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April 20, 2011
社会的なことはfacebookのほうだけに記そうと、そしてブログ Across the Street Soundsは当初のとおり文化芸術に絞った記事だけにしてゆこうと考えていたのですが、fbのインターフェースが気に入らないこともあり ( It irritates me! )、しばらくは同時にアップしてゆこうと、またまた考えを改めたのでした。
さて、原口一博衆議院議員が経済産業省に対し計画停電の根拠となるデータの開示を求めていたそうですが、4月15日の段階で「確たるデータを見つけるに至っていません。」と(以下の参照URLを示し→http://www.tepco.co.jp/forecast/index-j.html)ツイートしています。
また、尊長の友人であります玉井一匡さんが、ブログ MySpaceにて「政府の資料が「原発廃止は可能」を実証している」をエントリーしており、そこから判断するに、この3月に行なわれてきました東電による計画停電は、原子力発電の存在、推進を擁護する大キャンペーンであったことを疑わざるを得ません。
則ち、
「原子力発電がなければ、みなさんの生活や経済活動はこのような状態に陥るのですよ」
というプロパガンダではなかったのでしょうか。
ところで、わたくしは、計画停電が原子力村の人々によるプロパガンダであったとしても、節電は大切なことと思うのですよ。と言いますより、都市部では無駄な電気使用が目に余ります。一例を挙げますと、コンビニやチェーン店飲食店が放つ煌々とした(蛍光管を使用した)看板がほんとうに必要でしょうか? その店が営業中であるかどうか、店舗内の照明で充分判断できるはずです。煌煌と看板を照らしておくことで、予てよりその店舗へ出向く目的を持たなかった層への収客効果はいったい如何ほどのものなのでしょうか?
また、わたくしの職業は電気をどうしても必要とするものなのですが、それでも今現在より節電してゆくことは可能と思います。大きな電力を要するアナログ機器、それを保守するための空調ともどもを減らしたり、廃棄してゆき、低電力で済むデジタル機器への移行は、この職種の今後の方向性としても適っていると確信できますので、社内では提案を続けてゆきたく存じます。
必要不可欠な電気、照明といったものもございますね。3月の計画停電では病院も看護介護施設も十把一絡げに地域指定で停電を余儀なくされました(この人命軽視の思考が、安全ではない原子力推進を幇助していたのでしょう)。
治安確保のための街路灯の存在。繁華なところでは防犯カメラの解像を担保するにあたり基準となる照度があることでしょう。
世の中のすべてが消費を煽り、煽られ、廻りまわっている社会故に、過剰なことが行なわれているように思えます。
例え、原子力発電があろうとなかろうと、自然エネルギーによる発電が充足してもしまわなくても、この過剰な社会は再度見つめ直さなくてはならないのではありませんか? なにが本当に必要で、なにが不要なのかをもう一度です。
戦後、わたくしたちが追い求めてきた経済成長を目指すことだけでは、多くの人が幸せだと感じられる社会を築くことはできなかったのですから。
今日は(図書館にて)下に記す本を借りてきました。友人の古川さんに教えていただいたものです。
「経済成長なき社会発展は可能か?」
セルジュ・ラトゥーシュ著 中野佳裕訳 作品社(2010年)刊
・go to amazon
観念的なことだけで終始する本でないと面白いのですが、、、
posted by mniijima : Apr 20, 2011
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comments
ラトゥーシュさんの本は・・・・、まあ、お読み頂いてから感想をお聞かせください。
by ふるかわ : April 20, 2011 12:24 PM
ふるかわさま、
はい、お伝えいたします。ご指摘されていました「解析できない不透明なベール」については、何となく予想できるのですが、それも含めて!
by M.Niijima : April 20, 2011 9:55 PM