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November 27, 2007

  墨東の記 その(1)

新規の写真をアップできませんので、先々週末に訪れた墨東について記しておきます。
思えばおよそ1年前、お世話になっております烏山在住の写真家Sさん宅にて、「墨東綺譚(注:エントリー末参照)」を肴に飲む会がございまして、わたくしが遅れて到着しますと、地下の撮影スタジオで行われておりました鑑賞会、新藤兼人監督、津川雅彦、墨田ユキ主演の映画(DVD)は既に終りかけておりましたが、その後みなで持ち寄りました摘みと酒での会を楽しく参加したのが、墨東を撮ってみようかなと考えたきっかけでございました。

ところで様々な街歩き系写真ブログを見ておりますと、やはり墨東は定番と云いますか、みなさん撮っていらっしゃる。これはやはり荷風の作品と、木村聡氏の本が大きく影響しているのでしょう。
小林信彦氏は、敗戦直後のブームや、岩波からの全集が「東京オリンピックにともなう<町殺し>の時期」に出たこと、さらには昨今のことを挙げ、

永井荷風は東京が破壊される時に必ず読まれる

と記していますが、なるほどよく解ります。(イタリックの箇所は「昭和の東京、平成の東京/筑摩書房/2002」より引用)

ところで、墨東とは隅田川中流の東岸地域一帯を指す語でして、おおむね墨田区全般、また江東区になりますが亀戸あたりまでを含んでいるようですが、ここで云います墨東とは、現町名で東向島あたりを指してのことです。
この日は、その広い意味での墨東であります亀戸駅から、東武の電車に乗り、特定地域を指す墨東まで向かいました。まずは終点の曳舟駅へ。この2両編成の可愛らしい電車には、旧中川に架かる橋を撮りにゆくとき亀戸から亀戸水神駅まで、1駅だけ乗ったことがありました。北東へ向かった電車は中川とぶつかる手前で大きくカーブをして進路を北西へ変えます。車窓から見えるのは正調下町の素敵な光景。其処を抜けてガタゴトと4駅目で終点の曳舟に到着ですが、その手前、京成電車と交差するあたり、今までの風景から一変、ものすごい再開発の様子がうかがえます。

曳舟に降り立ち、まずは鳩の街へ向かいました。中心となります鳩の街商店街を奥に進み、ちらちらと両の脇に延びる路地にお邪魔してゆきます。すると彼方此方の資料で見たことがある光景、とくに建物を確認することができましたが、わたくしは持っていたカメラを鞄から出すでもなく、ただとぼとぼと歩いたに過ぎません。結局傾き始めた陽と、建物によってつくられます影が、やわらかな造形を描いているところだけを抜き取るように、3箇所ほどシャッターを切るに留まりました。
このあたりはこの後にゆく地域にくらべて戦時中の被災が少なく、古いものがよく残っていると云われており、ほほうと、歩きながら感じることはあれど、写真をつくるというイメージが沸いてこなかったのでした。

次に、町と同じ名をもつ駅、東向島駅方面へ向かいました。荷風の時代、改正道路と呼ばれておりました現水戸街道を北上し、陋巷の匂いがたちのぼってくるような路地への入口から、かつてラビリンスと呼ばれたなかへ入ってゆきます。時刻は日没前、空には明るさが残っておりますが、陽は彼方の建築物の陰にはいり、路地のなかへ光が届かない時間となっております。いろは通り商店街を挟んで南側をくねくねと、そして北側もくねくねと歩きました。もちろん写真を撮っても、退屈なコントラストしか描けない時間でしたから、この場所のデリケートさもありましてカメラは鞄に仕舞ったままです。
ところが、ある一画に立ったとき、ああ、と、此処ならば作品が作れそうだ、という街並み?路地並み?に出会いました。此処はよい!と、後日あらためてこの日持ち合わせていなかった感剤を用意してから再訪、そして撮影することを胸に、すっかり暗くなってしまいましたラビリンスを抜け東向島駅へ戻ったのでした。
(続く)


(注)永井荷風の作品、および映画「ぼく東綺譚」の「ぼく」の字は、さんずいに墨ですが、機種依存文字のため「墨」の字をあてております。

posted by mniijima : Nov 27, 2007

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