それらは盂蘭盆のころには既に佃小橋の両詰めに四箇所、そして小橋から隅田川に向かう此処のメインストリートの先、土手沿いに二箇所のあわせて六箇所に組まれ、設置されておりました。
佃の住吉様の三年にひとたびやって参ります本祭りのための幟旗をあげるための、それはそれは巨大な幟でして、確実に隅田川対岸の湊からは、そしてかつては恐らく築地本願寺あたりからでも優に見えたでありましょう、壮麗な幟、それらを掲げる旗竿を支えるよう組まれました基部。それらの非日常的な姿、それでも使い込まれた感のありますするりとした木の肌に親和感を覚えるほどのものがございました。
これらの基部を為す木材は、祭りの前の大潮の日、佃の掘割から掘り出され、そうして祭りに備えるのだそうです。そういえば江東区の和舟の船頭さんが仰っておりました。木は海水に浸けておくことで長くもつと。この木材たち、いったいどのくらい昔から使われているのでしょうか。まさか江戸のころからでしょうか。
さて、住吉様の祭りに一緒にと、ご近所ブログの方に誘われたのですが、生憎八月の二日には別の用事がございまして、まことに残念ながらご辞退申しあげたのですが、辞する旨をお伝えしたら急に佃が殊更に愛おしくなりまして八月一日に茅場町へ用事で出たあと、午後の暑い日差しを浴びる幟旗の下へ、ひとり、立っていたのでした。あちらでもこちらでも、まだ忙しく準備に奔走する人々を見かけ、たまらないものがこみ上げ、実際目頭があつくなってきてしまい困ったものでした。
残念至極な日を挟み、八月三日早朝。始発電車で佃へ向かい、船渡御、すなわち氏子地域を廻るため神輿を筏に載せて川をゆく行事を見せていただくため隅田川に架かります佃大橋上へとゆきました。遠くからではあまり事の成りゆきは判りませぬが、粛々と行なわれる神事を待ち、そして筏が岸を離れますと橋の上におります多くの人々から拍手がおこりました。(水上警察だか、消防の船が亀島川河口近くから、色つきの水を放水していたのは、祝賀の意味をこめていたと云えども、なんとも垢抜けないことのように感じましたが、、、)神輿の上に載りました鳳凰が川の風を浴びて、心地よさそうに尾を揺らす様が、長いレンズの先に見えてまいりました。
この日、仕事があったため神輿を載せた筏が勝鬨のほうへ下ってゆくのを見届け佃を離れたのでした。
半月ほど経ちました八月十七日。この日は大潮。佃小橋の下の掘割も水が大きく引くこの日にあわせ、あの大きな幟旗を支えた基部の木材を堀の下へ埋める作業があるとのことで、予定時刻の八時、その少し前に、またまた佃に現れてみましたが、職人さんの話しによれば、今日は潮の引きが遅いと、実作業は九時からかなぁとのこと。それでも堀に浮く、筏状に並べられた木材のうえに塩をまき、御神酒を堀に注ぐ様子(決して神主さんがやってきて粛々と行なうのではなく、職人たちがまるで堀にホースを降ろし、筏のロープを調整するかのごとく、一連の作業の流れの中で行なわれたのでした。)を見ていましたら重機がやってまいりました。このクレーン車で筏を吊り上げるのでしょう。掘りを区切りました埋める処からもポンプを使い水を強制的に排出する作業も始まりましたが、わたくしはこの日訪れる、もうひとつの場所へ向かうために、これまた残念ではございましたが、佃の掘りをあとにしたのでした。
11:59 PM permalink | comments (0) | trackbacks (0)
月日は百代の過客なので、ああもう、あれから1年が経ってしまったのだと呆気に取られることが多くなってまいりました。
佃島へゆきますと、今年は住吉様の例祭が3年に一度の本祭りであることから、お社を中心として、1丁目町内、殊に佃掘りの周囲は、その準備が進んでいるようです。
普段から静かなこの町内が、神聖な雰囲気に包まれてゆくなか、東京では唯一、念仏踊りの様を残す、此処の盆踊りを見に、13日からの3夜連続で行なわれるうち、14日にほんの少しだけ、そして15日にたっぷりと、ここの住民の方々によってたいせつに執り行なわれる祭りを、そおっと楽しませてもらいました。
まず、しなくてはいけなかったことは精霊棚の無縁仏に手を合わせることでした。
そして踊りの様子をたくさん写真におさめてきたのですが、それはまた後日、紹介できるものがあればエントリーしたく考えております。
それまでは、しばし、昨年のエントリーをご参考にしていただきたく思います。
・平成19年7月15日エントリー「佃島」
