main

May 2, 2008
  うつくしい本たち

柳橋を撮影対象としましてから、興味を覚え、そして読みました幸田文さんの「流れる」。その文体にすっかり惚れ、その後いくつかの彼女の小説、随筆を読みました。幸田さんの本は、装丁が美しく、所有するのは文庫ではなく、是非単行本だと、そして「きもの」という作品は殊更にその思いが強く、美本を求めて、まだ手にしていなかったのであります。

先日neonさんの、nidoとのコラボ作品展に伺いましたとき、折しもあれ、谷根千界隈では、一箱古本市が開催されておりまして、わたくしの読書にかかせない情報をくださる、じんた堂さんも出品されておりました。
じんた堂さんの一箱のお店には、なんと新刊書であります「川の地図辞典」も置かれていました。傍らにはちらしも用意されている周到ぶりに驚き、そして喜ばしい気持ちへと導かれたのでした。


さて、じんた堂さんの一箱には、お父さんの趣味本として、戦前戦後のカメラの本、2眼レフを紹介する本であったり、写真(撮影技)術の本がございました。中味を拝見しますと、そんな時代の本とは思えないようなきれいな図、写真が挿されており、驚嘆したのですが、それらお父さんの趣味本は購入せず、お母さんの趣味本として出品されておりました幸田文さんの「きもの」がとてもきれいでしたので、これはセットで読んでくださいと仰るじんた堂さんの推薦の言葉に釣られまして、露伴の孫、文の子である、青木玉さんと、京都の染屋、吉岡幸雄氏との対談本「きもの暮らし(PHP研究所刊)」を併せて購入してまいりました。ちょうど玉子さんの「小石川の家」を読み終えたところでしたので、気分も盛り上がり、読書を進められそうでございます。


kosho080501.jpg
kosho080503.jpg


それにしても、文、玉、両氏の本はほんとうにきれいです。次には玉子さんが、母・文が遺した着物を手にし、再び活きた美しい着物となってゆくことを記したそうな「幸田文の箪笥の引き出し」を是非手にしたいと考えているのです。
ところで、じんた堂さんには御土産というにはもったいないほどの品をいただいてしまい、お世話になってしまったのでした。ありがとうございました。


12:18 AM permalink | comments (4) | trackbacks (0)

May 1, 2008
  遅々として、すすめすすめ(3)

そういえば、「遅々として、すすめすすめ」というシリーズのエントリーが途中でございました。
所用を終え、中板橋駅に戻ってきましたわたくしは、昼どきの空腹を堪えきれず、ここで食事を摂ることにいたしました。踏み切りを渡りました駅北側は賑わった商店街になっておりましたので、きっとなにかあるであろうとウロウロしておりますと古着屋を発見。おもわず500円でGジャンを衝動買いしてしまいました。決して高円寺や下北沢にあるような古着屋を想像してはいけません。ここは中板橋、「なかいた」商店街なのですから。そして店の奥には和服もたくさん掛かっていまして、時間があるとき、再訪してみたい店なのでございます。
さて、寄り道をしてしまいましたが、よさそうな食事処はすぐに見つかりました。店の前で、キムチやナムルを売っている韓国料理屋さんからよい匂いが香ってきたのですから。
店内には子連れのお母さん二組、そして恐らくはリタイア後の余生を楽しんでいらっしゃるような二人組みのオジサン。お母さんたちははしゃぐ子供を気にしてオジサンたちに謝っていらっしゃいますが、オジサンたち、ひとりは瓶ピール、もうひとりはチューハイと昼から景気よく、子供は元気が良いのが一番とにこやかです。そんなほのぼのとした店内の雰囲気に心地よさを覚え、わたくしは半熟の目玉焼きがのったキムチチャーハンをいただき、おいしいお昼のひとときを過ごしたのでした。
食後は爛漫に咲くさくらを見に、石神井川のほとりへ。深く掘られ、コンクリートに固められた護岸。都内のどことも変わらぬ川風景。すこし上流にはほぼ90度に川が折れ曲がるところが見え、神田川の大曲を思い出したのです。
ここから西に、環状7号も超えますと、常盤台という街に至ります。其処も散歩するには楽しそうな住宅地のようですので、機会あれば訪れてみたいと、あまり詳しくない板橋区の有様に興味が芽生え始めたのでした。

(了)

12:55 PM permalink | comments (2) | trackbacks (0)

April 24, 2008
  遅々として、すすめすすめ(2)

平日のお昼どき、郊外へ向かう各駅停車の車内はすこぶる空いておりましたが、空いた席に腰を下ろさず、ドアの傍で車窓からの景色を眺めやっておりますと、この沿線、殊の外、さくらが多く見えることが印象的でございました。葉に覆われてしまったり、葉も落ちてしまった季節ならば気付かなかったでしょう。爛漫に咲き誇るこの時期であったからこその、いっときの至福でございました。
さて、池袋を経った各駅停車は、ほどなく中板橋駅に到着いたしました。

用事は駅の南側、川越街道のほうへ向かったところでしたが、ああ、此処は近くを流れる石神井川から水を引いた水路でもあったのではないかしらと思えるような道があったり、こんもりとした丘状の頂上に立派なお屋敷が建ち、おそらくかつてはこのあたりの名主さんだったのではなかろうかと、思いを馳せながら、目的地までの道のりを楽しんだのでした。


(続く)

1:41 PM permalink | comments (2) | trackbacks (0)

April 23, 2008
  遅々として、すすめすすめ(1)

多忙を理由に、更新をサボっております。それでもアクセスカウンターは徐々に徐々にカウントを重ねていることに焦燥の念を禁じえなくなりましたので、すこしづつ書いてゆこうと思っております。

この有様でございますから、話しは、少し前のことになります。まさに桜花が最盛のころのことです。
所用がございまして、普段あまり馴染みがございません中板橋というところまでゆくことになりました。これまた馴染みのない東武東上線に乗り池袋駅を出発いたしますと、普段電車の車窓からの景色といえば高架か、地下か、極端な位置からしか見ていないことを意識いたしました。もっとも地下を走る電車からは、コンクリートの壁しか見えないのではございますが。

(続く)

10:21 AM permalink | comments (0) | trackbacks (0)

April 7, 2008
  散りゆく桜花に、もんじゃと佃煮。

佃小橋・西詰めのさくらは、枝垂桜であったと、佃に訪れて間もないわたくしは、昨日はじめて気付いたのでした。

もんじゃを食べにゆこうよ、と娘を半ば強引に誘い、ふたりで月島西仲通り商店街へ繰り出しました。折しも地元の方々によります「花まつり」が行なわれており、鼓笛隊などが商店街をパレードしておりました
日頃テレビを見る習慣がないものですから、すっかり忘れておりましたが、既にこの4月から始まっております新しい連続テレビ小説の舞台が、月島、佃島であったのでした。そのドラマを見て、この週末はと繰り出す人々で賑わっているのかな、と思いきや、左程ではございませんで、いつもの週末の人出くらいであったでしょうか。

食後は、これは高速道路? と尋ねる娘に、これは川を越える橋だよ、ついでにあっちの道路も越えて、、、と応えながら、佃大橋をくぐり、佃1丁目へ。
佃掘の端を見せ、川の終点だよと教えるも、娘の興味は、そこに隣接する児童公園にあるようで、滑り台、ぶらんこ、シーソー、鉄棒、そして檻で囲まれた砂場と、ひととおり遊んでゆくのでした。遊具に飽きますと今度は、散った桜のはなびらを小さな掌いっぱいに集め、それを佃掘へ、紙ふぶきでも投げるかのように舞わせて遊びはじめました。
桜花は、もう半ば散っており、満開の美しさを望めないのは百も承知ではございましたが、それでも尾崎波除稲荷脇の1本だけはちょうど良い加減で、娘を遊ばせたまま、わたくしはその木の下のベンチで、穏やかな陽を浴びて寛ぐよい時間を過ごしたのでした。

実家の父がうまい佃煮を食べたいと云っていたのを思い出し、うちの、と云いますか、わたくしの分と併せて、今回は丸久さんで「はぜ」のものを一ト掬い、いただいてきました。
佃煮は、もちろん熱々のご飯との相性は云うまでもございませんが、わたくしは、つけたお銚子の友にするのでいけません。

そして階段を昇り、隅田川へ。娘ははじめて見るのでしょう、日曜ですから仕事の船はいなかったものの、屋形船、水上バス、個人のクルーザーや小さな釣り船など、たくさんの船が往来する川。
娘は、昨年、通っている体操クラブの(親は同行しない)1日キャンプ(遠足?)で、横須賀の猿島へ行ったとき、渡しの船(高速船)が相当気にいったらしく、以来船好きになったのは、やはりわたくしの血をひいているからでしょうか。
そんな娘には、今度機会があれば、人生スピードだけじゃぁないんだよと、和舟に乗せようとけしかけているのです。

