お葉の自作自演による音源のリスニングは叶わぬ夢なのでしょう。
その代わりと言ってしまっては演者にたいへん失礼なのですが、先日クリックしたCDが届きましたので、早速「散るは浮き」を聴いてみました。
ところがこのCDのこの曲、出来があまり良くありませんでした。CD全体が良くないのではなく、この曲を歌われた方の出来の問題であります。声質そのものは渋みがあるのですが唄をうたうための安定した発声に難があるように思えます。いや詳しくは知りませんが、おそらくこのCDにピックアップされている演者はみなこの世界では名の在るお師匠さんなのでしょう。そういった方に対して小唄初心者のわたくしが評をすることは甚だ失礼千万なのではございますが、これでも20年音楽の世界で生きてきた、そして数えきれぬ音楽テイクをジャッジしてきた立場から、敢えて発言させていただいております。正直幻滅いたしました。
しかし作品そのものの魅力には抗えません。お葉が一部加筆した不昧公による詩はたいへん美しいものです。初めて全文を読んだときにはサーッとその情景が目に浮かびました。
それを引用に留まらず全文をここでご紹介しても、既にパブリック・ドメインであるでしょうからまったく問題はないと思いますが、あえてやめておきます。
その代わり、その詩から想起したイメージを写真として作品化し後日ここでご紹介したいと思います。おそらくは1年後。そのころまでに作品化できればと考えております。
わたくしが想起したのはほんとうに拙いイメージ。それをお見せできる写真として表すことができるかどうか、「柳橋」作品群の最後を飾る一枚として作ることができるかどうか、それを来年の目標に掲げましょう。
さて、大晦日を迎えました。これが本年最後のエントリーになります。
この1年も多くのみなさまに支えていただきまして感謝に尽きることはありません。
どうかみなさま良いお年をお迎えくださいませ。
2:01 AM permalink | comments (2) | trackbacks (0)
「唾玉集(だぎょくしゅう)」という書籍が明治39年に刊行されました。これは当時の文豪(露伴、紅葉、二葉亭、緑雨、鴎外など)、芝居人や音楽家、そして市井の庶民(網頭、探偵、芸妓や行司なども)などから文学談、芸談、苦心談などを聞き出したインタビュー集です。これはこの本の編者が文芸雑誌「新著月刊」に明治30年ごろ掲載したものを集め再編したもの。わたくしは1995年に平凡社・東洋文庫より復刊されたものを図書館から借りてきました。
このインタビューのなかに前エントリーで触れました、この時代の名人、五世清元延寿太夫が養父母である先代四世とお葉を伴って清元節について語っているのです。
始めに五世より清元発祥から代々の履歴が話され、当時の芸人社会と自分たちの在り様、そして先人の苦心談から古典曲へと話しが移ってゆきます。そしてその後お葉によって作譜(作曲)について語られるのですよ!
