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May 27, 2008
  それを開くと、あらたな世界が広がって、、、(5)/ 『時差ボケ東京』(その2)

衆多の写真家たちによって、撮られ、そして作品として発表され続けてきた都市、東京。
ある者は都市景観に着目し、ある者は主婦の生活に密着し、またある者は渋谷のアンダーグラウンドに耽溺しつつ更けた夜の若人を追い、さらには路地の奥へ、人工地下水路へ、名だたる写真家たちが、彼ら固有の素晴らしい世界観で東京を表現してきています。
それだけの写真を記憶の中にかかえながら、それでもなお、東京を撮ることは可能なのでしょうか。未だ見ぬ東京の姿は表現し得るものなのでしょうか。

そのひとつの答えを、前回ご紹介いたしました、Kai-Wai散策のmasaさんこと、村田賢比古さんの写真集『時差ボケ東京』が示しております。

ほんとうは、その表現につきまして、殊更具体的に記してゆきたいところです。それでは、これから写真集を手にされたいと考えていらっしゃる方々は詰まらないでしょうから、おおいに謎を残しておくことにいたしましょう。
写真は、時間と空間を切り取る行為だと、よく云われております。ところで、移動という行為は、時間と空間に作用することであるのは誰もが解ることですが、さらにそれには絶対的な移動と相対的な移動が存在します。
そこで『時差ボケ東京』では、それらふたつの種類の移動行為を組み合わせ、観察者の状態によっては移動という行為が相殺される可能性とデフォルメされる可能性を同時に示しております。そして相殺された移動を、絶えず在るものとして主題化し、デフォルメされた移動を背景として造形の根幹を担わせているのです。
このように表現された東京を、わたくしだけでなく、かつて見た人はいないでしょう。
あるときはビルの谷間を、あるときは商店街に向かう横断歩道を、あるときは落葉で埋まったキャンパスを、移動しながらも、わたしたちは、ふと、あなたの存在に気付くことがあるのです。
そして、ときに、あなたも、わたくしのことを。

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May 25, 2008
  それを開くと、あらたな世界が広がって、、、(4)/ 『時差ボケ東京』

あなたは、この奇異な撮影を行なっている写真家を、東京の街角のどこかで、見かけているかもしれません。
その写真家の知力、体力、技術力、まさに全身全霊を懸けて挑まれた作品集『時差ボケ東京』が発売となりました。その写真を撮った方は「Kai-Wai散策」のmasaさんこと、村田賢比古(むらたまさひこ)さんなのでございます。

制作中から楽しみにしておりました。まだかまだかと勝手に思いを募らせてまいりました。先日5月22日、いやわたくしがその行動をおこしたとき既に時計は24時をまわっていたでしょうから23日のこと、その深夜、いつものようにブックマークから「Kai-Wai散策」にアクセスしましたら、待望の写真集完成、そして発売のお知らせがアップロードされておりました。これです、

Kai-Wai散策 / 『時差ボケ東京』


jisaboke080525.jpgそして、時間をおいて、masaさんがたいへん想いをよせていらっしゃる墨田区の京島という素敵な町にございます、これまた素敵なご夫婦によって営まれ、京島といえば的な「LOVE GARDEN」さんにて、この写真集を購入できるとも追記されました。
かつて、そのmasaさんが愛する、京島という町を是非歩いてみたいと思い、わたくしも一度だけ訪れたことがございますが、あらためて地図を眺め、LOVE GARDENさんの位置を確認し、24日の土曜、いそいそとでかけてゆきました。
LOVE GARDENさんに到着しましたときには、なんとmasaさんご本人もいらっしゃいまして、お祝いの言葉をお伝えできましたこと、たいへん光栄なことでありました。


手にした写真集。そこには、東京が、この都市を歩き尽くされた方によって、かつて見たことがない、まったく新鮮な姿で表されておりました。


※時差ボケ東京 / 村田賢比古 / M&Y Grafix刊 / 価格 3,600円+消費税
  ISBN4-9904156-0-0

※上記、LOVE GARDENさんに加えまして、現在のところ、神保町の「ブック・ダイバー」さんでも購入できるとのことです。

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  それを開くと、あらたな世界が広がって、、、(3)

