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January 24, 2008
(click on the image for enlarged)
"水路をゆく/日本橋川/常磐橋"
Oct '07, @Nihon-bashi-gawa, Tokyo.
Taken with the Nikon new FM-2 with the Nikkor 35mm f2 lenz.
Fuji Neopan 1600 Super Presto @EI 800, dev in Kodak X-tol (1:3)
Fuji Varigrade WP AM, dev in Fuji Korectol E (1:1)
日本橋川がJR(中央、山手、京浜東北各線、東北上越新幹線)の鉄橋をくぐり、すぐのところに「新常盤橋」。
それに次ぐ下流に、左岸・千代田区日本橋本石町2-1と右岸・同区大手町2-7を結ぶ「常磐橋」が架かっております。左岸に沿う外堀通りの向こう側には日本銀行があり、まさに東京の中心地の一部でございます。その左岸側の橋詰は外堀通りの歩道、そして橋の入口に白いポールがいくつか並び、車両は進入できません。また右岸側は公園になっているため、その側からも車両の進入ができなくなっております。
この「常磐橋」は明治期(に改架されました)の洋式石橋で都の指定文化財になっております。その姿は日銀旧館の石造りの建物とよくマッチしているのですが、なにせ頭上に首都高速道路が架かっておりますので、景観に関しては何をか言わんやでございます。
右岸にございます公園は、常磐橋門跡公園。江戸期、ここは城の正門であったとのことで、一部の門跡が残されたかたちで、保存されております。
ここに公園に掲げられた案内の文章を引用させていただきます。
常盤橋門は江戸城外郭の正門として奥州道に通じ、敵の侵入を防ぎ、味方の出撃を容易にする為、大きな切石で積み上げられた「コ」の字型の枡形門である。又、天正18年(1590)架橋といわれる旧常盤橋は、両国橋が架かるまで江戸一の大橋であった。現在の石橋は門跡の石等も使い、明治10年に改架したもので、洋式石橋の創始といわれている。この常盤橋の名称は、家光の時代「色かへぬ松によそへてあづま路の常盤の橋にかかる藤なみ」の歌に因みつけられたものといわれる。(千代田区常盤橋門跡公園の案内板より)
江戸期の門の様子は、このようなものであったそうです。

現在の石垣は「コ」の字型にはなっておりませんで、どちらかと云いますと「二」、漢数字の2のようでしょうか。グーグル・アースからの様子を貼ってみます。

下部は同じ画像ですが、位置が解りやすいようにレイヤーを貼ってみました。赤いレイヤーが「常磐橋」です。そして緑のレイヤーが現在残っている石垣。この石垣、高さは3メートルくらいはあるのでしょうか? 真下から見上げますと、なかなかの迫力でございます。
このように史跡として保存されております「常磐橋」と「門跡」ですが、あまり大切にされているようには見えないのです。橋の上を歩いてみますと、石の痛み、特に柱、化粧柱の傷みがひどいですし、橋の上も鳩の糞だらけ。ちょっと減滅な光景なのでございます。化粧柱などは、補修せずに当時のそのままを保存するという考え方もあるのでしょうが、全体的にとても寂しい感じが否めません。陽の明かりが射さないことも寂しさを倍加させているのでしょうし、なんとももったいない空間なのでございます。
さあ、この「常磐橋」のすぐ下流には「常盤橋」。「磐」と「盤」の違いがございます。次がとても橋桁が低く、通過の際、頭をぶつけるのではないかと思いました「一石橋」。そして泉鏡花の「日本橋」に出てくる西河岸地蔵が近くにある「西河岸橋」と続きまして、そのすぐ下流に架かるのが「日本橋」でございます。
(「川の地図辞典」内 現在地図:p22)
posted by mniijima : Jan 24, 2008
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