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November 9, 2011
  パゴダの国に鳴り響く異世界の調べを聴いたか


現・新国立劇場舞踏監督であるデヴィッド・ビントレー氏がその劇場に掛けたバレエ公演「パゴダの王子」は、英国ロイヤル・バレエの礎を築いたニネット・ド・ヴァロア女史が氏に長年制作を勧めていたのだそうですが、ようやっと日本的文脈のなかでこのお伽噺を舞台化できる構想を得られたとのことで、この10月末から11月に亘って興行された新制作の舞台です。
衣装に十二単風衣冠束帯風があったり、妖怪が登場したり、舞台美術には歌川国芳の絵をモチーフにした背景を用いたりと、ビントレー氏がそれら日本の歴史的文化よりインスパイアされた糧の程を窺い知ることができました。

お話も原作(振付演出家、ジョン・クランコの筆による)から若干の読み替えを行なっており、主人公であるベラ・ローズ姫はさくら姫と、ここでも日本風に替えてありますが、(原作でローズの姉である)エピータがさくらの継母で権力欲に旺盛な皇后として存在、皇帝を幽閉し天下を自分のものとしたという設定は、原作以上に登場人物のリアリティを与す結果となったでありましょう。

是非、ビントレー版「パゴダの王子」のあらすじをお読みください。

音楽は英国二十世紀音楽を代表するベンジャミン・ブリテン。ビントレー氏への取材を為したバレエご専門の方から、それら記事(これこれ)を教えていただき興味を覚えたことと併せて、このブリテンの音楽に魅了されたのが、今回劇場へ足を運んだ理由でした。(わたくしが観たのは11月2日のマチネー公演。当日に天井桟敷席...ではなく此処ではZ席といふ超格安券を購入しての鑑賞でした。オーケストラ・ピットの中がよく見えて面白かったですよ。)

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第1幕では、外国からきた四人の王たちによるソロ・ダンスに惹かれました。ことに東の王(米国を模している)の疑似ステッキ・ダンス、そして西の王(中国を模している)はその弁髪姿からもツイ・ハークの映画でのアクションを想起させる疑似カンフー的。

第2幕は想像力を掻き立てられる幕でした。さくら姫はとかげ男とパゴダの国へ向かう旅に出ますが、その途中は記憶を遡る旅ではなかったでしょうか? 殊に「火」を超えてゆくところは、継母エピーヌや、四人の王たちも真っ赤な衣装で登場します。嫌な記憶です。その嫌な記憶の果てにパゴダ国はあり、なんと幼少のころの自分が其処にはいました。そして他界したはずのこれまた幼少時の兄の姿をも感じます。

ところでこのシーンでさくら姫は目隠しをされていた(その間だけ、とかげ男は姫の実兄の姿に戻る)のですが、その状態でもきちんと踊ることができる。舞台中央への移動も、ぴったりと足を運ぶことができる。振り付けというものを精度高く現出できるダンサーの技術のすごさです。
この日のさくら姫は、米沢唯さんという方でしたが、彼女の手のしなやかさはほんとうに美しい。別の舞台でも是非また見てみたいと思わせるものがございましたよ。

また先に記した「火」のシーンでの大胆で下世話な振り付け。こういうのは以前にも存在していたのでしょうか? コンテンポラリーなものではないのでしょうか? ガニ股踊りなのですよ。それを堂々と踊ったエピーヌ役の本島美和さんも格好よかったです。

そして第3幕、エピーヌや四人の王をやっつける、さくら、兄、帝ら皇室一家は棒術のエキスパートであったとは(このあたり京劇的)!
ところで、わたくしの拙い文章ではあまりに内容が雑多に感じられることと思いますが、これら様々な要素をすべてバレエの語法の中でやってのける振り付けと演出に興奮を隠せませんでした。

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さて、音楽のほうですが、第1幕で言及しました四人の王たちによるソロ・ダンスに付けられたものは、ストラヴィンスキーへの(殊にそのプリミティズムへの)オマージュではないでしょうか。
またさくら姫登場のシーンでの(さくら姫の)オーボエによる主題メロディはチャイコフスキー(白鳥の湖)へのオマージュに聴こえます。
(とかげ男=サラマンダーの存在を暗示する舞台裏から奏でられるトランペットのファンファーレは、その設定からマーラーを想起しますが、マーラーはバレエ作品を書いていないので関連性はないかもしれませんね)

そして、ブリテンが書いたこの作品のなかで、もっとも注目すべきはパゴダの国を描いた音。ゴングとシンバルの打撃音を合図に西洋楽器だけで奏でられる疑似ガムランです。
ピアノ、ピッコロ、シロフォンやゴング、そしてヴィブラフォンがペンタトニックの音階をとれば、それはもうバリ島です。
コンサート用組曲としてもほとんど演奏された機会のないこの「パゴダの王子」の音楽を聴けただけでも大収穫の舞台でした。

(現在唯一のノーカット全曲盤のCDは→これ。ロンドン・シンフォニエッタのシャープな演奏が素晴らしいです。)

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デヴィッド・ビントレー氏は来シーズンにはドリーブのシルビアを新国の舞台に掛けるそうで(ビントレー版の日本初演)期待したいです。
また同時期にオペラのほうですが、ブリテンの最高傑作「ピーター・グライムズ」が、英国音楽にめっぽう強い尾高忠明芸術監督のもと上演されるとのこと、こちらも併せて楽しみです。


(注)本文中に掲載しました写真は、2001年にバリ島で撮ってきたものですが、本舞台とは一切関係なく、あくまで私的に舞台から想起されたイメージです。

12:12 AM permalink | comments (0) | trackbacks (0)

January 18, 2011
  水の都に鳴り渡る空前絶後の響き(2)

前回、モンテヴェルディの「聖母マリアの夕べの祈り」から第8曲目「Nisi Dominus」に触れ、それが一時代前のヴァネチア派の流れを汲んだものであることを記しました。ヴェネチア派は、モンテヴェルディの100年程前、サンマルコ寺院の楽長、アドリアン・ヴィラールトが始祖で、この寺院の特徴を活かした音楽づくりを行なっていたこと(参考:サンマルコ寺院公式サイト Top → Virtual Basilica → Panoramic Viewsでパノラマ画像あり)を、吉田秀和翁が昔々に記した本で教えられました。少し長くなりますが引いてみましょう。


サン・マルコ寺院の構造の独自性が、もってこいの条件をつくりだしたことも忘れてはならない。ここのいくつもの円天井からなる内部には、たがいに離れた二つの聖歌隊席と二つのオルガンがあった。音楽家はその二つの合唱を、対話風にあつかったり、同時にあわせて力強いクライマックスをつくりあげたりすることができた。ヴェネツィアの音楽家は、新しい時代に躍動するヨーロッパの息吹きにのって、音色の効果、ダイナミックな感情表現でもって、それまでのカトリック教会で行なわれていた単純な交唱の効果の域をはるかに凌駕した二重合唱をあやつる。(吉田秀和著「LP300選」新潮文庫 絶版 より)


これはLPレコード時代に吉田翁が泰西古典音楽の全歴史に渡って推薦盤を記した本ですが、紹介された盤を購入したことはあまりございませんでしたけれど、その歴史を和声の発見と発展という面から(一部の歴史認識は、その後の発見と研究から刷新されていることはございますが)、たいへん解りやすく書かれておりまして、わたくしの座右の書であり、本そのものは日焼けし、いくつかのページは剥離崩落が始まっていますが、それでも愛さずにはいられない大切な本なのであります。
さて、ヴェネチア派ですが、生憎、始祖のヴィラールトの音盤を所有しておりませんので、その弟子の後継者、アンドレアと甥のジョバンニ、ふたりのガブリエリの楽曲を聴いてみましょう。

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10:15 PM permalink | comments (5) | trackbacks (0)

December 20, 2010
  若き日の瑞々しく輝く音色を誇れ(4)

先日、本年のジュネーブ国際コンクールでの、ファイナリスト3名による協奏曲の審査が行なわれた決勝演奏会のライブ映像を発見し、優勝されました萩原麻未さんのラヴェルの演奏について感想を記そうとしてから、幾許かの日をおいてしまいました。
その間、アルゲリッチが84年に再録音しましたドイツ・グラモフォン盤を入手したりしておりました。
その84年盤ですが、たいへん落ち着いた演奏になっており中堅からヴェテランの域にはいってゆくアルゲリッチを聴くことができると思います。その落ち着きはオーケストラ(67年と同じアバド指揮、オケはベルリン・フィルからロンドン交響楽団に変更)にも及んでおり、テンポだけでなく、アーティキュレーションに至るまで、さらりとした質感の演奏となっております。

さて、本年11月18日にスイスで行なわれましたジュネーブ国際コンクールでの、ピアノ部門ファイナリスト3名による決勝演奏会ですが、優勝しました萩原麻未さんの演奏(だけでなく他の2名も)を下記リンク先の映像によって楽しむことができました。

Finale de piano du concours de Geneve


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10:47 PM permalink | comments (0) | trackbacks (0)

  若き日の瑞々しく輝く音色を誇れ(番外)

土曜日(12月18日)の横浜で、ピエール・ロラン・エマールが、シャルル・デュトワ指揮のNHK交響楽団と、ラヴェルのピアノ協奏曲(ト長調)を弾いたそうです(既に15, 16日に東京サントリーホールで行なっていますが)。

エマールは、この夏にブーレーズ指揮でこの曲のCDをリリースし、それが注目を浴びておりますので、旬を感じさせる演奏会になったのではないでしょうか?
行きたかったなぁ。

過去、ラヴェルのピアノ協奏曲といえば、フランソワ盤や、ミケランジェリ盤、そして以前取り上げましたアルゲリッチの67年DG盤あたりが有名盤として紹介される機会が多かったのではないかと思いますが、先のエマールの新譜や、エマールの指揮をしているブーレーズによる94年、クリスチャン・ツィメルマンとの盤なども聴いてみたいところです。

さらには下記の盤も、、、

アルゲリッチ(ベルティーニ指揮/ケルン放送響 85年 ライブ Capriccio盤)

アルゲリッチ(デュトワ指揮モントリオール響 97年 ライブ EMI盤)


萩原麻未さんのコンクール決勝時の感想は今夜あたりにアップロード予定です。

7:00 AM permalink | comments (0) | trackbacks (0)

December 13, 2010
  若き日の瑞々しく輝く音色を誇れ(3)

