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March 31, 2009
  JEDI・春だから荒ぶる川の桜と水門...(2)

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2:33 AM permalink | earth diving | comments (2) | trackbacks (0)

March 29, 2009
  JEDI・春だから荒ぶる川の桜と水門...(1)



花冷えが続き、桜花も躊躇している今年の春のはじめ。3月28日の土曜日にJEDIのみなさまと「JEDI・春だから荒ぶる川の桜と水門...」アースダイブに参加してきました。
十条銀座を経て、赤羽の谷戸と台地を堪能し、旧陸軍施設に入り込んでいました鉄道線跡(現在は緑道公園)をぽっぽと歩き、腹部を新幹線に貫通された八幡様に憐憫の念を懐き、そして一路岩淵へ、荒川が放水路と隅田川に分岐するところの水門を愛で参りました。
今日の写真は赤羽の谷戸(低地)で撮ったスナップを。台地の高級住宅街に比して低地の魅力には抗えないのでした。


関連エントリー
・MADCONNECTION: 「JEDI・春だから荒ぶる川の桜と水門...

・aki's STOCKTAKING:「JEDI・春だから荒ぶる川の桜と水門...

・ONE DAY:「アースダイビング『JEDI・春だから荒ぶる川の桜と水門...』28March.2009

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March 23, 2009
  光と影が築くもの、そのもうひとつの可能性

光と影は物体に形状を与えます。
物体は形状を把握されて初めて固有の物として認識されます。
そして光と影は一対でそれを為し、どちらかが欠けても成立しないものではないでしょうか。
ところが物体そのものに形状を与える光が直接あたっていなくとも、周囲に光、または光による強い反射があることで物体は浮き上がり存在を示すことが可能な場合もあります。そして物体の一部が影に埋もれて形状を把握しきれなくとも、わたしたちには想像力があり、描かれていない其処の形状を窺い知ることもできるのです。
斯様に表現された写真作品に出会いました。それはまさに作者である芸術家とわたしたち鑑賞者の共同作業によって(描かれていないところを)補完するといった作品であったように思えます。
そしてわたしは、それらの作品が持つ力と、それを生み出した芸術家に、唯々圧倒されるばかりでございました。

清家冨夫 作品展「NUDE」を芝浦のP.G.Iさんにて観てまいりました。

写真作品について話をするうえで、何が、どれだけ、どのように、写っているか、そのことが(レンズの解像度云々の話でないことはお解りでしょう)問題になるケースが多々ございます。まさに被写体そのもの、またはそのフォルムが表現としての要点となる場合でございます。ところが清家氏がこのたび発表されました「NUDE」作品は、主被写体であります女性の肢体が、影に埋もれてしまっていたりして、充分に把握できないことがございました。ところがその影に埋もれた箇所が、なんと雄弁にフォルムを語っていたことでしょうか。それは鑑賞者であります、わたくしの頭の中なのか、心の中なのか、いづれにしろ、わたくしの内部でしっかりと美しく像を結んでいったのでした。
その作品群は、単純に美しいフォルムを精緻に見せてくれるだけの作品以上に、わたくしの眼になんと魅力的に映ったことでしょう。
展示は4月11日まで続いているそうです。わたくしも少なくとももう一度は足を運び、そして再び圧倒されたいと思っているのでございます。

拙ブログ:清家冨夫氏関連エントリー
いつもギリでゴメンナサイ

黒のなかの黒と、白へ至る過程

昇華サレルニ必要ナコト(1)

昇華サレルニ必要ナコト(2)

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March 19, 2009
  出航の銅鑼の音よ、私達の大切な師を無事に送り出したまえ(3)

オルガンが加わったオケと合唱、そして4名の独唱者による豪華絢爛な楽曲。わたしはどうもシーケンス(またはゼクヴェンツ=反復進行)にゲネラルパウゼ(全休止)、またシーケンスにゲネラルパウゼ、飽くなきファンファーレ。楽曲そのものも長大なブルックナーの交響曲が苦手でして、この「テ・デウム」くらいのサイズが(声楽も伴って楽しめますし)聴きやすいと思っておりましたから、この晩のシュナイト氏による演奏はたいへん楽しみだったのです。


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March 17, 2009
  出航の銅鑼の音よ、私達の大切な師を無事に送り出したまえ(2)

