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October 19, 2008

  出航の銅鑼の音はドイツの響き(2)

ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲。ティンパニーによるトントントントントーンという5つの音で始まり、木管楽器が歌い始めます。そして弦が受けるところの出だし、ずっこけな響き。強奏になり気を取り直し、オケによる主題提示部をじっくりと聴き進めました。その間、ソリストの竹澤恭子さんは背をピンと伸ばし集中力を高めようとしているのがよくわかりました。そしてソロ・ヴァイオリンの登場。自身の内に向かうように弾き始め、そして次の瞬間、指揮のシュナイトさんに、どう?と寄り添うように身を傾けたのが印象的でした。細かいピッチのずれがいくつかはございましたけれど、シュナイトさんが引っ張る、堂々としたテンポのオケにのってゆく竹澤さん。「ヴァイオリン協奏曲の王者」と呼ばれながらも、同じベートーヴェンの第4交響曲のような豊かな情感や歌謡性溢れるメロディもたっぷりつまったこの曲の長大な第1楽章、カデンツァの出来も素晴らしく堂々と弾ききってくださり、大満足な楽章となりました。

穏やかな弦楽の主題で始まる2楽章。弦5部は12, 10, 8, 6, 4でしたがその編成のバランスを超えて、低域に重心が感じられるのがこのオケの、またはシュナイト・バランスの特徴なのか、3階席に到達する響きの所以なのか今夜だけの体験では判断できませんが、ずっしりと響きます。
中間部変奏中の独奏ヴァイオリンがとても高い音に2度ほど行き着くところ、竹澤さんの楽器は、なんと柔らかく、美しい音を奏でたでしょうか、ああ、と、溜息を漏らしてしまいそうでした。竹澤さんは素晴らしい楽器(公演プログラムによりますと1710年製ストラディヴァリウス)をお使いのようですが、こういったことは楽器固有のものである以上に、さすが充実、安定した実力をお持ちのソリストならではの音なのだと思います。

3楽章。ぱ、ぱっーぱ、ぱら。ぱ、ぱっーぱ、ぱら。というリズムのロンド主題。太字で示しました2音目をテヌートぎみに弾き始めた竹澤さん。それはオケにも受け継がれます。これは跳ねる感じを軽減し、たいへん重厚な響きをこのロンドに与えていると感じました。それはいかにもドイツ的な奏法ではないかと思いましたが、単に斯様な評論家思想的な効果に留まらず、その後の独奏ヴァイオリンによる変奏の細やかさ繊細さがより目だってくる対比的な効用も充分にあったように思えました。
この長大な協奏曲を、充実した響きとともに聴かせてくださった竹澤さん、シュナイトさん、そして神奈川フィル。なかなかなのでした。


さて、前半の充実ぶりから、当然後半のブラームスにも期待がかかります。当夜は19世紀ロマン派のまん真ん中に立ち、ワーグナーとはまったく別な形で、17、8世紀のバロック、古典音楽以来の伝統を総決算し、そして20世紀へとつないでいったブラームス、彼が遺した最後の交響曲、第4番ホ短調。外見上の華やかさが希薄で、渋い変奏を多用した楽曲であることから、彼の交響曲中、最も地味な存在かもしれませんが、わたくしは(なかなか手をだせませんでした第1交響曲とは違い)学生のころから親しんだ楽曲であります。
冒頭、またへなちょこな響きを聴かされてしまいました。2曲とも冒頭が崩れてしまうとは、あーあ、ですが、なんとか自身の機嫌を戻して演奏に再集中します。ゆったりとしたテンポで進んでゆきます。重心の低いバランスはここでも聴かれます。木管のアンサンブルが思っていた以上に素晴らしいのは発見です。ところが時折金色の楽器が微妙にピッチを外すのが痛い。

次の2楽章は当夜の白眉でした。冒頭の金色の楽器の提示をドキドキしながら聴き過ごし、弦がピッチカートを刻むところ、ここでの響きは、う~んとうなってしまうほどの徹底されたバランス。そのうえを動いてゆく木管たち。ヴァイオリンの美しい主題。アンサンブルの音色こそ欧州の名だたるオケに及びませんが、国内でこれだけの美しい音を聴くことができるとは鳥肌がたちましたよ。これで金色のまあるい楽器がもっと正確であったならばなぁ、と。
楽章の終結時、棒を止めたまま動かぬシュナイトさん。楽員も動きません。わたくしたち客も動けません。その緊張を持続したまま華やかな3楽章に突入しました。見事です。めまぐるしく繰り広げられる賑わいのなかでも、堂々とした芯があって、この楽章に相応しい響き。