11:27 PM permalink | comments (10) | trackbacks (0)

April 4, 2008
  くるくるころころと、

両脇をビルに囲まれた交通量の多い坂道。そこを登っておりますと、いまさっき、わたくしが越えた交差点の信号が赤にでもなったのでございましょう、車の流れが途切れたのです。
その刹那、ぴゅううっと一陣の風が坂道を駆け上ってまいりました。
すると同時に外濠公園から吹雪いた、許多のそめいよしののはなびらが、くるくるころころと、薄桃のからだを縦にし、まるで小さな小さな車輪のように、くるくるころころと、列を成して、上り坂を回転しながら、わたくしの足下を超えてゆきました。
春の風は、そんな楽しい光景を運んできてくれたのでした。

2:25 AM permalink | comments (6) | trackbacks (0)

March 24, 2008
  むらさき

すこしの寒さが戻ったり、暖かい雨が降ったり、そして強い風に顔を背けたりした平日を過ごし、先週に引き続きうららかな週末を迎えました。
うちの前の白木蓮の花はもうほとんどが散ってしまいましたが、街なかのさくらはいくつかの枝に、元気な花をつかせ始めました。

毎日新聞の土曜夕刊(東京版)に「訪ねたい」という特集連載がございます。22日は「和歌山・湯浅 香り立ちのぼる醤油のふるさと」という、和歌山市より南へ、直線距離で20キロほどでしょうか、町内に熊野古道が通る町を紹介しておりました。
リンクしましたウェブ・ページはテキストだけで残念なのですが、紙面には街中の写真もございまして、広川と山田川に挟まれた地区に、重要伝統的建造物群保存地区というのがあるようです。拝見するに、なるほどこれはまるで明治のころの街並みと思わせるような一画が写っております。
こういうところは、ちょっと博物館のようで、訪れてみるだけの感興がわかないのでございますが、それでも此処には、現在も生きた生活が営まれておりますし、その中心的役割を果たしているのが、記事のタイトルにもございます醤油の醸造元「角長」。天保のころの創業で、いまも手作りで製造していらっしゃるとのこと。
これを読んで、明治のころからの手法で、おなじく醤油をつくっている関東の醸造元のことを思い出したのです。

continue reading "むらさき"

7:19 PM permalink | comments (6) | trackbacks (0)

March 18, 2008
  春うらら、「川の地図辞典」出版記念ウォーク

うららかな天気に恵まれた週末。
いつもお世話になっておりますKai-Wai散策さんにて「川の地図辞典」が話題となりましたのは、今年にはいってすぐのことでした。地図数奇、水路数奇のわたくしも同じタイトルで、1月9日にエントリーさせていただきました。
この必携本の出版社である之潮さんがこのたび素敵なプランを企ててくださり、それに参加をしてきたのでした。

なんとこの「川の地図辞典」の著者である、菅原健二さんを案内人に、谷田川跡を歩くというのです。

continue reading "春うらら、「川の地図辞典」出版記念ウォーク"

1:57 AM permalink | comments (2) | trackbacks (0)

March 14, 2008
  桃の園近く、再び咲いた菜の花(5)

旧桃園川緑道を阿佐ヶ谷方面より、旧西原橋、旧宮下橋、旧馬橋、旧内手橋、旧東橋、旧八反目上橋、旧八反目橋と、橋づくしをしながら、歩いてきますと、高円寺駅近くまでやってまいります。次にくる橋が、旧宝橋です。此処の橋詰北側は、JR高円寺駅南口より続くアーケード商店街「Pal商店街」となっております。
そしてこの旧宝橋を挟んだ南側から、商店街名が変わり、こちらは「高円寺ルック」といいます。
「高円寺ルック」となった最初の路地を左(東)に折れますと、それは凛として、そこに立っておりました。

continue reading "桃の園近く、再び咲いた菜の花(5)"

1:18 AM permalink | comments (0) | trackbacks (0)

March 12, 2008
  桃の園近く、再び咲いた菜の花(4)

JR中央線沿線をご紹介しております今回のシリーズですが、前回はテーマを中野まで進めましたが、一旦、前々回の阿佐ヶ谷まで戻ります。
クラシック喫茶「ヴィオロン」は、阿佐ヶ谷駅北口より、西、荻窪方向へ向かったところにございます。今回は、その阿佐ヶ谷駅を東に向かってみることにします。

線路、高架の北側に沿う道は、さらにもう一本北側の平行する道からも、高架真下の商店街からも「裏側」にあたり、この高架に沿う道の両側の建物から背を向けられた寂しい処ですが、それでも駅へゆくのには便利ですから、駐輪場なども設けられ、人通りもそこそこある通りでございます。
さて、その道を300メートルほど進みますと、けやき公園という、区民プールが隣接する公園施設が見えてまいります。公園に沿って進み、高架をくぐり、南側にでますと、緑道の入口がございます。(ここまで、高架真下を通ってくることも可能です。)

continue reading "桃の園近く、再び咲いた菜の花(4)"

7:42 PM permalink | comments (2) | trackbacks (0)

March 11, 2008
  桃の園近く、再び咲いた菜の花(3)

20数年前、わたくしが「ヴィオロン」で、ライブの収録をしておりましたころ、マスターのT氏に、その店のことを教えていただきました。JR中央線で阿佐ヶ谷から駅をふたつほど新宿に上り、中野駅北口、サンモールというアーケード商店街の途中を左に折れて、路地にはいりますと、黄色い地に、黒文字で「クラシック」と書かれた看板がございました。そして赤い文字で「音楽室と談話室」とも書かれておりました。

数年前のある日、おそらくはサンモール右側をはいったところにございますフジヤカメラさんへ、なにか写真の道具を買いに出かけたときのことであったと思いますが、久しぶりに「クラシック」へ行ってみますと、入口に閉店した旨が記されており、茫然と、しばらくはその前で、その手書きのメッセージを何度も読み返したことがございました。
前世紀に咲いた、此処の看板のように、ささやかな菜の花のような喫茶店がひとつ、此処を訪れたことがある者の心の中にだけ、強い色を残して、消えてしまったのです。

continue reading "桃の園近く、再び咲いた菜の花(3)"

6:54 PM permalink | comments (4) | trackbacks (0)

March 10, 2008
  桃の園近く、再び咲いた菜の花(2)

JR中央線、阿佐ヶ谷駅を北口に下りまして、高架に沿った駅前商店街、スターロードを西へ、荻窪方向に歩いてゆきますと、行き止まり、クランク状に、少しだけ北へ進み、すぐまた西へと向かいますと、商店街から住宅地へと移ってまいります。周囲が静かに生活を営む人々の家々に囲まれてすぐ、右側に一軒の趣きを異にした建物と出会うことになります。
「ヴィオロン」と云う名のクラシック喫茶でございます。

continue reading "桃の園近く、再び咲いた菜の花(2)"

8:28 PM permalink | comments (2) | trackbacks (0)

March 7, 2008
  桃の園近く、再び咲いた菜の花(1)

JR中央線で、新宿から西に向かいますと、中野区、杉並区、武蔵野市と、市区を越えてゆきます。
わたくしは5歳のころより、20年弱を、武蔵野市で暮らしておりましたから、其処は、云わば、わたくしの故郷なのでございます。
かつて中央線文化圏なる一種の流行語がうまれ、数種の本が出版されておりました。もっとも売れていたかもしれません三善里沙子さんによる「中央線なヒト―沿線文化人類学(小学館文庫)」を、その当時読んでみましたが、なるほど解る気もいたしますし、斯様にカテゴライズされることを嫌うのもまた、中央線人気質なのではないかと思ったりもするのです。

continue reading "桃の園近く、再び咲いた菜の花(1)"

11:56 PM permalink | comments (4) | trackbacks (0)

February 29, 2008
  hommage(2)

前々回のエントリーにて、樋口一葉へのオマージュが綴られました、芝木好子さんの短編「本郷菊坂」(『海の匂い』集英社文庫に所収、絶版)をご紹介いたしました。

ところで、今年1月に発表されました第138回の芥川賞、その受賞作、川上未映子さんの「乳と卵」も、樋口一葉へのオマージュが綴られているとうかがいましたので、文芸春秋3月号(2/10売り)での全文掲載を読んでみました。