この世界では、家元の奥方はたいてい節付け(作曲)をしていたそうで、初世の妻「えつ」は鼻の高いところがあり天狗という渾名があったそうですが、つけた節は名作として多く残っている(五世談)、またお葉の母、二世の妻「磯」も節をつけていた。お葉が17歳になると母と合作で劇場の浄瑠璃はすべて二人で節をつけたのだそうです。それに先立ちお葉、16のとき、前エントリーにも書きましたが不昧公による詩「散るは浮き」が出てきた。そこで端唄のようなものに拵えたらいかがだろうと母に相談すると、それはよろしかろうということに。ところが実際に節をつけてゆくと文句(詩)が足りない。大それたことだけれど私(お葉)が加筆して唄えるものに拵えたとのこと。
おお!伝説の人の生の声です。
さらに興味深かったのは、最近(明治30年ごろ)おまえさんも何かを蓄音機に入れて(録音して)おけばと勧められたのだと言います。で、入れるものに困ると応えたのだそうです。これといって自分に弟子はいないが、器用な人に教えると自分より上手くやる。ところがいくら教えても他人にはできないものがあるならば一つ入れてもよいと。
ところがその後実際に入れたのか入れなかったのか記録や資料がございません。おそらく録音はしていないのでしょうね。エジソンの発明から二十余年、既にベルリナーによる円盤レコードも登場している時代ですが、電気吹き込みは始まっておりません。もし残っているとすれば大きなラッパの前で演奏し、それをダイレクトに切った盤ということになりますが、もしそれがあるなら是非聴いてみたいです。お葉の自作自演を。
さてこの「唾玉集」は借りてきたばかりで、まだ清元の項と、芸妓の姐さん「千歳米坡」さんの項しか読んでおりませんが他の項も期待できそうですね。清元の3名も、千歳さんも、昔はよかった、ところが最近の若い奴らぁ、と言っているのが、あれ?これ昭和か平成のことかと思えて面白い。
ところで数々のインタビューが「唾玉集」としてまとめられ初版が発行された明治39年には、各人への取材(明治30年ごろ)からだいぶ時間が経っているのですが、そのとき既に四世延寿太夫とお葉は亡き人となっていたのです。
(続く)
4:37 PM permalink | comments (0) | trackbacks (0)
「小唄」は前々エントリーにて少しだけご紹介いたしました「うた沢」より少し遅れて「端唄」の影響を受け生まれてきた音楽ですが、その発生には「清元節」という浄瑠璃音楽が強く絡んでおります。
わたくしも詳しくはないのですが、浄瑠璃とは文楽に代表される「語り物芝居」の音楽および語りで、「義太夫節」を筆頭に「豊後節」から別れた「常盤津節」「富元節」「新内節」「清元節」など多彩な流派を形成しているとのこと。
「清元節」はもっとも新しく(江戸後期に)起こった、分派した、浄瑠璃で、もっとも「粋」で「いなせ」なものであるとのこと。とても気になります。創始者は初世清元延寿太夫。
さて「小唄」は二世延寿太夫の実子(=初世の孫)である「お葉」が、清元贔屓であった雲州松江の殿様・松平治郷不昧公による詩「散るは浮き」に節をつけたのが始まりということです。そのときお葉は16歳だった。もちろんお葉は清元においても数多くの節をつけ(作曲を為し)、夫である四世延寿太夫、そして明治から昭和初期において希代の名人とされた五世延寿太夫(四世とお葉の養子)の両人に多大な影響を与えているとのこと。伝説的な女性アーティストなのであります。
そのお葉による小唄発祥の楽曲「散るは浮き」をどうしても聴いてみたいと思い、こんな商品を買ってしまいました。
(続く)
6:41 PM permalink | comments (0) | trackbacks (0)
小唄は三味線の撥を使わず爪弾くのだそうですが、それがなんとも言えない味わいを伴奏に付加しており、弾き語り音楽としても充分広がりのある豊かな音楽的世界観を内包していると思えます。
さて、そんな小唄を聴いていると、
柳橋から小舟で急がせ 山谷掘 ~
ありましたよ、「柳橋から」という古典楽曲が。山谷掘(※)すなわち舟で吉原へ向かう経由地です。君を思えば逢わなかった時間がずいぶんと長かった、今日はどうしていらっしゃったの?という最初の声を聞きにきたんだ、という粋な唄でございます。
わたくしが聴いているCD(小唄名曲集/日本伝統文化振興財団)ではこの曲「市丸さん」という有名な歌手によるテイクが収録されています。市丸さんは歌謡曲なども歌っていらっしゃったのですが、本来長唄、清元、そしてこの小唄において名取となるほどの実力をもった元芸妓さんで、艶やかな声はたいへん魅力的です。と言いつつ、個人的にはその艶のあるお声はたいへん美しいのですが長く聴くには渋みが足りないような、、、もっと皺枯れているほうがこの小唄をCDというメディアで聴くのには良いのかもしれないと思い上がった感想を漏らしてみたり、、、
