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(二〇〇五年六月二六日の日記より)
キャンディーズは僕が小学生のころのアイドル・グループ。ドリフターズの「8時だよ、全員集合」にも出演し、コントもやっていました。とても可愛らしいイメージがあったので大好きでした。
当時うちには質のよいステレオ装置などありませんでした。概観はプラスティック製のレコード・プレイヤーから直接2本のケーブルが伸び、同様にプラスティック製のボックスを持つスピーカーが付いたご家庭用廉価機でレコードを聴いていたのです。
小学6年生のころだと思います。キャンディーズは有名な「普通の女の子に戻りたい」宣言で解散を公にしたころです。僕は知り合いの当時高校生くらいだったお姉さんに銀座に連れていってもらいました。銀座4丁目交差点にはいまも「三愛」という円柱型のファッションビルがありますが、当時その4階だか5階に三菱電機のオーディオ・ブランド「ダイアトーン」のショウルームが入っていました。そしてコンシューマ用のシステム・コンポーネント(アンプ、レコードプレーヤー、ラジオチューナー、カセットデッキなどそれぞれは分離独立しているがデザイン的にもひとつのシステムとして組まれた普及機)の試聴ができるので、キャンディーズのLPを聴こうというわけです。
いくつものコンポが並ぶフロアでの試聴はヘッドフォンになります。(スピーカーから音出せなければ購入時のリファレンスにならないじゃないか、と今は感じますが、それは置いといて。)そのとき僕は普及機といえども、そのようなコンポ初体験。しかもステレオ・ヘッドフォンも初体験です。針が落とされたレコードはベスト盤でした。歌謡曲の大袈裟なアレンジにのってランちゃん、スーちゃん、ミキちゃんの歌声が! そのリアルなディテールが脳内に。なによりドキドキしたのは、彼女たちのブレスまで聴こえるということ!
キャンディーズの楽曲は3人組というグループを活かし、けっこう多彩なボーカル、コーラス・アレンジが施されています。いまどきのアイドル・グループには見ること聴くことができないほど、音楽的に充実しているように思えます。今回挙げたアン・ドゥ・トロワは解散までラスト2のシングルだったと思います。ミディアム・テンポのマイナーキー。ちょっとしっとりとした雰囲気が僕にとってベストの曲。とくにサビの、アン・ドゥ・トロワ、という歌詞の部分のハーモニーは今聴いてもとても美しいと思います。僕が持っているCDのベスト盤「ベスト・コレクション」。ヒット・シングル曲を充分に網羅しています。
僕は音楽を制作する立場になった今日においても、あのブレスに心を振るわせた少年時の体験こそ真の音楽体験であると信じていますし、そういった感動をユーザーの方に伝えたいと常々思っています。
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キャンディーズのメンバーでありました田中好子さんが永逝されたとのこと。ご冥福を祈ります。
continue reading "あのときの、あなたたちの声を忘れない。"
11:41 PM permalink | music | comments (4) | trackbacks (0)
社会的なことはfacebookのほうだけに記そうと、そしてブログ Across the Street Soundsは当初のとおり文化芸術に絞った記事だけにしてゆこうと考えていたのですが、fbのインターフェースが気に入らないこともあり ( It irritates me! )、しばらくは同時にアップしてゆこうと、またまた考えを改めたのでした。
さて、原口一博衆議院議員が経済産業省に対し計画停電の根拠となるデータの開示を求めていたそうですが、4月15日の段階で「確たるデータを見つけるに至っていません。」と(以下の参照URLを示し→http://www.tepco.co.jp/forecast/index-j.html)ツイートしています。
また、尊長の友人であります玉井一匡さんが、ブログ MySpaceにて「政府の資料が「原発廃止は可能」を実証している」をエントリーしており、そこから判断するに、この3月に行なわれてきました東電による計画停電は、原子力発電の存在、推進を擁護する大キャンペーンであったことを疑わざるを得ません。
則ち、
「原子力発電がなければ、みなさんの生活や経済活動はこのような状態に陥るのですよ」
というプロパガンダではなかったのでしょうか。
ところで、わたくしは、計画停電が原子力村の人々によるプロパガンダであったとしても、節電は大切なことと思うのですよ。と言いますより、都市部では無駄な電気使用が目に余ります。一例を挙げますと、コンビニやチェーン店飲食店が放つ煌々とした(蛍光管を使用した)看板がほんとうに必要でしょうか? その店が営業中であるかどうか、店舗内の照明で充分判断できるはずです。煌煌と看板を照らしておくことで、予てよりその店舗へ出向く目的を持たなかった層への収客効果はいったい如何ほどのものなのでしょうか?
また、わたくしの職業は電気をどうしても必要とするものなのですが、それでも今現在より節電してゆくことは可能と思います。大きな電力を要するアナログ機器、それを保守するための空調ともどもを減らしたり、廃棄してゆき、低電力で済むデジタル機器への移行は、この職種の今後の方向性としても適っていると確信できますので、社内では提案を続けてゆきたく存じます。
必要不可欠な電気、照明といったものもございますね。3月の計画停電では病院も看護介護施設も十把一絡げに地域指定で停電を余儀なくされました(この人命軽視の思考が、安全ではない原子力推進を幇助していたのでしょう)。
治安確保のための街路灯の存在。繁華なところでは防犯カメラの解像を担保するにあたり基準となる照度があることでしょう。
世の中のすべてが消費を煽り、煽られ、廻りまわっている社会故に、過剰なことが行なわれているように思えます。
例え、原子力発電があろうとなかろうと、自然エネルギーによる発電が充足してもしまわなくても、この過剰な社会は再度見つめ直さなくてはならないのではありませんか? なにが本当に必要で、なにが不要なのかをもう一度です。
戦後、わたくしたちが追い求めてきた経済成長を目指すことだけでは、多くの人が幸せだと感じられる社会を築くことはできなかったのですから。
今日は(図書館にて)下に記す本を借りてきました。友人の古川さんに教えていただいたものです。
「経済成長なき社会発展は可能か?」
セルジュ・ラトゥーシュ著 中野佳裕訳 作品社(2010年)刊
・go to amazon
観念的なことだけで終始する本でないと面白いのですが、、、
1:49 AM permalink | 社会の時間 | comments (2) | trackbacks (0)