« あの男はいまなにに乗っているのだろうか | main | アナタハ ゲンダイオンガク スキデスカ?(1) »

May 20, 2009

  天高く渡された水の道を

渋谷区猿楽町の路地を抜け代官山郵便局の脇より八幡通りへ、そして旧山手通りから鎗ケ崎交差点へ。駒沢通りを中目黒のほうへ下っていった先、記憶では目黒川を超えたところにスーパー・ダイエーがあったのでした。昭和40年代前半、ときおり近所の商店では揃わない日用品を購入しに、わたくしは母に手をひかれて其処へ訪れたことを憶えております。
鎗ケ崎交差点から目黒川までは下り坂、右手から代官山のトンネルを抜けてきた東急東横線が走ってまいりますと幼少の男の子ですから、それはもう興奮したものでした。

かつてこの下り坂の頭上には旧山手通りにほぼ沿っていた三田用水が、目黒川に向けて標高を落としてゆくこの駒沢通り上を水道橋にして水路を渡していたと、少し前に父、母から聞かされて呆然としたのでした。わたくしにはその水道橋の記憶がなかったからなのです。

もう先週のことになりますが、金曜深夜、日付は5月16日(土)00:15〜00:45の「タモリ倶楽部」では、あの「川の地図辞典」の版元、「之潮」さんの芳賀社長を交えて三度目となる川好き系企画「好評!都内歩いているだけ企画、三田用水のこん跡を巡る!」がオンエアされたのでした。
(先だってGWに芳賀社長にお会いした際にいただいた季刊Collegioの巻末、お知らせの項にちらと番組出演の紹介が為されておりました。)

放送では、鎗ケ崎交差点近くの水道橋、その在りし日の白黒写真が紹介されましたが、その画を見ても思い出すようなことはございませんでした。
幼少のわたくしにとりまして、彼の水道橋はあまりにも高いところを渡していたのでしょう。おそらく視界の及ばぬところ、空に近いところを。


関連エントリー
・MADCONNECTION: 「川好き系タモリ倶楽部 Vol.3

・東京クリップ: 「タモリ倶楽部川を歩く第3弾は三田用水

posted by mniijima : May 20, 2009

trackback

trackback URL for this entry:
http://www.mniijima.com/across/cgi/mt/mt-tb.cgi/333

comments

お久しぶりです。

この放送たまたま見ていました。
Niijimaさんは幼少の頃この辺に住んでいらっしゃったのですね。

昔は小さな川(その頃はどぶ川って呼んでいたような)がアチコチにあったように記憶していますが、今では蓋をされてすっかり見かけなくなってしまいましたね。

by やっ : May 21, 2009 9:58 AM

やっさん、ご無沙汰しております。
はい。この近くに住んでいたのでした。

このあたりでは、いまでこそ、まぁまぁきれいになった目黒川は腐臭を放つ鼠色のドブ川でした。臭いから橋を渡りたくなかったものです。
三田用水の尾根と渋谷川の谷の間、わたくしが住んでいたあたりは波状になった地形で、その谷部分には三田用水から引いていたらしい水路があったようですが、わたしが住んでいたころには流れは見えず、既に埋め立てられた、もしくは暗渠になっていたようです。

by M.Niijima : May 21, 2009 10:35 AM

Niijimaさん、こんばんは。
三田用水は1974年に廃止されたようですが、実際に使用されていた頃の記録があまり無いようです。やはり昭和初めから暗渠になっていたこと、用水を引いていた農家も少なくなり、すでに廃止前から、町の風景から消えていたのではないでしょうか。

by じんた堂 : May 21, 2009 9:59 PM

じんた堂さん、
うちの母は水道橋の存在を憶えていても、それが何のためにあったのか知らないようでした。父は恵比寿の生まれですから「あれはビール工場までつながっていた」と知ってはいても、かつて農業用水として盛んに使われていたことは想像だけの範囲であったようです。

ですから、じんた堂さんが仰るように、かなり前から「町の風景から消えていた」のでしょうね。

by M.Niijima : May 22, 2009 5:54 AM

建築雑誌のバックナンバーで調べてみたら代官山のヒルサイドテラスの第一期工事の竣工が1969年の10月となってましたが、僕はあの場所にヒルサイドテラスが建てられる前を知ってますが、三田用水は記憶に残っていませんでした。ヒルサイドテラスはこの付近の豪農だった朝倉氏の屋敷跡ですが、その旧山手通りに面した敷地内に恵比寿農協があったことを憶えています。こんな都心に農協があったことが意外だったからでしょう。
もしかすると三田用水は朝倉氏の屋敷地内を流れていたかも知れませんね。そうでないにしても、水利権は持っていたでしょうね。

by iGa : May 23, 2009 11:08 AM

iGaさん、
ヒルサイドテラスの第1期工事の竣工は斯様に早い時期であったのですね。当初全ての建築をあまり高く建てなかった、ヒルサイドテラスの再開発スタイルはその後の猿楽・鉢山あたりでマンションが次々に建っていったときにも、あの地域の「よき伝統」として受け継がれていったように思えます。
同潤会跡地にできたあの高層ビルが建つまでは。

タモリ倶楽部のオンエアで映された鎗ケ崎付近の尾根の頂上(へ向けてカメラがパンされた)、そこはヒルサイドテラスの敷地でしょうから、旧朝倉家の敷地内には用水が流れていたかもとのiGaさんのお考えには同感でございます。

以前、じんた堂さんに教えていただいた「藤田佳世著・大正 渋谷道玄坂」を再読いたしました。大和田(道玄坂南側から現桜ヶ丘)、鶯谷、鉢山から西郷山あたりの記述がございましたので、あれ三田用水はどうでしたかなと思ってのこと。
しかし残念ながら、彼の本には三田用水の記述はございませんでした。
そのかわり現第1商高裏あたりには一カ所、崖があり、その下には清冽な小流れがあったとのこと。これから判断するに(現)旧山手通りの尾根から沁みだしてきた湧水が流れになっていたことを思わされます。
鉢山交番裏手からうぐいす団地脇、そして乗泉寺脇の崖の下から鉢山中学裏へと、あきらかに流れがあった跡がありますよね。あの流れのことかな?と思ったのですが、あの水路跡は三田用水から引き入れた農地用水跡と思ってもおりました。果たしてどちらなのでしょう。

by M.Niijima : May 23, 2009 9:42 PM

post a comment




remember personal info?


(you can use some html tags.)