フォーラムの友人たちと、東京都写真美術館へ出掛け、そして8月に観た『「昭和」写真の1945-1989』シリーズの続編、『第3部、昭和30・40年代(2)「高度成長期」』を楽しんでまいりました。
変わりゆく都市、デモ、公害病を患う人たち、この時期の写真として、これらジャーナリスティックな視線は外せないところでしょう。
多くの写真家の作品が出品され、さすが写美、といった展示の中で、特に目を惹いたのは、まず植田正治氏の「くもり日・床屋のある町角」です。わたくし、不遜なことに、植田氏の写真、とくに有名な「砂丘」のシリーズなどは退屈と思っていたのですが、ここに展示された写真、そのプリントの美しさといいましたら、まったくわたくし好みなのでございます。この写真は「童暦」という作品集からのもののようで、シリーズ全体をオリジナル・プリントで拝見したいなと思ったのでした。
長野重一氏の作品は構図が素晴らしく、う~ん、と唸らせる写真が多々出品されておりました。
森山大道氏の有名な、あまりに有名な「東京IC」。高速道内のトンネルを走る車中から写したものといえば、ああ、あれね、とピンとくる方も多いかと思います。この作品、かつてもオリジナル・プリントを観ているはずなのですが、こんなに良かったとは! 印刷物では決して伝わってこない、微妙なブレなのか、それが突き抜けるスピードをこれ以上になく表していると思いました。さすがに上手い方ですね。
建設中の東京タワーを石元泰博氏が撮っていました。わたくしは石本氏の写真が好きなのですが、これは過剰に美しく、かえって東京タワーを建ててゆく猛烈なパワーというものを減じてしまっていると残念に感じました。
そして東松照明氏による「公害の源流 足尾鉱山より」が圧巻でございました。作り過ぎ、とも受け取れますが、その徹底した根源の暴露に対する姿勢が、やがてより表現性を重視する時代の写真づくりへの大きな原動となってゆくことを感じさせます。
展示は「写真表現の世界I 戦後派(アプレ・ゲール)」と進んでゆきます。
こうなってくると石元泰博氏も本領を発揮してくるように思えます。市松模様のような建物の外壁でしょうか、それを背景に、ボディラインの美しいアメリカ車がしっかり構図の中で決まっており、そして車と背景の間に、行き交う人々をブラして配置した巧みな写真に圧倒されました。
この時代、東松氏、奈良原一高氏などがVIVOという表現集団をつくってゆくのですが、そんな時代の先陣をきって発表された作品がございました。
まさに、こんなところで出会えるとは! です。先日横浜市中央図書館で借りたばかりの常盤とよ子氏による「危険な毒花(三笠書房 昭和32年刊)」。このシリーズからの全紙大プリント5点。古い本の紙面が、目の前で大きく蘇ったかのようです。なんと奇遇なことでしょう。このプリントを見ることができただけで大きな収穫でございます。
ところでこの「危険な毒花」は、かつての港崎遊郭が、あちらこちら移転し続け、最後に特飲街として在った真金町や、進駐軍兵と彼らを相手にする女性たちが風景をつくる日の出町、麻薬の巣窟となっていた「(氏によって書かれた文章によりますと)XX町のあいまい宿」などを撮影したものですが、写真としては、VIVOの方々に比べると、リアリスティックであり、作ったことよりも、写したことに価値がある種類の写真なのではないかと思います。
ところでVIVOが求めていった表現性の高まりは徹底していたと思います。
細江英公氏の「おとこと女」。身体というものを徹底して描くにあたり、レンズ・ワークやプリントによるデフォルメは、その後三島由紀夫を捉える「薔薇刑」につながってゆくのだと思いますし、東松氏の「11時02分 NAGASAKI」での、破壊され、ごろごろと転がっている浦上天主堂の天使像を写した作品から醸し出される、(写真の)美しさが、恐怖を倍加させている効果など、凄いものです。
