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March 16, 2011
  賢明な小鳥たちは己の身丈で生きている

いま住んでいる家は、借家で、ボロな一軒家です。夏が来れば丸五年住んだことになります。わたくしが音楽を聴いたり、写真の暗室に使っている二階の部屋は、東京横浜を結ぶ街道から住宅地への進入路に面し、うちとその進入路の間にあるわずかなスペース(隣の企業の土地)には企業によって植え込みが造られ、一本の木が植えられています。この家で初めての春を迎えたとき、その木が咲かせた花により、それが白木蓮であることを知りました。以来、弥生の月始めから中程に至る短い期間に見ることができる純白の花は、春の到来を知る素敵な目安として毎年楽しんでいるのです。

白木蓮の肉厚な花弁は、白く美しいだけでなく、よほど美味しいのでしょうか、花弁が充分に開きますと、それらは小鳥たちについばまれ、花芯だけを残した姿にされてしまうのです。
ところで小鳥たちは、一気にたくさんの花弁をついばむことはせず、ひとつふたつの花弁をついばむと何処かへ消え、また明くる日にやってきて、自分が必要な分だけをついばんでゆくのです。おかげさまで、この賢明な鳥たちの行動によって、木の隣の住人で在るわたくしにも白く美しい花を見る楽しみに幾許の間の猶予をいただいているようです。
小鳥たちは決して余計に食べることもしなければ、まだ沢山咲いている花弁を巣に持ち帰ることもしないようです。欲張らず、己の身丈で生きているのですね。

11:39 PM permalink | comments (2) | trackbacks (0)

July 25, 2010
  盛夏の熱を四分之一秒の幻に変えて

先週のこと。茹だるような暑さが続くとある日、その暑さの全てを吸収したような、これまた熱い街路がございました。その宵、大きな荷を曳いたわたくしは其処の熱気の源となる雑踏の人々をすり抜けるのが一苦労でありましたが、それでもわたしたち一行三名は何とか裏路地へと身を忍ばせることが適いました。
路地に身を潜めること数十分、わたくしは協力者に予め打ち合わせた準備位置へ着くよう指示をしてわたくし自身も持ち場に着きます。
わたくしの指示にて協力者が動き、ある瞬間を狙って光景を写真機のフイルムを感光させるべく四分之一秒に設定してあつたシャッターを開けたのでした。


この日より、展覧会へ向けた写真制作を開始いたしました。
いや、展覧会はいつのことになるか、一年後なのか、二年後なのか、計画はまだまだ企てられないのではございますが、制作中途にて心が折れないように、こういう公の場所で宣言をしておくのがよいと思ったのでした。

1:02 AM permalink | comments (6) | trackbacks (0)

March 6, 2010
  啓蟄の虫は春のにほいに鼻を蠢かす。

(三月五日のこと、)
昨晩の雨がすっかりあがり、青々とした空が心地よく身を包む朝、所用あって、久しぶりに人形町へ。啓蟄の虫のごとく地下鉄駅から地上へと這い出てまいりました。
大通りからひとつ入ったまだ仕度中の商店が並ぶ道の人影はまばらでしたが、着物に前掛けをした寿司屋の女将さんは雨も疾うに乾いた店先に水を打っておりました。パーマネント屋の鉢には絵日傘というのでしょうか、紅白斑の椿が凛として咲き、菓子屋からはニッキ(ここではシナモンと呼ばないほうが似合っていると思います)の香りがたち、春めいた陽気に心までほかほかとしてまいります。
しばらくしてこんどは、このあたりは寺町ではございませんが、ふうっと鼻を包んだのは線香からたったほのかなにおい。何処かの御宅の仏壇で燻されているのでしょう。商店街とはいえ、店と家が同じ屋根の下にあるといったことは以前では普通のことであり、その普通の営みが此処ではまだ息づいているようです。

用事はすぐに終わり、時間があったので大川端へ寄ってみることにしました。
箱崎の高速道路の下から堤防を越えますと、たくさんの保育園児が明るい日差しの下で遊んでおりました。その陽は強く、少し歩いてきただけで汗ばむようでしたから、上着は小脇に抱えることにいたしました。昨晩の雨に川は洗われたのでしょうか、この日はあまりドブ臭くなく、風はほんのりと潮のにおいを運びわが身を摩るようにして過ぎてゆきます。
清洲橋。
南にそびえる旧石川島の高層マンション群、そして北に見えるまだ半分の高さなのに視界に迫る墨東峻絶塔(ああ、世間では東京スカイツリーと申すそうな)、ここから石川島へはおよそ1.5キロ、押上まで3キロメートルほどしか離れておりませんが、靄に覆われコントラストが著しく低い遠景。
これはもう春の様子でございます。

