小学校の校庭。卒業してから訪れてみると、なんだこんな狭い所で運動をし、遊んでいたのかと思わずにいられないのではないでしょうか。わたしたちの心の成長、すなわちより広く社会を見得る力の獲得という以上に、単に体のサイズの成長によるところが大きく影響しているに違い在りません。
恐らく、わが娘も、いま、広々と感じている小学校の校庭が、いつの日か、とても狭く感じる日が訪れることでしょう。
そんな彼女と、親(大人)であるわたくしの間には、見ているもののスケールの差と同様に、聞いているものにも差があるのではないでしょうか。地を叩く雨の音、虫の音(ね)、背の高さが多いに影響を与えるでありましょう自動車のエンジン音、そして周りを取り囲む雑踏の音。
月捲りのカレンダーを一枚破って暦は八月となりました日曜日、前売り券を買ってあるので今日はポケモンの映画を見にゆこうという娘と家内を制して、この月始めの日はひとり千円で映画を見れるのだから、わざわざ前売り券を使って入場するのはもったいないと進言したところ、それならばアリエッティを見ようということでwebにて席を確保し最寄りのシネマコンプレックスへと出掛けたのでした。
作品は絵の描き込みの詳細さにも目を見張ったのですが、なんといっても音の扱いが秀逸でした。状況を描写しながら、心理に迫る演出。翔くんが聞いているであろう音と、アリエッティが聞いているであろう音の描き分け。マルチ・チャンネルであるサラウンド効果を上手く使いながら、柔らかい音質でこれらを表現された音響効果、ダビングステージ担当者には敬意を表したいです。
そして、ダブルのアコギに、アイリッシュ・ハープ、イーリアン・パイプ。加わる音楽は妖精の国、ゴブリンの伝説を語るに相応しい響き。作曲者は仏国ブルターニュ出身だとの由。ああ、ブルターニュはケルトの人々の土地であります。
お話しは、原作である「床下の小人たち」を岩波少年文庫にて是非読みたくさせられました。このような寓話が、ずうっと残って、いつの時代でも、わたしたちの心の隅で生き続けてほしいと願わずにいられません。
5:18 AM permalink | comments (2) | trackbacks (0)
そほいえば、まだ書いていなかつた感想文。有楽町では毎年恒例になってまいりましたラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンがショパン生誕200年で盛り上がっていたであろう、黄金週間のとある日、わたくしは地方のシネコンでそのショパンのピアノ協奏曲を聴いておりました。
と言いますのも「のだめカンタービレ 最終楽章 後編」(!)を娘や姪子たちと観にいったのでした。この映画の前編は観ていないのですけれど、ピアノ演奏の吹替えをラン・ランが(前編も)おこなったということを遅まきながら知ったので、娘たちを連れていったというより、くっ付いて行ったようなものでした。
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11:36 AM permalink | comments (4) | trackbacks (0)
イタリア映画と云えば、フェデリコ・フェリーニのことを思い出す人が多いと思います。そのフェリーニの代表作「8 1/2」は、創作活動における自身の姿をだぶらせ、クランクインが迫るのにまったくアイデアが浮かばない映画監督を描きながら、実際の映画は完璧なアート・フィルムとなった希有な作品。
其処には1960年代に映画を作るということはどういうことなのか、人を愛するということはどういうことなのか、自分とは何者なのか、そういった哲学的なメッセージが彼方此方に散りばめられていたように思えます。
その「8 1/2」をベースにスクリプトが書かれたミュージカル「NINE」の映画版を見て参りました。
監督は、これもミュージカルの映画化を為した「CICAGO」のロブ・マーシャル、グイド・コンティーニにダニエル・デイ・ルイス、その他豪華女優陣。

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10:59 PM permalink | comments (2) | trackbacks (0)

