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June 22, 2009

  偉大なる老翁によって成し得ること、成し得ないこと、(3)

ひとことで言い尽くせるような端的な理由はなかったのです。直前になって俄に臆病風に吹かれ、行くことをやめてしまいました5月16日のコンサート。シュナイト氏と神奈川フィルはこれ以降しばらく共演することがなくなるだろうというのに。

その最後になるかもしれないという舞台ではありましたが、わたくしにはどんな状況でありましょうとも音楽を音楽として判断する力は充分に備わっており、最後という単語が持つ特別な響きに惑わされ冷静な鑑賞ができなくなるとは考えませんでした。
もちろん音楽的には大きな期待感がございました。そして逆にその膨れ上がった期待がはずれた場合の失望も脳裏を過りましたが、このコンビへの信頼は、ここ最近の数少ないわたくしの経験だけでなく、(シュナイト氏が)音楽監督として就任する以前から(首席客演指揮者となった2002年頃より)両者が積み上げてきたベースがあってのことですから、そう容易く崩れるものではないとも思いました。ところが昨今日本の風土にうまく適応しきれなくなった(と非公式に窺っているのですが)シュナイト氏の健康状態は一番の気になるところではありました。
そう、正しくひとことでは云えないのです。自分のなかで混沌を築き上げたことによるサボタージュ。

先日のゲルハルト・ボッセ氏のこともあり、いかなる偉大な芸術家であっても寄る年波というのは避けられないことであり、だからこそ「今、聴くことができる」ことの大切さをあらためて思い知ったのでした。

posted by mniijima : Jun 22, 2009

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