このシリーズは(2)で取り敢えず終了し、もし萩原麻未さんの(ジュネーブ国際音楽)コンクール時の演奏がCD化されれば、そのときに続きを記そうかと考えていたのですが、そのコンクール、ファイナリスト3名による決勝演奏会の模様を録画しましたサイトを発見してしまいました。

Finale de piano du concours de Geneve

(感想は、また後ほど)

12:15 PM permalink | comments (0) | trackbacks (0)

December 12, 2010
  若き日の瑞々しく輝く音色を誇れ(2)

前回、わたくしは今年のジュネーブ国際音楽コンクール、ピアノ部門でラヴェルのコンチェルトを弾いて1位となった萩原麻未さんのコンクール時の演奏(CD化されるなどして)を聴くことができれば、1957年に同コンクールで1位となりましたマルタ・アルゲリッチのラヴェルと是非比較してみたいと記しました。
ところがアルゲリッチのコンクール時の演奏は、レコードやCD化されておりません。

とは云うものの、そのコンクール時の演奏を想像させるに充分な音源が存在するのです。

「Martha Argerich - Piano. Ravel, Chopin」

 モーリス・ラヴェル / ピアノ協奏曲(ト長調)
 オルケストル・デ・カメラ・デ・ローザンヌ
 指揮:シャルル・デュトワ
 (1959年1月19日 スイス、ローザンヌでのライブ)

 フレデリック・ショパン / ピアノ協奏曲第1番(ホ短調 Op.11)
 オルケストル・デ・ラ・スイス・ローザンヌ
 指揮:ルイ・マルティニ
 (1959年9月25日 スイス、ジュネーブでのライブ)

 マルタ・アルゲリッチ (Piano)
 (Label: Cosentino Producciones, No: IRCO275, アルゼンチン盤)

このライブ盤の演奏は、ジュネーブ国際音楽コンクールでアルゲリッチが優勝した2年後の1959年に収録されたもので、数年前に発売され、世に出てきた貴重な音源なのです。

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5:39 AM permalink | comments (2) | trackbacks (0)

December 11, 2010
  若き日の瑞々しく輝く音色を誇れ(1)

先だってのこと、日本人ピアニストが、ジュネーブ国際音楽コンクールで1位になったことが報じられ、ウイナーは俄にメディアの餌とされておりました。

その日本人ピアニストが優勝しましたジュネーブ国際音楽コンクールは70年の歴史があり、そのなかで(ピアノ部門では)ミケランジェリやグルダ、そしてアルゲリッチなど錚々たる人物が1位を獲っておりまして、その威厳を守るためか、たいへんな難関コンクールとして有名でございます。かの現役最高峰の巨匠ピアニスト、マウリッツォ・ポリーニでさえ、1957年にアルゲリッチに破れて2位とされ、翌年再挑戦し、トップの成績を収めるも1位なしの2位という評価が下される厳しさなのですから。

このようなコンクールで堂々の1位を勝ち取った萩原麻未(まみ)さんですから、メディアに注目されるのも解る気がいたします。
ところが、聴くところによりますと、メディアはこの栄えあるウイナーに対して、架空の人物である「のだめ」と対比しているのだそうです。それはコンクールとウイナーに対して失礼なことではないのかと思うのですが、、、いかがなものでしょうか(ご本人はイマドキな人でしょうから、満更でもなかったりして)。さらに音楽的な面で彼女を紹介する機会の少なさ。結局騒いでいるだけで、(わたくしも含めて)誰も彼女の演奏を聴いたことがないのです。

かつて海外のコンクールを制した日本人演奏家の何人かは、そのコンクールでの演奏がCD化されております。例えば02年にチャイコフスキー国際コンクールで優勝した上原彩子さんや、記憶にまだ新しい昨09年の辻井伸行さん(これこれ)(ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクール)の優勝時のことですが、彼女、彼らのように今回の萩原さんのコンクール・ライブもCD化されないかしら。彼女が弾くラヴェルのコンチェルトを是非聴いてみたいのです。
そして前述いたしましたが、同コンクールで同じラヴェルを弾いて優勝したマルタ・アルゲリッチの演奏と比較してみたいものです。

音楽のことを語られることが少なかった今回の萩原麻未さんの報道の中で、唯一知り得たものを最後に紹介しておきたいと思います。11月19日の毎日新聞・夕刊、彼女の優勝を伝える記事のなかから、コンクールの審査員であった岡本美智子さん(桐朋学園大教授)の談話を引かせていただきます。

「萩原さんのラベルは自然に音楽が流れ、繊細で軽やかなタッチの美しい音色が魅力。特に3次予選のシューマンの『子供の情景』には審査員みんなが感動した」

とのことです。

6:44 AM permalink | comments (0) | trackbacks (0)

October 17, 2010
  黒から白へ至る墨絵のごとき響き

牧神の午後への前奏曲は、草いきれのような強い芳気を放ったのでしょうか。
前回、記しましたように10月7日の木曜日に、東京・千駄ヶ谷の津田塾大学校内にございます、津田ホールにて行なわれました、ピアノ・デュオ「ドゥオール」のリサイタル2010へと行って参りました。

「ピアノ・デュオ ドゥオール リサイタル2010」
ピアノ・デュオ ドゥオール=藤井隆史、白水芳枝
演目:
●ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲(2台ピアノ版)
●リスト:「ドン・ジョバンニ」の回想(2台ピアノ)
〜休憩〜
●ブラームス:交響曲第一番ハ短調作品68(4手連弾版)

■アンコール:ブラームス:ハンガリー舞曲第一番(4手連弾版)
       ショパン:幻想即興曲(M. グールド、B. シェフター編曲による2台ピアノ版)


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1:50 AM permalink | comments (2) | trackbacks (0)

October 6, 2010
  其処にたち昇る芳気は如何なるものになるのだらうか

夕刊には、月に二度ほど楽しみにしているコラムが載っていたので、思わず食後に金宮の安焼酎に氷を加えたものを拵えてしまったのでした。
グラスをからんころんと鳴らしながらコラムを読めば、随分以前に人口に膾炙したと思われる、虫の鳴き声を日本人は楽音として聞くが、西洋人は雑音として聞くという脳の受け取り方の説を挙げ、日本の短歌、童謡などに比して、西洋の文学や音楽に虫がほとんど登場しないことを明らかにしておりました。そしてアポリネールが「動物詩集」のなかでようやっと象から、けむし、はえ、のみなどをも対象にしたことを紹介するのですが、そのテキストに音楽(歌曲)をつけたプーランクは、ざりがにまでは音楽に拵えたが、毛虫には至っていないことを残念がり、もしプーランクが虫をも取り上げていたら如何なる音楽になっただろうかという興味への想像を誘う文章でございました。

よく西洋音楽の和音を表すのに色彩的な感覚を当てることがございます。わたくしも音が音だけの縦横のフォルムと響きによって構築された古典派までの音楽に比して、浪漫派以降の音楽を解するのに、その色彩による表しはよく理解することができます。また某有名音楽振興会にて教育を受け、絶対音感を身につけた輩からは、音程、音階から色をイメージすると、よく聞かされたものです。

それらに加え、ある種の西洋音楽の中には香気、臭気、芳気といったものを感じさせる響きもあるのではないでしょうか?
例えばドビュッシーが拵えた管弦楽曲「牧神の午後への前奏曲」などからは夏の水辺からたつ強い草いきれのような臭気、香気を感じずにはいられません。もちろんこの曲をドビュッシーが拵えたとき、マラルメの詩が基にあったことは存じ上げたうえで、その詩が発信する世界を受けてのことではございますが。

明日10月7日、ピアノ・デュオ「ドゥオール」のおふたり、藤井隆史さんと、白水芳枝さんが、この著名な管弦楽曲の(作曲者による自編曲の)2台ピアノ版を東京・千駄ヶ谷の津田ホールにて披露してくださるとのこと。おふたりの栄えあるリサイタルに伺って参ります。
おふたりの演奏からは如何なる芳気がたち昇ってくることでしょうか。甚だ楽しみでしかたありません。

外からは、じぃじぃじぃ、ひひひひひ、などと虫たちが楽音を奏でる秋の夜更け。おやすみなさい。

ピアノ・デュオ「ドゥオール」オフィシャル・サイト

11:59 PM permalink | comments (2) | trackbacks (0)

May 19, 2010
  秀抜な黒子たちによって支えられるものがたり

そほいえば、まだ書いていなかつた感想文。有楽町では毎年恒例になってまいりましたラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンがショパン生誕200年で盛り上がっていたであろう、黄金週間のとある日、わたくしは地方のシネコンでそのショパンのピアノ協奏曲を聴いておりました。
と言いますのも「のだめカンタービレ 最終楽章 後編」(!)を娘や姪子たちと観にいったのでした。この映画の前編は観ていないのですけれど、ピアノ演奏の吹替えをラン・ランが(前編も)おこなったということを遅まきながら知ったので、娘たちを連れていったというより、くっ付いて行ったようなものでした。

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11:36 AM permalink | comments (4) | trackbacks (0)

February 19, 2010
  変ホ長調交響曲第二楽章

柔らかな陽が射し込む部屋。ターンテーブルのうえで回るLPレコード。
モーツァルト、変ホ長調交響曲、第39番、その第二楽章。
老人は身動きせず静かに聴いておりましたが、途中、傍らにいるのでしょうがフレームアウトしてその姿は見えない彼の息子へそっと話しかけます。

 「次がきれいなところだ、、、、、聴いて。」

木管の吐息のあと、弦によるメロディが高鳴ります。
そのフレーズを聴いた老人の顔から、これ以上にない優しい微笑みがこぼれました。
そして、

 「きれいだろ。」

と。


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7:31 PM permalink | comments (2) | trackbacks (0)

January 13, 2010
  美しい教会の天井へ駆けてゆく管弦楽の響きとともに、彼の魂も。

水も滴るいい演奏。オトマール・スウィトナーという指揮者が導きだすモーツァルトには、そんな感想を述べたくなります。
昨日の夕刊に訃報記事が掲載され、いたく残念な気持ちにさせられました。
わたくしがクラシック音楽を聴き始めたころはNHK交響楽団の名誉指揮者として、サバリッシュやシュタインなど同じくドイツ系の指揮者たちと軒を軋るがごとく、わたしたちによい演奏を聴かせてくれたものでした。氏は90年以降、パーキンソン病を患い、引退されていたようですが昨年ドイツ制作のドキュメンタリー(父の音楽〜指揮者スウィトナーの人生)が国内でもBSで放送されたそうで、わたくしは観ることができませんでしたが、引退後の氏の姿が初めて伝えられ多くの感動を呼んだのだそうです。そこでは氏の東と西(ドイツ、或いはベルリン)での二重生活も明かされる(監督は西側妾宅の息子)内容も含んでいたそうですが、なんといってもその息子(=監督)ただ1人が見守る中で、かつての手兵シュターツカペレ(歌劇場管弦楽団)・ベルリンを病によって震える手で指揮をしたシーンがたいそう感動的であったようです。
ところで、この悲しい出来事を機に、彼の追悼のため、そのドキュメンタリーを再放送していただけないものかと希望するのは、いささか不謹慎で我侭なことでございましょうか? 氏が遠い極東の国に残してくださったこと、その仕事の誉れの高さを、思い出し、少しでもわたくしたちの記憶の深層にしまっておくためにはよい機会ではないかと思うのでございます。

