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"水路をゆく/神田川/柳橋・浅草橋(6)"
Oct '07, @Kanda-gawa, Tokyo.
Taken with the Nikon new FM-2 with the Nikkor 35mm f2 lenz.
Fuji Neopan 1600 Super Presto @EI 800, dev in Kodak X-tol (1:3)
Fuji Varigrade WP AM, dev in Fuji Korectol E (1:1)
※懲りずに、またまた船宿景でございます。ようやっと浅草橋をくぐった上流側にやってまいりました。
このあとは、スピードアップで上ってゆきます。
12:22 PM permalink | comments (0) | trackbacks (0)
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"水路をゆく/神田川/柳橋・浅草橋(5)"
Oct '07, @Kanda-gawa, Tokyo.
Taken with the Nikon new FM-2 with the Nikkor 35mm f2 lenz.
Fuji Neopan 1600 Super Presto @EI 800, dev in Kodak X-tol (1:3)
Fuji Varigrade WP AM, dev in Fuji Korectol E (1:1)
8:06 PM permalink | comments (0) | trackbacks (0)
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"水路をゆく/神田川/柳橋・浅草橋(4)"
Oct '07, @Kanda-gawa, Tokyo.
Taken with the Nikon new FM-2 with the Nikkor 35mm f2 lenz.
Fuji Neopan 1600 Super Presto @EI 800, dev in Kodak X-tol (1:3)
Fuji Varigrade WP AM, dev in Fuji Korectol E (1:1)
これは柳橋・浅草橋(2)と同じアプローチですね。船宿パレードということでご了承くださいませ。
3:04 PM permalink | comments (0) | trackbacks (0)
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"水路をゆく/神田川/柳橋・浅草橋(3)"
Oct '07, @Kanda-gawa, Tokyo.
Taken with the Nikon new FM-2 with the Nikkor 35mm f2 lenz.
Fuji Neopan 1600 Super Presto @EI 800, dev in Kodak X-tol (1:3)
Fuji Varigrade WP AM, dev in Fuji Korectol E (1:1)
10:43 AM permalink | comments (0) | trackbacks (0)
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"水路をゆく/神田川/柳橋・浅草橋(2)"
Oct '07, @Kanda-gawa, Tokyo.
Taken with the Nikon new FM-2 with the Nikkor 35mm f2 lenz.
Fuji Neopan 1600 Super Presto @EI 800, dev in Kodak X-tol (1:3)
Fuji Varigrade WP AM, dev in Fuji Korectol E (1:1)
1:05 PM permalink | comments (2) | trackbacks (0)
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"水路をゆく/神田川/柳橋(1)"
Oct '07, @Kanda-gawa, Tokyo.
Taken with the Nikon new FM-2 with the Nikkor 35mm f2 lenz.
Fuji Neopan 1600 Super Presto @EI 800, dev in Kodak X-tol (1:3)
Fuji Varigrade WP AM, dev in Fuji Korectol E (1:1)
※2007.10.31. 画像をセレニウム調色を施したものに差し替えました。
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continue reading "川からは空が見えるのが望ましい(2)"
11:47 AM permalink | comments (2) | trackbacks (0)
ご由緒が平安期より連なる鳥越神社(台東区鳥越2丁目)。その崇敬者各戸に配られました形代は、各人の無病息災と身の穢れを託され、6月30日の夕刻までに再びお社に集められるのだそうです。
そうして、午後8時より、社前に飾られた茅の輪(ガマの穂で出来た大きな輪)を人々がくぐり、身の汚れをお祓いして参詣をする「茅の輪くぐり」の神事が執り行われます。
翌7月1日、祭壇を飾った御座舟に、前日に集められました形代を積み、柳橋河岸にある全ての船宿の屋形船とともに、大川を上るのではなく、下りゆきて、東京湾の沖合いにて、水上祭の神事が執り行われます。夏越し大祓いです。
初めて見ました。柳橋から、浅草橋を超えて、次の左衛門橋までに並ぶ全ての船宿の屋形船が、鳥越さまの氏子連を乗せ、次々と大川に出てゆく様は圧巻でございました。
ところでこの神事、河岸から見ているのでは実に詰まらないです。これはやはり参加しなくてはと思いますが、横浜市に住むよそ者には、なかなかそのような機会は得られないでしょうね。
次は7月5日に神田明神さまの同様の神事が、これは夕刻よりございます。この日は全船宿をあげてという規模ではないようですが、舟運が寂れてしまった平成の大川におきましては、屋形船が活躍する、そんな時代なのでございますね。
(撮影メモ:7月1日、午前10時ごろより、および午後1時ごろより、Super Presto 1600 @EI 800.)