本文の前に、川上さんへのインタビューが記事となっておりまして、そこで、樋口一葉は20歳のころ初めて読んで一石を投じられた感じがあった、あんな文章を見たことがなかった、また「奇跡の14ヶ月」と云われるドラマティックな人生にもぐっときた、のだと話しております。

ところで、川上さんはミュージシャンでもあるのですが、わたくしは存知あげませんで、今回の受賞で初めて彼女を知ったのでした。
今(CDが)売れているそうですね、という質問に、それ恥ずかしいのです、注文殺到、5倍の売り上げと云われても、いままで千枚しか売れていなかったから、それがたかが5千枚になったところで、、、、と正直に気持ちを表す彼女には好感がもてます。

continue reading "hommage(2)"

7:28 PM permalink | comments (0) | trackbacks (0)

February 28, 2008
  hommage(1)

どうしようもない男女の業を描きました「洲崎パラダイス」の作者、芝木好子さんは、自作に自身を投影するとき、恭子という人物を充てています。短編「本郷菊坂」(『海の匂い』集英社文庫に所収、絶版)も恭子が主人公である自伝的要素を持った作品でございました。

浅草に産まれた恭子は、震災と戦争被災を経て、湯島に居を移します。そして変わりゆく東京の姿に憂愁の情を表します。
その戦後、女学校時代の友が、本郷菊坂の長屋に住みついたことで、恭子は、幾度か、其処を訪ねてゆきます。
そこで描写されます当時の長屋の詳細は、震災からも戦争からも被災を免れた、この明治期から在る長屋群の貴重な記録として読むことができます。驚くことに、この長屋の1室には床の間があったのだそうです。恭子の浅草時代からの記憶でも、路地の家に床の間があるのは珍しいことで、陋屋であっても見識があり、零落してここまできても、行儀よく住む人の家であると述べております。

その長屋は、本郷菊坂町七十番地。芝木さんの短編「本郷菊坂」は、ここから恭子によって、樋口一葉へのオマージュがじっくりと語られてゆくのです。

それは一葉が、この菊坂町七十番地に居を構えていた時期の、彼女の生活を、人生を振り返ってみます。
菊坂から小石川の安藤坂に在った中島歌子が主宰する「萩の舎」へ通ったこと、苦しい生計、田辺龍子の小説デビュー、そして自分も原稿料を当てにして小説を書く決心をすること、半井桃水との出会い、醜聞、そして決別。

芝木さんが、この短編を書いた、その70年前に、其処に確かに居た、ひとりの人を想い、そのころと変わらぬ路地に、2度の災禍を免れ、生き継いできた長屋を見て、そして綴った短編「本郷菊坂」は、下町で生まれ、下町を綴ることを生涯の仕事とした人の、強い想いが内包された、優しい文章でございました。

2:48 AM permalink | comments (0) | trackbacks (0)

December 31, 2007
  「うた」

この大晦日、ひさびさに家族で紅白歌合戦を見ています。番組自体何年ぶりに見るのでしょうか。調べてみますと、1999年の回以来でございました。それをよく憶えているのは三波春夫さんが出場し(最後の出場であり、その15ヵ月後に他界されました)、声の衰えは隠せなかったものの、「お客様は神様です」と繰り返した方らしく最高のエンターテインメントを披露されていたこと。そして天童よしみさんが「川の流れのように」を歌ったこと。天童さんは上手ですね。声の張り、豊かな声量、安定したピッチとリズム。どれをとっても不足ない、最高の演歌歌手でしょう。
ただ残念なことに、その天童さんも往年の美空ひばりと比較しますと、たったひとつだけ、足りないものがあるようです。

美空さんが15歳で歌った「リンゴ追分」の凄まじさ、23歳での「哀愁波止場」、25歳「ひばりの佐渡情話」などなど、また別の表れかたでは28歳時にリリースされました「ひばりジャズを歌うーナット・キング・コールをしのんで」というアルバムの中での「慕情」など、日本大衆芸能を代表するようなメロディから、米国のスタンダードまで、どうしようもなくわたくしの心を捕らえます。
天童さんは、その素晴らしい技術でもって当代最高の演歌歌手だと思いますが、美空さんは、楽曲のジャンルが如何にあれ、それがジャンルを超えた「うた」になっていること。その卓越した歌唱にしびれるのです。


もうすぐ年越しです。わたくしは時期をはずしてしまいましたが、一昨日に手にいれました美空ひばりさんのクリスマスソング、チューブラベルの音、ストリングス編曲が冬景色を想起させます「ひとりぼっちのクリスマス」のやわらかな「うた」を聴きながら平成20年を迎えたいと思います。(braryさん、素敵な曲を教えてくださって、ありがとうございます!)

みなさまもよい御年をお迎えください。

11:50 PM permalink | comments (4) | trackbacks (0)

December 12, 2007
  いま、そこに咲く花(15)

師走に追われ、ばたばたしておりますと、あっというまに日にちが経ってしまいます。12月5日に記しました外堀の紅緋に染まった桜葉は、ほとんど舞い落ち、今も木に残るものたちは既に深緋を超え、茶に近い赤銅色となり、風に震えております。

神楽坂へ訪れるとき、逢坂よりひとつ東側の「ゆ嶺坂(ゆは"まだれ"に"臾"を書きます)」を登ってゆくのが常になっております。車一台分の幅に、右にキリスト教会を、左に瀟洒な邸宅を見ながら、かなり急な坂を登ることになります。
直接神楽坂下から、神楽坂を登っていってもよいのですが、このゆ嶺坂がただただ好きなのです。

坂を登りきると若宮町。都心の限られた土地を有効に使ってモダンに建つ若宮八幡がございます。
そして今度はゆるりと下り、その先の丁字路を右に折れますと、右側には居酒屋や小料理屋などが並ぶ横丁となり、左側にはマンションが建っているのですが、暖かな季節には、どこの部屋からか、開いた窓からときどき三味線の音が漏れ聴こえるなかなかな処なのでございます。
その先に熱海湯という銭湯がございまして、向かって右側に私有地のような空間が在りますが、其処へ思い切って進入してみますと、さらに奥へ延びる階段路地が出現します。
わたくしはこの階段路地が好きで、何度も撮影をしております。夜間、からんからんと桶がタイルを打つ音や、ばさっーと湯を浴びる音が、このうえなく心地よく耳に入ってくる処で、三脚を立て、カメラを階段上に向けてセットするのです。

この熱海湯脇の階段の右側は和風の居酒屋ですが、左側はどこか欧州的な雰囲気がございまして、訪れたことはございませんが南仏の古い街の路地を想像させてくれるのです。
されどコート・ダジュールの波音は聞こえず、ただ爺いや、婆あやの湯浴みの音だけが響くばかりなり。

階段を登りきりますと、路地幅はさらに狭くなり、そして左へ直角に折れます。板塀に挟まれたところを進みますと、他方から向かってきます、別の、少し幅のある路地にぶつかります。その交差した向かいに見番があり、隣には稲荷の小さな祠が建っております。その先にはすぐ神楽坂下から登りきり、既にたいらになった後の神楽坂主街路の賑わいが見えてくるのです。

1:07 PM permalink | comments (2) | trackbacks (0)

December 6, 2007
  いま、そこに咲く花(14)

この季節、紅緋に燃え上がるそめいよしのの木々を、もう何年も見ていながら、それらを写真に撮ったことはございませんでした。なんと云いましょうか、色といい、今にも枝から、はらり、としそうな危うげな緊張は、美としての泰然さをそこに取り付く島もなく孕んでいることが、撮る欲求を抑制しているのだと思います。そうして斯様な美に触れますと、わたくしは、どこかが欠如したもの、またはどこか過剰なもの、撮りたいと思うのはそういったものなのだと殊更明確に気付くのでした。

さて、九段で働くわたくしが神楽坂へ赴くとき、新見附橋を渡り、牛込濠に沿い外堀通りを北東に向かいます。もちろんその道程はささやかな四季を享受しながらの歩みになります。
外堀通りの向こうには牛込の台地が聳えているはずですが、通りに面したビルにより台地が迫っていることはあまり意識できなくなっております。ところが新見附橋と、JR飯田橋駅西口がございます牛込橋の中間あたりで、わたくしは通りを横断するのですが、その向かいには台地への上り坂、逢坂がございまして、其処だけ台地への登り口がぽっかりと開いているように感じられます。