昨夜はスウィトナー氏が残したモーツァルトから「フィガロの結婚」をLP(米・セラフィムレーベル盤)で聴いておりました。このドタバタ喜劇をスリリングに駆け抜けてゆくスウィトナーの指揮、シュターツカペレ・ドレスデンの艶やかな音色とルカ教会の天使が舞うがごとくの響き、そしてドレスデンの名歌手たちによる圧倒的な歌唱!
ここに最上のモーツァルトが聴こえてくるのです。

スウィトナー指揮、フィガロの結婚(1964年/ドイツ語歌唱版)

そして今夜はCDで、フィガロ同様に極上の「魔笛」を聴きながら、このエントリーを書いております。ところが美しい演奏、歌唱のおかげで、なかなかキータイプが進まず、ようやっとここまで打ってまいりました。

スウィトナー指揮、魔笛(1970年)

合掌。

10:14 PM permalink | comments (7) | trackbacks (0)

July 28, 2009
  わたしを惑わす不気味な月よ、今宵だけはあの方の行かれる先を優しく照らしてあげてください。(4)

惜しまれて逝去されました若杉弘氏。氏への追悼文が梅津時比古さんの筆で新聞に掲載されておりました。

若杉弘さんを悼む:先駆的だった演出、読み直しの音楽


3:33 AM permalink | comments (0) | trackbacks (0)

July 23, 2009
  わたしを惑わす不気味な月よ、今宵だけはあの方の行かれる先を優しく照らしてあげてください。(3)

オペラ「ヴォツェック」の思い出。なんとわたくしが初めて生で舞台を見たオペラ作品はイタリアものでも、モーツァルトでもなく、この「ヴォツェック」だったのでした。
1985年10月のこと。東京文化会館での二期会公演。オケは東京都響だったかしら。指揮は若杉弘氏でした。

7月21日にその若杉氏がご逝去されたと訃報を知ったのは翌22日の朝刊でのこと。

85年ごろの若杉氏は、旧東ドイツ、ドレスデン国立歌劇場と、その管弦楽団(所謂シュターツカペレ・ドレスデン)の常任指揮者になっており、あの伝統あるドレスデンとは! と、ヒーロー視したものでした。
昨今では新国立劇場の音楽監督に着任されており上記リンク先(訃報記事)にもございますように、この国でのオペラ開催に多大なる功績を残された方。

ああ、この秋にはその新国立で「ヴォツェック」を振る予定だったのですね。

昨晩(22日)は(若杉氏の音源がないため)かつて上越道でわたくしを幻惑させました「ヴォツェック」の盤をかけて若杉氏の死を悼んでおりました。

11:59 PM permalink | comments (0) | trackbacks (0)

  わたしを惑わす不気味な月よ、今宵だけはあの方の行かれる先を優しく照らしてあげてください。(2)

不気味な月で思い出したのは、もう15年程昔のこと。わたくしはある仕事のために軽井沢へ、自ら運転して向かっていたときのこと。
関越自動車道から藤岡で分岐し、通行できるようになったばかりの上越自動車道。深夜の移動でしたから、前後に他の車はまったく無く、ひとり、一台で走っていたのでした。
わたくしの行く真ん前に昇ったまん丸の月。周囲に光は無く、わたくしはその月に向かって飛び込んでゆくような錯覚に陥ったのでした。

berg090722.jpgそのとき、車内でかけていたCDは20世紀オペラの最高傑作と云われております、アルバン・ベルク作曲、「ヴォツェック」。
この車内の音楽の効果がいとも甚だしく、なんとも不気味な瞬間を味わったのでした。


(左の写真のアルバムがそのとき聴いておりました、
クリストフ・フォン・ドホナーニ指揮
ウィーン・フィルハーモニー
による「ヴォツェック」全曲盤(1979録音)。
- シェーンベルクのモノドラマ「期待」を併録 -


奥にあるのは同じコンビによる ベルクの「ルル」(1976録音)。)


12:25 PM permalink | comments (0) | trackbacks (0)

July 22, 2009
  撫で、擦り、引っ掻きあげるから、わたくしを掻きむしる。(3)

1楽章開始直後を意外にも淡々と奏で始めた庄司紗矢香さん。段々と情感を高めてゆきながら撫でるようなソットヴォーチェで次の楽想へ、ときおりむせび泣くような低音が混じり聴いているわたくしの気分を嫌でも高揚させます。

7月10日に衛星放送でオンエアされました「N響演奏会ー第1649回定期公演ー」から、プロコフィエフ作曲 ヴァイオリン協奏曲第1番。
ソリストの庄司紗矢香さんは、細い肩が露な黒地に桜花と舞う花弁が描かれ(刺繍なのかどうか、画面では判らず)、裾は踝までのため可憐なアジアンの印象を強く醸し出すドレスを召していらっしゃいました。

2楽章、チョン・キョン=ファさんの演奏では左手のポルタメントが印象的でありましたエスニック(?)なパート。ここで庄司さんの右手はきつく弦を擦り、なんともお下劣な音色を奏でるのです。Brava! もちろん行ったことはないのですが、まるでカザフスタンの安料理屋で繰り広げられる民俗舞踏ショーのような(中央アジアは弦楽器の宝庫!)世界観を想起させ興趣に尽きません。その後のパートでの洗練された音色の速いフレーズと舞踏ショーを引きずった音色が交互に飛んできます。グッガッガッガと刻むこれまたお下劣はアップ・ボウで引っ掻きあげられます。
そして3楽章、ファゴットの軽妙なフレーズに導かれての美しい主旋律。そして次のウンチャチャチャとリズムを刻むところ、一度オケ全強奏に流れを渡した後の2回目、1度目に比してスタッカート度を増していまして指揮のノット氏に軽く微笑む庄司さんも楽しそう。

残念なことにNHKの放送はソロの音量が甚だ大きく(悪しきマニュアル、または徒弟か伝統か)、このような楽曲ではオケとの協奏感が気弱になってしまいます。だいたいからしてこのウンチャチャチャ・パートはオケの弦楽が主旋律を奏でているのですが、ソロの音量のおかげで耳は(頭は)自然な(ヴァイオリンからオケへの流れの)切り替えを行なうことができません。
一般的視聴者は、このようなバランスを聴いてしまうと、オケや指揮者は何をやっているのだ、ということになってしまうのですから視聴者への「伝わりかた」というものをもっと考えなくてはいけませんねぇ。昭和歌謡曲ならよいのですけれど...

豊かな音色のヴァリエーションと、この放送局による音楽的アンバランスのおかげでヴァイオリンが何をしているのか、その詳細をとくと聴くことができましたのは音楽にとっては甚だ皮肉なことでありましたが、全ての音に意思が籠められていることを強く認識できる演奏は終始わたくしの心を掻きむしっておりました。
終盤はハープのアルペジオが美しく和声感を支え木管の受け継ぎを背景に、よく歌い、よく泣いてくれた庄司紗矢香さんの名演でございました。

11:22 PM permalink | comments (0) | trackbacks (0)

July 19, 2009
  撫で、擦り、引っ掻きあげるから、わたくしを掻きむしる。(2)

チョン・キョン=ファさんが弾くプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲のレコードを実家から連れて帰り、それをiPodにトランスファーし1週間ほど通勤の車中で聴きまくったのはもちろん理由があってのこと。

6月1日に東京・初台のオペラシティで聴きましたMusic Tomorrow 2009のなかから、庄司紗矢香さんがソリストを務めましたリゲティ作曲の協奏曲をオンエアした6月28日の放送(N響アワー)を見ましたら、同月6日のN響定期演奏会に再登場した庄司さんソロによりますプロコフィエフの協奏曲も併せてプログラムされていたのです。
放送はリゲティの全楽章を紹介した後、庄司さんの個展(「かたち在るものが立ち昇る楽器の響き(1)(2)(3)」)のことにも触れたインタビューを挟んだため、もう残り時間は少なく、プロコの演奏は第3楽章しか使われなかったのです。
ところがその楽章の演奏がなんとも素晴らしく、名演と呼んでも差し支えないのではないか、そんな思いがしまして、それではあのチョン・キョン=ファの演奏はどうであったのか、確認するためにレコードを実家に取りに帰ったのでした。

そして庄司さんの演奏を3楽章だけではなく、どうしても全曲を通して聴きたいと希求する気持ちも生まれたのでした。調べますとこの日の定期演奏会全ての模様が7月10日の衛星放送でオンエアされるとのことでしたので職場の同僚に頼んで録画してもらったのでした。

2:45 AM permalink | comments (0) | trackbacks (0)

July 18, 2009
  撫で、擦り、引っ掻きあげるから、わたくしを掻きむしる。(1)

急遽このレコードを実家に取りに帰ったのは今月はじめのこと。実家と云いましても、歩いて30分かからないのですから、たいしたことではないのですけれどね。

kyung-wha090717.jpg

プロコフィエフ ヴァイオリン協奏曲 第1番&第2番
チョン・キョン=ファ (Violin)
A, プレヴィン指揮 / ロンドン交響楽団

このレコードのソリスト、チョン・キョン=ファさんは、クラシック音楽の世界で韓国から登場した初めての国際的スターでありましょう。彼女の姉、チェリストのミュン=ファさん、そしてピアニストで指揮者の弟、ミュン=フンさん(今や彼のほうが高名か)とともに室内楽トリオもやっていらっしゃる。
それにしてもこのプロコフィエフの協奏曲第1番での激烈な演奏はほんとうに素晴らしいです。往年のヴィルトゥオーゾ、シゲティやオイストラフがこの曲をどのように演奏したのかわたくしは知りませんが、彼女の弾く速いテンポの中から迸る強さ、激しさは、プレヴィン、ロンドン響の好サポートを得ながら、聴き手でありますわたくしのアドレナリン分泌を著しく促すのでした。
殊に2楽章の細かく速い、そして高域を中心とした開始部分から、中低音を主に舞踏のリズムを背景に移ったところ、細かなポルタメントを交えたエスニックな旋律が印象的なパートの左手の細やかな動き、そしてそれを維持したまま再び次の急速なパートへ戻る直前にかけられた軽く一瞬のアッチェレランド! 最高のテクニックが、上手いオケとの協奏によりましてさらに音楽が高められているようです。