11:59 PM permalink | comments (0) | trackbacks (0)
「吉原御免状」という小説があることを最近のお気に入りのブログから知りまして、今春に読んでみました。著者であります故隆慶一郎氏は脚本家としての人気作家でありまして、この「吉原御免状」が隆氏61歳のときの小説デビュー作であったとのことです。
時代小説ですが、ストーリーテリングの見事さにより、文庫にして500ページの長編を一気に読んでしまいました。
吉原成立秘史に迫る内容で、なぜ吉原だけが御免色里として成立できたのか、神君御免状とは何か、なぜ裏柳生が狙ってくるのか、主人公の剣士・松永誠一郎とは何者なのか、畳み掛けてくる謎が明らかにされるに従い、読み手はぐんぐん引き込まれる、そんな小説でございました。
そしてその舞台では「傀儡子(くぐつ)」や「道々の輩(みちみちのともがら)」(このあたりの歴史用語につきましては隆慶一郎氏の門下生による隆慶一郎オフィシャル・サイト内「歴史用語の基礎知識」が詳しい)らが大活躍するのですが、これはまったく網野善彦氏による歴史観であるところが驚きでもあり、かつ楽しかったです。
さて、隆氏には「かくれさと苦界行」という「吉原御免状」の続編にあたる作品があるとのことでしたが、しばらくは手に取りませんで、いかがしようかと思っていたのです。
ところが先日、書店にてちらっと、この「かくれさと苦界行」のページを捲ってみますと、何ということでしょうか、その冒頭に完全にやられてしまいまして、そのままその文庫を持ちレジに足を向けておりました。
ではその冒頭を引用させていただきますね。
『川祓(かわみそぎ)
大川(隅田川)では、例年六月の晦日になると御祓(みそぎ)が行われる。江戸各所の神社が、神主と氏子の者でそれぞれ舟を仕立て、両国川を宮戸川へさかのぼる。舟の中で神主が祝詞を誦し、終ると氏子たちが形代を川へ捨てる。形代は藁人形で、人々は自分の罪障や病い、苦しみや悲しみの一切をこの人形に転移させ、それを大川に流すのである。六月祓、夏越しともいった。』
※『』内は「かくれさと苦界行/隆慶一郎」(新潮文庫)より引用
※拙注:両国川は大川=隅田川の別称、まさに両国あたりの流れを指していたのでしょう。宮戸川も同様で、こちらは浅草辺りを指しているようです。
11:59 PM permalink | comments (2) | trackbacks (0)
神楽坂から、かつての江戸東京最大の花街であった柳橋へ。
6月2日、3日は柳橋、浅草橋界隈のお社、銀杏岡八幡神社、須賀神社、第六天榊神社、篠塚稲荷神社におきまして例大祭が行われる週末。榊神社を氏神とする地元の町会も神輿を担ぐとのことで行って参りました。
子供たちが山車を牽き、大人が神輿を担ぐ。
この界隈では、鳥越神社、東京で最も重い神輿を担ぎ丸一日かけて町内を廻る、鳥越祭り(神田明神祭、浅草三社祭に並ぶ規模の祭り)、この地元以外からも多くの人出がございます祭りが次週控えているせいでしょうか、街中も大人しい感じがいたしました。
よってこの週の祭りは、ほんとうに地元の方々だけの神事といった趣がございまして、よそ者のわたくしが斯様なことを申し上げるのは如何なものかと思いますが、好印象をもちまして拝見させていただいた次第です。
(メモ:6月2日、午後6時半ごろより、Super Presto 1600 @EI 1600 w/flash light.)
8:01 PM permalink | comments (0) | trackbacks (0)
「柳橋」での作品は意図があって、こちらで発表するのを控えていたのですが、昨日のような記事をエントリーしますとアップしないわけにはいかなくなりました。
ということで、昨日ご紹介しました書籍に付帯する帯の写真と、同じ場所から撮影しましたプリントを緊急アップロードです。
(click on the image for enlarged)
"タイトル未定"
Dec '06, @Yanagi-bashi, Tokyo.
Taken with the Nikon new FM-2 with the Nikkor 135mm f2.8 lenz.
