« 端座する名人の背は伸び撥踊る、声色許多で間を走る(1) | main | 端座する名人の背は伸び撥踊る、声色許多で間を走る(3) »
April 27, 2010
明日へ続くと書きながら、間を置いてしまった体たらく。
四月二十四日、松戸の「席亭 宇」にて行なわれました「浪曲の夕べ」の第一部は、曲師・伊丹秀敏師匠の至芸を味わおうという、なかなか稀な企画でございました。そもそも浪曲における曲師は如何なる仕事を受け持ち、主となる浪曲師の芸を如何に支えているのかを弟子の水乃金魚(みずのきんとと)さんが進行を務め、それに師匠が応え、演じてみる、というものでございました。
伊丹秀敏師匠は、大正から昭和の中頃まで大活躍をされた浪曲師、(二代天中軒雲月改め)伊丹秀子さんのお弟子さんだったとのこと。八歳でこの道に入門されたのだそうです。
今回はまず伊丹秀子さんのことをご紹介するといたしましょう。図書館から借りて参りました「実録 浪曲史 唯二郎著 青峰書房刊」より、かなり長くなりますが、かまわず引用してしまいましょう。
--------------
初代天中軒雲月は明治末期、九州の一郭から天才少年浪曲家として彗星の如く現れ、またたく間に全国を風靡した。五尺二寸の体躯ながら、心持ち肩をいからせ胸を張った品のよい舞台と、雲調を華麗にした妙節と美音は観客を酔わせ、一席終わったあとの米山甚句、博多節の余興は舞台に華をそえた。養父母への孝養も厚く、先輩同僚にも礼儀正しく、誰からも愛されたという。三十七歳で病気のため引退し、長らく病床に臥し、昭和二十年に没した(中川明徳『浪曲口三味線』による)。
この初代雲月の門下に、のちに興行界屈指の大立者となった日新プロ社長の永田貞雄がいた。その永田が声帯の故障から、雲月の門下を辞し、九州から上京、大谷興行部に草鞋をぬいだのは大正九年、十六歳のときである。この頃大谷興行部に属していた藤原朝子、のちの二代天中軒雲月改め伊丹秀子は十一歳のかわいい少女浪曲であった。
藤原朝子は明治四十二年、浅草の生まれ。雲井式部は姉にあたる。彼女は十七歳の時に、大谷興行部から独立し興行師としての道を歩みはじめた永田貞雄と結婚し、初代雲月の許しをうけて天中軒雲月嬢と改名する。後援会には金子堅太郎伯爵をはじめに、高橋是清、鈴木忠治、小笠原長生などの政財界の知名士が顔をそろえた。
昭和四年には渡米公演も実現。さらに昭和九年五月二十七日から四日間、虎丸・友衛・米若・楽燕・雲・重友と当時の大看板をならべ、新宿歌舞伎座、明治座で二代目雲月襲名披露興行を行なう。
雲月は薬研掘から声を出し
名馬も伯楽なくしては世に出るのは難しい。本人の努力もさることながら、雲月嬢から雲月へと人気を高めていったのは永田貞雄の貢献がきわめて大きい。「乃木将軍墓参」につづき<七色の声>を駆使した「杉野兵曹長の妻」が大ヒットし、「九段の母」「祖国の花嫁」など実演・レコード・映画に活躍する。
桃中軒雲右衛門以来、閉ざされていた演劇の殿堂・歌舞伎座で連続して独演会を開催する。しかし夫君との感情的な行き違いから太平洋戦争中に引退が取り沙汰され、この昭和二十二年三月に、雲月を返上し本姓の伊丹にもどり、秀子と改め、再出発した。同じ四月、下谷神社で娘の二代雲月嬢が三代雲月を襲名したが、二十五年には永田豊子として歌手に転じた。
(以上、 実録 浪曲史 唯二郎著 青峰書房刊「天中軒雲月から伊丹秀子へ」より引用。)
--------------
この伊丹秀子さんですが、秀敏師匠から窺った話しによりますと、ほんとうにいろいろな声を使い分けてキャラクターを演じていたのだそうです。唯二郎氏は<七色の声>と記しておりますが、それを発揮されたという「杉野兵曹長の妻」を是非聴いてみたいものです。
また、秀子さんの公演はたいそう人気で、舞台の両花道上、そして舞台両袖までお客で埋まったのだそうです。そのお言葉を証明するのがこちら。いや、まったく往時の浪曲の活況ぶりがまこと窺えます。
(またまた続く)
posted by mniijima : Apr 27, 2010