レコードは1975年録音、オリジナルは英デッカ・レーベルのもので録音優秀です。わたくしの国内盤LPはプチプチ・ノイズが大きくなってきてしまいましたので、是非とも状態のよい英国盤が欲しいところ(CDでないところが、、、)ですがチョン・キョン=ファ作品のレコードは意外にも高額なので手が出にくいところです。

(最近のCDにはストラヴィンスキーの協奏曲もカップリングされているようです。→junp to HMV

11:59 PM permalink | comments (0) | trackbacks (0)

July 5, 2009
  トーキョー・ハイドン ウインナ・ソースがけ(2)

放置しっぱなしでありました6月19日の演奏会レビュー。

2曲目のモーツァルト、ピアノ協奏曲に関しましては、オケが積み上げる和音、そのバランスの妙で充実した音色が生まれていたのですが、ピアノがドライすぎて協奏になっていなかった感じが否めません。
休憩の後、再びハイドン。今度は晩年の作で「太鼓連打」の愛称のある103番。この曲も前半の13番同様、躍動感に満ちて素晴らしい演奏でした。
ところで久々の東京文化会館。この日は4階席で聴いていたのですが、ここって、こんなに鳴ったホールでしたかな? 残響感はサントリーホールなどから比して(って全面改装後は訪れていませんが)圧倒的にドライな印象は変わりませんでしたが、音量エネルギーがここまで充実していたかしら、と思ったのでした。単に都響が出す音が(編成に比して)大きかったのでしょうか? 他のオケを同じ4階席で聴いてみたくなりました。

それにしても指揮者ミラン・トゥルコヴィッチ氏はよい響きを作り出します。とても心地よいハイドン。ずうっと聴いていたくなりましたよ。殊に「太鼓連打」の4楽章はお見事で最後の和音の残響が止まぬなかのブラボーに苦笑いをこらえきれませんでしたが納得したのは確かでございました。
終演後、1階ロビーに降りてみますとトゥルコヴィッチ氏指揮による新譜(ウィーン・コンツェルト・フェライン演奏)、ハイドンのいくつかの交響曲を集めた盤が先行発売されておりました。これはCDにとりまして上出来なプレゼンテーション、プロモーションの機会じゃあなかったでしょうか。
体調不良の為の来日キャンセルとなったゲルハルト・ボッセ氏の代役が必要になりウィーンに強力なパイプを持つCD発売元のIプロデューサーが動いた(トゥルコヴィッチ氏を推した)のかもしれません。そのCDレーベル、そしてI氏、懐かしいなぁ。わたくしのことなど憶えていらっしゃらないだろうなぁ。

9:24 PM permalink | comments (0) | trackbacks (0)

June 24, 2009
  トーキョー・ハイドン ウインナ・ソースがけ(1)

まことお見事なハイドンでございました。
わたくしはまったく存じ上げておりませんでした指揮者、ミラン・トゥルコヴィッチ氏。彼はもともとファゴット奏者として欧州、そして世界で名を馳せた方とのこと。そのトゥルコヴィッチ氏が、ゲルハルト・ボッセ氏の代役として6月19日の東京都交響楽団 A定期演奏会の指揮台に登ったのでした。

ハイドン:交響曲第13番
モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番(独奏:アンティ・シーララ)
 (アンコール:ショパン:マズルカ変イ長調 op.50-2)
ハイドン:交響曲第103番「太鼓連打」

という渋い演目はボッセ氏の提案も大きかったのかもしれません。その当初からの演目をトゥルコヴィッチ氏も引き継いでの公演。
全部で104つあるハイドンの交響曲の全てに触れることはまったく適いません(交響曲全集のCDは、わたくしの知るところ3種ありますが!)が、殊に番号の若い楽曲には甚だ無知なのでした。
13番の演奏も、今まで聴いたことはございませんでしたので、どんな曲だろうかと事前に聴いてみたくなり、単独の盤で探せるかどうか判りませんでしたが、中古CDショップへ行ってみますと、なんとNAXOSレーベルにございまして(ヘルムート・ミュラー=ブリュール指揮/ケルン室内管弦楽団)早速入手したのでした。さすがNAXOS。演奏も良いのですよ!
そしてそして、とても清々しい曲で何度も聴いているうちにすっかり気に入ってしまったのでした。

軽快なテンポで始まりました13交響曲。弦5部は86432と時代性を感じさせる小振りな編成。しかしホルンが4本と過剰(楽譜指定)。そして舞台にはチェンバロも備わっております。CDの演奏にはチェンバロは加わっておりませんでしたので、改訂稿などの違い(があるのかどうか?)によってチェンバロの有無があるのでしょうか?
踊るようなリズムに支えられて心地よいです。2楽章は弦楽の伴奏と独奏チェロ(首席奏者である、古川展生氏)の旋律がよく歌い、さらにチェンバロのサポートが効いていて無常の喜び。
4楽章の主題はモーツァルトの41番(ジュピター)終楽章のあの4つの音が。そして対位法的に展開され、ジュピター誕生四半世紀前の偉大なる先駆、その音の綾をトゥルコヴィッチ氏と都響が爽快に織りなしてゆくのでした。
気持ちいー!

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June 22, 2009
  偉大なる老翁によって成し得ること、成し得ないこと、(3)

ひとことで言い尽くせるような端的な理由はなかったのです。直前になって俄に臆病風に吹かれ、行くことをやめてしまいました5月16日のコンサート。シュナイト氏と神奈川フィルはこれ以降しばらく共演することがなくなるだろうというのに。

その最後になるかもしれないという舞台ではありましたが、わたくしにはどんな状況でありましょうとも音楽を音楽として判断する力は充分に備わっており、最後という単語が持つ特別な響きに惑わされ冷静な鑑賞ができなくなるとは考えませんでした。
もちろん音楽的には大きな期待感がございました。そして逆にその膨れ上がった期待がはずれた場合の失望も脳裏を過りましたが、このコンビへの信頼は、ここ最近の数少ないわたくしの経験だけでなく、(シュナイト氏が)音楽監督として就任する以前から(首席客演指揮者となった2002年頃より)両者が積み上げてきたベースがあってのことですから、そう容易く崩れるものではないとも思いました。ところが昨今日本の風土にうまく適応しきれなくなった(と非公式に窺っているのですが)シュナイト氏の健康状態は一番の気になるところではありました。
そう、正しくひとことでは云えないのです。自分のなかで混沌を築き上げたことによるサボタージュ。

先日のゲルハルト・ボッセ氏のこともあり、いかなる偉大な芸術家であっても寄る年波というのは避けられないことであり、だからこそ「今、聴くことができる」ことの大切さをあらためて思い知ったのでした。

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June 19, 2009
  偉大なる老翁によって成し得ること、成し得ないこと、(2)

今年3月まで神奈川フィルの音楽監督を務めておりましたハンス=マルティン・シュナイト氏も疑う余地なく偉大な指揮者の一人でございましょう。来年で傘寿となります氏には、まだまだ現役で頑張ってほしいものです。

さて、そのシュナイト氏のこと、もう一ト月を超えましたから書いてみることにいたします。
まだコートを羽織っておりました今年3月13日、シュナイト氏による最後の神奈川フィル定期公演に行きましたことは拙ブログでエントリーしておりましたが、これは定期演奏会の最後の出演でございまして、その後の5月には「シュナイト音楽堂」と題しましたシリーズの(最終)公演があったのでした。こちらこそシュナイト氏と神奈川フィルの一応区切れの公演(とするのは、今後も客演というかたちでの共演があるかもしれませんし、それを期待しておりますから)であったわけです。
その5月16日の公演につきましては、かなり以前から存じ上げており、楽しみにしていたのですが、直前に何とわたくしは臆病になって結局行かなかったのでした。

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June 18, 2009
  偉大なる老翁によって成し得ること、成し得ないこと、(1)

今月下旬には神奈川フィルの演奏会にて今春常任指揮者に就きました若きマエストロ、金聖響氏の2度目の定期公演があるのですが、今回はサボって、別のオーケストラへ。
ゲルハルト・ボッセ氏が客演指揮するとのことで東京都交響楽団のA定期公演(東京文化会館でのA公演と、サントリーホールでのB公演があるようです)6月19日分のチケットを買い求めたのでした。

ところで今月初めごろ、1通の手紙が都響から届き、よからぬ予感がしたのであります。なんとボッセ氏の体調不良により当日の指揮者変更の知らせだったのです。ボッセ氏は今年で87歳のご高齢であるにもかかわらず日本のオーケストラ、音楽推進のために彼方此方で活躍されている貴重な方です。この巨匠中の巨匠による指揮でのハイドンをたっぷりと堪能したくチケットを求めたので残念でなりませんが、御歳のことを考慮しますとこのようなこともある程度は念頭におくべきだったのでしょう。
代役はウィーンを中心にキャリアのあるミラン・トゥルコヴィッチという方だそうで、残薄な情報しか持っておりませんわたくしには初めて名を聞く指揮者ですが、ウィーン仕込みのハイドンの響きを楽しみたいと思っているのです。

そしてボッセ氏の1日も早いご快癒を願っております。

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June 8, 2009
  超アナログ的プログラミング

勤め先の近くには学校がたくさんございまして、そのなかのひとつ大妻女子大学には、音楽学科はないようでございますが、それにしては珍しく立派なパイプ・オルガンが備わっている素晴らしいホールがあるそうで、6月8日にそのオルガンを使ったコンサートがあると町の掲示板にちらしが貼り出されておりましたので行ってきたのでした。


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June 6, 2009
  それを燻し銀の音といふ(3)

ブラームス 交響曲第1番ハ短調。今年3月にハンス=マルティン・シュナイト氏の感動的な名演に触れたばかりですが、その1台4手用ピアノ編曲版が聴けることになるとは、なんと楽しみなことでしょう。
ドゥオールのお二人はたっぷり40分かけて、この重層的な楽曲の構成構造を浮き上がらせながらの熱演を繰り広げてくださいました。オーケストラで聴き慣れ親しんでまいりました、あのライン、このライン。あの響き、そしてあのトレモロが1台のピアノから、4本の手を通じて再現されてゆきます。なんと楽しいことでしょう。