ところで「小唄」はたいへん耳にやさしく、深夜暗室作業をする際には恰好のBGMとなっております。西洋の音楽はクラシックであろうが、ポップスであろうが、基本的に縦に積まれた響きを、横に断続的に変化させてゆく音楽であると考えることができますが、日本の音楽は基本的に横、すなわち時間的な移ろいに要点があるように思われます。間(ま)がとにかく大切なのかもしれません(間といっても音的なブレイクを必ずや指しているわけではありません)。その音の移ろいは川面に反射した提灯のゆらめきのようで、耳を撫でるがごとく、聴いているとなんとも言えない心地よさに包まれ、最高のヒーリング・ミュージックとなっているのでございます。
(続く)
(※)山谷堀:現在隅田川に架かる言問橋、桜橋の中間あたりに注いでいた堀(川)で、三ノ輪近辺まで続いていたそうです。現在堀は暗渠となり、その上は公園になっております。
11:55 AM permalink | comments (0) | trackbacks (0)
此処最近、柳橋に惚れ芸妓や花街について調べものをしたり、フィクションを読んだりしているうちに、どうしても聴きたくなった音楽がありました。「小唄」です。
江戸小唄と本来呼ぶこのジャンルは、江戸後期に起こり明治大正そして昭和と発展し続けてきた大衆唄ものであります。江戸大衆唄ものでは「端唄(はうた)」というものが先にあり、伝統的な「長唄」などを気楽に、そして短く庶民が歌ったもので、
梅は咲いたか、桜はまだかいな
という詩、ときにはメロディも、多くの現代人も知っていることと思います。
またこの「端唄」をより芸術的に完成度を高めたものに「うた沢」というジャンルもあり、これも気になるところ。永井荷風の短編「深川の唄(すみだ川・新橋夜話/岩波文庫にカップリング)」の最後、夕刻の深川不動の境内で盲目のうた沢唄いが登場するのですが、かわりゆく景観に憂うこの小説の語り部の心境に深く染み入ってゆく江戸の芸が対比的に扱われ、たいへん印象的。この短編に素晴らしい余韻を与えておりました。
話しが逸れましたが、わたくしまずは「小唄」から聴いてみました。
(続く)
2:02 PM permalink | comments (0) | trackbacks (0)
十代の頃より、多くのジャンルの音楽を聴いてまいりました。ロック、ジャズ、クラシック。そして民俗音楽の一部も早くから聴いておりました。ところがどうしても好きになれない音楽があったのです。
純邦楽。すなわち日本の伝統的な音楽がそれでした。
ところが年齢を重ねるうちにそれらの良さがだんだんと解るように。
最初は雅楽でした。この日本の宮廷音楽、最近ではポップスのアレンジにのって篳篥などを奏する方もいらっしゃるのですが、きちんとオフィシャルな雅楽もいいものです。あの時空感覚、全てが間延びされた感覚というのは宮廷音楽ならではのものでしょう。まったく唯一無二の世界であります。
次に仏教音楽である声明。これは僧侶による合唱といえるでしょう。儀式音楽で、特に密教系の儀式で盛んに行われていたようです。わたくしは天台宗の僧侶たちによるコンサート形式のものを聴いたことがあるのですがその荘厳なことといったら比較するものがありません。またわたくしの友人に日蓮宗のお坊さんがいるのですが、その宗派にも声明があるようで同宗の住職たちで声明グループを結成し、お花祭りのときなどに境内でコンサートをしているのです。これもまた興味深いものであります。やはり自分は日本人だったのだ、バッハのあの素晴らしいマタイ受難曲を聴くよりすんなりと体に染み入ってくるのですから。
最近では能の音楽にも興味津々です。もちろん能は総合舞台芸術ですから音楽だけを切り取りどうのこうのするのは野暮なことなのですが、それでも囃子における笛、小鼓、大鼓、太鼓による四拍子は、アレンジという面からみて完璧であります。なんと素晴らしい音楽なのでしょうか。いつぞや必ずその舞台を生で見てみたいと思っております。
このように段々と日本の伝統的な音楽を聴くことができるようになってまいりました。それは年齢的なことも大きく関わっているのかもしれません。それはたいへん嬉しいこと。新しい音楽との出会いは常に刺激的でありますから。
(続く)
6:33 PM permalink | comments (0) | trackbacks (0)