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February 13, 2009

  その歌手の奇妙な果実度(3)

ビリー・ホリデイを取り巻いていた状況はとんでもなく悲惨で、それは当時の米国社会の暗部をみごとに映し出しているように思います。彼女の生涯をご存知のないかたにはwikiの解説がよくまとまっていて参考になります。(参照:(注)リンク先の『奇妙な果実』項にはかなりショッキングな写真が使用されておりので、ご注意ください。:wikipedia: ビリー・ホリデイ


下層社会から一見きらびやかな音楽ビジネスのなかへ入り込んだビリー。周囲から羨まれるほどの報酬を手にするまで才能を開花させていったのでしょう。ところが稼いだ金のほとんどは搾取され、または薬物とアルコールへと替わっていったようです。
結果、声帯は荒れ、違法行為は活動場所を狭めていったのです。
周囲の人物が悪すぎた。環境があまりにもひどかった。まさにその通りでしょう。弁護の余地はたくさんあるのでしょう。しかし、いち音楽家として、「Strange Fruit」に涙したリスナーたちを裏切ったことにはならないでしょうか? コモドア・レコードに吹き込んだあのピュアな「Strange Fruit」を愛した人々にとって、それを歌った最愛のヴォーカリストが壊れてゆく様を見てゆくのはどんな気分だったのでしょうか? 最後は彼女自身がまさに「奇妙な果実」になってしまったのです。

わたくしは全ての感動的な音楽行為が、癒しや、励まし、または美の共感につながるとはまったく考えておりません。それでも彼女の声はあまりにも辛い。
ところで、ビリーが壊れてゆく前の素晴らしい歌唱を知ったいま、例えば光代さんが(ふたつ前のエントリーのコメントにて)晩年の彼女の歌唱で心惹かれたという楽曲を教えてくださりました。たとえそれがたいそう皺枯れた声のものであったとしても、是非聴いてみようという気持ちになっているのです。
いま同じく晩年のヴァーブ時代の歌を聴きながらこのエントリーを記しています。その歌声を聴いていますと「鑑賞行為もある意味ひとつの芸術行為である」という意味のことを言った現代美術の寵児で大家であります岡本太郎氏の言葉(「ピカソへの挑戦 ー 権威破砕の弁証法」/「原色の呪文:文芸春秋社刊:絶版」に所収)を思い出すのです。

posted by mniijima : Feb 13, 2009

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comments

ジャズを知らない私が チラと書いたことを 大切に受け取って頂いて 感謝しています。


ジャズボーカルを習い始めて 余りの困難さに悩んでいた時(3年ほど前でしょうか)、ジャズ・オン・トップと言うライブハウスのマスターが 手回しのレコードプレイヤーで ビリー・ホリディを聞かせて下さいました。

その音の素晴らしかったこと!!
その時 初めて、彼女がなぜそのように歌ったかが 耳を通して 身体で分かった気がしました。
それが何なのか 言葉にできずにいますが。

なぜか分かりませんが、むしろ 生で聞いているかのように リアルな感じがしたのです。シャーシャーと 音も悪かったのに!

「鑑賞行為もある意味ひとつの芸術行為である」と言う事についてですが、先日参りました「濱田庄司展」でも 同じような言葉に出会いました。

「自分の目で物を見られる人は仕合せです。
 そう言う見方だけで 一つの発見であり、一つの創作であると言えましょう」

どちらも表現者自身の言葉だという所が なかなか面白いですね。


by 光代 : February 14, 2009 12:33 AM

光代さん、
ジャズを知らないだなんて! そんなこと云いましたら、わたしだってどれ程知っているのか。
知識として、情報として、視聴の体験数、そういうことを超えて光代さんはビリー・ホリデイの歌に涙することができる。音楽に触れるにあたりまして、そういう心を持っているほうが明らかに豊かで素敵なことです。

音楽もそうですし、他の芸術分野でも、「自分の目でみること」以外に意義は見出せないくらいです。
その自分の感じたこと(または誰かが感じたこと)が、一般的な考えや評と違っていても全然構いやしないのですもの。そういう考えや評に触れることもまたひとつの体験だと、さらにわたくしは思うのです。

by M.Niijima : February 14, 2009 11:17 AM

ありがとうございます。
こんな風におっしゃって頂けて 少し元気になりました!

