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October 11, 2007
写真家・清家冨夫さんには「ZOE」というたいへん人気のあるシリーズ(および写真集)がございますが、そのモデルでありますZOEさんと作り上げた時間のネガを再度見直し、発表された「Portraits of ZOE」を目黒のアート・フォト・サイト・ギャラリーで拝見してきました。
今回展示されていた作品群は、アート紙に顔料インクでプリントされたものですが、ツールが変わろうが、清家さんの作家性は揺るぎないものであると認識いたしました。
かつて、このように書いたことがございます。
『ここはシャドウだ、というところには躊躇無く黒く潰す潔さ。そして印画紙の地色に向けてどこまでも粘るハイライト。温黒を描くトーンの美しさはパリの妖気を写しているようです。』
昨年秋、神田明神近くにオープンしたばかりのgallery bauhausにて、「清家冨夫 写真展 SEIKE TOMIO WORKS 1987-2004 モノクロームの時間」を拝見したときの感想です。
さて、今回「Portraits of ZOE」の作品を1点1点追うごとに見えてきたのですが、各々の作品中で、もっとも黒いところは必ず主被写体であるZOEさんの一部にあるのでした。それらは服の部位であったり、手袋であったり、髪もしくは髪の奥にあるシャドウ部であったりしています。
もちろん背景や前景にも明るいところ暗いところはございます。ところが、その環境における明度上のシャドウよりも黒いと意識させるのです。
そのことによりポートレートとして、モデルの存在がしっかりと、わたくしたち鑑賞者の眼に刻印され、造形の印象が強くなっていると感じました。
さらにハイライトからハイエストライトへ至る柔らかな階調、これもモデルの肌や、または身に着けているものに存在するわけでして、がっちりとした黒との対比のなかで、美しく活きているのです。
さらに、もちろん背景や前景が蔑ろにされているはずもなく、柔らかいアウト・オブ・フォーカスで捉えられたそれらは空気感に満ちており、ときに物憂げであったり、ときに意志の力に満ちていたり、その後の時間の濃厚さを予感させたりと様々な表情を見せるZOEさんをうまく包んでいるのでした。
斯様に芸術家というものは、作品の骨格となる独自の手法を持ち、いささかの躊躇もなく繰り返しそれをベースとして肉をつけてゆく。そこに作家性、或いは個別性というものを表出しているのだと、これら撮影されてから20年経たネガからの新しいプリントを拝見し強く感じた次第でございます。
なお本シリーズには、デジタル・プリントだけでなく、展示はされておりませんでしたが銀塩プリントのエディションもあるようでございます。
あくまで想像の範囲を超えるものではございません。かつて見てきた清家さんのプリントからの印象で云いますと、もしかしたら銀塩のほうがハイライトのトーンがよりきれいに出ているのかも、という銀塩好きの勝手な主観もございますが、機会あれば見比べてみたいというのが本音でございます。
この素晴らしい「Portraits of ZOE」の展示は、11月3日(土)まで行われております。
アート・フォト・サイト・ギャラリーさんは、駅からのアクセスが若干不便なのですが、撮影散歩に慣れていらっしゃる方々には苦もないはずです。是非この機にご覧になられてはいかがでしょうか。
(因みに、わたくしは目黒線・武蔵小山駅から徒歩で伺いました。ほんの15分くらいでした。)
「Portraits of ZOE」トミオ・セイケ写真展 -蘇った伝説のポートレート第2章-
@アート・フォト・サイト・ギャラリー(地図)
2007年9月14日(金)~11月3日(土) 13:00~19:00 日月休廊とのこと。
posted by mniijima : Oct 11, 2007
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