4楽章。決して極彩の色をつけるではなく、あくまで構成を練り上げるために行なわれていると受け取れるシュナイトさんの仕掛けるディナーミクがびしばしと決まり、オケもしっかり応え、美しい造形の楽章となったようです。また、テンポが落ちた後のフルートのソロをなんとも美しく演じてくださったことも特筆に価するでしょう。

いくつかの瑕が垣間見れたものの、全体として大変満足のできる演奏会でした。
昨今、クラシック・コンサート会場での客の質の低下、マナーの欠如が叫ばれておりましたが、この晩、横浜に集ったお客さんたちはほぼ理想的。欲を云えば、もう少しブラボーの声、拍手は、しっかりホールの残響を聴き終えてからにしてほしいのです。感動極まり、熱くなって叫ぶ気持ちは解らぬではないのですが、ホールトーンの消えゆく際まで聴こうとする耳には、やはり邪魔された感が強く残ってしまうからなのです。とは云いながら、ヨーロッパでのライブ録音などを聴きましても、抑え切れない客の拍手や演奏を讃える声などが曲も終らぬうちに聴こえてきますから、これは難しいことかもしれませんけどね。

終演後、娘への土産に横浜生まれのキャラクター、ブルーダル(ちょっと仕事の関係で以前から知っているのです)と、神奈川フィルのコラボである携帯ストラップを購入。ヴァイオリンを弾くダルが可愛い。そして自分への土産にシュナイトさんが振った過去の演奏会のライブ盤CD「ブラームス、第1交響曲」を購入。よい気分でみなとみらいから離れ、野毛へ。立ち呑み屋で一人お疲れのビールはたいへんおいしゅうございました。

posted by mniijima : Oct 19, 2008

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comments

お疲れのビールの時の表情が目に浮かぶようです。
素晴らしい体験の後のアルコールは心身共に染み入りますね。

by やっ : October 20, 2008 2:03 PM

やっさん、
ははは、お恥ずかしい。
実は1曲目と2曲目のあいだの休憩時にも、何を隠そうホワイエ(ホール・ロビー)にてワインを一杯いただいていたのでした(^^;

by M.Niijima : October 20, 2008 7:30 PM

>>>欲を云えば、もう少しブラボーの声、拍手は、しっかりホールの残響を聴き終えてからにしてほしいのです>>>

う〜〜〜ん、これってかなり難しい問題ですよね〜。
私も そのように思うことがありますが、一方で 感極まったり じっとしていられないくらい興奮することも分かりますものね。

キース・ジャレットが 大阪で初めてソロコンサートをした時 最後の最後の響きまで 計算しながら ペダルを踏んでいたのに「バチバチバチ」と 大きな拍手をした人が居て 本当にショックでした。
でも、その時拍手したのは その人一人だけだったので すぐに止めて 静寂が戻りましたが 時既に遅しでした。

私は あの時のショックをいつまでもこうして覚えています。
きっと その方も ずっと忘れずに居て、その度に 冷や汗をかいていらっしゃるだろうと思います。

by 光代 : October 21, 2008 8:44 PM

光代さん、
ペダル・ワークも演奏のうち、それによって音楽の表情はがらっと変わってしまうことを知らない人にとっては、最後の音が減衰し始めたら、もう音楽は終ったものなのでしょう。ホールには残響というものが存在することを知らなければ同様のこと。
また、それらペダル・ワークとか残響とかの存在を知っていても、音楽家たちが何を大切に思って演奏しているかを理解しようとしない人にとって、それらの存在は意味を無くしてしまう。
さらには、同様にそれらの存在を知りながらも、自分と一緒の空間で聴いている他の人たちのことを想いやれない人にとっても、、、です。
想いやること、これって想像力の問題だと思うのですが、日常の中でも目に余ることが多々あります。