翌日からは、また天気が崩れるとのこと。そのせっかくの一日の一時をこうして過ごせましたこと、ありがたいことでした。

11:48 PM permalink | comments (6) | trackbacks (0)

December 1, 2009
  晩秋を拾う

濃い緋の色に染まった桜の葉に深まる季節を感じます。
ところが外濠の木々はまだ緑々しい葉も多く、黄に色づいたものがほとんどの有様。寒空への化粧が進行した枝でさえようよう橙か朱に成り得たものがちらほらで、緋にまで色が深まるにはまだまだ時間がかかりそうです。
昨年はこんな調子で緋色に染まる前に葉は全て落ちてしまいましたので、外濠の並木は美しくなりきれない寂しい初冬を繰り返し迎えることになるかもしれません。

先日の日曜日は鈍色の雲に覆われていましたが、都心よりも幾分かは深まる秋を感じられるであろうと、そんな季節の落とし物を探しに、公道での自転車運転に少し慣らす目的も兼ねて娘と近くに流れる川までサイクリングに(わたしはママチャリで)出かけたのでした。
11月初旬、小学校の生活発表会的な催しにてどんぐりを使うとのこと、すぐ近所のくぬぎが多く植えられた公園ですこぶる大量のどんぐりを収穫しておりましたので、今回は違うものを探しに、川原へと向かったのでした。
そうして河川敷でススキを抜いてみたり、ひっつき虫であるオナモミをみつけたので枝の一部をいただいてきたり、川沿いの公園の桜の下、橙、朱の葉を拾ったり、まだ鳥たちに食べられていない姫林檎をふたつみっつ失敬したりと、娘にとっては長旅でありましたでしょう、往復6キロをのんびりと楽しんできたのでした。

2:52 AM permalink | comments (4) | trackbacks (0)

August 11, 2009
  その火は人々に守られ、豪雨に晒されても消えなかった

三鷹市美術ギャラリーの在るビルから駅へと渡るテラスへ出てみますと、雲はより厚くなって、空をより暗く覆っておりました。今にも雨が落ちてきそうな午後、わたくしはJR中央線で駅を3つほど新宿方向へ戻ったのでした。

荻窪駅北口を出まして右へ向きますとバラックのような建物からよい匂いの煙が立ち上がっております。昭和27年に創業と云われております「鳥もと」のことでございます。かつて駅の反対側、南荻窪に住んでおりましたころ、昼間から景気のよいガヤガヤとした雰囲気に誘われ何度か一杯やりに入ったことがございました。

駅の出入口のすぐ脇、線路沿いの一等地です。なんでこんなところに、と今では思われるでしょう。その「鳥もと」が駅前再開発の名の下に店を畳むとの噂を聞きましたので、東京に残った最後のいくつかもしれません、戦後、あるいは昭和の残滓を味わっておこうと、この日伺ったのでした。

ビールと一緒に注文しましたレバーとハツが運ばれましたころ、強い雨がバラックを叩きつけ始めました。店員はさっさと店前の半透明のビニールをくるくると下ろし雨除けをつくります(冬は風除けになる)。おもてに最も近い仮設カウンターで飲んでいらっしゃった浴衣姿で華のある姐さん二人は店員の勧めで二階の座敷席(! わたしは上がったことなし)へ案内されてゆきました。
外では時刻通り発着を繰り返す路線バス、傘を差し小走りに駈けてゆく人々、頭から肩へとビショビショに濡らしながらこの店へ飛び込んでくる人、わたくしは奥のカウンター席からこうした光景を眺めつつ、此処からの人やモノの動きはもう見ることはできなくなるのだなぁと感傷に耽りはじめ、2本目のビールを躊躇なく注文したのでした。

さて、店の方に窺いましたところ、此処での営業は8月29日までとのこと。9月からは駅前をさらに東にゆき、現在2号店を出している向かいに新店舗を開店させるのだそうです。肉を焼く「鳥もと」の火はまだまだ消えないようでなによりでございますが、荻窪駅前に流れました時代の記憶は、此処を訪れた者たちの心の内だけに静かに灯ってゆくことになりそうです。

11:15 PM permalink | comments (0) | trackbacks (0)

July 23, 2009
  わたしを惑わす不気味な月よ、今宵だけはあの方の行かれる先を優しく照らしてあげてください。(2)