アンコールにはCDに収録されましたラヴェル作曲、スペイン狂詩曲から「フェリア」を弾いてくださいました。ラヴェルの響きは絢爛です。ブラームスの直後に聴きますと、まったく響きの質が違うことを徹底的に認識させられます。
ブラームスの重厚さ、割と単純な音フォルムが幾重にも積み重なって壮大な伽藍を築いていますが、ラヴェルのようなワイドレンジな上から下まで透明性と鋭角性をもって輝くような響きは持っておりません。
よくドイツ系(殊に旧東独)のオーケストラの響きの特徴を指して「燻し銀」という言葉が使われますが、決してそのようなオーケストラがきらびやかな響きをもっていないとは思えません。これ単にベートーヴェンやブラームスといったドイツ・オーストリア圏の音楽を得意とし、名演名盤が多数揃っているオケですから、楽曲そのものが持っている響きが、オケの代名詞となっていってしまったのではないかと思うのです。
そう、ブラームスの楽曲こそ「燻し銀」と呼ぶに相応しい響きを持っているのだとドゥオールの演奏によって明確に認識させられたのでした。


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June 5, 2009
  それを燻し銀の音といふ(2)

大倉山記念館内にはホールがございまして、毎週水曜日にクラシックのコンサートを自主運営されております。以前からあの瀟洒な建物にあるホールはどんな響きがするのだろうかと興味を覚えて久しく、今回初めて訪れることが敵ったのでした。

出演は気鋭のピアノ・デュオ「ドゥオール (Deu'or)」。2台ピアノと1台4手(所謂、連弾というスタイル)のどちらも取り組んでいるデュオですが、今回の大倉山では1台4手でブラームスの大学祝典序曲と、そしてなんと交響曲第1番ハ短調という意欲的なプログラム。
実はこのドゥオールとは5月の最終週に知り合ったばかり。某会合でお名刺を交換させていただき、(上記にリンクのあるお二人の)サイトを拝見しましたところ既にCDをリリースされておりましたので早速購入。切れのある演奏が気に入って生の音にも触れたくなり、今回の大倉山に足を運んだのでした。

大学祝典序曲の1台4手用の楽譜は、その存在を知りながらも絶版になって久しく、いろいろな情報を集めながら、英国の大学のサイトにアーカイブされているのを発見し、やっと手にすることができたのだとお二人が解説をしてくださいました。そしてオーケストラによる演奏機会を得ることがなかなか難しく、交通網も発達していない時代に、楽曲をより広め、楽しんでもらうためにブラームスはしばしばこのようにオーケストラのための楽曲を1台4手によるピアノのために編曲していたのだそうです。
ドゥオールのたいへん高度な次元でかみ合ったアンサンブルは無常の心地よさを与えてくれます。惜しむらくはホールの残響が意外とドライであったこと、そして高い舞台によって客席ではピアノ本体の底部からの鳴りが必要以上に聴こえてしまい中低域にヴェールがかかったような響きになっていたことでした。


ドゥオール (Deu'or) デビュー・アルバム

・レーベルのストアサイト NAT STORE

山野楽器

HMV

TOWER RECORDS


録音日:2008年8月11-12日
滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール 小ホール
品番:NAT08401
定価:2,800円(税込)

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May 2, 2009
  新たな銅鑼は黄金で鋳出せ(2)

どうもハイドンって取り付きにくい印象が(学生のころ在京オーケストラの定期会員になっていたころから)あったのです。若いときには派手な後期ロマン派を中心とした楽曲を好んでいましたから、ハイドンを地味と思っていたのでしょう。今年はハイドンのメモリアル・イヤー(没後200年)で、彼方此方の演奏会で取り上げられますし、金氏も神奈フィル定期で毎度のように振ってゆくのですから、わたくしもいい年になりましたので、そろそろ真面目にハイドンを聴いてみようと、よい機会になったのでした。

古典派では常套句的でもありますゆったりとした序奏を持つ101番交響曲は主調(ニ長調)の同主調(ニ短調)で陰鬱に始まりますが、主部にはいりますと明るい明るい。人の感情を音に込めるという考えがまだない、ただひたすらに響きの美しさと理路整然とした運動をもった音による造形を目指した時代の良心的な音楽。
ところが神奈川フィルのアンサンブルはいまひとつパっとしません。縦の合わせ、ならびに和音の不安定さが、内声を量的に充実させたことによって、余計に露呈されてしまったように思えました。それでも段々と調子を戻していった1楽章でした。

2楽章。この楽章のファゴットと弦のピッツィカートで奏でられる基調リズムが時計の振り子を想起させたことによって「時計」という表題が19世紀に付加されたのですが、途中、ファゴットのみで振り子のベースを奏で、弦は1st Vlのみが主題変奏を弾くところ、フルート、そしてオーボエがそれぞれソロでかぶさってくるところはすこぶる美しかったです。そして楽章最後の盛り上がりの最中、フルートの下降ラインがふわっと弦の中から顔を覗かせた瞬間、鳥肌がたちました。
3楽章も中間部、トリオではフルートが大活躍。神奈川フィルの主席フルートとオーボエの方は素敵ですねえ。

さて、先を急ぎます。2曲目はベートーヴェン第3交響曲ホ長調。
1曲目に空席でありました2nd Vlの後方席も埋まり10, 12, 7, 6, 5という弦楽5部に、ホルンも1本追加となり3本へ(これは楽譜指定どおり)。パン、パン、という2発を聴いていきなり主題にはいる当時は破格な曲でありましたこの第3交響曲ですが、私的には続く第4、第5(交響曲)の強烈な曲以上に浪漫的な印象が強いのです。第4や第5での強烈な推進力(一般的には第4はおとなしい印象があるようですが)はベートーヴェン唯一のもので、以降の19世紀浪漫派の作曲家たちはそのベートーヴェンが極みに至った方向から視線をずらし新たな表現を模索してゆくのですが、結果浪漫派の音楽はこの第3あたりを父親的に捉えて発展してゆくように思えるのです。
金氏のこの日の演奏は、そんな浪漫派の父としての姿を(歌うフレーズの表情づけなど)前面に出すのではなく、あくまで構成を大切に、音の積み重なりが見えてくる演奏を為したと思います。
ところで3楽章では3本のホルンが大活躍するのですが、う~ん。ところどころ音を割るような奏法をしていたのですが、その意図がよく理解できませんでした。ベートヴェンの時代はそうだったのかしら?
4楽章。大団円に向かってゆくオケ全強奏がこの日の(ハイドンも含め)オケ音量のマキシマムに達するように仕立てられたコントロール。それにティンパニーの最強連打が加わり圧倒的なエンディング。ブラボーの声も飛び交いみなとみらいの聴衆の大方はこの新しい指揮者を好意的に迎えたようですね。

瑕も多くありましたが、短い期間のリハでは恐らく痺れるようなやりとりを経てきたのでしょう。そういった過程がよく見える演奏会でした。これからも濃いリハを重ねに重ね、より高い次元の音楽を目指していってほしいと、演奏のまとまりとしてはこの日、最高の出来であったかもしれないアンコール、ベートーヴェンの「プロテメウスの創造物」を聴きながら、新しい指揮者、金氏への期待がどんどんと膨らんでいったのでした。

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April 26, 2009
  新たな銅鑼は黄金で鋳出せ(1)

ニ短調によります陰のある序奏が静かに始まり、ほぼ満席となりました「みなとみらいホール」に足を運んだ全ての聴衆が息を飲んで見守っている緊張感のある時空。それを突き破るようにニ長調の天真爛漫な主題が歌い始めました。
神奈川フィルハーモニー定期演奏会、金聖響・常任指揮者就任披露公演の1曲目はハイドン作曲、交響曲第101番ニ長調「時計」。

クラシックの演奏会、ホールに着くとわたくしは椅子の配置、数をチェックするのが自然な行動となって久しく、これも舞台を見上げるような席であることは稀で、たいていは舞台を見下ろす階上の席に着きますからこのようなことが習わしとなってしまったのでしょう。
この日、チェロとコントラバスの低弦が下手側、第1ヴァイオリンの後ろに位置する古典配置。第1(以下1st Vl)、第2ヴァイオリン(以下2nd Vl)が相対する対抗配置であることは直ぐに理解できました。
ところが椅子の数がどうも変なのです。10脚ある1st Vlに対して、2nd Vlとヴィオラで19脚あるのです。2nd Vlも1stと同じく10人でヴィオラが9人なのでしょうか?
そしてもうひとつ。マイクで音を拾い拡声(PA)しないクラシック・コンサートでPA用スピーカーが両袖に置かれています。これは就任披露公演であることで、挨拶かなにかセレモニー的なことがあるのではと容易に想像でき、また実際そのようになったわけです。

開演の銅鑼の音が鳴りわたる前に燕尾服姿の青年がひとりマイクを持って現れました。おいおい、いきなりご本人、金聖響氏がご登場ですか。誰か、神奈川フィルのお偉いさんとかに紹介され、そして華々しく登場するのではないのですね。
自己紹介も簡素に、「しゃべり」始めた金氏、燕尾服を着ていなければ此処其処にいる気のいい大阪の兄ちゃんです。まずはピリオド・アプローチについて解説を始めました。いつもと違うテインパニーについても。そしてわたくしも不思議に思っていた弦の配置と数についても「しゃべって」くださいました。
対抗配置にした場合、左肩に楽器をのせるヴァイオリンでは舞台下手側の1st Vlは客席に楽器が向くようになりますが、2ndは楽器の背が客席に向いてしまいます。よって音がこもりがちになること。それを嫌ってベートーヴェンの時代から2nd Vlの人数を増やすことをしていたようです。また金氏はこれによって和音の内声も充実させられると舞台を右に左に、奥に前に、身振り手振りおおきく「しゃべって」くださったのでした。

第1曲目のハイドン、弦の編成は10, 10, 7, 6, 5。2nd Vl最後尾の2を空席にしたまま始まりました。

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April 24, 2009
  新たな銅鑼は黄金で鋳出せ(序)

まだ30歳代、若手の指揮者、金聖響氏のCDを3組聴いてみました。

ベートーヴェン 交響曲 2番、7番/オーケストラ・アンサンブル金沢(以下O.E.K)