Fuji Neopan 1600 Super Presto @EI 400+2/3, dev in Kodak X-tol (1:3)
Ilford MGFB Warm, Glossy, dev in Home brewed D-72(1:3)
もう少しやりたいことがありますので、プリントはさらに煮詰めようと考えております。
10:41 AM permalink | comments (4) | trackbacks (0)
本日立ち寄ったある本屋の書棚から、一枚の写真が目に飛び込んできました。
よく知った風景です。なぜなら、わたくしも同じ場所から、同じ方向にレンズ向け、撮影をしていたのですから。
江戸通り、浅草橋上から、神田川河口に向けて撮った写真。それは時代小説家、山本一力氏の最新エッセイ「東京江戸歩き」に被せられた帯だったのです。
山本氏の作品を読んだことはありません。そしてこのエッセイも、読んではおりませんし、購入することもないかと思います。おそらくは昨今数多くの書籍が出ております江戸趣味本といいましょうか、失われた江戸情緒もしくは昭和の時代の風景を尋ね歩くといった類の本のようで、浅草や、深川、神田など、今もわずかにその片鱗をうかがうことができる街ごとに綴られているようです。
浅草橋は神田川河口から数えて2番目に架かる橋。河口まで250メートルほどの位置です。すなわち、わたくしが最近の主題として撮影しております、河口間際に架かる「柳橋」が目と鼻の先に見えるところなのです。
わたくしは、其処から(35ミリ・フォーマットの)135ミリ・レンズを使い、ぐうっと、主題である「柳橋」を手前に引き出すように撮影しております。そして昨年末押し迫った、屋形船の出航がほとんどなかった寂しい晩に撮っておりましたので、暗い河縁に静かに舟が並んでいる様子を捕らえております。
そのプリントは未だ公には発表していないものです。
山本氏の本の帯は、本文に挿された写真も含め、金澤篤宏氏という写真家によって撮影されております。(帯は)おそらく67などの中判機に準広角くらいの画角レンズでもって、光射す様子から判断するに、夕刻ころ撮影されたのだと思われます。この画角レンズですとパースがついて、「柳橋」は随分小さく写ることとなり、主題になるだけの存在感を出すことができません。この写真は神田川の川面と、河縁にずらっと並んだ屋形船の景色が主題となっているのです。そして河岸両脇にそびえるビル群が脇役としてしっかり存在しておりました。
先にリンクしましたアマゾンのページで紹介されている商品写真は本体のみで帯が写っていませんでした。そこで帯を被せた状態で紹介されている紀伊国屋BookWebへのリンクも貼っておきます。こちらの商品写真はクリックすることで少し大きめの画像を見ることができます。
帯の写真では「柳橋」が主題を為していなかったことで、わたくしは少しほおぅと胸を撫で下ろしたのですが、最初に目に飛び込んできたときの焦りと緊張は少々嫌なものでございました。
7:39 PM permalink | comments (0) | trackbacks (0)
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"柳橋での習作(2)"
Feb '07, @Yanagi-bashi, Tokyo.
Taken with the Nikon new FM-2 with the Nikkor 28mm f2.8 lenz.