そして此処、逢坂への登り口は日仏学院への入口にもあたっております。
午後、このあたりを歩いておりますと、フランス人の子どもが恰好のよい自転車に乗って先を走るお母さんの後ろを一所懸命に追いかけていたり、おそらくはお手伝いさんであるアジア系の女性に連れられ歩く姿をよく見ることがございます。
実際、逢坂上などの牛込の台地には多くのフランス人が住んでいるのです。これは牛込濠を挟んだ対岸、千代田区富士見にリセ・フランコ・ジャポネ・ド・トウキョウ、すなわちフランス語ナショナル・スクールが在ること(在日仏人の家族に欠かせない環境でありますから)に依ると思います。

7:33 PM permalink | comments (0) | trackbacks (0)

December 5, 2007
  いま、そこに咲く花(13)

かつての江戸城、そのもっとも外側を囲んだ堀を外濠(そとぼり)と呼んでおります。現在そのほとんどが埋められてしまいましたが、濠の北東部を担っておりました神田川を除く部分では、JR四谷から飯田橋にかけまして、市ヶ谷濠、新見附濠、そして牛込濠が、そして赤坂見附近く、ホテル・ニュー・オータニの裏にもわずか、残っております。
わたくしは平日の毎朝、そのうちの新見附濠と牛込濠を見ながら通勤しているのですが、此処では濠に沿って花吹雪を舞うそめいよしのの花弁が水面の縁を埋め尽くす春や、流れのない濠ならでは藻の繁殖によって木々の葉々より濃い常盤緑に水面を染める盛夏などなど、都心にありながらささやかな四季の情趣を楽しむことができるのであります。

今週、この濠沿いに並ぶあまたのそめいよしのの葉が、ようやっと紅緋に染まってまいりました。濠の辺や、歩道に舞い落ちた葉のなかには猩々の緋にまで、その色を深めたものもございました。
桜花爛漫のころ、ほとんど白に近い薄桜色の花弁を咲き誇ったこれらの木々が、老翁無双の名人が締める調べの緒のごとく、最後の情念を燃やすかのような色を見ることで、わたくしは晩秋から初冬への季節のうつりを感じ入るのです。

2:46 AM permalink | comments (2) | trackbacks (0)

November 30, 2007
  墨東の記 その(2)

東向島に訪れましたその翌日、午前中から休日の誰もいないオフィスで少し仕事をしまして、天気もよろしいので午後は再び墨東へゆくことにしました。
ところでこの日、毎年行われ、会社近くがそのコースになっております東京国際女子マラソンが開催されておりましたので、昼少し過ぎにスタートした選手のうち、首位の選手が戻ってくるころ、コース脇の歩道へゆき一時の観戦を楽しんだのでした。
其処は38キロ地点にあたりまして、優勝しました野口選手は既にスパートをかけ、2位のケニアの選手を引き離しにかかっておりました。野口選手は大きなストライド走法が特徴と云われておりますが、ほんとうにダイナミックでして、かつ素人判断ですが恐らくは腰の位置がブレないのでしょうね、スゥーと滑るかのように目の前を通り過ぎてゆくその姿、殊の外美しかったのでした。

そんなこんな、しばらく通過する選手たちに頑張れとエールを送っておりましたので、すっかり墨東ゆきの出足が遅れてしまいました。
この日は前日と経路を変えまして、地下鉄を乗り継ぎ、都営浅草線の押上駅で降りてみました。拙ブログへコメントをお寄せくださるbraryさんの興趣尽きぬエントリー「秋の曳船界隈」を既に読んでおりましたので、わたくしも押上から歩き始めてみようと真似をしたのです。

continue reading "墨東の記 その(2)"

12:50 AM permalink | comments (2) | trackbacks (0)

November 27, 2007
  墨東の記 その(1)

新規の写真をアップできませんので、先々週末に訪れた墨東について記しておきます。
思えばおよそ1年前、お世話になっております烏山在住の写真家Sさん宅にて、「墨東綺譚(注:エントリー末参照)」を肴に飲む会がございまして、わたくしが遅れて到着しますと、地下の撮影スタジオで行われておりました鑑賞会、新藤兼人監督、津川雅彦、墨田ユキ主演の映画(DVD)は既に終りかけておりましたが、その後みなで持ち寄りました摘みと酒での会を楽しく参加したのが、墨東を撮ってみようかなと考えたきっかけでございました。

ところで様々な街歩き系写真ブログを見ておりますと、やはり墨東は定番と云いますか、みなさん撮っていらっしゃる。これはやはり荷風の作品と、木村聡氏の本が大きく影響しているのでしょう。
小林信彦氏は、敗戦直後のブームや、岩波からの全集が「東京オリンピックにともなう<町殺し>の時期」に出たこと、さらには昨今のことを挙げ、

永井荷風は東京が破壊される時に必ず読まれる

と記していますが、なるほどよく解ります。(イタリックの箇所は「昭和の東京、平成の東京/筑摩書房/2002」より引用)

continue reading "墨東の記 その(1)"

11:30 PM permalink | comments (0) | trackbacks (0)

November 19, 2007
  川からは空が見えるのが望ましい(10)

聖橋をくぐり、JR御茶ノ水駅の真下に出てきますと、先をゆく、小学生たちを乗せた1号船が停まりました。30メートルほど離れて、わたくしたちの2号船も停まり、なにごとかが始まる予感に期待していますと、前の船の子どもたちが一斉におだんごのようなものを川に投げ込みはじめました。
当船に乗るスタッフの説明によりますと、川を浄化させる菌を拳大のだんごにして、それを投じているのだそうです。
この有機物による浄化作戦が少しでも実を結ぶことを願っています。

ところで、この様子は御茶ノ水駅ホーム上の人々や、駿河台上と湯島側、東京医歯大病院前を結ぶ、お茶の水橋上を歩く人々からも注目を浴びておりました。おそらく魚の餌でも投げ入れているのでは、と思われていたかもしれませんね。

さて、この附近は駿河台と、湯島ー本郷の台地に挟まれ、神田川はたいへん深いところを流れておりますが、此処が江戸初期につくられた人工の渓谷であることはあまり知られていないのかもしれません。
元々此処には川は流れておりませんでした。平川と呼ばれた流れは、現水道橋駅の少し上流から、南流し、現皇居のほう、江戸城の方向へ流れておりました。
それをまず15世紀に太田道灌が流れを少し東側に移し、現在の日本橋川とほぼ同じ水路ができました。
江戸開府以降、川の氾濫による城や、周囲の被害を無くすため、この江戸城附近を流れる水路への負担を軽減するため、現在の主水路(=神田川)を掘ったのです。最大の難関はこの湯島本郷、駿河台の山を抜けるための渓谷をつくることだったようです。

因みに先に紹介しております下流域の浅草橋附近では、右岸に堤(そして柳を連ねて植えておりましたので柳原堤と呼ばれていたそうです)を築いて、武家屋敷が多く並ぶ城下方面への水の浸入を防いでおりました。すなわち氾濫したときは請地とした左岸側に溢れた水を流すようにしているのです。ところがそこには下町、町人の街が広がっておりますが、この下町の広がりが神田川造成の先か後か、気になるところです。

いずれにしろ、このような大規模な土木事業が可能であった幕府の力というものに驚きを隠せません。

8:46 PM permalink | comments (0) | trackbacks (0)

November 13, 2007
  まるで、あにいもうと

堀切菖蒲園駅前の「青木書店」さんにて購入しました藤田佳世著「大正・渋谷道玄坂」を早速読み始めております(前回エントリー参照)。

この本は、深川のことを随分参考にさせていただきました「深川散歩/東京クリップ」のじんた堂さんに教えていただいたのですが、さすが本にお詳しい方の推薦とありまして、穏やかな筆の運びによき日の渋谷の姿をいっぱい想像できる素晴らしい本であります。

そして同日に購入しましたもう一冊、大岡昇平氏の「幼年」ですが、こちらは現・旧山手通りに沿ってございました三田用水や、明治通り沿いの渋谷川につきまして調べておりましたら、大岡氏が幼年時代を綴ったこの本に渋谷川の描写があるとのことで購入に至ったのです。
大岡氏も幼少年時代を渋谷(の彼方此方)で過ごしているのですが、「幼年」を書くにあたり、そのあとがきに「藤田佳世さんに有益な御教示を得ました。」とありましたことは、わたくしの想像にはなかったことでして、またその藤田氏の本(大正・渋谷道玄坂)を読み進めてゆきますと、どうやら大岡氏のリクエストにより藤田氏が古老にアポをとり、一緒に取材をする項があるではないですか。
すなわちこの2冊はまるで兄妹のような本であることを、購入して気付いたのでした。

12:25 PM permalink | comments (0) | trackbacks (0)