根岸に訪れてみたいと思ったのでした。もう1年以上前のことになります。
東京都台東区の北部に、根岸という町があり、そこの一部は戦災から免れたのだと聞いたからでございました。
そういった街ならば、幾人もの方々がカメラを持って訪れているでしょうと、まずはネットで検索をしてみましたら、いやいや沢山のページに出会いまして、根岸に関しまして、にわか耳年増ならぬ、目年増、いや、モニター画面年増状態(?)。もう半ば行ったも同然のような心地でして、仮想世界の落とし穴でございましょうか、かなりお腹いっぱいに満足な状態になったものでした。

ところが、そのようなわたくしの襟をただし、背筋をぴんと伸ばさせるようなブログが目に飛び込んでまいりました。

圧倒的にクオリティの高い写真。その1枚1枚に目を凝らしました。これはもしや専門の方による写真ではないかと、根岸に限らず、浅草や上野、根津に谷中、本郷と、その方のページをめくりにめくったのでした。
写真が素晴らしいと、文章にも俄然興味が湧きます。いろいろと読み進めますと、この方、単に街を歩いて写真を撮ってさようなら、ではなく、そこの街の方々と交わり、話しをし、アップされた写真のバックグラウンドをきちんと、取材という薄っぺらい行為以上に、コミュニケートすることで紹介されているところが、心のある写真になっている所以だと知ったのでした。
以来、大のファンになってしまったのですが、これが、昨今、たいへんお世話になっている「Kai-Wai散策さん」と、わたくしの、まずは一方通行の出会いだったのでございます。

11:28 PM permalink | comments (0) | trackbacks (0)

  それを開くと、あらたな世界が広がって、、、(2)

前回、「誰も示していない世界を創造する」ことは、表現行為の前提であると記しました。音楽に限らず、写真においても、今まで誰も見たことがない世界を、世界観を、写すこと。わたくしは写真を撮り始めた当初から、このことを目指しておりました。

ところが、具体的な映像イメージを伴わず、ただ「誰も見たことがない」という言葉だけがぐるぐると頭の中を廻るだけの期間がすいぶんと長くございました。
世界のありとあらゆるものは既に写真に撮られているのです。それでも「誰も見たことがない」事象を写すことは可能なのだろうかと、何度も絶望的な気持ちになりました。
ところが昨今、わたくしなりの表現が可能かもしれないという感触があるのです。
ここに至るには、写真の世界とはかけ離れた、文学や、音楽、または人々の話し、そういったものの中から少しづつヒントが見えてくるようになりまして、あるアプローチによって、とある事実と、とある現象をつなぎ合わせ、わたくしの心象を表すことが可能なように思えるのであります。
わたくしの作品づくりはここにきて、ようやっと具体性をおびることになりました。完成には、またしばらくの時間が掛かることでしょうが、日々の喘ぎにも具体性が伴う分、解決への道筋も見えていることになり、虚空を掴むような状態でないことが随分と楽に感じられます。

これは、あくまでもわたくしの場合ですが、表現を為す人は、多かれ少なかれ斯様な自己との戦いを経て、作品を、誰も示していない世界を創造する行為から、生み出していっているのではないでしょうか。

6:52 AM permalink | comments (0) | trackbacks (0)

May 24, 2008
  それを開くと、あらたな世界が広がって、、、(1)

中学校の音楽の授業で、音楽の三要素としてメロディ、リズム、ハーモニーが在ると教えられました。これは音楽を支えるシステムとして、現在、各地域の伝統音楽を除き、全世界的に広まっている西洋音楽の手法の根幹にあたるわけですが、そのうちのハーモニーに着目して西洋音楽史をみてゆくと、たいへん面白いのです。ここではその興味深い歴史を振り返る余裕がございませんが、現代音楽と呼ばれるジャンルが、なぜ聴衆の不人気にもかかわらず、あのような難しい音楽を書き続けるのかという、謎(やはり一般的には謎でありましょう)が、あたかも霧が晴れたように、すうっと解明されたのであります。
そういった、不人気であっても推進する創造行為が必ずしも正しい姿であるとは決して申しません。むしろ、もっとなんとかならないものかと、わたし自身、作曲行為など真似できない立場でありながらも、苦言を呈するのでありますが、基本的なところでは、うんうん、そうなんだよねと納得しているのです。それは表現たるものは「誰も示していない世界を創造しなければならない」という前提に対してであります。