Fuji Neopan 100 Acros @EI 25+1/2, dev in Ilford perceptol (1:3)
Forte Polygrade RC, Semi-matt, dev in Home brewed ID-78(1:3)
3:09 AM permalink | comments (0) | trackbacks (0)
久々の「花はどこへいったのか」シリーズのエントリーになります。当シリーズ(6)にて記しました、幸田文原作、成瀬巳喜男監督による映画「流れる」のDVDをやっと見ました。
映画は昭和31年の公開、白黒作品です。女性映画の名手と云われる成瀬監督だけに出演者が凄いです。田中絹代、山田五十鈴、高峰秀子、杉村春子、岡田茉莉子、とベテランから若手まで当時の豪華女優陣を揃え、さらに戦前の大女優、栗島すみ子を迎えての絢爛たるキャスティング。
と書きつつ、こういった布陣、そしてこれから書く、映画的内容は、監督が成瀬氏だからということでは決してなく、しっかりとしたマーケティングに支えられた映画会社(東宝)としての方針であったとするのが正解のように思えます。なぜならば成瀬氏は終生撮影所の監督であったからです。
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continue reading "花はどこへいったのか(7)"
12:02 PM permalink | comments (0) | trackbacks (0)
<柳橋日記、遠征編 山谷掘 その1>
久しぶりに冬らしく寒い一日でした。
柳橋から小舟を急がせ 山谷堀~
以前「柳橋から」という江戸小唄の詩、をご紹介しましたが、寒気が覆った24日土曜日に、その山谷堀跡まで行ってまいりました。
ここは柳橋から大川を猪牙舟(ちょきぶね)と呼ばれた船足の速い小舟で上り、吉原へ遊びに行く旦那たちが経由した堀があった処でございます。ただいまは暗渠となり、その上は遊歩道のような公園に様変わりをしております。大川から堀にはいる口には水門がございますが、堀が暗渠となっているためこの水門も周囲をコンクリートで固められ上部構造だけをずんぐりと突き出した恰好で、南に草野球場、北にスポーツセンターに挟まれた河岸に不似合いな姿を晒しております。
今日では猪牙舟を駆ってというわけにはなりませんから、柳橋最寄の浅草橋駅前よりバスに揺られてゆきました。江戸通りを北上し、蔵前、浅草と経由、言問橋西詰めの五叉路から吉野通りに入ります。今戸の停留所までいってしまいますと少し遠くなりますので、手前の浅草7丁目で下車。この吉野通りがかつて堀を渡っておりました吉野橋跡より、暗渠上の公園を歩きます。夏場は水が張られるのでしょうか、人工の流れが、寒風に吹かれるまま石底を晒していました。ときおり飼い犬を散歩させる人とすれ違うだけの寂しい夕暮れでございます。
待乳山聖天(まつちやましょうでん)神社のある高台を右に見上げ、そして永井荷風の中編「すみだ川」で長吉がお糸を待った今戸橋、その橋柱跡を見て、大川と平行する江戸通りを渡ります。隅田公園内に入りますと野球少年たち、スポーツセンターに来た人たち、犬の散歩と、こちらは賑わっておりましたが、それも日没までのわずかな時間で、辺りの暗さが増すにつれ、だんだんと人影もなくなってまいりました。
わたくしは、かつての掘りに沿って在ったのでしょうか、柳の木の根元の切り出された岩の上に撮影機材を置き、しばらく様子をながめながら、水門を置く構図を練ります。大川対岸のマンションなどが水門でうまく隠れる位置を探しながら、水門の上部から突き出した照明が灯るのを待ちます。
灯りました。5時50分頃です。上空はいい塩梅の群青色に暮れております。しかし雲がありません。少し前の時間には薄いすじ雲がところどころ走っていたのが、北のほうに残っておるだけで、これではとてもつまらない背景になってしまいます。まぁ仕様がありませんね。今日はあたりをつけるだけで、また来るといたしましょう。
f11まで絞ったときの露出は30秒。アクロスを詰めていますから、この秒数では相反則不軌を考慮する必要はありません。15秒、30秒、1分と段階露光することにしましたが、レリーズしている最中にかぎって川沿いを走ってきた自転車が、水門前を迂回するように通り抜けてゆきます。ありゃ。この間のカットは自転車のランプで白い線が横走りになっていることでしょう。
そうこうして、なんとかよいタイミングのカットを収めることができましたので今回は撤収といたします。宵の始めは通過する自転車が多く撮影に影響することがわかりましたので、次回いかがいたしましょうか。車を使い、もっと遅い時間にやって来るか、いっそのこと日の出前を狙うか、此処へも何度か通うこととなりそうでございます。
再びバスに乗り浅草橋へ戻ります。風がいちだんと冷たくなってまいりましたが、柳橋へ。橋詰にある船宿の鉢植えの梅が花を咲かせていることでしょう。
(メモ:2月24日、山谷掘、午後6時前後。柳橋、6時半から8時ごろ迄。
Acros @EI 25+1/2)