不気味な月で思い出したのは、もう15年程昔のこと。わたくしはある仕事のために軽井沢へ、自ら運転して向かっていたときのこと。
関越自動車道から藤岡で分岐し、通行できるようになったばかりの上越自動車道。深夜の移動でしたから、前後に他の車はまったく無く、ひとり、一台で走っていたのでした。
わたくしの行く真ん前に昇ったまん丸の月。周囲に光は無く、わたくしはその月に向かって飛び込んでゆくような錯覚に陥ったのでした。

berg090722.jpgそのとき、車内でかけていたCDは20世紀オペラの最高傑作と云われております、アルバン・ベルク作曲、「ヴォツェック」。
この車内の音楽の効果がいとも甚だしく、なんとも不気味な瞬間を味わったのでした。


(左の写真のアルバムがそのとき聴いておりました、
クリストフ・フォン・ドホナーニ指揮
ウィーン・フィルハーモニー
による「ヴォツェック」全曲盤(1979録音)。
- シェーンベルクのモノドラマ「期待」を併録 -


奥にあるのは同じコンビによる ベルクの「ルル」(1976録音)。)


12:25 PM permalink | comments (0) | trackbacks (0)

May 20, 2009
  天高く渡された水の道を

渋谷区猿楽町の路地を抜け代官山郵便局の脇より八幡通りへ、そして旧山手通りから鎗ケ崎交差点へ。駒沢通りを中目黒のほうへ下っていった先、記憶では目黒川を超えたところにスーパー・ダイエーがあったのでした。昭和40年代前半、ときおり近所の商店では揃わない日用品を購入しに、わたくしは母に手をひかれて其処へ訪れたことを憶えております。
鎗ケ崎交差点から目黒川までは下り坂、右手から代官山のトンネルを抜けてきた東急東横線が走ってまいりますと幼少の男の子ですから、それはもう興奮したものでした。

かつてこの下り坂の頭上には旧山手通りにほぼ沿っていた三田用水が、目黒川に向けて標高を落としてゆくこの駒沢通り上を水道橋にして水路を渡していたと、少し前に父、母から聞かされて呆然としたのでした。わたくしにはその水道橋の記憶がなかったからなのです。

もう先週のことになりますが、金曜深夜、日付は5月16日(土)00:15〜00:45の「タモリ倶楽部」では、あの「川の地図辞典」の版元、「之潮」さんの芳賀社長を交えて三度目となる川好き系企画「好評!都内歩いているだけ企画、三田用水のこん跡を巡る!」がオンエアされたのでした。
(先だってGWに芳賀社長にお会いした際にいただいた季刊Collegioの巻末、お知らせの項にちらと番組出演の紹介が為されておりました。)

放送では、鎗ケ崎交差点近くの水道橋、その在りし日の白黒写真が紹介されましたが、その画を見ても思い出すようなことはございませんでした。
幼少のわたくしにとりまして、彼の水道橋はあまりにも高いところを渡していたのでしょう。おそらく視界の及ばぬところ、空に近いところを。


関連エントリー
・MADCONNECTION: 「川好き系タモリ倶楽部 Vol.3

・東京クリップ: 「タモリ倶楽部川を歩く第3弾は三田用水

1:27 AM permalink | comments (6) | trackbacks (0)

May 4, 2009
  あの男はいまなにに乗っているのだろうか

若気の至りだったのでしょう、日本語のロックなんて一切認めておりませんでした。まだローリング・ストーンズがコンスタントに新作を発表しており、ピストルズやダムドさえ知ってしまったころ、この国の音楽にいったい何を求めればよかったのでしょうか。
それでもスローバラードという3拍子の日本語ロッカバラードを聴き、スローバラードが曲中歌のことを指していることに気づいてからは、その曲を歌う男たちの歌だけは信じていいと思ったことがございました。
その後時代はバブルの熱にうなされはじめ、わたくしは音楽の世界で仕事をするようになりましたが、もう反逆の精神だなんて過去の遺物でしかなくなって、ロックの姿も様変わりしてしまいましたが、それでもその男の歌だけはいつも尖っていて、社会との軋轢を彼ひとりだけが担っていたように思えます。
これすなわちこの国でロッカーは彼ひとりだったと。

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5:38 AM permalink | comments (8) | trackbacks (0)

May 25, 2008
  それを開くと、あらたな世界が広がって、、、(3)

根岸に訪れてみたいと思ったのでした。もう1年以上前のことになります。
東京都台東区の北部に、根岸という町があり、そこの一部は戦災から免れたのだと聞いたからでございました。
そういった街ならば、幾人もの方々がカメラを持って訪れているでしょうと、まずはネットで検索をしてみましたら、いやいや沢山のページに出会いまして、根岸に関しまして、にわか耳年増ならぬ、目年増、いや、モニター画面年増状態(?)。もう半ば行ったも同然のような心地でして、仮想世界の落とし穴でございましょうか、かなりお腹いっぱいに満足な状態になったものでした。