・平成19年7月19日エントリー「人も草木も盛りが花よ(1)」
・平成19年7月21日エントリー「人も草木も盛りが花よ(2)」
・平成19年7月23日エントリー「人も草木も盛りが花よ(3)」
因みに、上記「佃島」のエントリーへ話しをもってゆくための導入部(笑)、「祖父の顔、祖父の写真」、「日本橋魚河岸」も、お時間のある方はどうぞご覧くださいませ。
6:13 PM permalink | comments (0) | trackbacks (0)
佃小橋・西詰めのさくらは、枝垂桜であったと、佃に訪れて間もないわたくしは、昨日はじめて気付いたのでした。
もんじゃを食べにゆこうよ、と娘を半ば強引に誘い、ふたりで月島西仲通り商店街へ繰り出しました。折しも地元の方々によります「花まつり」が行なわれており、鼓笛隊などが商店街をパレードしておりました
日頃テレビを見る習慣がないものですから、すっかり忘れておりましたが、既にこの4月から始まっております新しい連続テレビ小説の舞台が、月島、佃島であったのでした。そのドラマを見て、この週末はと繰り出す人々で賑わっているのかな、と思いきや、左程ではございませんで、いつもの週末の人出くらいであったでしょうか。
食後は、これは高速道路? と尋ねる娘に、これは川を越える橋だよ、ついでにあっちの道路も越えて、、、と応えながら、佃大橋をくぐり、佃1丁目へ。
佃掘の端を見せ、川の終点だよと教えるも、娘の興味は、そこに隣接する児童公園にあるようで、滑り台、ぶらんこ、シーソー、鉄棒、そして檻で囲まれた砂場と、ひととおり遊んでゆくのでした。遊具に飽きますと今度は、散った桜のはなびらを小さな掌いっぱいに集め、それを佃掘へ、紙ふぶきでも投げるかのように舞わせて遊びはじめました。
桜花は、もう半ば散っており、満開の美しさを望めないのは百も承知ではございましたが、それでも尾崎波除稲荷脇の1本だけはちょうど良い加減で、娘を遊ばせたまま、わたくしはその木の下のベンチで、穏やかな陽を浴びて寛ぐよい時間を過ごしたのでした。
実家の父がうまい佃煮を食べたいと云っていたのを思い出し、うちの、と云いますか、わたくしの分と併せて、今回は丸久さんで「はぜ」のものを一ト掬い、いただいてきました。
佃煮は、もちろん熱々のご飯との相性は云うまでもございませんが、わたくしは、つけたお銚子の友にするのでいけません。
そして階段を昇り、隅田川へ。娘ははじめて見るのでしょう、日曜ですから仕事の船はいなかったものの、屋形船、水上バス、個人のクルーザーや小さな釣り船など、たくさんの船が往来する川。
娘は、昨年、通っている体操クラブの(親は同行しない)1日キャンプ(遠足?)で、横須賀の猿島へ行ったとき、渡しの船(高速船)が相当気にいったらしく、以来船好きになったのは、やはりわたくしの血をひいているからでしょうか。
そんな娘には、今度機会があれば、人生スピードだけじゃぁないんだよと、和舟に乗せようとけしかけているのです。
11:27 PM permalink | comments (10) | trackbacks (0)
月島での散策で、かつての水上生活者のことに興味を持ちまして参考になるような図書がないか、探しましたところ隅田川文庫というところで「水上学校の昭和史-船で暮らす子どもたち(石井昭示著/隅田川文庫)」という四六判ソフトカバーの書籍が刊行されておりました。検索をしてみますと勤務地区内の(中央扱い)図書館に蔵書されておりましたので、最寄館より取り寄せていただき、昨日お借りしてきました。
早速読み始めてみますと、水上学校に通った子どもたちの作文を紹介しつつ、そこから見出せる彼らの生活を、社会状況を含めて解説してゆく、とても丁寧に書かれた本であるようです。
子どもたちの作文は、もちろんこの本を書き進めてゆくために数多くのなかから選択されたほんのわずかな文章であり、編集過程を経て出来上がった本であることを解っていながらも、なおかつ胸が熱くなってくるものがございました。そこには水の怖さと、自然の美しさと、そして家族の絆の素晴らしさがあり、船内の不衛生と、若年から仕事を手伝わなければならぬ環境があり、斯様な生きた人々の生活そのものが謳歌されていたからです。
水上学校は、増えつつあった水上生活者の子どもたちに就学させる機会を与えるべく、全寮制として1930(昭和5)年に現中央区勝どき1-11に開校、戦中の1943(昭和18)年、深川(現江東区塩浜1-3)に分校を開きましたが、陸運の台頭、世情の変化に伴い、1966(昭和41)年3月に歴史的使命を終え廃校となりました。