November 12, 2007
  堀切菖蒲園駅前の古書店

街を歩いて古書店を見つけますと必ずや立ち寄ってみることにしています。
ある処では趣味が違っていたり、またある処では欲しかった本が偶然見つかったりと、それはとても楽しい時間となります。
ところで昨今は、とても便利な時代でございますから、欲しい本はネットで調べ、通販で手にすることもしばしばございます。殊に地方の古書店にて絶版ものが格安でリストされているような場合、このようなシステムはたいへん有り難く思います。

ところで先頃より探しておった本、地域の図書館では館内閲覧のみ可能で、貸し出してはくださらず、それならば都立図書館より取り寄せてほしいとリクエストしましたら、地区内に蔵書しているものは取り寄せはできないのですと断られてしまい、ならば古書を求めようと、いつものようにネット検索をしたのでした。
そこでヒットしたHPへアクセスしてみますと、どこかで見覚えのあるページでした。しばらく考え、あぁ!と確認してみましたら、やはり「Kai-Wai散策」さんで紹介されておりました『青木書店』さんだったのです。
これは是非ともお伺いしまして、希望の書籍を手にしたく、先日京成電車に乗り「堀切菖蒲園駅」まで出掛けて参りました。

厚い雲に覆われた日でしたが、店の前に立ちますと、低い色温度の温かなあかりが隙間なく書架に並べられた本たちを照らしております。店頭のガラス仕切りと、ドアの桟の緑色が、きれいに映えております。そして、まさに「本である」『噂』のドアの取っ手をひき、店内に入りますと、本たちが放つ匂いが仄かに香ってまいりました。

店にはご主人と奥様がいらっしゃり、こちらに来た経緯や、わたくしも拙い写真を撮っていることをお話しさせていただいたのですが、水辺の写真というわたくしのテーマについて、ご主人から葛飾区内にございます水元公園を薦めていただきました。帰宅後、少し調べてみますと、なるほど素敵な水風景が撮れるかもしれません。其処はこれからの課題として調べを進めてみたいと考えております。

一冊一冊、とても大切に扱われていることが見てすぐ解る書架。ああ、本を愛していらっしゃるのだなぁ。そのなかから、たった2冊だけでしたが、入店したときには既に揃えていただいておりました本を手にして、とても豊かな気持ちになったのでした。

book071109m.jpg

この日購入した本
 ・大正・渋谷道玄坂(シリーズ大正っ子)/藤田佳世著/青蛙房
 ・幼年/大岡昇平著/潮出版

どちらも美しい箱入り娘たちでございました。

11:02 PM permalink | comments (4) | trackbacks (0)

October 29, 2007
  川からは空が見えるのが望ましい(1)

もう10日も前になりますが、久々の雨に翌日の心配をした19日金曜。ところが土曜朝には一転、玻璃のような奥深さと透明感のある蒼い空に、前日の不安は雨雲とともに消え去りました。
秋の午前中にだけ見ることができる空の色。ところどころに薄い雲がよいアクセントとなって東からの陽の光をきらきらと反射しております。
両国の河岸には心地よい風が、大川の川面にあたって、ゆったりとした波面を描いております。わたくしたちを乗せる五艘の釣り船、ただし本日は釣りをするためではなく用意された、二艘は浜松町から、そして三艘は柳橋、浅草橋の船宿から、東京水辺ライン両国発着場の桟橋の周囲で待機しております。

浜松町からきた赤い船体が本日の1号船として招待された地元の小学生を乗せます。わたくしは、それに続く2号船で、浅草橋の三浦屋さんの船です。舳先に近い右舷側に座り込み、両国を出発、すぐ進路を右に曲げますと、そこは神田川の河口です。
目の前に朝陽を浴びる美しい柳橋のトラスが見えてまいりました。

(続く)

6:31 PM permalink | comments (0) | trackbacks (0)

October 27, 2007
  ブデンマイヤーとは何者なのか

エントリーにだいぶ間が空いてしまいました。最近少し忙しく写真を焼いていませんので、今日は肩の凝らない映画の話しでも。
クシシュトフ・キェシロフスキ監督による最後の完成作品となりました「トリコロール 3部作」。その第1作、ジュリエット・ビノシュ主演の「青の愛(国内1994年公開)」。事故死した夫が書きかけていた欧州統合のための協奏曲を妻ジュリー(ビノシュ)が受け継ぐのですが、それを手伝い、譜に起こす男とのやりとりのなかで「(ジュリー)そこは対位法で」、「(男)おっ、ブデンマイヤー風だな」というような台詞がありました。

ところで、キェシロフスキ監督はこの「トリコロール 3部作」の前に「ふたりのベロニカ」という作品を公開しておりました。「トリコロール」の最終作「赤の愛」で主演しているイレーヌ・ジャコブが好演しておりました。
この物語、顔も姿もそっくりなベロニカという女性が、ポーランドとフランスにおり、そのふたりのベロニカの数奇な運命を、歴史、時間、そういったものを包み込む感覚と、やるせない喪失感のなかで描いています。もちろんイレーヌ・ジャコブの一人二役で演じられます。
ポーランドのベロニカはソプラノ歌手で、リサイタルの舞台上で曲を歌いきって亡くなってしまうのですが、そのベロニカが歌っていたのは、もちろんこの映画のためにズビグニェフ・プレイスネルによって作られた楽曲なのですが、映画の中での設定は18世紀から19世紀にかけて活躍した「オランダ人、ブデンマイヤー」という作曲家(もちろん架空の人物です)による音楽とされているのです。
そのブデンマイヤーが「青の愛」でも過去の大作曲家として登場してきましたので、当時上映を見ながら、おー、使いまわすねぇ、とニタニタ笑ったことを思い出します。

さて、そのブデンマイヤー作(実際はプレイスネル氏の作品)のソプラノ・ソロを伴った悲壮な楽曲「Concerto en mi mineur (Concerto in e-minor)」ですが、わたくしが持っているフランス盤のサウンドトラックCDには2タイプ収録されております。
ひとつはVersion de 1798、すなわち1798年の版として、もうひとつはVersion de 1802。前者のオーボエによる主題提示に替えて、後者には合唱とソロによる序奏が付加されています。

ところで実際の18世紀から19世紀をまたぐ時代というのは、ベートーヴェンが初期作品を書き、そして第3交響曲の作曲(1804)から傑作の森と呼ばれる中期作品群を書き始めるころにあたっています。またはウェーバーや、ケルビーニの時代。
まさにクラシック音楽の絶頂期であったわけですが、架空のブデンマイヤーの楽曲には、音楽的時代考証の要素はあまり頓着されておらず、オーケストラ編曲などは、その時代の大家と並べるには申し訳ないほど稚拙であります。

と云いつつ、このブデンマイヤーの(プレイスネル氏の)Concerto en mi mineur、協奏曲ホ短調の旋律が持つ悲壮感にはたまらない魅力があるのです。そしてその主題のモチーフは映画サントラを統一するモチーフでもあるのですが、ソプラノで歌われますと、胸を掻き毟られるようでございます。

因みにこの歌は、ポーランドのソプラノ歌手、エルジビエタ・トワルニッカさんによって収録されております(当然映画ではイレーヌ・ジャコブがアテブリしています)。トワルニッカさんはその後、押井守監督の実写+CG映画「アヴァロン」でも、テーマとなる「Voyage to AVALON」で素晴らしい声を披露するだけでなく、「Voyage~」を歌うコンサート・シーンが映画の中でも扱われておりました。なお、こちらは川井憲次氏の作編曲だけありまして、さすがオケの扱いも素晴らしいのであります。

さて、「ブデンマイヤー」の例だけでなく、キェシロフスキ作品には事物モチーフの流用が頻繁に見ることができます。例えば町をのろのろと歩く老人の姿などです。物語の進行にはなんら影響のないシーンやカットにおいても、人間の、人生の、個別性と関連性を想起させる象徴的要素を随所に散りばめた巧みな世界。
このなんともまとまりの悪い文章を書きながら、「ふたりのベロニカ」のCDを聴いておりましたら、キェシロフスキ監督作品を再び観たくなってまいりましたので、今週末は台風で荒れ模様のようですから、DVDでも借りてこようかと思っているところでございます。


「ふたりのベロニカ」も、「トリコロール3部作」も全て渋谷のル・シネマで観たと記憶しておりますが、「ふたりの~」が92年公開でしたから、もう既に15年も経っているのですね。早いものです。

5:09 AM permalink | comments (0) | trackbacks (0)

October 17, 2007
  陋巷の夢、建物の匂い

少し前から、とても気になっていたのです。その単純化、抽象化、そしてバランス感覚、線、色。
他の方のブログで知り、そして訪れてみましたneonさんのサイトにて、線画や彩色画などの作品を拝見してのことです。