ところが、そのようなわたくしの襟をただし、背筋をぴんと伸ばさせるようなブログが目に飛び込んでまいりました。

圧倒的にクオリティの高い写真。その1枚1枚に目を凝らしました。これはもしや専門の方による写真ではないかと、根岸に限らず、浅草や上野、根津に谷中、本郷と、その方のページをめくりにめくったのでした。
写真が素晴らしいと、文章にも俄然興味が湧きます。いろいろと読み進めますと、この方、単に街を歩いて写真を撮ってさようなら、ではなく、そこの街の方々と交わり、話しをし、アップされた写真のバックグラウンドをきちんと、取材という薄っぺらい行為以上に、コミュニケートすることで紹介されているところが、心のある写真になっている所以だと知ったのでした。
以来、大のファンになってしまったのですが、これが、昨今、たいへんお世話になっている「Kai-Wai散策さん」と、わたくしの、まずは一方通行の出会いだったのでございます。

11:28 PM permalink | comments (0) | trackbacks (0)

  それを開くと、あらたな世界が広がって、、、(2)

前回、「誰も示していない世界を創造する」ことは、表現行為の前提であると記しました。音楽に限らず、写真においても、今まで誰も見たことがない世界を、世界観を、写すこと。わたくしは写真を撮り始めた当初から、このことを目指しておりました。

ところが、具体的な映像イメージを伴わず、ただ「誰も見たことがない」という言葉だけがぐるぐると頭の中を廻るだけの期間がすいぶんと長くございました。
世界のありとあらゆるものは既に写真に撮られているのです。それでも「誰も見たことがない」事象を写すことは可能なのだろうかと、何度も絶望的な気持ちになりました。
ところが昨今、わたくしなりの表現が可能かもしれないという感触があるのです。
ここに至るには、写真の世界とはかけ離れた、文学や、音楽、または人々の話し、そういったものの中から少しづつヒントが見えてくるようになりまして、あるアプローチによって、とある事実と、とある現象をつなぎ合わせ、わたくしの心象を表すことが可能なように思えるのであります。
わたくしの作品づくりはここにきて、ようやっと具体性をおびることになりました。完成には、またしばらくの時間が掛かることでしょうが、日々の喘ぎにも具体性が伴う分、解決への道筋も見えていることになり、虚空を掴むような状態でないことが随分と楽に感じられます。

これは、あくまでもわたくしの場合ですが、表現を為す人は、多かれ少なかれ斯様な自己との戦いを経て、作品を、誰も示していない世界を創造する行為から、生み出していっているのではないでしょうか。

6:52 AM permalink | comments (0) | trackbacks (0)

May 24, 2008
  それを開くと、あらたな世界が広がって、、、(1)

中学校の音楽の授業で、音楽の三要素としてメロディ、リズム、ハーモニーが在ると教えられました。これは音楽を支えるシステムとして、現在、各地域の伝統音楽を除き、全世界的に広まっている西洋音楽の手法の根幹にあたるわけですが、そのうちのハーモニーに着目して西洋音楽史をみてゆくと、たいへん面白いのです。ここではその興味深い歴史を振り返る余裕がございませんが、現代音楽と呼ばれるジャンルが、なぜ聴衆の不人気にもかかわらず、あのような難しい音楽を書き続けるのかという、謎(やはり一般的には謎でありましょう)が、あたかも霧が晴れたように、すうっと解明されたのであります。
そういった、不人気であっても推進する創造行為が必ずしも正しい姿であるとは決して申しません。むしろ、もっとなんとかならないものかと、わたし自身、作曲行為など真似できない立場でありながらも、苦言を呈するのでありますが、基本的なところでは、うんうん、そうなんだよねと納得しているのです。それは表現たるものは「誰も示していない世界を創造しなければならない」という前提に対してであります。

この「誰も示していない世界を創造しなければならない」ことは、一般的になかなか理解されないようでございますが、音楽の世界にかかわらず、芸術行為全般にわたっての前提であることは表現者共通の認識であると思います。もちろん写真の世界もしかりであります。
好きだからローリング・ストーンズのコピー・バンドやっているんだ、という趣味の世界とは、どちらが良いとか、悪いではなく、一線を画す行為になるわけです。

11:59 PM permalink | comments (0) | trackbacks (0)