現在は河川法により、河川を、排他的独占的に使用してはならない、とありますので居住空間として利用することができません。既に水上生活者が居なくなって久しく、そして水上学校もなき今日、この「水上学校の昭和史」を1ページ1ページ捲ってゆきますと、往時の面影をとくに強く残すと云われております月島川と、朝潮運河に、心惹かれる思いが強まるのでした。
9:18 PM permalink | comments (2) | trackbacks (0)
(click on the image for enlarged)
"朝潮運河の寸景"
Aug '07, @Tsuki-shima, Chuo-ku, Tokyo.
Taken with the Nikon new FM-2 with the Nikkor 50mm f1.4 lenz.
Fuji Neopan 1600 Super Presto @EI 800, dev in Kodak X-tol (1:3)
Kentmere Fineprint VC, FG Warmtone, dev in customized D-72(1:3)
11:59 PM permalink | comments (10) | trackbacks (0)
かつての東京には多くの水上生活者がいたようです。彼らは彼らの船で生活をしながら、都市機能であった舟運を担っていたのです。貨物を彼らの小型の船に移し、荷揚げ場や直接工場に輸送することが仕事で、その艀ぶね(はしけぶね)が彼らの船であり、家であったのです。今ではほとんどそういった光景をみることはなくなってしまいました。
ところで先週末、地方からの友人を迎え、東京在住の友人とともに散策に出かけました。
まずは有楽町、日本外国特派員協会にて写真展を見まして、そして銀座。中古カメラ屋や、築地場外市場を冷やかしながら、晴海通りを東へ。隅田川。勝鬨橋を渡り、月島まで。
月島でも1号地(中央区月島)と2号地(中央区勝どき)は、月島川と呼ばれる運河に隔てられております。この月島川は狭い運河ですが、それでも多くの船が係留しており、なかには「家が付属している」と思われる船の姿もございました。
散策した日、この河岸では多くの人がボラなどを釣って楽しむ光景がございました。昭和40年に生まれたわたくしにとって、東京の海や川、水路などは、油が浮き、腐臭漂う嫌な場所という印象を長く持っておりました。ところがそういった印象が変わってきた、ああ、水も段々ときれいになってきているのだなぁと思い始めたのは平成になってからです。
それでも若干の油が浮くように見える水面から、此処月島川には数多くの小魚がきらきらと水の上から注ぐ光を反射させながら泳ぐ姿を見ることができました。
月島東岸、隣の4号地(中央区晴海)を見渡せる朝潮運河近くに木材運搬の会社がございましたが、なるほど朝潮運河上、「晴月橋」の附近には護岸から延ばした桟橋だけでなく、浮き桟橋も広く造られて、作業場を感じさせる小屋や、係留された舟の姿を眺めることができ、都市としての奥行きを感じることができました。
この日の首都圏は久しぶりに雲が覆い、散策するには都合よく、月島西側から佃へ、相生橋袂から大川端リバーシティの周囲を堤防に沿ってぐるりと巡り、住吉神社へと。そして佃の水路で、これまた釣りを楽しむ人たちを見て、そうしてやってきた月島東側。
月島の路地はまさに昭和を残したままの佇まいを見せてくれましたが、陽の光が射し込む空模様ではございませんでしたので写真のフィルムはなかなか進みませんでした。路地そのものを撮るというより、わたくしは路地に射し込む光と陰を撮りたかったのです。
唯一白黒写真のトーンを描けたかなと思うのは、朝潮運河に架かります「朝潮橋」から捕らえた運河の寸景でしょうか。プリントしましたら掲載したいと考えております。
6:15 PM permalink | comments (0) | trackbacks (0)
明日18日、地方に住む友人を迎え、東京・月島へ撮影散歩に行きます。
15日に下歩きをしてみたのですが、もんじゃ効果で観光地化した西仲通りではなく、東側、晴海を見渡せる朝潮運河や、勝どき地区とを隔てる月島川を中心に案内してみようと考えています。その後、佃を経て、西仲通りへ、もんじゃを食べて1日を締めるというコースを描いております。

"Taken with the ke-tai."