フリーダ・カーロについては、もう此処であれこれと記す必要はないでしょう。小児麻痺に苦しみ、交通事故で瀕死の重傷を負い、さらには未熟な手術を何度も受け、生涯にわたり痛みを伴った身体、そして美術家(壁画家)である夫との一時の幸せを経ながらも結局は彼との関係で心までとことん傷ついていった。そんな女性の内側と外側を自身の絵筆に託し、カンバスにぶつけていった人。彼女の伝記映画「フリーダ」を見たのはもう7、8年前になると思いますが、あの映画には歌が満ちていたことを鮮明に記憶しております。
その歌に満ちた映画の歌を聴きたくサウンドトラック盤はすぐに購入いたしました。
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10:15 PM permalink | comments (0) | trackbacks (0)
まだ劇場で文楽の生体験をしたことがございません。しかし文楽を見て、浄瑠璃を聴いておかなければと常々思っているのです。願わくば大阪の文楽劇場へ行ってみたいところですが、まずは東京・永田町の小劇場での鑑賞になろうかと思います。
その永田町での公演、先月はなんと「曾根崎心中」(夜の部)であったそうです。見逃したのは甚だ残念なことでした。
最初に観る演目としては門左衛門の世話物がよかったのです。
道行きっていいぢゃぁないですか。
ところで先日エントリーしました「河原者ノススメ」の著者、映画監督、篠田正浩氏の(映画作品の)特集が京橋のフィルムセンター(国立近代美術館)で開催されておりました(開期終了)。
もちろん1969年作の「心中天網島」もリストされ、終演後には篠田氏のトーク・イベントもあるとのことで(3月10日)行ってまいりました。これはもちろん世話物最高傑作といわれる近松門左衛門原作。そしてなんと音楽は故武満徹氏が担当していたことも、わたくしには興味を倍加させる対象でございます。武満氏は、この日本の古典文芸、芸能の頂点であろう作品に、いったいどんな音楽を付けたのでしょうか。
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3:26 PM permalink | comments (0) | trackbacks (0)
スクリーンが消え、館内の明かりが灯りますと、彼方此方からすすり泣く鼻の音が聴こえてまいりました。
「This Is It」はそういう映画なのです。
わたくしはといえば、映画の終盤ではなく、決して他所様がそうはならないところで感極まってしまったのでした。
この映画をIMAXの劇場で観たことは正解でした。
ライブの、しかもリハのなかで収録し、見事な音楽バランスを再現させました音響技術スタッフの手腕はまったくブラビッッシモ!
そしてバックを努めるミュージシャンたちの素晴らしさ! 殊にドラム、ベースは、ときにリハならではの乱れはございましたが、それはとても小さなことで、彼らの繰り出すグルーブにたいへん心地よい思いがいたしました。
また全編にわたりときに力強く、ときにやさしく、マイケル・ジャクソンの歌唱に寄り添ったり、相対したりと、まったく気の抜けない仕事をこなしていったバッキング・ヴォーカリストの4人。
これらバックの演奏にかんしては、細かなキメどころの調整などが残っていたようですが、かなり完成の域に達していて聴いていて飽きのこない音楽映画となっておりました。
そしてブロンドの直毛ロングをなびかせて弾きまくるリード・ギタリスト! 格好いいですねぇ。
それはもちろんよく知った曲です。リフもカッティングもまるで昨日聴いたかのようによく憶えています。間奏のリフからカッティングへ移るところでギタリストはステージ中央に出てきました。このあとは激烈なソロに突入するのです。
「Beat It」はブラック・コンテンポラリー・ミュージックと白人の8ビート・ロックの見事なミクスチャーで、レコードではもちろんエディ・ヴァン・ヘイレンがソロを弾いておりましたが、この「This Is It」でのリード・ギタリストはOrianthi。彼女がソロを弾き始めたとき、わたくしは全身から鳥肌がたち、そして熱いものがこみあげてまいりました。
当時10代のわたくしを熱く熱くさせた楽曲は四半世紀を経て今度は涙を零させたのでした。
(上のリンク先YouTube映像はOrianthiのニューアルバムからのカット)
(終わり)
2:05 AM permalink | comments (2) | trackbacks (0)
何故、彼はそこまで激しく踊る必要があったのでしょうか?