ブラームスの「哀悼の歌 op82」に続きまして、同じく合唱とオーケストラによる「運命の歌 op54」。この曲の美しい前半には何故だか「遥かなる調べ」という言葉が想起されるのです。そして中盤から強く激しい音に。天上のことを歌っていた合唱は、地上の厳しさを歌い始めますが、ここのところシュナイト氏の棒はぐうっとテンポを落としておりました。それに伴い強いアクセント時でも縦に積み上げました和音がよく響き、また前半部との対比がより明確になっていたように思えます。
そしてオケだけによる後奏。前奏の旋律を用いながら再び「遥かなる調べ」に。弦をより歌わせていた前奏に比して、こちらのほうが木管が立つオーケストレーションのようですが、神奈川フィルの木管セクションは美しく響いておりました。ああ、終わらないでほしい。

休憩を挟みまして、この晩の最後の曲はブルックナーの宗教曲「テ・デウム」。

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March 15, 2009
  出航の銅鑼の音よ、私達の大切な師を無事に送り出したまえ(1)

悲劇的序曲。ブラームスが書きましたコンサート用管弦楽曲。明るい調子の「大学祝典序曲」とともにコンサートではよく演奏される人気曲でしょう。
ハンス=マルティン・シュナイト、神奈川フィルハーモニー管弦楽団は、先週の第1交響曲の好調を維持したまま、鋭いアインザッツをもってこの曲を演奏されておりました。

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March 13, 2009
  出航の銅鑼の音よ、私達の大切な師を無事に送り出したまえ(続序)

ハンス=マルティン・シュナイト指揮、神奈川フィルハーモニー管弦楽団定期演奏会へ行って参りました。今夜も素晴らしい演奏に身体が震えました。
先ほどアップロードしました「出航の銅鑼の音よ、私達の大切な師を無事に送り出したまえ(序)」にて、CDの会場売りのことを記しましたけれど、今回も川崎と同じ業者さんのようでしたが、シュナイト=神奈川フィルのライブを収録・リリースされているレーベル「MusicScape」さんの商品もしっかりと並んでおりました。

演奏会の様子はまた次回に。

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  出航の銅鑼の音よ、私達の大切な師を無事に送り出したまえ(序)

コンサートの日、ホールや会館で出演アーティストのCDを売っておりますが、たいていは地元の小売店が出張してきて販売を行う習慣になっております。これは地元小売店の営業を護るという面で有用な商習慣だと思います。
先日訪れましたMUZA川崎では、川崎の業者さんではなく、横浜駅前の某楽器店(のおそらくはCD販売部門)が販売業者としてはいっておりましたが、現在のシュナイト=神奈川フィルの録音物をリリースしているレーベル「MusicScape」さんの商品を並べておりませんでした。
当日の演目にちなみ、ブラームスの第1交響曲が収められたいくつかの盤が目立っておりましたが、この場でカラヤン指揮などの盤を置いていても、それはいささか焦点ボケな感じが否めませんでした。
ところが同じ国内でシュナイト氏が大活躍をしていましたシュナイトバッハ合唱団の作品は数々並んでおり、こちらは「LIVE NOTES」というレーベルからのもの。おそらくはこの小売店とレーベル(流通業者との)取引の有無が今回の商品陳列に影響しているのでしょう。
小売店側もレーベル側も、そして神奈川フィルとしてももったいないことだったのではないでしょうか。


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March 10, 2009
  かつての荒野に響く、壮麗な音の伽藍(3)

交響曲におきまして、ゆったりとしたテンポの序奏が置かれるケースはハイドンの時代あたりでは定石であったのですが、段々と廃止されていった傾向にあって(いきなり第1主題を提示するインパクトはベートーヴェンの第五交響曲でその効果が最大限実証されたからでしょう)、ブラームスも第1交響曲以外では採用しませんでした。
その古典的なオプションであるゆったりとした序奏ではございますが、ブラームスはあくまでも19世紀の人。ハイドンの時代には違反と云ってもよい半音階的上昇音形を用い、古典派の先達の伝統を重視し感情を音で表現するのではなく、絶対的な音の構築による音楽を目指したブラームスが20年かけて拵えた作品の冒頭でいきなり古典派の枠組みを乗り越えているところに作曲家の強い意志を感じます。
ハンス=マルティン・シュナイト指揮、神奈川フィルハーモニー公演「名曲コンサート 珠玉の名旋律」後半の部、ブラームス作曲「交響曲第1番ハ短調 作品68」の序奏が重厚に始まりました。