上の画像は勝どき地区。勝どき3丁目の背に巨大ビルが迫った古い路地。
この勝どき地区では、1丁目の路地は一掃されてしまい、白いフェンスに覆われておりました。そして都営地下鉄勝どき駅をあがった清澄通り沿い(勝どき1丁目8~9のあたり)には2階建てのテナント建物がほぼ出来上がっており、味気のない無機質さを増しておりました。
月島の様子は、あらためてエントリーいたします。
6:52 PM permalink | comments (6) | trackbacks (0)
(click on the image for enlarged)
"人も草木も盛りが花よ(3)"
July '07, @Tsukuda, Chuo-ku, Tokyo.
Taken with the Nikon new FM-2 with the Nikkor 85mm f2 lenz.
Fuji Neopan 1600 Super Presto @EI 1600, dev in Kodak X-tol (1:3)
Ilford MG4 RC, Pearl, dev in Home brewed D-72 (1:2)
3:08 AM permalink | comments (2) | trackbacks (0)
(click on the image for enlarged)
"人も草木も盛りが花よ(2)"
July '07, @Tsukuda, Chuo-ku, Tokyo.
Taken with the Nikon new FM-2 with the Nikkor 85mm f2 lenz.
Fuji Neopan 1600 Super Presto @EI 1600, dev in Kodak X-tol (1:3)
Ilford MG4 RC, Pearl, dev in Home brewed D-72 (1:2)
11:56 AM permalink | comments (6) | trackbacks (0)
(click on the image for enlarged)
"人も草木も盛りが花よ(1)"
July '07, @Tsukuda, Chuo-ku, Tokyo.
Taken with the Nikon new FM-2 with the Nikkor 35mm f2 lenz.
Fuji Neopan 1600 Super Presto @EI 1600, dev in Kodak X-tol (1:3)
Ilford MG4 RC, Pearl, dev in Home brewed D-72 (1:2)
※失礼しました。アップしたとき、85mmレンズで撮影と記しましたが、これは35mmレンズでの撮影でした。
11:53 PM permalink | comments (0) | trackbacks (0)
さて、家康から江戸向島と呼ばれた洲を拝領した森孫右衛門ら一行は、そこを出身地にちなみ「佃島」と名付け造成工事に取り掛かりました。そして15年もの歳月を掛けまして正保元年(1644)に完成させることになります。漁民(ただの漁民ではなく、軍事行動にも参加していたので海賊であったという説もございます)が測量、土木、建築という専門工事を為してゆくのは、まったくたいへんな事業だったのでしょう。
ところがその特殊技術は、さらに活かされることになります。
彼らは本願寺教団の信徒であったのだそうですが、元和3年(1617)江戸浅草近くの横山町に建った江戸浅草御坊、本願寺別院は、振袖火事と呼ばれる明暦(1657)の大火によって消失しました。
そこで当時の佃島の名主忠兵衛が奔走しまして、佃島に近い海際への移築を働きかけます。そして再び海を埋め立てて土地を築き、すなわち築地ができ、そこに再建し本願寺別院は築地御坊として延宝8年(1680)に完成となりました。
そのころより、佃島では、踊りながら念仏を唱える踊念仏をルーツとする祖先の例を祀る行事を、七月の盂蘭盆の頃に行っておりました。
そして驚くことに、その踊りは現在に至るまで伝承され、今年も先日7月13日(予定では15日までの3日間でした)に東京では唯一、全国的にも珍しい、念仏踊りによる盆踊りが行われています。
3:28 PM permalink | comments (0) | trackbacks (0)