May 1, 2008
  遅々として、すすめすすめ(3)

そういえば、「遅々として、すすめすすめ」というシリーズのエントリーが途中でございました。
所用を終え、中板橋駅に戻ってきましたわたくしは、昼どきの空腹を堪えきれず、ここで食事を摂ることにいたしました。踏み切りを渡りました駅北側は賑わった商店街になっておりましたので、きっとなにかあるであろうとウロウロしておりますと古着屋を発見。おもわず500円でGジャンを衝動買いしてしまいました。決して高円寺や下北沢にあるような古着屋を想像してはいけません。ここは中板橋、「なかいた」商店街なのですから。そして店の奥には和服もたくさん掛かっていまして、時間があるとき、再訪してみたい店なのでございます。
さて、寄り道をしてしまいましたが、よさそうな食事処はすぐに見つかりました。店の前で、キムチやナムルを売っている韓国料理屋さんからよい匂いが香ってきたのですから。
店内には子連れのお母さん二組、そして恐らくはリタイア後の余生を楽しんでいらっしゃるような二人組みのオジサン。お母さんたちははしゃぐ子供を気にしてオジサンたちに謝っていらっしゃいますが、オジサンたち、ひとりは瓶ピール、もうひとりはチューハイと昼から景気よく、子供は元気が良いのが一番とにこやかです。そんなほのぼのとした店内の雰囲気に心地よさを覚え、わたくしは半熟の目玉焼きがのったキムチチャーハンをいただき、おいしいお昼のひとときを過ごしたのでした。
食後は爛漫に咲くさくらを見に、石神井川のほとりへ。深く掘られ、コンクリートに固められた護岸。都内のどことも変わらぬ川風景。すこし上流にはほぼ90度に川が折れ曲がるところが見え、神田川の大曲を思い出したのです。
ここから西に、環状7号も超えますと、常盤台という街に至ります。其処も散歩するには楽しそうな住宅地のようですので、機会あれば訪れてみたいと、あまり詳しくない板橋区の有様に興味が芽生え始めたのでした。

(了)

12:55 PM permalink | comments (2) | trackbacks (0)

April 24, 2008
  遅々として、すすめすすめ(2)

平日のお昼どき、郊外へ向かう各駅停車の車内はすこぶる空いておりましたが、空いた席に腰を下ろさず、ドアの傍で車窓からの景色を眺めやっておりますと、この沿線、殊の外、さくらが多く見えることが印象的でございました。葉に覆われてしまったり、葉も落ちてしまった季節ならば気付かなかったでしょう。爛漫に咲き誇るこの時期であったからこその、いっときの至福でございました。
さて、池袋を経った各駅停車は、ほどなく中板橋駅に到着いたしました。

用事は駅の南側、川越街道のほうへ向かったところでしたが、ああ、此処は近くを流れる石神井川から水を引いた水路でもあったのではないかしらと思えるような道があったり、こんもりとした丘状の頂上に立派なお屋敷が建ち、おそらくかつてはこのあたりの名主さんだったのではなかろうかと、思いを馳せながら、目的地までの道のりを楽しんだのでした。


(続く)

1:41 PM permalink | comments (2) | trackbacks (0)

April 23, 2008
  遅々として、すすめすすめ(1)

多忙を理由に、更新をサボっております。それでもアクセスカウンターは徐々に徐々にカウントを重ねていることに焦燥の念を禁じえなくなりましたので、すこしづつ書いてゆこうと思っております。

この有様でございますから、話しは、少し前のことになります。まさに桜花が最盛のころのことです。
所用がございまして、普段あまり馴染みがございません中板橋というところまでゆくことになりました。これまた馴染みのない東武東上線に乗り池袋駅を出発いたしますと、普段電車の車窓からの景色といえば高架か、地下か、極端な位置からしか見ていないことを意識いたしました。もっとも地下を走る電車からは、コンクリートの壁しか見えないのではございますが。

(続く)

10:21 AM permalink | comments (0) | trackbacks (0)

April 7, 2008
  散りゆく桜花に、もんじゃと佃煮。

佃小橋・西詰めのさくらは、枝垂桜であったと、佃に訪れて間もないわたくしは、昨日はじめて気付いたのでした。

もんじゃを食べにゆこうよ、と娘を半ば強引に誘い、ふたりで月島西仲通り商店街へ繰り出しました。折しも地元の方々によります「花まつり」が行なわれており、鼓笛隊などが商店街をパレードしておりました
日頃テレビを見る習慣がないものですから、すっかり忘れておりましたが、既にこの4月から始まっております新しい連続テレビ小説の舞台が、月島、佃島であったのでした。そのドラマを見て、この週末はと繰り出す人々で賑わっているのかな、と思いきや、左程ではございませんで、いつもの週末の人出くらいであったでしょうか。