(以下、ネタバレ注意)
映画「This Is It」の終盤、マイケル・ジャクソンは彼の大ヒット曲「Billie Jean」(もちろんこれもリハーサル)でずいぶんと熱いダンスを披露しておりました。彼のダンスは他の楽曲においても鋭いキレを誇っておりまして、年齢に見合わない素晴らしいものでした。ゴシップばかりが目につくスーパースターではありましたが、超一流のエンターテイナーとして(の自身を維持するため)エクササイズを欠かさなかったのではないか、あるいは徹底的なリハビリを行なったのではないかと想像いたします。
さて「Billie Jean」でのマイケルはソロで踊っておりました。そしてそれはかなり即興的なダンスであったかもしれません。コリオグラフの観点から見れば荒削りなものでした。しかし故に彼の熱さが伝わってくるのです。オーディションで選ばれたバック・ダンサーたちはアリーナからその姿を見ていたのですが、彼の熱いダンスにすっかり興奮させられた様子が窺えました。
11:07 PM permalink | comments (4) | trackbacks (0)
何故、彼はそこまで激しく踊る必要があったのでしょうか?
それはあくまでリハーサル。しかも本番までの日も充分にあったと思われるなかでのことです。彼はオーディションで選ばれた共演バック・ダンサーではなく、行なわれようとしているコンサートの主役。しっかりとした演出家やその他充実したスタッフが揃ってはいますが、全ての最終決定は彼の掌中にあったはずです。動きを示し、流れのガイドとなるだけで、そのときの彼の仕事は成立したはずなのですが、単純にミュージシャンとしての、ダンサーとしての血が、そうさせただけなのでしょうか?
ここしばらくの彼の音楽にも、そして先日の彼の死にさえ、わたしの心には響いてきませんでしたが、彼方此方から推薦のメールをいただきましたので、マイケル・ジャクソンの「This Is It」を観てまいりました。
折角の音楽もの映画です。以前から興味がございましたIMAXシアターへ行こうと、川崎駅西口のシネコンへ、仕事帰りに寄って(とは云いつつ、しっかり事前予約をして)きました。21:30からのレイトショー枠です。
10:34 PM permalink | comments (0) | trackbacks (0)
カサンドラ・ウィルソンの代表的なアルバム「New Moon Daughter」に収められたニール・ヤングの名曲「Harvest Moon」はイメージを喚起する力の強い作品であるように思います。
たとえば小さなカフェの、通りに面した席で、雨が流れる窓の向こう、ときおり過ぎる濡れた路面を跳ね上げる車の音、酔人の嬌声、深夜に行き交う音の流れの向こうを。
continue reading "移ろう時のなかで、もっとも輝く中秋の"
3:26 AM permalink | comments (7) | trackbacks (0)
最近のこと。娘と「崖の上のポニョ」を観にゆきました。夏休みに家内の実家から従兄弟たちと観にいっていた娘は二度目の鑑賞。わたくしは初回。キャラクターも主題歌も大好きな彼女からの、もう一度観たいとのリクエストだったのでした。
宮崎氏の映画は劇場で、DVDで、かなりの作品を拝見しておりますが、今回ほど、おや?と思いながら観たことはございませんでした。
(以下、ストーリー、描写にも言及しています)
continue reading "ブリュンヒルデは天駆ける馬の夢を見るか?"
12:56 AM permalink | comments (4) | trackbacks (0)
エントリーにだいぶ間が空いてしまいました。最近少し忙しく写真を焼いていませんので、今日は肩の凝らない映画の話しでも。
クシシュトフ・キェシロフスキ監督による最後の完成作品となりました「トリコロール 3部作」。その第1作、ジュリエット・ビノシュ主演の「青の愛(国内1994年公開)」。事故死した夫が書きかけていた欧州統合のための協奏曲を妻ジュリー(ビノシュ)が受け継ぐのですが、それを手伝い、譜に起こす男とのやりとりのなかで「(ジュリー)そこは対位法で」、「(男)おっ、ブデンマイヤー風だな」というような台詞がありました。
ところで、キェシロフスキ監督はこの「トリコロール 3部作」の前に「ふたりのベロニカ」という作品を公開しておりました。「トリコロール」の最終作「赤の愛」で主演しているイレーヌ・ジャコブが好演しておりました。
この物語、顔も姿もそっくりなベロニカという女性が、ポーランドとフランスにおり、そのふたりのベロニカの数奇な運命を、歴史、時間、そういったものを包み込む感覚と、やるせない喪失感のなかで描いています。もちろんイレーヌ・ジャコブの一人二役で演じられます。