1:46 PM permalink | comments (0) | trackbacks (0)
既に暦は如月に入り神田川の船宿を訪れるものは少ないのでしょう、3日土曜の河岸は閑散として、ただ柳が風に揺れるばかり。
両岸を高いビルに囲まれた川に日が差し込む時間はこの時期たいへん短く、柳橋から一本上流の浅草橋上を走る江戸通りの広い道幅を利用して冬の午後の陽射しは、ほんのわずか橋袂から船宿1軒分東に光を注いでいるのみ。そこでその宿に係留させられた小さな舟のみを撮り、河岸を離れ、町内を散策することにしました。
JRが浅草橋駅から大川を渡る橋の間の高架を抜け北に歩いていますと、風情のある屋根が見えてまいりました。気になって近くに寄ってみますと、なにやら立て看板が道に出ておりまして、その旧態を保持したとても素敵な家がギャラリーになっていることを知りました。ところが表から見るに佇まいがどうしても私的な空間であることを主張しており、一歩入るのにたいへん躊躇させられるのですが、それでも「ご自由におはいりください」とも書かれ、丁度中では展示が行われているようでしたのでお邪魔してみることに致しました。
ごめんくださいと声をかけ、返事はございませんでしたが靴を脱ぎ興味津々でぐるりと頭を回せば、なんと素敵なところでしょう。勝手に奥へ進んで行くと、廊下のシェルフに焼き物が飾られていたり、途中の部屋に作品が置かれてあったりと、ワクワクさせます。木工展として作家の指物が中心の個展でありましたけれど、一番奥の居間には木皿や器、匙などの小物も展示販売されておりました。作品に触れてはいけないと、わたくしはごつい三脚を両の腕で抱えるようにして見ておりましたところ、このギャラリーのオーナーと思わしい女性が、どうぞ遠慮なく荷物を置いてご覧くださいとお声をかけてくださいました。とはいえ重いスチールの、そしてパン棒が張り出した汚い三脚を此処のきれいな床にごつんと置くのも憚れましたので、そのままの恰好でふらふらとしていますと、先の女性がお茶を用意してくださったのに恐縮し「ふと通りがかったところ、看板が目に入り、ここにこのようなギャラリーがあるとは存じませんでしたので、勝手に上がらせていただきました」と説明すれば「普段は閉めていることもありますからお気づきになりにくいかも知れません」と。また「こちらはレンタルもされておりますか?」と不躾にも質問したところ、積極的にはやっておりませんと、ただし時期的なものもございますが、こちらで作品を拝見させていただいた上でのご相談と相成りますとのこと。
可能性はなくはないようです。
柳橋の写真を根気良く撮り溜めることができれば、このようなところで作品展をしてみるのも乙なものではないだろうかと想いを馳せながら、薄暗く電灯のあかい光が優しい廊下を抜けて辞してまいりました。
(メモ:2月3日、午後4時ごろ、Super Presto 1600 @EI 640)
3:38 AM permalink | comments (2) | trackbacks (0)
昨5日、仕事の取引先への挨拶回りを済ませ、新年会へ向かう途中で柳橋に立ち寄ってまいりました。船宿はどこも明かりが灯いておらず、川沿いは寂しかったです。
この日はほんの少しだけ北に歩いてこの辺りの氏神さまが祭られている第六天榊神社へ。
初詣は毎年家内の実家近くの大きな社へ家族で出向くことにしております。今年は3日に訪れました。そこはわたくしたちが挙式をし、娘のお宮参りをした処。毎年たくさんの人で賑わっており参拝するのも一苦労なのですが、今年も家族で訪れることが出来たということが大事なのだと思っています。
晴れも褻もないわたくしたちの毎日にあって、さらにわたくし自身まったく信仰心というものが希薄なのですが、それでも神社でお参りをするとピーンと背筋が正される思いが致します。とはいえ初詣先の賑わいの中ではそういった厳粛な気分はまったく味わえません。
ところが昨日うかがった第六天榊神社は初詣の提灯が明るく灯っていたにもかかわらず、訪れた夕暮れ時境内には他の参拝者はおらず、とても得した気分になりました。静かな境内、手水舎から拝殿前へ。賽銭を投げ、二拝した後、二拍打つ。パン、パンッという音は拝殿から反射し、自分自身へ返ってくるようです。その音にピーンと気持ちが張ります。そしてもう一拝。それだけで構いません。そおっと静かに社を辞してまいりました。
今年、何度この付近を歩くことになるでしょうか。まったく楽しみなことであります。
橋近くのお稲荷さん(篠塚稲荷)で数枚スナップを撮る。Super Presto @EI 800.
11:59 PM permalink | comments (2) | trackbacks (0)
(個人的メモ)
12月2日(土)晴れ (16:00~18:30)
ロケハン兼ねて撮影。Acros @EI 35.
12月9日(土)雨 (17:00ごろ)
雨の中撮影。雨の柳橋もなかなか乙なものです。
Super Presto @EI 1600.
12月22日(金)晴れ (19:00ごろ)
忘年会真っ盛りだろうと予測。案の定、多くの屋形船が出て行きました。
舟を中心に撮影。Super Presto @EI 640.