キースのコンサートで、パチパチやったその人は、何故自分以外の人が手を叩かなかったか、よく理解できたのではないでしょうか? そしてそれを機に音楽の聴き方が変わって、さらにさらにキースの音楽が好きになってくれていたらいいな、と思いました。

拙いエントリーから、考えさせるコメントをお寄せくださいまして、本当にありがとうございました。

by M.Niijima : October 21, 2008 11:49 PM

つい最近まで 私はその人のことを受け入れられませんでした。だってね、もし ずっとキースの演奏を 心から受け入れていたら、あそこで拍手は考えられないことだったからです。

でも 最近は 色々考えちゃいます。
携帯音、袋を触るザワザワと言う音、咳払い、ご託を並べる声 ・・・・・家のテレビの前で鑑賞している気持ちの人が多い気がします。

それでも それらの方々が来てくださって そのホールが続いて存在することや コンサートがずっと行われないと困るなあ〜〜と思うのです。
大阪では次々 ホールが無くなっていっているので そんなことも思います。
良いことではありませんがね。

by 光代 : October 22, 2008 11:46 PM

光代さん、ご返答をいただき嬉しく思います。
演者でもある光代さんのお立場らしいコメントだと拝読させていただきました。
大阪ではホールが減っているのですね! 確かに旧態を保持した会館、総合劇場のようなところは苦しいかと思います。パフォ-マンスも聴取者も多様化してきていますからね。東京では小さな気楽にパフォーマンスを楽しめる箱がずいぶんと増えたような気がしています。

ところで、演じる場のことと、客の動員の件、それと客の質の件は、やはり切り離して考えるべきではないかと、わたくしは思うのですよ。
キースのようなトップ・アーティストもいれば、全てのお客さんを大切に思う演者もいます。テレビを見る感覚で会場に来る客も同じ金を払っているわけですが、静かに聴きたい人もまた同じチケットを購入しています。公の場ですから、当然様々な立場の人が集まっています。演者は客を、客は他の客や演者のことを、みながそれぞれ想いやることができたら、お金では買えない掛買いのないものと出会える気がしてなりません。音楽に限らず、あらゆるパフォーマンスの場は、そうあってほしいと、わたくしは願わずにはいられないのです。

by M.Niijima : October 23, 2008 2:20 AM

おっしゃる通りです。
本当にその通りだと思います。

でも、どうしたら このように思っていることを 皆さんに分かって頂けるんでしょうか?
いつ どこで どのような機会に、アーティストが残響まで意識をして 演奏をしていることや それを心から楽しんでいる人が居ると分かってもらえるんでしょう?
現実的に 動けない自分を思うと、時々とても哀しくなるのです。
そして、自分も 無知なために迷惑をかけていることもあるだろうと思うのです。

私のコメントは、そのような現実に対する諦めと 自分自身への自信の無さから 自分を楽にさせたいだけでしたね。何の役にも立ちませんでした!

お話しできて良かった!!

私はね、服装のことも結構思っているのです。
ずっとずっと 研鑽を積んで、今日こそ!!と 気合いを入れている演奏者に対して 出来るだけ 同じような気持ちで臨みたくて、多少はドレスアップして出かけたいと思うのです。

by 光代 : October 24, 2008 12:57 AM

光代さん、

説得力というのは、それを受ける側にも、受ける心構えができてこそ、ちからを増すものだと思うのですが、そういった関係性を作りやすいのは、やはりアーティストの言葉ではないかと、これまた思うのです。
アーティストが発言してゆくことで説得性が生まれるのではないかしら?
キースはその類の発言をしていたと記憶していますが、自己の研鑽に集中を高めて挑んでいるクラシック畑の人たちも、もっと発言していいのではないかなと期待しています。
わたくしができることとしては、残響の最後まで聴きたくなるような、きれいな音を作ることだったり、もう身体を動かしたくて堪らなくなるようなかっこいいサウンドにすることかしら。

是非是非コンサートへはドレスアップして出かけてくださいませ。女性は若い娘も、年齢を重ねた方も、そういうことに敏感ですよね。男たちも見習うべきなのでしょう。そのなかでも光代さんがおしゃれする理由は、殊更に演者への思いやりを感じられます。

by M.Niijima : October 25, 2008 2:28 AM

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