いつか原画を拝見したいと思っていましたら、銀座のギャラリー(ツープラスさん)にて企画展が開かれているとのことで、それはよい機会とばかり、伺ってまいりました。

原画はやはり素晴らしかったです。

ウェブで拝見していましたように、その絵の前から、絵の中に入ってゆく自分を再発見しただけでなく、其処の匂いまで感じる自分自身に驚きを感じました。このような体験は初めてではないでしょうか。
それは古びた木が放つものであったり、錆びた鉄のそれであったり、染み込んだ油の濃厚さや、傍に立っているのであろう桜が放つ仄かさが香ってくるのです。想像力を喚起させるナニカがあるのでしょうね。

neonさんに、はじめましてのご挨拶ができましたことも、少しのお時間をいただいてお話しを伺えましたことも、そして展示作品だけでなくファイルに丁寧に収められた「陋巷画日記」と呼ばれる一篇一篇を拝見できましたことも併せて、とても素敵な時間となった画廊でのひとときでございました。


タテモノのカタチ(大倉ひとみ、オーライタロー、岡本雄司、小島満樹子)
ギャラリーツープラス
2007年10月15日(月)~20日(土)
12:00~19:00(土曜/展覧会最終日 17:00迄)


なお、当展示に出品されておりました、他3アーティストの作品(油や銅版画など)も、タテモノを見つめる視線に、みなさんの優しい気持ちを感じられる、素敵なものばかりでございました。

11:59 PM permalink | comments (2) | trackbacks (0)

October 16, 2007
  ここで出会えるとは思いませんでした

フォーラムの友人たちと、東京都写真美術館へ出掛け、そして8月に観た『「昭和」写真の1945-1989』シリーズの続編、『第3部、昭和30・40年代(2)「高度成長期」』を楽しんでまいりました。

変わりゆく都市、デモ、公害病を患う人たち、この時期の写真として、これらジャーナリスティックな視線は外せないところでしょう。
多くの写真家の作品が出品され、さすが写美、といった展示の中で、特に目を惹いたのは、まず植田正治氏の「くもり日・床屋のある町角」です。わたくし、不遜なことに、植田氏の写真、とくに有名な「砂丘」のシリーズなどは退屈と思っていたのですが、ここに展示された写真、そのプリントの美しさといいましたら、まったくわたくし好みなのでございます。この写真は「童暦」という作品集からのもののようで、シリーズ全体をオリジナル・プリントで拝見したいなと思ったのでした。

長野重一氏の作品は構図が素晴らしく、う~ん、と唸らせる写真が多々出品されておりました。

森山大道氏の有名な、あまりに有名な「東京IC」。高速道内のトンネルを走る車中から写したものといえば、ああ、あれね、とピンとくる方も多いかと思います。この作品、かつてもオリジナル・プリントを観ているはずなのですが、こんなに良かったとは! 印刷物では決して伝わってこない、微妙なブレなのか、それが突き抜けるスピードをこれ以上になく表していると思いました。さすがに上手い方ですね。

建設中の東京タワーを石元泰博氏が撮っていました。わたくしは石本氏の写真が好きなのですが、これは過剰に美しく、かえって東京タワーを建ててゆく猛烈なパワーというものを減じてしまっていると残念に感じました。

そして東松照明氏による「公害の源流 足尾鉱山より」が圧巻でございました。作り過ぎ、とも受け取れますが、その徹底した根源の暴露に対する姿勢が、やがてより表現性を重視する時代の写真づくりへの大きな原動となってゆくことを感じさせます。

展示は「写真表現の世界I 戦後派(アプレ・ゲール)」と進んでゆきます。
こうなってくると石元泰博氏も本領を発揮してくるように思えます。市松模様のような建物の外壁でしょうか、それを背景に、ボディラインの美しいアメリカ車がしっかり構図の中で決まっており、そして車と背景の間に、行き交う人々をブラして配置した巧みな写真に圧倒されました。

この時代、東松氏、奈良原一高氏などがVIVOという表現集団をつくってゆくのですが、そんな時代の先陣をきって発表された作品がございました。
まさに、こんなところで出会えるとは! です。先日横浜市中央図書館で借りたばかりの常盤とよ子氏による「危険な毒花(三笠書房 昭和32年刊)」。このシリーズからの全紙大プリント5点。古い本の紙面が、目の前で大きく蘇ったかのようです。なんと奇遇なことでしょう。このプリントを見ることができただけで大きな収穫でございます。
ところでこの「危険な毒花」は、かつての港崎遊郭が、あちらこちら移転し続け、最後に特飲街として在った真金町や、進駐軍兵と彼らを相手にする女性たちが風景をつくる日の出町、麻薬の巣窟となっていた「(氏によって書かれた文章によりますと)XX町のあいまい宿」などを撮影したものですが、写真としては、VIVOの方々に比べると、リアリスティックであり、作ったことよりも、写したことに価値がある種類の写真なのではないかと思います。

ところでVIVOが求めていった表現性の高まりは徹底していたと思います。
細江英公氏の「おとこと女」。身体というものを徹底して描くにあたり、レンズ・ワークやプリントによるデフォルメは、その後三島由紀夫を捉える「薔薇刑」につながってゆくのだと思いますし、東松氏の「11時02分 NAGASAKI」での、破壊され、ごろごろと転がっている浦上天主堂の天使像を写した作品から醸し出される、(写真の)美しさが、恐怖を倍加させている効果など、凄いものです。

その後の写真界は、米国などからの影響もあり、もっと軽妙なコンポラ写真などへ移ってゆくのですが、それにはVIVOなどが打ち出していった過度の表現を求める態度への反動もあったのではないでしょうか。
「写真表現の世界II ブレボケ・コンポラ・私写真」へと展示は続きます。ブレボケの森山氏や、写真展示はなかったものの資料としてガラス・ケースに納めてありましたプロヴォークでの中平卓馬氏。柳沢信氏の「都市の軌跡」や、洋子夫人との月日を写した荒木経惟氏の「センチメンタルな旅」。こういった昭和の写真が在って、そして昨今の写真もあるのだということが、よく見えてきます。

次期展示は10月20日から(12月9日まで)、『第4部、「オイルショックからバブルへ」昭和50年代以降』となるようです。平成へ、そして21世紀へとつながる写真表現を、こちらも機をみてうかがいたいと思うのでした。

12:58 AM permalink | comments (0) | trackbacks (0)

October 13, 2007
  開いた姿だけが花ぢゃないはず(3)

先週借りた本を返却に横浜市中央図書館へ。小腹が減りましたので野毛の立ち呑み屋にふらりと入りましてビール小瓶と、オバチャンがその場で揚げてくださるフライを2品。お腹を満たしてしまいますと帰宅後用意された夕食を摂れず、カミサンに叱られますので、ここはグっと堪え、ほんの少しだけ召し上がることにいたします。
オバチャンにソースは普通の?辛いの?と訊かれ、辛いやつでとお願いします。この辛さがクセになります。
すっかり秋めいた涼しさの中、高温の油がジュウと鳴き、白かったコロモが、狐色になり、ソースに浸かって赤みが増すさまを眺め、そしてときどき細かい雨が落ちてくるのを気にして外を見やると、どおんどおんと太鼓の響きが遠くから近づいてきます。
ナニゴト?
と、思えば、踊りながら太鼓を叩く男性ふたり、ひとりのサンシン弾きに謡い、手踊りをする女性はふたり。沖縄のエイサーです。何故、野毛でエイサー?