ベートーヴェン 交響曲第5番/O.E.K

ベートーヴェン 交響曲第6番/O.E.K

まず第7交響曲を聴いて意外に思ったことは、せかせかと急がず、堂々としたテンポの設定であったことでした。ピリオド・アプローチ(脚注参照)への先入観でしょうか、もっとアップテンポな演奏をイメージしていたのですけれども、この曲での金氏のアプローチは往年の巨匠のような貫禄さえ感じられます。
ノン・ヴィブラートの弦が長い音符をあっさりと、減衰を早めに弾いた直後の隙間に木管などによって奏でられる新たなフレーズが見えてくる、その繰り返しによってより重層的なこの楽曲の構造が、互い違いに積まれた煉瓦壁の仕様が、まさに浮かび上がってくるように聴こえます。これは交響曲の運びとして私的には大歓迎な方向です。
そして2楽章アレグレットにて非常に短いスパンで細かなディナーミクを指示しているのには、おおうと、唸りました。金氏の指揮はこのように緩徐楽章がすばらしいのも特筆されてしかるべしと思われます。
別の盤での第5交響曲、2楽章で細やかなテンポ変化を設け激しい楽章に挟まれた、この花弁が何層にも重なる牡丹のような2楽章を麗しく歌い上げておりました。

演奏はすべてオーケストラ・アンサンブル金沢ですが、其処の音楽監督である指揮者・井上道義氏の棒によるライブをテレビで拝見しておりましたので、たいへんよい楽団であることは承知しておりましたが、金氏のこれらCDでも期待を裏切らない好演。まぁ、セッション・レコーディングでは編集作業で傷を差し替えることが可能であることを引いても、このようなオケが石川県にあって、素敵なフランチャイズ・ホールであります(訪問したことはございませんが)石川県立音楽堂でたいへん精力的な活動をおこなっているとは、金沢のファンが羨ましいです。テレビで見たとき外国人演奏家も多かったのが印象的。

ところで金氏のCDを一気に3組も聴いたのは、明日4月25日土曜日、彼が神奈川フィルハーモニーの指揮台に立つから。音楽監督を辞任されたシュナイト氏の後を受けて、常任指揮者としての就任披露公演があるからなのです。
披露楽曲はハイドンの交響曲第101番「時計」と、ベートーヴェン第3交響曲「英雄」です。渋い! これら古典派の2曲をどう聴かせてくれるのでしょうか?
ところで、金氏が常任ということは神奈川フィルがピリオド・アプローチを為すということなのですね!


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(脚注)このブログでは「ピリオド・アプローチ」を解説しておいたほうがよいでしょう。クラシック音楽で使用される楽器は時代によって変化したり、がらっと変わってしまったりを繰り返してまいりました。現在わたしたちがよく耳にするオーケストラの楽器はおよそ19世紀に固まってまいりました。そこでこれらの楽器のことをモダン楽器と呼んでおります。
ところで1960年代ごろより、それ以前の楽器を用いて、例えばバッハが作曲した当時の楽器と奏法で(バッハなどを)演奏することが盛んになってまいりました。これらの楽器のことを古楽器またはピリオド楽器などと呼びます。奏法としてはヴィブラートをかけずに演奏したりすることが最も目立ったものかもしれません。
そしてモダン楽器を使っているオーケストラが、ピリオド楽器風の奏法を取り入れて演奏することも始まりました。これをピリオド・アプローチと呼んでいるのです。

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March 19, 2009
  出航の銅鑼の音よ、私達の大切な師を無事に送り出したまえ(3)

オルガンが加わったオケと合唱、そして4名の独唱者による豪華絢爛な楽曲。わたしはどうもシーケンス(またはゼクヴェンツ=反復進行)にゲネラルパウゼ(全休止)、またシーケンスにゲネラルパウゼ、飽くなきファンファーレ。楽曲そのものも長大なブルックナーの交響曲が苦手でして、この「テ・デウム」くらいのサイズが(声楽も伴って楽しめますし)聴きやすいと思っておりましたから、この晩のシュナイト氏による演奏はたいへん楽しみだったのです。


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March 17, 2009
  出航の銅鑼の音よ、私達の大切な師を無事に送り出したまえ(2)

ブラームスの「哀悼の歌 op82」に続きまして、同じく合唱とオーケストラによる「運命の歌 op54」。この曲の美しい前半には何故だか「遥かなる調べ」という言葉が想起されるのです。そして中盤から強く激しい音に。天上のことを歌っていた合唱は、地上の厳しさを歌い始めますが、ここのところシュナイト氏の棒はぐうっとテンポを落としておりました。それに伴い強いアクセント時でも縦に積み上げました和音がよく響き、また前半部との対比がより明確になっていたように思えます。
そしてオケだけによる後奏。前奏の旋律を用いながら再び「遥かなる調べ」に。弦をより歌わせていた前奏に比して、こちらのほうが木管が立つオーケストレーションのようですが、神奈川フィルの木管セクションは美しく響いておりました。ああ、終わらないでほしい。

休憩を挟みまして、この晩の最後の曲はブルックナーの宗教曲「テ・デウム」。

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March 15, 2009
  出航の銅鑼の音よ、私達の大切な師を無事に送り出したまえ(1)

悲劇的序曲。ブラームスが書きましたコンサート用管弦楽曲。明るい調子の「大学祝典序曲」とともにコンサートではよく演奏される人気曲でしょう。
ハンス=マルティン・シュナイト、神奈川フィルハーモニー管弦楽団は、先週の第1交響曲の好調を維持したまま、鋭いアインザッツをもってこの曲を演奏されておりました。

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March 13, 2009
  出航の銅鑼の音よ、私達の大切な師を無事に送り出したまえ(続序)

ハンス=マルティン・シュナイト指揮、神奈川フィルハーモニー管弦楽団定期演奏会へ行って参りました。今夜も素晴らしい演奏に身体が震えました。
先ほどアップロードしました「出航の銅鑼の音よ、私達の大切な師を無事に送り出したまえ(序)」にて、CDの会場売りのことを記しましたけれど、今回も川崎と同じ業者さんのようでしたが、シュナイト=神奈川フィルのライブを収録・リリースされているレーベル「MusicScape」さんの商品もしっかりと並んでおりました。

演奏会の様子はまた次回に。

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  出航の銅鑼の音よ、私達の大切な師を無事に送り出したまえ(序)

コンサートの日、ホールや会館で出演アーティストのCDを売っておりますが、たいていは地元の小売店が出張してきて販売を行う習慣になっております。これは地元小売店の営業を護るという面で有用な商習慣だと思います。
先日訪れましたMUZA川崎では、川崎の業者さんではなく、横浜駅前の某楽器店(のおそらくはCD販売部門)が販売業者としてはいっておりましたが、現在のシュナイト=神奈川フィルの録音物をリリースしているレーベル「MusicScape」さんの商品を並べておりませんでした。
当日の演目にちなみ、ブラームスの第1交響曲が収められたいくつかの盤が目立っておりましたが、この場でカラヤン指揮などの盤を置いていても、それはいささか焦点ボケな感じが否めませんでした。
ところが同じ国内でシュナイト氏が大活躍をしていましたシュナイトバッハ合唱団の作品は数々並んでおり、こちらは「LIVE NOTES」というレーベルからのもの。おそらくはこの小売店とレーベル(流通業者との)取引の有無が今回の商品陳列に影響しているのでしょう。
小売店側もレーベル側も、そして神奈川フィルとしてももったいないことだったのではないでしょうか。


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March 10, 2009
  かつての荒野に響く、壮麗な音の伽藍(3)

交響曲におきまして、ゆったりとしたテンポの序奏が置かれるケースはハイドンの時代あたりでは定石であったのですが、段々と廃止されていった傾向にあって(いきなり第1主題を提示するインパクトはベートーヴェンの第五交響曲でその効果が最大限実証されたからでしょう)、ブラームスも第1交響曲以外では採用しませんでした。
その古典的なオプションであるゆったりとした序奏ではございますが、ブラームスはあくまでも19世紀の人。ハイドンの時代には違反と云ってもよい半音階的上昇音形を用い、古典派の先達の伝統を重視し感情を音で表現するのではなく、絶対的な音の構築による音楽を目指したブラームスが20年かけて拵えた作品の冒頭でいきなり古典派の枠組みを乗り越えているところに作曲家の強い意志を感じます。
ハンス=マルティン・シュナイト指揮、神奈川フィルハーモニー公演「名曲コンサート 珠玉の名旋律」後半の部、ブラームス作曲「交響曲第1番ハ短調 作品68」の序奏が重厚に始まりました。

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March 8, 2009
  かつての荒野に響く、壮麗な音の伽藍(2)

オケ全強奏によります4小節に続きチェロのカデンツァが始まります。ハンス=マルティン・シュナイト指揮、神奈川フィルハーモニー公演「名曲コンサート 珠玉の名旋律」の第1曲目、神奈川フィル主席チェロの山本裕康氏は甘く柔らかな音でカデンツァを弾き始め、それはヴァイオリンへと引き継がれてゆきます。普段は指揮者にもっとも近い席に着きオケを引っ張るコンサートマスターであります石田泰尚氏。すらりと高い背に、とんがった茶髪にピアス、神奈川フィル公演のロビーでは「俺様 石田泰尚」と書かれたTシャツも人気の若きコンサートマスターでありますが、今日の第1曲目はすくっと立ったまま、ソリストとしての出演です。チェロから渡されたカデンツァを美しく繊細な音で弾いてくださいます。素晴らしいヴァイオリニストですね。

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March 7, 2009
  かつての荒野に響く、壮麗な音の伽藍(1)

京浜工業地帯のまっただ中で、臨海部だけでなく、JR線に沿った地域でも大手製造業の本社や工場が集まる川崎。労働者のためには競輪競馬の公営ギャンブル場が用意され、またJR駅の北と南にはそれぞれ色町も発展したこの地域は、長きにわたり雰囲気のよくない街としてのイメージが定着していたように思えます。
斯様なイメージを払拭しようと、製造メーカー跡地を再開発し、現在のJR西口一帯はあらたな商業地域として、どこにでもあるようなショッピングモールと様変わりしております。その再開発の先駆けとなったのはオフィス棟、ショッピングモールが一体となったMUZA川崎でしょう。このビルの中心はコンサートホールで5年前の平成16年にオープンされています。
世界的に活躍する川崎出身のピアニスト、小川典子氏もアドバイザーを務め、たいへん響きのよいホールなのだそうですが、なかなか機会なく訪れることが叶いませんでした。

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January 20, 2009
  無伴奏フルート曲の魅力

フルートは、他の伴奏楽器と一緒に、またはアンサンブルの一員として演奏することがほとんどなのですが、そのフルートによる無伴奏(すなわち伴奏者をともなわずにたった一人で演奏する)の楽曲といえばドビュッシーの「シリンクス(シランクスと表示されるケースもあります)」以外は存知ませんでした。