12月30日(土)晴れ (18:00~19:00)
寒かったぁ。もうほとんどの船宿は閉まっていました。
ロケハン時に撮った橋の構図を煮詰めて、Super Prestoで再撮。
Super Presto @EI 640.
11:59 PM permalink | comments (0) | trackbacks (0)
柳橋が舞台となった文学作品を紹介させていただきます。
●幸田文「流れる(新潮文庫)」
いわずと知れた露伴のご息女であられる幸田文氏。不勉強なわたくしはこのたび初めて文氏の作品を読んだのですが、いやぁ、これは素晴らしい小説でした。美しく粋な文体で斜陽になった置屋をめぐるトラブル、人情、かなしさが、そこで女中奉公することになった未亡人の視線で綴られてゆきます。文氏の他の作品も読みたくなりました。
なお、この「流れる」を原作とする成瀬巳喜男監督による映画が昭和31年に公開されており、田中絹代、山田五十鈴、高峰秀子、杉村春子など当時を代表する女優陣によって演じられています。この映画も見てみようっと。近所のツタヤにあるかな?(関係ないけど「流れる」の置屋の女将は「つた奴」という源氏名でした。)
●山本周五郎「柳橋物語・むかしも今も(新潮文庫)」
元禄期を舞台にしたプラトニック・ラブ・ストーリーの極み。
作品中、
「此処に橋があればよかったんだ」
参詣人のなかでそんな話をしているものがあった。
「まったくよ、どんなに小さくとも橋があればあんなにたくさん死なずに
済んだんだ、なにしろ浅草橋の御門は閉る、うしろは火で、どうしよう
もなく此処へ集まっちゃったんだ、見られたありさまじゃなかったぜ」
「橋を架けなくちゃあいけねえ、どうしても此処にあ橋が要るよ」
山本周五郎/柳橋物語(新潮文庫)より引用
という箇所が印象的でした。もちろんこれはフィクションでありますが、江戸の大火事で逃げ切れなかった人々の多くが現柳橋界隈で命を落としたことを受けての、群集のなかから聞こえる台詞であります。
と、柳橋を舞台にした小説に浸かったあと、なにげなく谷崎潤一郎の「陰翳礼讃(中公文庫)」を読んでいたところ、その巻末の解説が吉行淳之介氏の筆によるもので、
花柳界には私は縁がないが、稀に柳橋あたりに招待されることがある。
このごろの芸者には日本髪の女はほとんどいないが、節分とか燈籠流し
の日には昔ながらの姿を見ることがある。
吉行淳之介(中公文庫/谷崎潤一郎/陰翳礼讃 巻末の解説)より引用
という文が! こんなところにも柳橋はその姿を垣間見せてくれました。
12:03 PM permalink | comments (0) | trackbacks (0)
"柳橋での習作(1)"
(click on the image for enlarged)
Dec '06, @Yanagi-bashi, Tokyo.
Taken with the Nikon new FM-2 with the Nikkor 85mm f2 lenz.
Fuji Neopan 100 Acros @EI 25+1/2, dev in Ilford perceptol (1:3)
Forte Polywarmtone plus FB, Grossy, dev in Home brewed D-72(1:2)
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continue reading "花はどこへいったのか(5)"
2:13 PM permalink | comments (2) | trackbacks (0)
さて柳橋ですが、此処は元々「川口出口之橋」または「矢の倉橋」と呼ばれていたという説(橋の南側袂にある碑文より)と、最初から「柳橋」であったとする説(中尾達郎著「江戸隅田川界隈(三弥井書店刊)」からの孫引きになりますが、「武江年表」元禄六年(1693)八月の条に、この月、浅草に初めて柳橋を架す。 と記載。もちろん中尾氏は「川口出口之橋」説も紹介されています。)があります。ところがこの元々の木橋は大正の関東大震災で落ちてしまったそうで、現在架かる永代橋をモデルとし耐震に配慮された鉄橋は昭和4年に完成したのだそうです。
平成4年には親柱の補修を行い、同時に橋上歩道に御影石を敷き、前回(3)でご紹介しました簪を模したレリーフをあしらい、そして夜間ライトアップされるような照明も設置されて今日に至っております。
先に記した袂にある碑文には、
春の夜や女見返る柳橋