どうやら、この晩は野毛流し芸というイベントが行われているのだそうです。大道芸のイベントには来たことがございますが、流しもイベント化しているんですねぇ。
さて、間に合うでしょうか、鞄からカメラを取り出し、フィルムを急いで詰めます。幸運なことに、ここ野毛小路の「立ち呑み処 フライ屋」と、向かいの「ラーメン三陽」に挟まれたところで、エイサーのグループは留まって芸を披露してくださってます。「フライ屋」さんの明かりに頼って「三陽」を背景に数枚レリーズ。

こうしてはいられません、オバチャンお勘定、600円、なんとまぁ。

野毛の路地を巡ってみますと、三味線、ときにそれは津軽だったり、江戸前っぽい音色も聴こえます。着物にアコーディオンを抱えた可愛らしい女性が、路上から、居酒屋の窓の中に向かって唄をうたって、お客のオジサンは大喜びしています。
どぜう屋の店内からは哥さんの高い声、か細く鳴く細棹。むむむ、これは新内節ではないでしょうか。新内流しが似合う町、これは現東京を探してもなかなか見つからないかも知れませんが、ここ野毛ではとても良い感じです。

この非日常な感じが、路地を巡りながら昭和なのか、江戸なのか、そのどちらでもなく、未来のできごとなのか、時間感覚を狂わせます。それが惜しい。
できることなら、この姿が日常であってほしいと、ますます好きになってきた野毛の路地に期待をしてしまいます。
そして音楽的に雑多であることは、もうこの時代ですから、仕方がないことでしょう。それでもこういったなかから、野毛的なものが育まれると、とてもよいことだと思うのです。
あ、エイサーは、ほんのときどき、イベントなどでご登場いただくだけで充分でございます。音が大きすぎますからね。

どこへ行っても、スピーカーから流れる音楽、様々な機器から発せられる電子音、いまその音は聴きたくないと思う他人のケータイ着メロ。そうではなくて、生の楽器と、生の声のよさを、素人さんではなく、玄人の芸で、楽しみたいと願うのであります。

11:59 PM permalink | comments (2) | trackbacks (0)

October 7, 2007
  開いた姿だけが花ぢゃないはず(2)

現在居住しております横浜市に隣市より越してきたのが昨年7月。町内会に入会しておりますが、意外なほど活発な町でございまして、子どもを中心にたいへんお世話になっているのです。
ご近所には、娘の幼稚園、同じクラスであったり、同じ通園バス停であったりしたことで、家族ぐるみでお付き合いをさせていただいているお宅もあり、居心地のよい場所となっております。

このような土地で、6日、7日と、地域の鎮守様の秋祭りが行われました。
このあたりは横浜と云いましても「港」を感じられる要素はひとつもない内陸部でございますが、縄文の頃は陸と海の境で、当時の陸地は台地として残っており、いにしえの複雑な海岸線を感じられるところでございます。
わたくしの家は当時の海の底、低地にございます。鎮守様は、低地から階段を上がった、台地の斜面に建てられております。その裏はちょっとした里山を思わせるほど鬱蒼とした林が広がるところ。
6日夜は娘を連れて夜店へ。くじ引きをしたり、焼きそばを食べたり、近所のオジサンに綿菓子をおごっていただいたり、娘と一緒に童心に帰って楽しんでまいりました。
7日は朝から子ども神輿が町内をめぐり、娘はまだ小さいので山車を引いてきました。わたくしはその周囲で娘や、友だちをスナップしていたのですが、友人宅のパパたちは自警消防団に加わっておりますので、神輿や山車の巡る前後で交通整理をしていたり、また隣の奥様は屋台で仕事をしていたりと、この祭りを提供する側として、時間と身体を使っていらっしゃったのが心に残りました。
わたくしも来年は、地域の子どもたちが楽しむ姿を見るために、少しの時間と身体を使って、お手伝いをさせていただきたいなと感じた週末でございました。

11:59 PM permalink | comments (6) | trackbacks (0)

October 5, 2007
  開いた姿だけが花ぢゃないはず(1)

みなとみらい線、日本大通駅を降りてすぐ、昭和4年に横浜中央電話局の局舎として建てられた歴史的建造物内にございます横浜都市発展記念館の企画展示「写された文明開化」を観にゆきました。


わたくしが古写真というものに興味を覚えましたのは、現代において湿板写真を復活させ作品制作に取り組んでいらっしゃる、菅原一剛さんの写真展「MADE IN THE SHADE」を拝見したことが機となったのでございます。
湿板写真とはなんぞや、から始まり、日本の写真開祖と称されております上野彦馬氏による湿版写真感剤製造に関する長崎大学薬学部の記事に圧倒され、念願の上野氏のプリントを今年3月に東京都写真美術館にて鑑賞できたことはたいへん貴重な体験でございました。

さて、ここ横浜は再来年の平成21年(2009)に開港150周年を向かえるにあたりまして、いまからイベントなどが多く組まれております。そのなかで開かれました今回の企画展示、オリジナル・プリントの出品が少なく、写真好きには少々残念な展示ではございましたが、開港当時の横浜の姿を垣間見ることができました。
また上野氏の展示にはございませんでした、ジンチャク(人工着色)写真を初めて見たのですが、作品によってはたいへん美しいもので、特に明治14年、本町通りに写真館を開業し、その明治中期に活躍された日下部金兵衛氏によって制作されました絹の団扇にプリント、ジンチャクされた鼓を打つ芸妓の柔らかい階調と、色調には釘付けにさせられましたこと記しておきます。


横浜都市発展記念館を退館した後、横浜公園を抜け、JR根岸線のガードをくぐり、伊勢崎町の入口をかすめ、大岡川を渡り、野毛へ、そして野毛山を登り始めてすぐの横浜市立中央図書館へいってまいりました。
目的は書棚ではなく、書庫に眠る一冊の本を求めてのこと。
戦後すぐ横浜のアンダーグランドな姿を撮った常盤とよ子氏の「危険な毒花(三笠書房)」を借りるために。

11:59 PM permalink | comments (0) | trackbacks (0)

September 11, 2007
  平面から立体を起こす

さて、わたくしの記憶の中に眠っておりました金毘羅船々音頭を蘇らせた「金刀比羅宮書院の美」展へは、忙しさもありまして上野の山へなかなか足を向けることができずにおりましたが、展示最終日の9月9日にようやっと行って参りました。
朝一番で入館するつもりでしたが、芸大に到着したのが10時半。開館から30分過ぎておりました。すると長蛇の列が美術館周囲を巡っており、50分待ちのカードが掲げられております。台風が明けてよく晴れた週末。残暑の陽射しが容赦なく照り付けてきます。折しも「東京藝術大学芸術祭2007」開催中で、模擬店の学生さんがこれみよがしに、汗を流し、列に並ぶわたくしたちを良いカモと、冷たいドリンクなどを売りに来ます。
可愛らしいお嬢さんに「冷たいラムネはいかがですかぁ」と来られれば、「あ、ひとつくださいっ」となるのが人情(か?)。「でもこの瓶持って中に入れないでしょ? 少し経ったら瓶を引取りに来てくれる?」と我侭な注文にも応えてくださり、こちらの準備は万端。いざ美術館内へ。

continue reading "平面から立体を起こす"

2:21 AM permalink | comments (0) | trackbacks (0)

September 10, 2007
  記憶の底、眠っていたあの旋律

それが高らかに胸の内に鳴り、甦ったのは先月のことでした。

わたくしが通った東京武蔵野市の小学校では、どういう経緯でそうなったのか存じ上げないのですが、或る民俗舞踊を、最上級生になりますと覚えさせられ、運動会の中で発表する慣例がございました。わたくしはそれを踊る最上級生を見ては憧れ、早く6年生となり、あの「恰好よい」舞踊を体得したいと夢見ていたのでした。

それは、少なくともわたくしには、ただ一時の遊戯ではなかったはずです。通常の(音楽)授業では得られなかった音曲感覚を味わい、地域で行われる東京音頭をはじめとする盆踊りとも少し違う舞踊感覚を感じながらも、以来あまりにも多くの年月が過ぎてしまった今日、わたくしの身体にその振り付けはまったく残っておらず、旋律も忘却の彼方、と云いますより、その舞踊の存在自体忘れかけていたのです。

ところが、旋律だけははっきりと、詞章とともに蘇ったのです。


わたくしが、思い出したその謡は、

  こんぴら ふねふね おいてに ほかけて シュラシュシュシュ
  (金毘羅  船々   追い手に 帆掛けて)
  まわれば しこくは さんしゅう なかのごおり ぞうずさん
  (詣れば  四国は  讃州    那珂の郡   象頭山)
  こんぴらだいごんげん
  (金毘羅大権現)
                              香川県民謡より


その端緒となりましたのは、こちらのブログ・エントリーを拝読したことです。

なんと金毘羅さまにある襖絵が東京に来ているではないですか。あの舞踊を習いながら、これはいつかは金刀比羅宮詣でと考えていたことも併せて蘇ってきました。もちろんその舞踊自体忘れてしまっていたわたくしが、かの地へ詣でたはずもなく、金毘羅さまには失礼つかまつっていたのでしたが、友人と山手線内でその東京藝術大学美術館で開かれております「金刀比羅宮書院の美」の広告を見、この展示には絶対に行かなければと、「この夏は、上野の山に シュラシュシュシュ」というコピーに苦笑しつつも、決意したのでした。

12:03 PM permalink | comments (2) | trackbacks (0)

