽である声明。これは僧侶による合唱といえるでしょう。儀式音楽で、特に密教系の儀式で盛んに行われていたようです。わたくしは天台宗の僧侶たちによるコンサート形式のものを聴いたことがあるのですがその荘厳なことといったら比較するものがありません。またわたくしの友人に日蓮宗のお坊さんがいるのですが、その宗派にも声明があるようで同宗の住職たちで声明グループを結成し、お花祭りのときなどに境内でコンサートをしているのです。これもまた興味深いものであります。やはり自分は日本人だったのだ、バッハのあの素晴らしいマタイ受難曲を聴くよりすんなりと体に染み入ってくるのですから。
最近では能の音楽にも興味津々です。もちろん能は総合舞台芸術ですから音楽だけを切り取りどうのこうのするのは野暮なことなのですが、それでも囃子における笛、小鼓、大鼓、太鼓による四拍子は、アレンジという面からみて完璧であります。なんと素晴らしい音楽なのでしょうか。いつぞや必ずその舞台を生で見てみたいと思っております。
このように段々と日本の伝統的な音楽を聴くことができるようになってまいりました。それは年齢的なことも大きく関わっているのかもしれません。それはたいへん嬉しいこと。新しい音楽との出会いは常に刺激的でありますから。
(続く)
6:33 PM permalink | comments (0) | trackbacks (0)