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2:27 AM permalink | classical music | comments (4) | trackbacks (0)

March 8, 2009
  かつての荒野に響く、壮麗な音の伽藍(2)

オケ全強奏によります4小節に続きチェロのカデンツァが始まります。ハンス=マルティン・シュナイト指揮、神奈川フィルハーモニー公演「名曲コンサート 珠玉の名旋律」の第1曲目、神奈川フィル主席チェロの山本裕康氏は甘く柔らかな音でカデンツァを弾き始め、それはヴァイオリンへと引き継がれてゆきます。普段は指揮者にもっとも近い席に着きオケを引っ張るコンサートマスターであります石田泰尚氏。すらりと高い背に、とんがった茶髪にピアス、神奈川フィル公演のロビーでは「俺様 石田泰尚」と書かれたTシャツも人気の若きコンサートマスターでありますが、今日の第1曲目はすくっと立ったまま、ソリストとしての出演です。チェロから渡されたカデンツァを美しく繊細な音で弾いてくださいます。素晴らしいヴァイオリニストですね。

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  かつての悪所に響く、壮麗な音の伽藍(注)

前回エントリーのタイトルを当初「かつての悪所に響く、壮麗な音の伽藍(1)」といたしましたが、現在MUZA川崎が建っている地、およびショッピング・モール化された地域が「悪所」であったわけではございません。そのことでご指摘ご批判をいただいたわけではございませんが、心を痛めた方もいらっしゃったかもしれません。もし斯様なことがございましたら深くお詫び申し上げます。
当初のタイトルでは誤解を招くおそれがございますことより、「かつての荒野に響く、壮麗な音の伽藍(1)」と変更させていただきました。再開発直前の川崎駅西口の風景はまさに都市に忽然と誕生した、唯々だだっ広く土埃が舞うまさに荒野のようでした。
以降続くシリーズのエントリーも全て「かつての荒野に響く、壮麗な音の伽藍」を用いてゆくことに致しました。

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March 7, 2009
  かつての荒野に響く、壮麗な音の伽藍(1)

京浜工業地帯のまっただ中で、臨海部だけでなく、JR線に沿った地域でも大手製造業の本社や工場が集まる川崎。労働者のためには競輪競馬の公営ギャンブル場が用意され、またJR駅の北と南にはそれぞれ色町も発展したこの地域は、長きにわたり雰囲気のよくない街としてのイメージが定着していたように思えます。
斯様なイメージを払拭しようと、製造メーカー跡地を再開発し、現在のJR西口一帯はあらたな商業地域として、どこにでもあるようなショッピングモールと様変わりしております。その再開発の先駆けとなったのはオフィス棟、ショッピングモールが一体となったMUZA川崎でしょう。このビルの中心はコンサートホールで5年前の平成16年にオープンされています。
世界的に活躍する川崎出身のピアニスト、小川典子氏もアドバイザーを務め、たいへん響きのよいホールなのだそうですが、なかなか機会なく訪れることが叶いませんでした。

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  おもちゃのピアノって、ひどく悲しい音で響きませんか?

日頃、音楽の評論、評文をほとんど読みません。音楽家が書いた文章はおもしろく、こちらは読むことが好きなのですけれど、評論家の先生の文章は必要としていないと云いますより、あまり信用していないのが本音です。
そんな偏見を持つわたくしですが、最近(購読している)毎日新聞で音楽評や、コラムを書いていらっしゃる(同新聞社学芸部専門編集委員)梅津時比古氏の文章はなかなかおもしろく、楽しみにしているのです。

その梅津氏が夕刊で連載されているコラム、先週分はある地方都市でおこなわれたクラシック・コンサートのステージ評が掲載されたのでした。
仕事から帰宅し、遅い夕食をひとりで摂りつつ拝読したその回のコラムに、わたくしは涙が溢れそうになるほどひどく哀しい気分になったのでした。

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March 3, 2009
  その歌手の奇妙な果実度(4)

billie_fruit_satin.jpg


2組のLPを入手。さらっと聴いたところ、よい表現もあるし、ううむなところも。
Lady in Satinのほうは晩年の作品ですので、だいぶ録音技術も進歩(それでもまだまだなのですが)してきていていますね。ビリーの皺枯れたヴォーカル、それに比してとろりと甘いオケのサウンド。
さらに突っ込んだ感想はもう少し聴きこんでからアップしようと思います。

3:04 AM permalink | jazz | comments (2) | trackbacks (0)