食後は、これは高速道路? と尋ねる娘に、これは川を越える橋だよ、ついでにあっちの道路も越えて、、、と応えながら、佃大橋をくぐり、佃1丁目へ。
佃掘の端を見せ、川の終点だよと教えるも、娘の興味は、そこに隣接する児童公園にあるようで、滑り台、ぶらんこ、シーソー、鉄棒、そして檻で囲まれた砂場と、ひととおり遊んでゆくのでした。遊具に飽きますと今度は、散った桜のはなびらを小さな掌いっぱいに集め、それを佃掘へ、紙ふぶきでも投げるかのように舞わせて遊びはじめました。
桜花は、もう半ば散っており、満開の美しさを望めないのは百も承知ではございましたが、それでも尾崎波除稲荷脇の1本だけはちょうど良い加減で、娘を遊ばせたまま、わたくしはその木の下のベンチで、穏やかな陽を浴びて寛ぐよい時間を過ごしたのでした。

実家の父がうまい佃煮を食べたいと云っていたのを思い出し、うちの、と云いますか、わたくしの分と併せて、今回は丸久さんで「はぜ」のものを一ト掬い、いただいてきました。
佃煮は、もちろん熱々のご飯との相性は云うまでもございませんが、わたくしは、つけたお銚子の友にするのでいけません。

そして階段を昇り、隅田川へ。娘ははじめて見るのでしょう、日曜ですから仕事の船はいなかったものの、屋形船、水上バス、個人のクルーザーや小さな釣り船など、たくさんの船が往来する川。
娘は、昨年、通っている体操クラブの(親は同行しない)1日キャンプ(遠足?)で、横須賀の猿島へ行ったとき、渡しの船(高速船)が相当気にいったらしく、以来船好きになったのは、やはりわたくしの血をひいているからでしょうか。
そんな娘には、今度機会があれば、人生スピードだけじゃぁないんだよと、和舟に乗せようとけしかけているのです。

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April 4, 2008
  くるくるころころと、

両脇をビルに囲まれた交通量の多い坂道。そこを登っておりますと、いまさっき、わたくしが越えた交差点の信号が赤にでもなったのでございましょう、車の流れが途切れたのです。
その刹那、ぴゅううっと一陣の風が坂道を駆け上ってまいりました。
すると同時に外濠公園から吹雪いた、許多のそめいよしののはなびらが、くるくるころころと、薄桃のからだを縦にし、まるで小さな小さな車輪のように、くるくるころころと、列を成して、上り坂を回転しながら、わたくしの足下を超えてゆきました。
春の風は、そんな楽しい光景を運んできてくれたのでした。

2:25 AM permalink | comments (6) | trackbacks (0)

March 24, 2008
  むらさき

すこしの寒さが戻ったり、暖かい雨が降ったり、そして強い風に顔を背けたりした平日を過ごし、先週に引き続きうららかな週末を迎えました。
うちの前の白木蓮の花はもうほとんどが散ってしまいましたが、街なかのさくらはいくつかの枝に、元気な花をつかせ始めました。

毎日新聞の土曜夕刊(東京版)に「訪ねたい」という特集連載がございます。22日は「和歌山・湯浅 香り立ちのぼる醤油のふるさと」という、和歌山市より南へ、直線距離で20キロほどでしょうか、町内に熊野古道が通る町を紹介しておりました。
リンクしましたウェブ・ページはテキストだけで残念なのですが、紙面には街中の写真もございまして、広川と山田川に挟まれた地区に、重要伝統的建造物群保存地区というのがあるようです。拝見するに、なるほどこれはまるで明治のころの街並みと思わせるような一画が写っております。
こういうところは、ちょっと博物館のようで、訪れてみるだけの感興がわかないのでございますが、それでも此処には、現在も生きた生活が営まれておりますし、その中心的役割を果たしているのが、記事のタイトルにもございます醤油の醸造元「角長」。天保のころの創業で、いまも手作りで製造していらっしゃるとのこと。
これを読んで、明治のころからの手法で、おなじく醤油をつくっている関東の醸造元のことを思い出したのです。

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7:19 PM permalink | comments (6) | trackbacks (0)

