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March 7, 2009

  おもちゃのピアノって、ひどく悲しい音で響きませんか?

日頃、音楽の評論、評文をほとんど読みません。音楽家が書いた文章はおもしろく、こちらは読むことが好きなのですけれど、評論家の先生の文章は必要としていないと云いますより、あまり信用していないのが本音です。
そんな偏見を持つわたくしですが、最近(購読している)毎日新聞で音楽評や、コラムを書いていらっしゃる(同新聞社学芸部専門編集委員)梅津時比古氏の文章はなかなかおもしろく、楽しみにしているのです。

その梅津氏が夕刊で連載されているコラム、先週分はある地方都市でおこなわれたクラシック・コンサートのステージ評が掲載されたのでした。
仕事から帰宅し、遅い夕食をひとりで摂りつつ拝読したその回のコラムに、わたくしは涙が溢れそうになるほどひどく哀しい気分になったのでした。

コラムは国内若手の作曲家による新作協奏曲の日本初演の様子がテーマで、ピアノ協奏曲の本質(「ピアノとオーケストラの異質性をどうつなぐか」 - コラムより引用)に迫る楽曲内容を紹介し、そこから作曲家による社会への問いかけを発見するに至り、楽曲への深い理解と賛辞が綴られておりました。

ところで小学校の中頃になりますと男子より女子の方が、マセてくると云いましょうか、若干の成長の早さが目立って参ります。斯様な年頃、憧れているのに、その女子クラスメートへの接しかたがまったくわからず逆に嫌われてしまった筆者自身の思春期直前に起こった悲しいエピソードが、このコラムのおよそ半分を占める序の文として秀逸に用意されておりまして、それは協奏曲の終盤の内容と、彼が発見した作曲家による社会への問いかけとが、そのエピソードにシンクロナイズされてくるのです。

わたくしがこのコラムにいたく反応したのは、筆者が発見した作曲家による社会への問いかけと、楽曲終盤がおそらくはたいへん哀しく響きわたったであろうことを想像させる、あるキーワードの存在が原因であります。
そのキーワードによって立ち上がる哀しみは、わたくしが、日頃抱えている思いと、いま写真として表したいテーマにたいへん近いものであるように思ったからなのです。

posted by mniijima : Mar 7, 2009

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comments

そのコラムを読みたくて 新聞入れをひっくり返してやっと見つけました。

コラムを読み、M.Niijimaさんのこのエントリーを読み返しました。
私達は、皆、その哀しみを抱きながら生きていて、この一瞬もやはり 何年も経つと 同様に思い起こされるものとなるのだろうという気がしています。
ずれた事を言っていたらごめんなさい。

表現者は 表現行為の前に 既に孤独ですね。
そして、表現すればするほど 改めて それを反芻する事になるんじゃないかという気がします。
それでも 奥底から突き上げてくるものが表現させるのだとしたら、それと同じエネルギーを持って見聞きできるよう、受け止める側も又 真剣に存在を磨いていなくちゃと思うのです。


存在をぶれさせない事と 変化し続け広がり続け 要らない物を削ぎ落とし続ける事を同時に行う事ができれば、受け止めるだけである私達も また クリエイティブな存在でありうるんじゃなかろうかと 甘い期待をしています。

本気の表現者達の作品を受け止めるなら せめて 私も鎧兜等ほおり投げて わたしという存在だけで対峙したいのです。
そのために 自身を磨き続ける必要があると思うのです。

このエントリーを読んで、M.Niijimaさんが いつか写真で表現なさる世界が とんでもなく楽しみになりました。


ひょっとしたら トイピアノの問いかけは ワイングラスの中の共鳴を越えて溢れ出し、このエントリーとなっているのかもしれません。
そう思う時 わたしには「81/2」の最後の最後で フェリーニが得たであろう境地に シンクロして行くように思えます。

by 光代 : March 8, 2009 5:28 PM

光代さん、

新聞入れをひっくり返してまで、ここで取り上げましたコラムを読んでくださったことで、なによりわたしのエントリーを正確に(しかもどうやら2回も読んで)汲んでくださったこと、さらにはこんなにも魂のこもったコメントをお寄せいただき、なんと申し上げたらよいのでしょうか? わたくしには唯々阿呆のように、ありがとうの言葉を繰り返すしかございませんです。

人生の先輩から、
> 皆、その哀しみを抱きながら生きていて、
と明言されますとこれまた哀しい気持ちにもなります。まだまだ青いですね。
わたくし自身、30歳代のころはそのことへ対しての観念的な理解に留まっていたように思います。切迫してきたのは最近のことです。

そして、
> それでも 奥底から突き上げてくるものが表現させるのだとしたら、
突き上げてくるのですよね。わたくしの言い方では、食べたり、排泄したり、眠ったりすることと同義なのです。どうしようもなく、それをしてしまわなければならないこと。光代さんも、きっとどうしようもなく、それをしてしまうのだと思います。ですから受け止める立場においても同じくクリエイティブであるのではないでしょうか。ですから(わたくしは未見ですが)濱田庄司氏と、わたしが大意を記しました岡本太郎氏の、ともにものづくりを為す方々の言葉に反応なさったのだと思います。

> ひょっとしたら トイピアノの問いかけは ワイングラスの中の共鳴を越えて溢れ出し、このエントリーとなっているのかもしれません。
わたくし自身、尊大にそのように思ってはおりませんが、このエントリーに対して最大級の賛辞をいただいてしまったように感じます。
本来、作曲者 - 演奏者 - 鑑賞者、という図式の後にそれを記す行為が加わるのでしょうが、今回は、鑑賞者 = わたし、ではなく、鑑賞者 = 評者 - 評文(コラム)という媒介を経て届いたものですから、女子クラスメートに嫌われてしまった梅津少年の悲しさが直接わたしを揺さぶったのでしょう。
フェリーニの「8 1/2」、久々にそのタイトルを思い出しました。記憶が正しければ道化師が奏でたトランペットの旋律に、これまた心を揺さぶられて涙したはずです。

by M.Niijima : March 8, 2009 11:26 PM

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