ポーランドのベロニカはソプラノ歌手で、リサイタルの舞台上で曲を歌いきって亡くなってしまうのですが、そのベロニカが歌っていたのは、もちろんこの映画のためにズビグニェフ・プレイスネルによって作られた楽曲なのですが、映画の中での設定は18世紀から19世紀にかけて活躍した「オランダ人、ブデンマイヤー」という作曲家(もちろん架空の人物です)による音楽とされているのです。
そのブデンマイヤーが「青の愛」でも過去の大作曲家として登場してきましたので、当時上映を見ながら、おー、使いまわすねぇ、とニタニタ笑ったことを思い出します。
さて、そのブデンマイヤー作(実際はプレイスネル氏の作品)のソプラノ・ソロを伴った悲壮な楽曲「Concerto en mi mineur (Concerto in e-minor)」ですが、わたくしが持っているフランス盤のサウンドトラックCDには2タイプ収録されております。
ひとつはVersion de 1798、すなわち1798年の版として、もうひとつはVersion de 1802。前者のオーボエによる主題提示に替えて、後者には合唱とソロによる序奏が付加されています。
ところで実際の18世紀から19世紀をまたぐ時代というのは、ベートーヴェンが初期作品を書き、そして第3交響曲の作曲(1804)から傑作の森と呼ばれる中期作品群を書き始めるころにあたっています。またはウェーバーや、ケルビーニの時代。
まさにクラシック音楽の絶頂期であったわけですが、架空のブデンマイヤーの楽曲には、音楽的時代考証の要素はあまり頓着されておらず、オーケストラ編曲などは、その時代の大家と並べるには申し訳ないほど稚拙であります。
と云いつつ、このブデンマイヤーの(プレイスネル氏の)Concerto en mi mineur、協奏曲ホ短調の旋律が持つ悲壮感にはたまらない魅力があるのです。そしてその主題のモチーフは映画サントラを統一するモチーフでもあるのですが、ソプラノで歌われますと、胸を掻き毟られるようでございます。
因みにこの歌は、ポーランドのソプラノ歌手、エルジビエタ・トワルニッカさんによって収録されております(当然映画ではイレーヌ・ジャコブがアテブリしています)。トワルニッカさんはその後、押井守監督の実写+CG映画「アヴァロン」でも、テーマとなる「Voyage to AVALON」で素晴らしい声を披露するだけでなく、「Voyage~」を歌うコンサート・シーンが映画の中でも扱われておりました。なお、こちらは川井憲次氏の作編曲だけありまして、さすがオケの扱いも素晴らしいのであります。
さて、「ブデンマイヤー」の例だけでなく、キェシロフスキ作品には事物モチーフの流用が頻繁に見ることができます。例えば町をのろのろと歩く老人の姿などです。物語の進行にはなんら影響のないシーンやカットにおいても、人間の、人生の、個別性と関連性を想起させる象徴的要素を随所に散りばめた巧みな世界。
このなんともまとまりの悪い文章を書きながら、「ふたりのベロニカ」のCDを聴いておりましたら、キェシロフスキ監督作品を再び観たくなってまいりましたので、今週末は台風で荒れ模様のようですから、DVDでも借りてこようかと思っているところでございます。
「ふたりのベロニカ」も、「トリコロール3部作」も全て渋谷のル・シネマで観たと記憶しておりますが、「ふたりの~」が92年公開でしたから、もう既に15年も経っているのですね。早いものです。
5:09 AM permalink | comments (0) | trackbacks (0)
久々の「花はどこへいったのか」シリーズのエントリーになります。当シリーズ(6)にて記しました、幸田文原作、成瀬巳喜男監督による映画「流れる」のDVDをやっと見ました。
映画は昭和31年の公開、白黒作品です。女性映画の名手と云われる成瀬監督だけに出演者が凄いです。田中絹代、山田五十鈴、高峰秀子、杉村春子、岡田茉莉子、とベテランから若手まで当時の豪華女優陣を揃え、さらに戦前の大女優、栗島すみ子を迎えての絢爛たるキャスティング。
と書きつつ、こういった布陣、そしてこれから書く、映画的内容は、監督が成瀬氏だからということでは決してなく、しっかりとしたマーケティングに支えられた映画会社(東宝)としての方針であったとするのが正解のように思えます。なぜならば成瀬氏は終生撮影所の監督であったからです。
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continue reading "花はどこへいったのか(7)"
12:02 PM permalink | comments (0) | trackbacks (0)