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May 2, 2009
どうもハイドンって取り付きにくい印象が(学生のころ在京オーケストラの定期会員になっていたころから)あったのです。若いときには派手な後期ロマン派を中心とした楽曲を好んでいましたから、ハイドンを地味と思っていたのでしょう。今年はハイドンのメモリアル・イヤー(没後200年)で、彼方此方の演奏会で取り上げられますし、金氏も神奈フィル定期で毎度のように振ってゆくのですから、わたくしもいい年になりましたので、そろそろ真面目にハイドンを聴いてみようと、よい機会になったのでした。
古典派では常套句的でもありますゆったりとした序奏を持つ101番交響曲は主調(ニ長調)の同主調(ニ短調)で陰鬱に始まりますが、主部にはいりますと明るい明るい。人の感情を音に込めるという考えがまだない、ただひたすらに響きの美しさと理路整然とした運動をもった音による造形を目指した時代の良心的な音楽。
ところが神奈川フィルのアンサンブルはいまひとつパっとしません。縦の合わせ、ならびに和音の不安定さが、内声を量的に充実させたことによって、余計に露呈されてしまったように思えました。それでも段々と調子を戻していった1楽章でした。
2楽章。この楽章のファゴットと弦のピッツィカートで奏でられる基調リズムが時計の振り子を想起させたことによって「時計」という表題が19世紀に付加されたのですが、途中、ファゴットのみで振り子のベースを奏で、弦は1st Vlのみが主題変奏を弾くところ、フルート、そしてオーボエがそれぞれソロでかぶさってくるところはすこぶる美しかったです。そして楽章最後の盛り上がりの最中、フルートの下降ラインがふわっと弦の中から顔を覗かせた瞬間、鳥肌がたちました。
3楽章も中間部、トリオではフルートが大活躍。神奈川フィルの主席フルートとオーボエの方は素敵ですねえ。
さて、先を急ぎます。2曲目はベートーヴェン第3交響曲ホ長調。
1曲目に空席でありました2nd Vlの後方席も埋まり10, 12, 7, 6, 5という弦楽5部に、ホルンも1本追加となり3本へ(これは楽譜指定どおり)。パン、パン、という2発を聴いていきなり主題にはいる当時は破格な曲でありましたこの第3交響曲ですが、私的には続く第4、第5(交響曲)の強烈な曲以上に浪漫的な印象が強いのです。第4や第5での強烈な推進力(一般的には第4はおとなしい印象があるようですが)はベートーヴェン唯一のもので、以降の19世紀浪漫派の作曲家たちはそのベートーヴェンが極みに至った方向から視線をずらし新たな表現を模索してゆくのですが、結果浪漫派の音楽はこの第3あたりを父親的に捉えて発展してゆくように思えるのです。
金氏のこの日の演奏は、そんな浪漫派の父としての姿を(歌うフレーズの表情づけなど)前面に出すのではなく、あくまで構成を大切に、音の積み重なりが見えてくる演奏を為したと思います。
ところで3楽章では3本のホルンが大活躍するのですが、う~ん。ところどころ音を割るような奏法をしていたのですが、その意図がよく理解できませんでした。ベートヴェンの時代はそうだったのかしら?
4楽章。大団円に向かってゆくオケ全強奏がこの日の(ハイドンも含め)オケ音量のマキシマムに達するように仕立てられたコントロール。それにティンパニーの最強連打が加わり圧倒的なエンディング。ブラボーの声も飛び交いみなとみらいの聴衆の大方はこの新しい指揮者を好意的に迎えたようですね。
瑕も多くありましたが、短い期間のリハでは恐らく痺れるようなやりとりを経てきたのでしょう。そういった過程がよく見える演奏会でした。これからも濃いリハを重ねに重ね、より高い次元の音楽を目指していってほしいと、演奏のまとまりとしてはこの日、最高の出来であったかもしれないアンコール、ベートーヴェンの「プロテメウスの創造物」を聴きながら、新しい指揮者、金氏への期待がどんどんと膨らんでいったのでした。
posted by mniijima : May 2, 2009
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