August 22, 2007
  水辺のトーン

かつての東京には多くの水上生活者がいたようです。彼らは彼らの船で生活をしながら、都市機能であった舟運を担っていたのです。貨物を彼らの小型の船に移し、荷揚げ場や直接工場に輸送することが仕事で、その艀ぶね(はしけぶね)が彼らの船であり、家であったのです。今ではほとんどそういった光景をみることはなくなってしまいました。

ところで先週末、地方からの友人を迎え、東京在住の友人とともに散策に出かけました。
まずは有楽町、日本外国特派員協会にて写真展を見まして、そして銀座。中古カメラ屋や、築地場外市場を冷やかしながら、晴海通りを東へ。隅田川。勝鬨橋を渡り、月島まで。

月島でも1号地(中央区月島)と2号地(中央区勝どき)は、月島川と呼ばれる運河に隔てられております。この月島川は狭い運河ですが、それでも多くの船が係留しており、なかには「家が付属している」と思われる船の姿もございました。
散策した日、この河岸では多くの人がボラなどを釣って楽しむ光景がございました。昭和40年に生まれたわたくしにとって、東京の海や川、水路などは、油が浮き、腐臭漂う嫌な場所という印象を長く持っておりました。ところがそういった印象が変わってきた、ああ、水も段々ときれいになってきているのだなぁと思い始めたのは平成になってからです。
それでも若干の油が浮くように見える水面から、此処月島川には数多くの小魚がきらきらと水の上から注ぐ光を反射させながら泳ぐ姿を見ることができました。

月島東岸、隣の4号地(中央区晴海)を見渡せる朝潮運河近くに木材運搬の会社がございましたが、なるほど朝潮運河上、「晴月橋」の附近には護岸から延ばした桟橋だけでなく、浮き桟橋も広く造られて、作業場を感じさせる小屋や、係留された舟の姿を眺めることができ、都市としての奥行きを感じることができました。

この日の首都圏は久しぶりに雲が覆い、散策するには都合よく、月島西側から佃へ、相生橋袂から大川端リバーシティの周囲を堤防に沿ってぐるりと巡り、住吉神社へと。そして佃の水路で、これまた釣りを楽しむ人たちを見て、そうしてやってきた月島東側。
月島の路地はまさに昭和を残したままの佇まいを見せてくれましたが、陽の光が射し込む空模様ではございませんでしたので写真のフィルムはなかなか進みませんでした。路地そのものを撮るというより、わたくしは路地に射し込む光と陰を撮りたかったのです。
唯一白黒写真のトーンを描けたかなと思うのは、朝潮運河に架かります「朝潮橋」から捕らえた運河の寸景でしょうか。プリントしましたら掲載したいと考えております。

6:15 PM permalink | comments (0) | trackbacks (0)

July 28, 2007
  Star Navigation(8)

ホクレア号の日本人クルーで、写真家の内野加奈子さんは今年2007年のハワイイから日本への航海で、その最終目的地、日本の島影、正しくは沖縄の島影が見えたとき、自分に見えたものは「はじまり」だったと、旅の終わりではあるのに、そうどんなに自分に言い聞かせても、こころが感じるのは「はじまり」だったと、彼女のブログで書かれておりました。

7月27日金曜の晩、久しぶりに南青山にございますライブハウス「MANDARA」に訪れました。わたくしにホクレア号の存在を教えてくださったアーティスト、Psalmのライブを楽しみにしていたのです。
ここMANDARAは、サウンドにうるさいミュージシャンも多く出演しておりますし、アコースティックものも数多く、Psalmのような25弦琴と、ヴォーカル・パフォーマンスによる音楽も、上手に鳴らせてくれると期待はしておりますが、それでもPsalmをはじめて観たときは完全生音によるライブでありましたので、PAを通した彼女たちの演奏に触れるのは今回で初めて。あの完全生音で伝わってきた心地よい世界観がどれだけ伝わってくるのかは全く未知数なのでございました。

ところがオープニング曲が始まりますと、まずヴォーカルの玉井夕海さんの艶やかで、伸びのある歌声が、しっかりとわたくしの心を捕らえました。拾音が難しい琴の音もまずまずでございました。いや、そんなことはどうでもよくて、かりんさんの、曲とともに流れ、刻み、謡い、跳ねる、琴の調べは創造的で、そのアレンジの秀逸さは琴という古の楽器の、新しい響きを求めて止みませんでした。そしてお二人の声は、上になり下になり、聴かせどころを心得たハーモニー・アレンジを伴って、それを聴くわたくしたちの心を海へ、空へ導いてゆくのでした。

途中、わたしたちのわらべ歌をPsalmアレンジにて数曲披露されるコーナーもありまして、これはどうやらシリーズ化してゆきたいとのこと。レパートリーが充分に揃えば、企画ものの録音物ができてしまいそうなクオリティでしたので、とても楽しみなシリーズとなります。

さて、この夏、彼女たちPsalmは旅に出るのだそうです。8月15日、北海道・二風谷を皮切りに、夕張、札幌、江別。新潟、富山、彦根、一宮、福井・武生、京都、大坂・築港、枚方、神戸、岡山・玉野、今治、高松、福岡、長崎、熊本、そして9月29日天草へと。
この旅を通じて、彼女たちはなにに出会うのでしょう。そして表現はどうなってゆくのでしょう。まったく興味が尽きません。
もしこのブログを読んでくださっている方で、お近くにお住まいの方がいらっしゃいましたら、是非ライブ会場へ行かれることをお勧めいたします。まだ詳細等明確になっていない会場もあるようですので、わたくし宛にメールをくだされば、間にはいって、メッセンジャー役を担わせていただきたく存じます。

またこの旅に先立ち、去る7月20日のライブ(こちらにも行きたかったのですが、仕事が抜けられず残念でした。)より、ミニアルバムのCDがライブ会場で販売開始されました。わたくしもMANDARAの会場にて購入し、帰宅直後聴いてみましたが、ミニアルバムではもったいない、もっともっと聴いていたい気にさせられました。逆に云いますと全5曲のミニアルバムだからこそ、彼女たちの魅力が凝縮され、同時に飢餓感も与えられる内容なのだと思います。

psalm_cd0707.jpg

この夏の旅が、Psalmにとって、忘れられない時間となりますことを願ってやみません。

11:59 PM permalink | comments (0) | trackbacks (0)

July 27, 2007
  いま、そこに咲く花(4)

いま、そこに咲く花(1)」というエントリーをアップしましたとき、最近神楽坂ははちょっとしたブームになっていますというコメントをお寄せいただき、流行に疎いわたくしは最近頓に路地見学者が多くなりましたことを思い浮かべ、ほう、と膝を叩いた次第でございます。
確かにJR飯田橋駅ビル内や、地下鉄神楽坂駅近く坂上の商店街にございます書店をのぞいてみますと、店頭には所謂神楽坂本が、すなわち街や、そこで営まれている飲食店などを紹介している雑誌やムック本がいく種も積み重ねられております。
そういった本を購入することはありませんが、それでも店頭にて、ぱら、ぱらとページを捲りますと、この街を代表するような光景が写真で紹介されております。
事程左様に、この街の景色は多くの人に伝えられており、まだ訪れたことがない方々でも、それらの本や雑誌を手にすることによりまして、此処の風趣の一片は感じ取っているのだと思います。

ところで、わたくしは今週三遍ほど、仕事が終り次第、この街を訪れていました。
少し前より、この街を写すアプローチをはじめ、ようやっとわたくしなりのこの街の伝え方が、その映像イメージが固まってきたのです。もちろんそのイメージは神楽坂本には載らないような種のものでございます。
折しもあれ、25日水曜日からは「神楽坂祭り」が始まり、多くの人で賑わっておりました。撮影はまず月曜日、暗く、人通りの少ない路地にて、露光のテスト。充分にディープシャドウを満たす値を探るべく即現像してネガの様子を確認いたしました。そして水曜、木曜と、祭りのメイン会場であります毘沙門さま、そして表通りだけでなく路地の隅々まで人々で賑わうなか、黙々と撮影をしておりました。
イメージした方向性はよろしいようですが、完成させるまではもうひと息といったところでしょう。このイメージは夏場を逃すと辛くなりますので、この時期が過ぎてしまいますと、また来年に再挑戦ということになります。写真制作とはかくも時間が掛かるものですね。

6:05 PM permalink | comments (0) | trackbacks (0)

July 15, 2007
  佃島

さて、家康から江戸向島と呼ばれた洲を拝領した森孫右衛門ら一行は、そこを出身地にちなみ「佃島」と名付け造成工事に取り掛かりました。そして15年もの歳月を掛けまし