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March 23, 2009

  光と影が築くもの、そのもうひとつの可能性

光と影は物体に形状を与えます。
物体は形状を把握されて初めて固有の物として認識されます。
そして光と影は一対でそれを為し、どちらかが欠けても成立しないものではないでしょうか。
ところが物体そのものに形状を与える光が直接あたっていなくとも、周囲に光、または光による強い反射があることで物体は浮き上がり存在を示すことが可能な場合もあります。そして物体の一部が影に埋もれて形状を把握しきれなくとも、わたしたちには想像力があり、描かれていない其処の形状を窺い知ることもできるのです。
斯様に表現された写真作品に出会いました。それはまさに作者である芸術家とわたしたち鑑賞者の共同作業によって(描かれていないところを)補完するといった作品であったように思えます。
そしてわたしは、それらの作品が持つ力と、それを生み出した芸術家に、唯々圧倒されるばかりでございました。

清家冨夫 作品展「NUDE」を芝浦のP.G.Iさんにて観てまいりました。

写真作品について話をするうえで、何が、どれだけ、どのように、写っているか、そのことが(レンズの解像度云々の話でないことはお解りでしょう)問題になるケースが多々ございます。まさに被写体そのもの、またはそのフォルムが表現としての要点となる場合でございます。ところが清家氏がこのたび発表されました「NUDE」作品は、主被写体であります女性の肢体が、影に埋もれてしまっていたりして、充分に把握できないことがございました。ところがその影に埋もれた箇所が、なんと雄弁にフォルムを語っていたことでしょうか。それは鑑賞者であります、わたくしの頭の中なのか、心の中なのか、いづれにしろ、わたくしの内部でしっかりと美しく像を結んでいったのでした。
その作品群は、単純に美しいフォルムを精緻に見せてくれるだけの作品以上に、わたくしの眼になんと魅力的に映ったことでしょう。
展示は4月11日まで続いているそうです。わたくしも少なくとももう一度は足を運び、そして再び圧倒されたいと思っているのでございます。

拙ブログ:清家冨夫氏関連エントリー
いつもギリでゴメンナサイ

黒のなかの黒と、白へ至る過程

昇華サレルニ必要ナコト(1)

昇華サレルニ必要ナコト(2)

posted by mniijima : Mar 23, 2009

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comments

まだ拝見しておりません。
4/11迄ですよね、必ず行きます。

by やっ : March 23, 2009 12:36 PM

やっさん、
そうでしたか。とても素晴らしい作品展ですから、お勧めですよ。

by M.Niijima : March 24, 2009 1:11 AM

お勧めの 清家冨夫 作品展「NUDE」を芝浦のP.G.Iまで行って来ました。
素晴らしかったです。
値札の付いた写真作品展を見たのは初めてで、
版画のような販売方法なのですね。

by シェリー : March 30, 2009 4:57 PM

シェリー様
ご無沙汰しております。その節はお世話になりました。
清家さんの作品展をご覧になられ、そして作品の素晴らしさを堪能されたとのことですが、このエントリーを記してよかったと思います。

P.G.Iさんのような本格的ギャラリーは、まさに美術品のギャラリー(=画廊と呼んだほうがイメージしやすいかもですね)と同じで、作品展は単なる発表会ではなく、作家の新作品を披露して顧客を募る場でもあるのですね。そして写真は版画と同じく、複製が可能ですから、いくつ複製した内の何番目かが解るエディションナンバーが作品に記されています(例えば50プリントしたうちの10番目ならば、10/50という数字があります)。

エントリー本文には記しませんでしたが、1階で展示されていました「18 hours」の数点も想像力を喚起されてたいへん魅力的でした。

コメントをお寄せいただき、ありがとうございました。

by M.Niijima : March 30, 2009 7:53 PM

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