trackback
trackback URL for this entry:
http://www.mniijima.com/across/cgi/mt/mt-tb.cgi/418
comments
先日は、なにかとお力をお貸しいただき、ありがとうございました。
ところで、伊丹師匠と話しをして、やはり伊丹秀子さんの音を聴き直さねばと思い、CDで持っていた音源(昭和44年録音)「文七元結」を再生してみました。残念ながら曲師は伊丹秀敏さんではありませんし、録音時は伊丹秀子さんの全盛期を越えていると思われますが、いや凄いのひと言です。七色の声...は誇張ではありません。聴いていますと、老若男女...それぞれを声優が担当しているかのように聴こえます。師匠の仰った通りです。
ところで、Niijimaさんが図書館でお借りになった本、どうやら浪曲辞典的に使えそうな気がして、古本で手配しました(けっこう高い本ですね(^^;)。
by masa : April 27, 2010 11:40 PM
masaさん、
こちらこそ、たいへん貴重な機会を設けてくださり感謝いたします。
先日ちらっとお話ししました浪曲16枚組LPは、ぼやぼやしていましたら、他の人に落札されてしまいました。
ということで、次は伊丹秀子さんの盤、1点狙いです。本文中にも記しました「杉野兵曹長の妻」です。録音時期はまだ判らず、曲師も秀敏師匠ではないようです。
masaさんが所有されている盤でも七色の声が誇張ではなかったということであれば、「杉野〜」も是非聴いてみたく、とても楽しみです。
「実録 浪曲史」を注文されたのですか。そうなのです、なかなか高価な本なのでわたくしは都度図書館でと考えておりました。
いろいろとありがとうございます。
by M.Niijima : April 28, 2010 12:38 AM
土曜日は穴子丼をお土産にひと足お先に会場をあとにして、ちょっと、いや、かなり残念でしたが、伊丹秀子さん、僕も探してみようと思います。図書館にあるかもしれない。
by fuRu : April 28, 2010 10:14 AM
fuRuさん、
先だっては、あまりお話しもできませんでしたので、またの機会に是非!
あの後、師匠を囲んでお話しを窺うことができたのは甚く贅沢な時間でございましたよ。とはいえfuRuさんも本番中は師匠の目の前で生音を堪能されていらっしゃったので、それはそれで格別だったことだと思います。
伊丹秀子さんの音源は、千代田区図書館にはございませんでしたけれど、どこかは所有されているのではないでしょうか(調べたわけではないので当てずっぽうですみません)。
by M.Niijima : April 28, 2010 11:12 AM
この記述を読むと、この本がウィキペディアのネタ本だからでしょうが、まさしく語り口から伊丹秀子嬢かあら雲月そして伊丹秀子へと成長していったありさまが短い時間に彷彿されます。新島さんなしには知ることができなかったんだなと思います。ありがとうございました。
by 玉井一匡 : April 29, 2010 7:59 AM
玉井さん、
これは浪曲の本ですから、どちらかといえば伊丹秀子さん側の視線で書かれていると思います。
「名馬も伯楽なくしては世に出るのは難しい。」とはされておりますが、初代雲月の門下にはいること、二代目を襲名すること、そして襲名披露、そういった要点に永田氏の大きな力がぞんざいしていること、永田側からの視線というものが多少欠落しているかもしれません。
そういう点では永田のことを記したwikiの記述は読んでおく必要があるように思えました。
URLのご教示ありがとうございました。
wiki: 永田貞雄
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B8%E7%94%B0%E8%B2%9E%E9%9B%84
by M.Niijima : April 30, 2010 9:12 AM