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August 22, 2009
終戦の日、全国戦没者追悼式が行われる日本武道館のすぐ南、国立近代美術館へ父と行ってまいりました。
ゴーギャン展。
月遅れ盆の日であったからでしょうか、この日、入場はまったく混んでなく、作品も(三鷹市美術ギャラリーでの牧島如鳩展のようにひとりで独占鑑賞できることはありませんが)見やすかったです。
今回の展示は作品点数でボリュームが乏しいながら、大作「我々はどこから来たのか 我々は何物か 我々はどこへ行くのか」を中心に据えたエディテングが秀逸であったように感じました。
展示はフランス時代、ブルターニュやアルルでの仕事から始まりました。
フォルムの徹底した単純化、平面である絵画が1千年以上かけて希求してきた立体への憧憬を破棄し、色彩の階調だけで眼前にあるものを捉えているように思えます。
この時代の各々のモチーフ、そのフォルムをここで見せておくことの意義。
タヒチへ渡ってからの作品は、ブルターニュでの作品からも感じていたのですが、徹底してゴーギャン自身の「よそ者」度が増してくるように思えてなりませんでした。被写体、モデルとの明らかな断絶がその視線から伝わってきます。
そして晩年の大作「我々はどこから来たのか 我々は何物か 我々はどこへ行くのか」へ。
生から死、創世記から黄泉の国へといった一大物語が単純なフォルムの組み合わせで成し得ており、組み合わせられた各々のモチーフはかつて見てきた1点1点の主題に重なってゆくのでした。わたくしはここで、この19世紀末に描かれました作品に同じ世紀のワーグナーの楽劇を重ねて観ておりました。
誤解を恐れずに云えば、両者とも「巨大なごたまぜ」であります。
そして最晩年、ゴーギャンはマルキーズ諸島へと渡りますが、ここでのモチーフのフォルムは弱々しく、生気のない、ひたすら死へ向かっているようなものになってしまっているのでした。そしてゴーギャンはその地で死ぬのですが、ひとり、よそ者として、旅立っていったのでしょう。
9月23日まで。
posted by mniijima : Aug 22, 2009
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comments
ほんとうは、このお盆の間に行こうと思っていたのです。行けなかったので金曜日の夜をねらっています(涙)。
ゴーギャンと誕生日が同じなのです。
by brary : August 23, 2009 4:55 PM
braryさん、
誕生日が同じでしたか、それは行きませんとね!
本文中には記しませんでしたが、1898年作「ファア・イヘ・イヘ」も要注目の作品です。私的には一番感銘を受けました。
どうぞ楽しんできてくださいませ。
by M.Niijima : August 23, 2009 10:59 PM