その後の写真界は、米国などからの影響もあり、もっと軽妙なコンポラ写真などへ移ってゆくのですが、それにはVIVOなどが打ち出していった過度の表現を求める態度への反動もあったのではないでしょうか。
「写真表現の世界II ブレボケ・コンポラ・私写真」へと展示は続きます。ブレボケの森山氏や、写真展示はなかったものの資料としてガラス・ケースに納めてありましたプロヴォークでの中平卓馬氏。柳沢信氏の「都市の軌跡」や、洋子夫人との月日を写した荒木経惟氏の「センチメンタルな旅」。こういった昭和の写真が在って、そして昨今の写真もあるのだということが、よく見えてきます。
次期展示は10月20日から(12月9日まで)、『第4部、「オイルショックからバブルへ」昭和50年代以降』となるようです。平成へ、そして21世紀へとつながる写真表現を、こちらも機をみてうかがいたいと思うのでした。
12:58 AM permalink | comments (0) | trackbacks (0)
先週借りた本を返却に横浜市中央図書館へ。小腹が減りましたので野毛の立ち呑み屋にふらりと入りましてビール小瓶と、オバチャンがその場で揚げてくださるフライを2品。お腹を満たしてしまいますと帰宅後用意された夕食を摂れず、カミサンに叱られますので、ここはグっと堪え、ほんの少しだけ召し上がることにいたします。
オバチャンにソースは普通の?辛いの?と訊かれ、辛いやつでとお願いします。この辛さがクセになります。
すっかり秋めいた涼しさの中、高温の油がジュウと鳴き、白かったコロモが、狐色になり、ソースに浸かって赤みが増すさまを眺め、そしてときどき細かい雨が落ちてくるのを気にして外を見やると、どおんどおんと太鼓の響きが遠くから近づいてきます。
ナニゴト?
と、思えば、踊りながら太鼓を叩く男性ふたり、ひとりのサンシン弾きに謡い、手踊りをする女性はふたり。沖縄のエイサーです。何故、野毛でエイサー?
どうやら、この晩は野毛流し芸というイベントが行われているのだそうです。大道芸のイベントには来たことがございますが、流しもイベント化しているんですねぇ。
さて、間に合うでしょうか、鞄からカメラを取り出し、フィルムを急いで詰めます。幸運なことに、ここ野毛小路の「立ち呑み処 フライ屋」と、向かいの「ラーメン三陽」に挟まれたところで、エイサーのグループは留まって芸を披露してくださってます。「フライ屋」さんの明かりに頼って「三陽」を背景に数枚レリーズ。
こうしてはいられません、オバチャンお勘定、600円、なんとまぁ。
野毛の路地を巡ってみますと、三味線、ときにそれは津軽だったり、江戸前っぽい音色も聴こえます。着物にアコーディオンを抱えた可愛らしい女性が、路上から、居酒屋の窓の中に向かって唄をうたって、お客のオジサンは大喜びしています。
どぜう屋の店内からは哥さんの高い声、か細く鳴く細棹。むむむ、これは新内節ではないでしょうか。新内流しが似合う町、これは現東京を探してもなかなか見つからないかも知れませんが、ここ野毛ではとても良い感じです。
この非日常な感じが、路地を巡りながら昭和なのか、江戸なのか、そのどちらでもなく、未来のできごとなのか、時間感覚を狂わせます。それが惜しい。
できることなら、この姿が日常であってほしいと、ますます好きになってきた野毛の路地に期待をしてしまいます。
そして音楽的に雑多であることは、もうこの時代ですから、仕方がないことでしょう。それでもこういったなかから、野毛的なものが育まれると、とてもよいことだと思うのです。
あ、エイサーは、ほんのときどき、イベントなどでご登場いただくだけで充分でございます。音が大きすぎますからね。
どこへ行っても、スピーカーから流れる音楽、様々な機器から発せられる電子音、いまその音は聴きたくないと思う他人のケータイ着メロ。そうではなくて、生の楽器と、生の声のよさを、素人さんではなく、玄人の芸で、楽しみたいと願うのであります。