若い頃から 自ら「情報を退けて芸術を鑑賞する」ことをしてきてしまい、そのマイナス面を感じている所でした。

でも、M.Niijimaさんにこのようにおっしゃって頂いて、そこにある良さも思い出しました。
私自身 それをこそ 求めていましたのにね。


さて、芸術を、あるいは他の物事も「自分の目で見ること」をする時、その目が 曇ったり歪んだり 陰ったりしないよう、自分自身の精進が必要ですね。
精神的なことはもちろん! 身体もピュアでヴィヴィッドな状態にしておく必要があるな〜と思っています。

それをいつも考えています。
それらの簡単な記録が 私のブログだと思っています。

M.Niijimaさんのブログには たくさんの情報が書かれていますが、それを通して見えてくるのは ご自分との対話です。
私には決して出来ない 物事へのアプローチと深い考察と そしてこれ又 わたしにはできない「評価の多様性」が とても有り難いです。

by 光代 : February 15, 2009 10:47 AM

光代さん、お返事が遅くなりまして失礼をいたしました。
それにしても分に余るお言葉を頂戴し恐縮しております。

「情報を退けて芸術を鑑賞する」ことで鮮度の高い感覚を得られることもあります。ところが現代の芸術がなぜ斯様なことになっているのか、その実は歴史的なことも知らなければ充分に理解は敵わない場合もあるかもしれませんが、そうした知識情報を、いかに自身の内に留め、新鮮な感覚で作品に触れることができるかどうか。光代さんが記されたように心も身体もピュアでヴィヴィッド! であるよう研磨する必要がありますよね。
ところで光代さんはバレエもなさっていたと記憶しているのですが、直接的な身体表現による芸術は、わたくしのような素人が観ても抜きん出て素晴らしいものはたいへんよく解ります。それは音楽や美術以上にスッとこちらの身体にも伝わってくるところが興味深いですね。

by M.Niijima : February 16, 2009 1:11 PM

そうなんですよね!
情報があることで もっともっと 深く感じることができると思うのです。
それで 自分の越してきた道を 反省しているという訳です。

さて、バレエは とっても良い年になって始めて、腰痛対策程度にしか出来ていませんのです。
でも 昔から 憧れていたのです。
どんな道具も使わずにする肉体での表現行為に。
素敵じゃないですか! それが出来たら 言葉の通じない国に行っても その肉体の表現行為で その国の方々を感動させることができるかも知れないんですもの。


踊ること 歌うこと・・・・・その根源にあるものに惹かれます。そこには ひょっとしたら 時代や国境を越えた 人としての感動の根っこがあるんじゃないかと 甘いこと考えています。

そして 上手くすれば 平和をもたらす行為だなと 信じたい所です。

それらを こんな年になってから始めるなんて おかしいですよね!

by 光代 : February 17, 2009 12:52 AM

> 踊ること 歌うこと・・・・・その根源にあるものに惹かれます。そこには ひょっとしたら 時代や国境を越えた 人としての感動の根っこがあるんじゃないかと 甘いこと考えています。

いやいや、光代さん。人としての感動の根源がそこにあるかもと察していらっしゃること、わたくしも同感ですよ。
私的には感動とは共有するもので、その共有は、踊る、歌うという行為を一緒に為すことで得られるのではないかと考えています。そういった共有感がまさに平和へとつながる最たるものではないのかなぁと思うであります。
そしてバレエもヴォーカルも、それらに励んでいらっしゃる光代さんは、そういった共有を為すもっとも近い場所にいらっしゃるわけですから、とても羨んでいるんですよ。

by M.Niijima : February 17, 2009 3:03 PM

やばい!!(・・;
精進しなければ・・・・・アセアセアセ・・・・(・・;


by 光代 : February 18, 2009 1:24 AM

光代さん、
精進と云いましょうか、一所懸命な生き様を(それはとても美しいことだと思います)ブログを通じて拝見しておりますよ!

by M.Niijima : February 18, 2009 8:53 PM

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