September 10, 2007
  記憶の底、眠っていたあの旋律

それが高らかに胸の内に鳴り、甦ったのは先月のことでした。

わたくしが通った東京武蔵野市の小学校では、どういう経緯でそうなったのか存じ上げないのですが、或る民俗舞踊を、最上級生になりますと覚えさせられ、運動会の中で発表する慣例がございました。わたくしはそれを踊る最上級生を見ては憧れ、早く6年生となり、あの「恰好よい」舞踊を体得したいと夢見ていたのでした。

それは、少なくともわたくしには、ただ一時の遊戯ではなかったはずです。通常の(音楽)授業では得られなかった音曲感覚を味わい、地域で行われる東京音頭をはじめとする盆踊りとも少し違う舞踊感覚を感じながらも、以来あまりにも多くの年月が過ぎてしまった今日、わたくしの身体にその振り付けはまったく残っておらず、旋律も忘却の彼方、と云いますより、その舞踊の存在自体忘れかけていたのです。

ところが、旋律だけははっきりと、詞章とともに蘇ったのです。


わたくしが、思い出したその謡は、

  こんぴら ふねふね おいてに ほかけて シュラシュシュシュ
  (金毘羅  船々   追い手に 帆掛けて)
  まわれば しこくは さんしゅう なかのごおり ぞうずさん
  (詣れば  四国は  讃州    那珂の郡   象頭山)
  こんぴらだいごんげん
  (金毘羅大権現)
                              香川県民謡より


その端緒となりましたのは、こちらのブログ・エントリーを拝読したことです。

なんと金毘羅さまにある襖絵が東京に来ているではないですか。あの舞踊を習いながら、これはいつかは金刀比羅宮詣でと考えていたことも併せて蘇ってきました。もちろんその舞踊自体忘れてしまっていたわたくしが、かの地へ詣でたはずもなく、金毘羅さまには失礼つかまつっていたのでしたが、友人と山手線内でその東京藝術大学美術館で開かれております「金刀比羅宮書院の美」の広告を見、この展示には絶対に行かなければと、「この夏は、上野の山に シュラシュシュシュ」というコピーに苦笑しつつも、決意したのでした。

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September 15, 2006
  そんなに長いわけではないので写歴でも綴ろう(その13/最終回)

初めての作品展。

友人の紹介で、東京・駒場東大前の駅近くDINING BAR+CAFE jamにて僕の初めての作品展を開催したのは、1年前。2005年8月29日~9月30日まででした。


photo-ex05dm-sample.jpg

(写真展案内ハガキ)

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September 14, 2006
  そんなに長いわけではないので写歴でも綴ろう(その12)

自分でやりたい。

ライブハウスでのオン・ステージ・フォトを撮り、ラボに出す。ベタ焼きを見ながらストレート・プリントをオーダー。気に入ったものは、さらにコントラスト具合や部分的な濃度を指示して6つ切に伸ばす。
するとどんどん欲が出てきて、こうはならないものだろうか、あぁはならないだろうか、撮影の仕方に改善点はないだろうか、現像は任せきりでいいのだろうか? 自問の山になってきました。


st_gtd040201m.jpg

自家現像1本目のネガより
Ilford delta 400 @EI 400 / Ilford ID-11(stock)

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September 13, 2006
  そんなに長いわけではないので写歴でも綴ろう(その11)

よりテーマ性を持った写真を。そしてライフワーク。

気温がずいぶん低くなり、東京の銀杏も黄色く色づき始めたころ、ふとジャズ・ヴォーカルを聴きたくなりました。2003年のことです。
ジャズのライブハウスなんて10年くらい足を向けておりませんでしたので、今どんなシーンになっているか、かつての有名ライブハウスはまだ営業し続けているのか、なにもかも分からなくなっておりました。ところが今やネットがある時代。ジャズ・ライブハウスと出演ミュージシャンを調べ、ちょっと嘗てではありえなかったような瀟洒なライブハウスを訪れることにしました。


asuka04010803m.jpg

Jazz vocalist: Asuka Watanabe
Ilford delta 3200 @EI 4800. Scaned from negative, dev by Hit on.