11:59 PM permalink | comments (2) | trackbacks (0)
現在居住しております横浜市に隣市より越してきたのが昨年7月。町内会に入会しておりますが、意外なほど活発な町でございまして、子どもを中心にたいへんお世話になっているのです。
ご近所には、娘の幼稚園、同じクラスであったり、同じ通園バス停であったりしたことで、家族ぐるみでお付き合いをさせていただいているお宅もあり、居心地のよい場所となっております。
このような土地で、6日、7日と、地域の鎮守様の秋祭りが行われました。
このあたりは横浜と云いましても「港」を感じられる要素はひとつもない内陸部でございますが、縄文の頃は陸と海の境で、当時の陸地は台地として残っており、いにしえの複雑な海岸線を感じられるところでございます。
わたくしの家は当時の海の底、低地にございます。鎮守様は、低地から階段を上がった、台地の斜面に建てられております。その裏はちょっとした里山を思わせるほど鬱蒼とした林が広がるところ。
6日夜は娘を連れて夜店へ。くじ引きをしたり、焼きそばを食べたり、近所のオジサンに綿菓子をおごっていただいたり、娘と一緒に童心に帰って楽しんでまいりました。
7日は朝から子ども神輿が町内をめぐり、娘はまだ小さいので山車を引いてきました。わたくしはその周囲で娘や、友だちをスナップしていたのですが、友人宅のパパたちは自警消防団に加わっておりますので、神輿や山車の巡る前後で交通整理をしていたり、また隣の奥様は屋台で仕事をしていたりと、この祭りを提供する側として、時間と身体を使っていらっしゃったのが心に残りました。
わたくしも来年は、地域の子どもたちが楽しむ姿を見るために、少しの時間と身体を使って、お手伝いをさせていただきたいなと感じた週末でございました。
11:59 PM permalink | comments (6) | trackbacks (0)
みなとみらい線、日本大通駅を降りてすぐ、昭和4年に横浜中央電話局の局舎として建てられた歴史的建造物内にございます横浜都市発展記念館の企画展示「写された文明開化」を観にゆきました。
わたくしが古写真というものに興味を覚えましたのは、現代において湿板写真を復活させ作品制作に取り組んでいらっしゃる、菅原一剛さんの写真展「MADE IN THE SHADE」を拝見したことが機となったのでございます。
湿板写真とはなんぞや、から始まり、日本の写真開祖と称されております上野彦馬氏による湿版写真感剤製造に関する長崎大学薬学部の記事に圧倒され、念願の上野氏のプリントを今年3月に東京都写真美術館にて鑑賞できたことはたいへん貴重な体験でございました。
さて、ここ横浜は再来年の平成21年(2009)に開港150周年を向かえるにあたりまして、いまからイベントなどが多く組まれております。そのなかで開かれました今回の企画展示、オリジナル・プリントの出品が少なく、写真好きには少々残念な展示ではございましたが、開港当時の横浜の姿を垣間見ることができました。
また上野氏の展示にはございませんでした、ジンチャク(人工着色)写真を初めて見たのですが、作品によってはたいへん美しいもので、特に明治14年、本町通りに写真館を開業し、その明治中期に活躍された日下部金兵衛氏によって制作されました絹の団扇にプリント、ジンチャクされた鼓を打つ芸妓の柔らかい階調と、色調には釘付けにさせられましたこと記しておきます。
横浜都市発展記念館を退館した後、横浜公園を抜け、JR根岸線のガードをくぐり、伊勢崎町の入口をかすめ、大岡川を渡り、野毛へ、そして野毛山を登り始めてすぐの横浜市立中央図書館へいってまいりました。
目的は書棚ではなく、書庫に眠る一冊の本を求めてのこと。
戦後すぐ横浜のアンダーグランドな姿を撮った常盤とよ子氏の「危険な毒花(三笠書房)」を借りるために。
11:59 PM permalink | comments (0) | trackbacks (0)