この「誰も示していない世界を創造しなければならない」ことは、一般的になかなか理解されないようでございますが、音楽の世界にかかわらず、芸術行為全般にわたっての前提であることは表現者共通の認識であると思います。もちろん写真の世界もしかりであります。
好きだからローリング・ストーンズのコピー・バンドやっているんだ、という趣味の世界とは、どちらが良いとか、悪いではなく、一線を画す行為になるわけです。

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February 29, 2008
  失われた水辺の風景

hommageというテーマでエントリーをアップしている途中ですが、28日の新聞、夕刊を捲っておりましたら、パっと目に飛び込んできた写真がございました。
堂々たる、見事な、そして装飾の美しい橋。そしてその中央を路面電車が抜けてゆく。これは隅田川を日本橋浜町から、江東区新大橋へと結ぶ、旧・新大橋の姿でした。

この日の毎日新聞(東京)夕刊のグラフ・ページ「eye」では「失われた水辺の風景」と題し、上記、旧・新大橋、聖路加病院を背景に築地川、テアトル東京を背景に京橋と京橋川、佃の渡し、そして埋め立て工事中の楓川の各写真が掲載されておりました。

写真を撮影されたのは、都立日比谷図書館の資料課長でありました池田信氏とのこと(最終ポストは旧都立多摩教育会館館長のようです)。変わりゆく東京を1961年から72年まで、休日を使って記録し続け、その数、2万数千点におよぶライフワークであったと紹介がございました。

記事でも触れておりましたが、かつての東京は「東洋のベニス」と称賛され、幕末から明治初期に訪れた多くの外国人達を魅了したのだそうです。これは単に景観美ということだけでなく、まさに江戸期から築かれてきた文化であったわけです。
池田氏は、そんな過去を顧みない当時の風潮に危機感を募らせ、まだ残る面影を求めてシャッターを切っていったのだそうです。


その膨大なフィルムが2005年にご遺族より毎日新聞社へ寄贈され、このたび「1960年代の東京 路面電車の走る水の都の記憶」と題され、3月17日、同社より写真集として刊行されるとのことです。


追記: amazon.co.jpでは、08年2月29日現在、「1960年代の東京 路面電車の走る水の都の記憶」の予約を受け付けているようです。

【T.B. to aki's STOCKTAKING:「1960年代の東京」'10年4月14日】

3:17 AM permalink | comments (0) | trackbacks (1)

May 18, 2007
  80年前のストリート・スナップ

写真好きでありながら、普段あまり写真集なるものを購入しないわたくしですが、その理由は以前に記しました。
ところが今年2月に出版されたある一冊、おそらくは(出版元には申し訳ないのですが)あまり注目されることもないでしょうし、ローカルで、小規模な出版元(決してネガティブな意味で云っているのではありません。逆に今後も良品の出版を期待してしまいます。)故に増刷される見込みも少ないだろうと勝手に判断しまして、思い切って購入してみました。

はこだて記憶の街 / 熊谷孝太郎・撮影(Mole、はこだて写真図書館叢書版)

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October 16, 2006
  彼女は彼女として在ろうとした

写真集を見て、写真を見た気にはなりません。写真集に載せられているのは印刷された複製であり、いかに高度な印刷技術を駆使したところで、オリジナル・プリントを充分に再現するに至らないからです。写真を見るなら美術館やギャラリーで生プリントを。これが僕の考え方です。
ところがそんな写真集もよく見ているのですよ。上記の考え方から、それらに1万円も支払って購入する気には到底なりませんので、たいていは図書館で借りてきます。ある興味を持った写真家のガイドとして見てみるのです。または写真としてではなく、一冊の本として。
どうせ写真は印刷なのですから、本として面白いものはありがたいのです。

ロバート・メイプルソープの写真集を借りてきました。

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1:18 AM permalink | comments (2) | trackbacks (0)