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September 12, 2006
  そんなに長いわけではないので写歴でも綴ろう(その10)

最後のポジ

kei030701m.jpg


冷蔵庫の中にフジのポジ・フィルム、プロビアFが1本。ずうっと使わずに入れたままになっていました。もうすぐ期限も切れるし撮ってしまおうと思い久々にカメラに装填。1歳になったばかりの娘を連れ、家から少し離れた公園へ。広い芝のうえで娘を遊ばせながら写真を撮ろうという魂胆でした。

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September 11, 2006
  そんなに長いわけではないので写歴でも綴ろう(その9)

再び、白黒スナップを。

st_sby030701m.jpg


娘が自分で立ち上がり、歩くことができるようになり、そして1歳の誕生日をむかえたころ、僕はまたNikon new FM-2に白黒フィルムを詰めるようになりました。

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September 10, 2006
  そんなに長いわけではないので写歴でも綴ろう(その8)

2002年

hst_cl07m.jpg


日韓共催ワールドカップにより、国中が熱病のようにサッカーにうなされていたころ。


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5:08 AM permalink | comments (2) | trackbacks (0)

September 9, 2006
  そんなに長いわけではないので写歴でも綴ろう(その7)

旅行写真

このころ海外に旅行したときの写真はM.Niijima's travel photo and storiesというところに載せてあります。もともと僕のメインサイト、Sound Of Silenceのコンテンツとして作ったページなのですが、サーバーをレンタルした時点で切り離し、今では訪問者もほとんどない寂れっぷり。。。


bali-samp03m.jpg

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4:50 AM permalink | comments (3) | trackbacks (0)

September 6, 2006
  そんなに長いわけではないので写歴でも綴ろう(その6)

かつて一度だけ、写真コンテストなるものに応募したことがあります。
地元の商店街で行われた小規模なコンテストでした。商店街でのイベントを撮影し、商店街内の写真屋さんに提出しました。結果は入賞。賞品としてカメラバッグをいただき(いまそれはビデオカメラ用のバッグとして活用しています。)、写真はその地元の銀行内に張り出されました。実はその張り出しを見に行っていないので、他の作品がどのようなものであったかは全く存じません。
出品作はこちら。


st_mts000801m.jpg

Summer 2000 @Kawasaki. Fuji RHP @EI1600(= +2 stops).
Scaned from direct print.

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September 4, 2006
  そんなに長いわけではないので写歴でも綴ろう(その5)

専門ラボへ

st_sby_paint02m.jpg

"Street Painter"
Aug 2000 @Shibuya. Ilford delta 400 @EI 1600.
developed and printed by Hit on.


白黒写真においては、夜のスナップを始めたことで増感処理が必要になってきたことと、きちんとしたプリントが欲しいと考えるようになり、白黒専門のラボに現像・プリントをお願いするようになりました。現在もレンタル暗室のほうでお世話になっているヒットオンさんとのお付き合いが始まりました。2000年の夏ごろからです。


sp_gen01m.jpg

"Guitarist: Gen Akashi"
Dec 2001 @Jiyu-ga-oka. Ilford delta 400 @EI400 with the Sunpak B3000S flash light.
developed and printed by Hit on.

(Thanks to Mr. Akashi. 肖像使用のお許しをいただき感謝いたします。)

11:59 PM permalink | comments (2) | trackbacks (0)

September 1, 2006
  そんなに長いわけではないので写歴でも綴ろう(その4)

ポジで撮る

写真を趣味にした最初のころはときどき写真雑誌も講読していたのですが、マニュアル・カメラの道にどっぷりと浸かることになった僕の頭には「適正露出」なる言葉が渦をまいていたのです(笑)
そしてポジ・フィルムはシビアな露出設定が要求されるなどという情報を得ると俄然カラーポジに対する興味が沸き上がりました。


st_kwg000702m.jpg

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7:29 PM permalink | comments (2) | trackbacks (0)

August 31, 2006
  そんなに長いわけではないので写歴でも綴ろう(その3)

hst_cl05m.jpg


実家から借りてきたミノルタSR-1という1960年代の1眼レフ・カメラで写真を撮り始めたのですが、やがてこのカメラはシャッターが固まったまま作動しなくなりました。SR-1を長く使おうと思っていたわけではなく、とりあえずの練習用と捉えていましたので、すぐに新しいカメラの購入に走ったのですが、自分の過去を、家族の歴史を写し続けてきたカメラが動かなくなったことはたいへん寂しいことでした。(SR-1はいづれきちんと修理しようと考えております。)

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6:00 PM permalink | comments (3) | trackbacks (0)

August 30, 2006
  そんなに長いわけではないので写歴でも綴ろう(その2)

hst_bw05m.jpg


写真を撮り始めてすぐに念願の白黒ネガフィルムでも撮影をしました。近所のミニラボに出して大手ラボに取り次いでもらっていましたが、ネガと小さなサービス・プリントを得るのに中2日くらいかかっていたと記憶しています。

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August 29, 2006
  そんなに長いわけではないので写歴でも綴ろう(その1)

(その当時撮影した、イケてない写真とともに。)

hst_cl01m.jpg


ヘルムート・ニュートンジャンルー・シーフなどの白黒写真を見ることが好きでした。

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