贅沢な人の涼みや柳橋 (ともに 正岡子規)
と子規の2句が紹介されているのですが、柳橋およびこの界隈は他の多くの文学でも取り上げられております。
10:50 AM permalink | comments (0) | trackbacks (0)
...花はどこへいったのか(1)
...花はどこへいったのか(2)
さて、もうお気づきかと思います。このかつての花街、そして現在屋形船がひしめく柳橋付近と神田川をテーマに作品づくりをしてゆこうと動き始めたのです。
昨12月2日土曜日、休日出勤の後、現地にロケハンにいってきました。陽がだいぶ短くなったこのごろの午後、斜陽がどのように入り込むのか、暗くなるとどのような雰囲気を醸し出すのか、周囲の街並み、などチェックすべきことはたくさんありました。
そして一番肝心なこと、花街としての風情はもうほとんど残っていないことも確認してきました。しかし一度はそういう街として栄えたところ。きっと何かの痕跡があるはずです。古くからある社、稲荷、など未確認な場所もあるわけです。そして現在も魅力的な河岸。晩秋から初冬の季節の狭間、弱いとはいえ大分冷たくなってきた風が吹くなかでも何艘かの屋形船が客を乗せてでてゆきましたし、これが暖かい季節ともなれば、河岸の様子も華やいだものになるのではないか、そんな気がいたします。
そのような雰囲気を、スナップ的に、または景観描写として写実してゆくのではなく、より抽象化したかたちで捉えることができれば占めたもの。なぁんて理想を述べているのですが、、、そうやって自分を追い込むことも必要です。

そうそう、ここがかつての花街であったことは街としても想い出深いものになっているようです。柳橋の欄干には芸妓の象徴である簪(かんざし)を模したレリーフがいくつも装飾されていました。ただしこれを写しても作品にはなりませんね。
11:20 AM permalink | comments (6) | trackbacks (0)
神田川の最下流、隅田川に注ぐ直前に架かる橋、柳橋。
この周囲は幕末のころより花街として栄えた区域だったそうです。
花街といえば黒板塀に囲まれた料亭を想起します。もちろんわたくしは花柳界で遊ぶことができる身分ではございませんが。ところが現在ここいらあたりを歩いても割烹と看板を掲げた1軒しか黒板塀に囲まれた料理屋を見ることができません。往時の老舗料亭のいくつかは残っているようですが、外観はたいそうなビルに変わっており、花街風情を楽しむことはもう相成らないわけです。そして前世紀の終わり、1999年には芸妓の組合も解散したとのこと。
ところで花街として栄える以前から河岸には多くの船宿が並び、大川(隅田川)向かいの両国への渡し、また大川上流へ、とくに遊郭のあった吉原へ遊びにゆく旦那衆を乗せる渡船場でもあったそうです。
現在の神田川は柳橋から、江戸通り(国道6号)を渡す浅草橋、そしてその隣の左衛門橋までのおよそ半キロの間、宴会用屋形船の発着場として多くの船宿が並び、何艘もの提灯を吊った船がひしめく特異な河川景観を見ることができます。
(続く)
6:00 PM permalink | comments (0) | trackbacks (0)
中央線・吉祥寺駅の南、御殿山1丁目に古くから建つマンション群の背後、切り落ちた断崖の裾から湧く水は井の頭公園の池を満たし、そして公園の南東から一筋の川となって流れ出てゆきます。
これが70年代に唄にもなりました神田川の源であります。
川は、ときに大きく、ときに小さく、南へ北へと蛇行しながら、徐々に東へ東へその流れを進めてゆきます。かつて梅雨から台風の季節まで、いくども氾濫し、流域にある住宅が浸水するニュースを多く聞きましたが、最近は地下の一時貯水施設が機能しているようで、そういった被害を聞くことはなくなったように思われます。
さて流域の自治体は1市8区におよび、もうここは下流と呼べるであろう新宿区と文京区の境を流れ千代田区と交わる飯田橋にて皇居外濠に合流しその一区画を担います。水道橋手前の小石川橋からは日本橋川を分流し、都市の河川景観としてたいへんユニークな御茶ノ水を経て、最後に古典では大川と呼ばれる隅田川に注いでその流れを終えます。
ところで隅田川に注ぐ直前に全長40メートル弱の鋼鉄製の小さなアーチ橋が架かっております。その神田川に架かる最後の橋の名を柳橋といいます。
(続く)
6:04 PM permalink | comments (4) | trackbacks (0)