昨年の9月、朗読と独奏フルートのコラボレーションCDを作成するため、まずはフルートのみを録音したのでした。
朗読者もフルーティストも旧知の友でありましたので、みんなで和んだ雰囲気のなか録音は進んでゆきました。独奏曲はシリンクス以外にもあるのですね。同じフランスもので、オネゲルやフェルーといった作曲家による楽曲たちです。オネゲルは自らが好きであった機関車を題材にした「パシフィック231」、スポーツを賞賛した「ラグビー」などエモーショナルな楽曲で20世紀前半に活躍した人ですが、先にあげました2曲以外存じ上げませんでしたので、今回のフルート独奏曲はたいへん意外なものでした。
それにしてもオネゲルによる「(無伴奏フルートのための)牝山羊の踊り」は神秘的であったり、愉快であったり、神妙であったりと、まったくまったく饒舌な音楽です。そして、わたくしたちのフルーティスト・遠藤尚子さんによるこの曲の演奏がまた素晴らしかった。録音中、目は譜面と睨めっこでジャッジメントしてゆくのですが、オネゲルの書いた音符たちが活き活きと動き出すように感じられたものです。

ピエール=オクターヴ・フェルーも20世紀前半に活動していたフランスの作曲家。今回は「無伴奏フルートのための3つの小品」から「恋する羊飼い」「ひすい」の2曲を取り上げました。
フェルーの音楽に初めて触れましたが(とはいえこの「〜3つの小品」以外はほとんど知られていないのだそうです)、全音階書法を用い書かれているようですが、ドビュッシー的であり、和の雰囲気も感じられます。殊に「ひすい」のほうはまるで祭り囃子のようです。
なかなか音源も乏しいようですが、フェルーの他の作品も是非聴いてみたくなりました。

そのほかドビュッシーのシリンクスはもちろんのこと、国内作家では大江光氏の作品、石川啄木の詩が附いた越谷達之助氏による「初恋」、そして宮沢賢治の曲「星めぐりの歌」も含む8曲を新鮮な気持ちで収録いたしました。

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October 23, 2008
  出航の銅鑼の音はドイツの響き(3)

音楽、ダンス、芝居、これらを劇場などで拝見したときに配られるアンケートの類には、なるべく記入するようにしております。わたくしのような者の一言でも、今後、演者や主催者の方々の参考になるようなことがあれば幸いと思ってのことです。
ということで、17日のみなとみらいホールでも神奈川フィルのアンケートに答え、投函してから帰路についたのでした。
22日、仕事から帰宅してみますと、その神奈川フィルから宅急便が届いておりました。今後の公演案内は是非送ってほしいと記したからだと思い、やることが迅速だが、宅急便とはいささか大袈裟ではないかいと手にしたのですが、掴んだ感じから普通のパンフレットなどの類でないことが解り、急いで開封してみました。

するとなんということでしょうか。
シュナイトさんと当日のソリスト、竹澤恭子さんの実筆サインのある色紙が入っていたのです。たまげましたよ。アンケートに答えた中から抽選があったのだそうです。
心に残る演奏会でしたから、この色紙はよい思い出になりそうです。シュナイトさん、竹澤さん、そして神奈川フィルハーモニーのみなさん、ありがとうございました。大切にさせていただきます。

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October 19, 2008
  出航の銅鑼の音はドイツの響き(2)

ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲。ティンパニーによるトントントントントーンという5つの音で始まり、木管楽器が歌い始めます。そして弦が受けるところの出だし、ずっこけな響き。強奏になり気を取り直し、オケによる主題提示部をじっくりと聴き進めました。その間、ソリストの竹澤恭子さんは背をピンと伸ばし集中力を高めようとしているのがよくわかりました。そしてソロ・ヴァイオリンの登場。自身の内に向かうように弾き始め、そして次の瞬間、指揮のシュナイトさんに、どう?と寄り添うように身を傾けたのが印象的でした。細かいピッチのずれがいくつかはございましたけれど、シュナイトさんが引っ張る、堂々としたテンポのオケにのってゆく竹澤さん。「ヴァイオリン協奏曲の王者」と呼ばれながらも、同じベートーヴェンの第4交響曲のような豊かな情感や歌謡性溢れるメロディもたっぷりつまったこの曲の長大な第1楽章、カデンツァの出来も素晴らしく堂々と弾ききってくださり、大満足な楽章となりました。

穏やかな弦楽の主題で始まる2楽章。弦5部は12, 10, 8, 6, 4でしたがその編成のバランスを超えて、低域に重心が感じられるのがこのオケの、またはシュナイト・バランスの特徴なのか、3階席に到達する響きの所以なのか今夜だけの体験では判断できませんが、ずっしりと響きます。
中間部変奏中の独奏ヴァイオリンがとても高い音に2度ほど行き着くところ、竹澤さんの楽器は、なんと柔らかく、美しい音を奏でたでしょうか、ああ、と、溜息を漏らしてしまいそうでした。竹澤さんは素晴らしい楽器(公演プログラムによりますと1710年製ストラディヴァリウス)をお使いのようですが、こういったことは楽器固有のものである以上に、さすが充実、安定した実力をお持ちのソリストならではの音なのだと思います。

3楽章。ぱ、ぱっーぱ、ぱら。ぱ、ぱっーぱ、ぱら。というリズムのロンド主題。太字で示しました2音目をテヌートぎみに弾き始めた竹澤さん。それはオケにも受け継がれます。これは跳ねる感じを軽減し、たいへん重厚な響きをこのロンドに与えていると感じました。それはいかにもドイツ的な奏法ではないかと思いましたが、単に斯様な評論家思想的な効果に留まらず、その後の独奏ヴァイオリンによる変奏の細やかさ繊細さがより目だってくる対比的な効用も充分にあったように思えました。
この長大な協奏曲を、充実した響きとともに聴かせてくださった竹澤さん、シュナイトさん、そして神奈川フィル。なかなかなのでした。


さて、前半の充実ぶりから、当然後半のブラームスにも期待がかかります。当夜は19世紀ロマン派のまん真ん中に立ち、ワーグナーとはまったく別な形で、17、8世紀のバロック、古典音楽以来の伝統を総決算し、そして20世紀へとつないでいったブラームス、彼が遺した最後の交響曲、第4番ホ短調。外見上の華やかさが希薄で、渋い変奏を多用した楽曲であることから、彼の交響曲中、最も地味な存在かもしれませんが、わたくしは(なかなか手をだせませんでした第1交響曲とは違い)学生のころから親しんだ楽曲であります。
冒頭、またへなちょこな響きを聴かされてしまいました。2曲とも冒頭が崩れてしまうとは、あーあ、ですが、なんとか自身の機嫌を戻して演奏に再集中します。ゆったりとしたテンポで進んでゆきます。重心の低いバランスはここでも聴かれます。木管のアンサンブルが思っていた以上に素晴らしいのは発見です。ところが時折金色の楽器が微妙にピッチを外すのが痛い。

次の2楽章は当夜の白眉でした。冒頭の金色の楽器の提示をドキドキしながら聴き過ごし、弦がピッチカートを刻むところ、ここでの響きは、う~んとうなってしまうほどの徹底されたバランス。そのうえを動いてゆく木管たち。ヴァイオリンの美しい主題。アンサンブルの音色こそ欧州の名だたるオケに及びませんが、国内でこれだけの美しい音を聴くことができるとは鳥肌がたちましたよ。これで金色のまあるい楽器がもっと正確であったならばなぁ、と。
楽章の終結時、棒を止めたまま動かぬシュナイトさん。楽員も動きません。わたくしたち客も動けません。その緊張を持続したまま華やかな3楽章に突入しました。見事です。めまぐるしく繰り広げられる賑わいのなかでも、堂々とした芯があって、この楽章に相応しい響き。

4楽章。決して極彩の色をつけるではなく、あくまで構成を練り上げるために行なわれていると受け取れるシュナイトさんの仕掛けるディナーミクがびしばしと決まり、オケもしっかり応え、美しい造形の楽章となったようです。また、テンポが落ちた後のフルートのソロをなんとも美しく演じてくださったことも特筆に価するでしょう。

いくつかの瑕が垣間見れたものの、全体として大変満足のできる演奏会でした。
昨今、クラシック・コンサート会場での客の質の低下、マナーの欠如が叫ばれておりましたが、この晩、横浜に集ったお客さんたちはほぼ理想的。欲を云えば、もう少しブラボーの声、拍手は、しっかりホールの残響を聴き終えてからにしてほしいのです。感動極まり、熱くなって叫ぶ気持ちは解らぬではないのですが、ホールトーンの消えゆく際まで聴こうとする耳には、やはり邪魔された感が強く残ってしまうからなのです。とは云いながら、ヨーロッパでのライブ録音などを聴きましても、抑え切れない客の拍手や演奏を讃える声などが曲も終らぬうちに聴こえてきますから、これは難しいことかもしれませんけどね。

終演後、娘への土産に横浜生まれのキャラクター、ブルーダル(ちょっと仕事の関係で以前から知っているのです)と、神奈川フィルのコラボである携帯ストラップを購入。ヴァイオリンを弾くダルが可愛い。そして自分への土産にシュナイトさんが振った過去の演奏会のライブ盤CD「ブラームス、第1交響曲」を購入。よい気分でみなとみらいから離れ、野毛へ。立ち呑み屋で一人お疲れのビールはたいへんおいしゅうございました。

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October 18, 2008
  出航の銅鑼の音はドイツの響き(1)

国内のオーケストラを聴くなど、何十年ぶりのことでしょうか。最近出掛けたクラシックのコンサートは、小さなホールで行なわれる室内楽やソリストのものばかりになっておりました。
これでも学生の頃は、在京オーケストラの定期会員となり、毎月の定期演奏会へ、上野の山へ、そう東京文化会館の5階席へと足しげく通ったものでした。生のオケの音を徹底的に聴いて、自分のものにするために。
最後に国内オケの音を聴いたのは、記憶が正しければ、86年か87年頃、二期会オペラの席で、若杉弘氏が都響あたりを振ったベルクのオペラ「ヴォツェック」でしょう。来日オケではヨーロッパ室内管弦楽団(クリヴィヌ指揮)を出来たてのオペラシティでのことですから、これは96か97年頃のことと思います。(あ、レニングラード・バレエの伴奏は供に来日した劇場オケだったから、それが最新でした。2002年のこと。)

