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August 17, 2008
それらは盂蘭盆のころには既に佃小橋の両詰めに四箇所、そして小橋から隅田川に向かう此処のメインストリートの先、土手沿いに二箇所のあわせて六箇所に組まれ、設置されておりました。
佃の住吉様の三年にひとたびやって参ります本祭りのための幟旗をあげるための、それはそれは巨大な幟でして、確実に隅田川対岸の湊からは、そしてかつては恐らく築地本願寺あたりからでも優に見えたでありましょう、壮麗な幟、それらを掲げる旗竿を支えるよう組まれました基部。それらの非日常的な姿、それでも使い込まれた感のありますするりとした木の肌に親和感を覚えるほどのものがございました。
これらの基部を為す木材は、祭りの前の大潮の日、佃の掘割から掘り出され、そうして祭りに備えるのだそうです。そういえば江東区の和舟の船頭さんが仰っておりました。木は海水に浸けておくことで長くもつと。この木材たち、いったいどのくらい昔から使われているのでしょうか。まさか江戸のころからでしょうか。
さて、住吉様の祭りに一緒にと、ご近所ブログの方に誘われたのですが、生憎八月の二日には別の用事がございまして、まことに残念ながらご辞退申しあげたのですが、辞する旨をお伝えしたら急に佃が殊更に愛おしくなりまして八月一日に茅場町へ用事で出たあと、午後の暑い日差しを浴びる幟旗の下へ、ひとり、立っていたのでした。あちらでもこちらでも、まだ忙しく準備に奔走する人々を見かけ、たまらないものがこみ上げ、実際目頭があつくなってきてしまい困ったものでした。
残念至極な日を挟み、八月三日早朝。始発電車で佃へ向かい、船渡御、すなわち氏子地域を廻るため神輿を筏に載せて川をゆく行事を見せていただくため隅田川に架かります佃大橋上へとゆきました。遠くからではあまり事の成りゆきは判りませぬが、粛々と行なわれる神事を待ち、そして筏が岸を離れますと橋の上におります多くの人々から拍手がおこりました。(水上警察だか、消防の船が亀島川河口近くから、色つきの水を放水していたのは、祝賀の意味をこめていたと云えども、なんとも垢抜けないことのように感じましたが、、、)神輿の上に載りました鳳凰が川の風を浴びて、心地よさそうに尾を揺らす様が、長いレンズの先に見えてまいりました。
この日、仕事があったため神輿を載せた筏が勝鬨のほうへ下ってゆくのを見届け佃を離れたのでした。
半月ほど経ちました八月十七日。この日は大潮。佃小橋の下の掘割も水が大きく引くこの日にあわせ、あの大きな幟旗を支えた基部の木材を堀の下へ埋める作業があるとのことで、予定時刻の八時、その少し前に、またまた佃に現れてみましたが、職人さんの話しによれば、今日は潮の引きが遅いと、実作業は九時からかなぁとのこと。それでも堀に浮く、筏状に並べられた木材のうえに塩をまき、御神酒を堀に注ぐ様子(決して神主さんがやってきて粛々と行なうのではなく、職人たちがまるで堀にホースを降ろし、筏のロープを調整するかのごとく、一連の作業の流れの中で行なわれたのでした。)を見ていましたら重機がやってまいりました。このクレーン車で筏を吊り上げるのでしょう。掘りを区切りました埋める処からもポンプを使い水を強制的に排出する作業も始まりましたが、わたくしはこの日訪れる、もうひとつの場所へ向かうために、これまた残念ではございましたが、佃の掘りをあとにしたのでした。
posted by mniijima : Aug 17, 2008
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