このような出不精なわたくしですが、10月17日の金曜日は、神奈川フィルハーモニーを聴きに、みなとみらいホールまで出かけたのでした。
在京オケの定期会員だったころ、往時の神奈川フィルハーモニーは外山雄三氏が常任指揮者だったはずですが、一地方オケとしか感じておりませんでした。その一地方が、いまやわたくしの地元となっているのです。
そしてこの晩に、わたくしをみなとみらいへ向かわせたのは、昨年、同オケの音楽監督に就任しましたドイツ人、ハンス=マルティン・シュナイト氏とのコラボがたいへん素晴らしいとの風の噂によるものでした。
シュナイトさんは、ドイツ国内、殊にミュンヘンを中心とした南部ドイツにおいて、数多の業績を残されているとのことで、故国の音楽演奏にはたいへんな自信があるのでしょう。この晩のプログラムは、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲ニ長調(作品61)と、ブラームスの交響曲4番ホ短調(作品98)という重量級の2作品。こんなプログラム、自信がなきゃぁ組めません。

さて、会場のみなとみらいホールも初めて訪れます。98年に出来たホールですから、そろそろ響きも馴染んでいるでしょう。開演を知らせるブザーやベルが、此処では船がでるときの銅鑼の音に代えられており、なかなか洒落たホールです。
神奈川フィルのメンバーたちが登場してきました。チューニングを終え、協奏曲のソリスト、竹澤恭子さんが入り、最後にシュナイトさんがよちよちとした歩みで指揮台に向かいます。客席にもにっこりと微笑む姿は、こんなことを云ってはたいへん失礼なのですが、とても可愛らしいお爺いちゃまといった風でございます。

ベートーヴェンの協奏曲は、冒頭、ティンパニーが柔らかく5連打して最初の主題が始まります。

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August 15, 2008
  いま、ひびく歌たち

ベルリオーズ(エクトル・ベルリオーズ 1803~1869)という作曲家は、わたくしにとって、彼の作品14「幻想交響曲-ある芸術家の生活のエピソード」を十代最後の年に初めて聴いて以来、特別な作曲家となりました。19世紀に花開いたロマン派音楽、その最前衛の作曲家であった彼の管弦楽法は、後のマーラーやR・シュトラウスに与えた影響も大きく、彩り豊かな彼の管弦楽に魅了させられた人は数知れないでしょう。
今夜は彼の作品の中でもひときわ巨大な、作品5「死者のための大ミサ曲-レクイエム」を聴いております。
レクイエムと云えば、モーツァルトや、イタリアの大オペラ作曲家、ジュゼッペ・ベルディを思い起こす方が多いと思いますが、ベルリオーズによるレクイエムも記念碑的大作でありまして、8名10組のティンパニーが加わる大管弦楽、テノール独唱と混声合唱、そして4組の小編成金管楽器隊を会場の4隅に配置させることが指示されております。

わたくしはレヴァイン指揮、ベルリンフィルのものと、もう一組、コリン・デイヴィス指揮、ドレスデン国立歌劇場管弦楽団演奏のCDを所有しておりますが、今夜は後者を選択。
ベルリオーズという作曲家を現代におきまして再認知させた功労者でありますデイヴィスは1969年にもロンドン交響楽団とこの曲を録音しておりますが、ドレスデンとの盤は、1994年2月14日、すなわち第二次世界大戦中、連合国軍の空襲により十万人前後の犠牲者を出したドレスデン爆撃、その五十周年を翌年に控えた日に、英国を代表する指揮者が、ドイツを代表するオーケストラを振った歴史的な演奏会を収録したものです。

わたくしにとって戦争とは、父母、そして祖父母が経験した空襲の話しがもっとも重い意味を持って根付いております。
空襲がひどくなり、門前仲町2丁目の母は静岡の沼津に疎開させられましたが、そちらにも爆弾が落ちてくる日が多くなり、次には栃木に移ったそうです。モンナカに残っていた祖母は如何にして戦禍のなか逃げてきたのか、彼女から繰り返し話しを聞かされたのは、もう遠い昔のこと。戦後、深川に戻ってみれば、一面焼け野原。結局戦後は亀久橋近く、平野へ住を移したのだそうです。

単に巨大で爆発的なエネルギーに支えられた管弦楽だけでなく、繊細な対位法ラインを形作るベルリオーズのレクイエムの合唱に耳を集中していますと、今夜のわたくしの脳裏には、いまや東京のどことも変わらぬ、門前仲町から平野までの景色が思い起こされます。
折しもあれ、深川は富岡様の例祭の時期。今年は三年に一度の本祭り。17日には神輿連合渡行と云い五十五基の大神輿が連なって氏子各町を練り歩く圧巻の行事が待っております。もちろんLacrymosaの美しいメロディより、わっしょいという怒号と伝統的な木遣歌のほうが深川の町にはお似合いであることは云うまでもございません。

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May 6, 2008
  快速の気持ちよさ

黄金週間を終えようとしています。後半、関東地方はどんよりとした雲に覆われた日が続きましたが、最後の本日は素敵な青空を目にすることができました。昨今、この黄金週間に合わせ、東京有楽町ではラ・フォル・ジュルネという音楽祭が開かれております。(音楽祭につきましてはラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2008公式ウェブサイトをご参照ください。) 1公演、約45分程度のものが求めやすい価格で販売され、朝から晩まで、いろいろな公演を梯子できるのがこの音楽祭の魅力なのではないでしょうか。
今年の音楽祭のテーマはシューベルト。早くから公演プログラムをチェックしていたのですが、どうも決め手に欠け、いや公演内容のせいではなく、わたくし自身がもたもたとしていただけなのですが、結局チケットを買い求めませんでした。

シューベルトと云いますと、まず歌曲王の異名があるほど、歌曲作曲における功績が大きいのですが、その他、ピアノ曲、室内楽曲、交響曲、オペラに教会音楽と、わずか31年の生涯でありながら、あらゆるジャンルに渡り多作しております。
わたくしは、彼の楽曲を多く聴いてきたわけではございませんが、わたくしにとってのシューベルトと云えば長らくは、交響曲9番(最近はスケッチしか残されていないホ長調曲・作品D729から交響曲としての通し番号「7番」を外すことが主流になっており、よってロ短調未完成交響曲を従来の8番から7番へ繰り上げ、この9番も8番へと変更されております。ただし長年親しまれた番号を変更するのはいかがなものかという意見も多くあるようです。)ハ長調「ザ・グレート」作品D944のことでございまして、いろいろな演奏を楽しんでまいりました。
ところが最近、ひょんなことで彼の第2交響曲(変ロ長調、作品D125)を聴きまして、その爽やかな5月の風のような楽曲に心奪われたのでした。

(下に、CDへのリンクを追記いたしました。'08.5.7.)

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April 25, 2008
  こういうときに、

こういう日にかぎって、写真機を持っていない。
19世紀の楽器はすこぶる美しいのであります。


cembalo080425.jpg


Taken with my ケータイ

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April 26, 2007
  黄金のような子供時代の心 - コンサート(2)

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"黄金のような子供時代の心(2)"

Sep '06, @Hakujyu-hall, Yoyogi.
Taken with the Nikon new FM-2 with the Nikkor 85mm f2 lenz.
Fuji Neopan 1600 SuperPresto @EI 1600, dev in Kodak X-tol (1:3)
Forte Polygrade RC, Semi-matt, dev in Home brewed D-72 (1:2)

Thanks Akashi-san for the permission of the rights to your portrait use.

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April 24, 2007
  黄金のような子供時代の心 - コンサート(1)

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"黄金のような子供時代の心"

Sep '06, @Hakujyu-hall, Yoyogi.
Taken with the Nikon new FM-2 with the Nikkor 85mm f2 lenz.
Fuji Neopan 1600 SuperPresto @EI 1600, dev in Kodak X-tol (1:3)
Forte Polygrade RC, Semi-matt, dev in Home brewed D-72 (1:2)

Thanks Akashi-san for the permission of the rights to your portrait use.

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September 30, 2006
  黄金のような子供時代の心

職場の半期末決算のためしばらく更新をサボっておりました。

去る24日(日)は、6月に収録し、7月から8月に自宅で編集作業を行ってきました友人のCDの発売記念コンサートでした。クラシック・ギタリスト、明石現さんの3枚目となる今回のCD、2000年初頭に収録した1stCDからずうっとお手伝いをさせてもらっているのですが、その彼のこれまでのキャリアの集大成的なアルバムになったのではないでしょうか。
演奏曲の作家はアグスティン・バリオス(パラグアイ1885-1944)、フレデリック・ハンド(米国1947-)、アーネスト・シャンド(英国1868-1924)、フランシス・クレンジャンス(仏1951-)など。ギターという楽器はその奏法面で、なかなか一般的な(クラシック)作曲家による編曲が難しいため、演奏家作曲家という2足草鞋のスタイルが多く、クラシック音楽ファンにおいても馴染みのない作曲家名が連なることが多いのですが、上記の19世紀末から前世紀に活躍された作家はみな、ほんとうに素晴らしい旋律をギターならではの編曲とともに生み出してきた超一流のアーティストであることが解ります。
24日の明石さんの演奏も、この素晴らしい作家陣の楽曲を中心に、ソロと、これまた素晴らしいギタリスト兼編曲家の竹内永和さんとの2重奏で聴かせてくれ、僕たち聴衆すべての心を洗うようなひとときを与えてくださいました。

2年ほど前よりスペインの地で大成功を収めている明石さん。そのスペインを代表するノーベル文学者ヒメネスの言葉より、今回のCDのタイトルが与えられております。

「黄金のような子供時代の心」


infan_hyoshi.jpg

演奏:明石現 (ゲスト:竹内永和) シュピーゲル・レコーズ SPCD-5
1. カヴァティーナ(S.マイヤーズ)
2. 森に夢見る(A.バリオス)
3. レスリーの歌(F.ハンド)
「子供の領分」(F.クレンジャンス)より
4. オーロラ
5. シャンソネット
6. ロマンティックなワルツ
7. アリエッタ
8. ニュー・シネマ・パラダイス(E.モリコーネ/竹内永和)
9. 初恋(E.モリコーネ/竹内永和)
10.あなたと一緒に(F.クレンジャンス)
11.忘れられたメロディー(E.シャンド)
12.フィリス(E.シャンド)
13.小鳥たちの大聖堂(J.L.メルリン)
14.祈り(F.ハンド)
15.エチュードNo.19(F.ソル)

カバー・ペインティングは世界的に活躍されている画家、丸山直文氏の「Spring」より。

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