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July 12, 2007

  祖父の顔、祖父の写真

わたくしは祖父の顔を知りませんでした。母方の祖父のことです。いや、写真では見たことがあったかもしれません。しかし幼かったころ、少年だったころを通じて、わたくしにとっての祖父は、実の祖父が亡くなった後に祖母が再婚した人がそうでありまして、実の祖父の顔姿に興味を持ったことがなかった、というのが実際のところです。そのことは、わたくしにとっての祖父から、わたくしが充分な愛を感じ育つことができた幸福からくるものであったと思っております。
実の祖父は、わたくしが産まれる前、昭和37年に亡くなっております。

昨年、叔父が他界しまして、新盆を迎えようとしています。その叔父が亡くなりましたことで母方の親兄弟では、とうとう母だけが残ったことになりました。そこで先日、叔母とその長男、わたくしの従兄弟ですね、お二人がこの新盆の相談をしに母のところへお出向きになられました。
わたくしもその席を同じくさせていただいたのですが、母は、家のどこかからか、古い古い写真を持ってきて「兄貴(わたくしの叔父)はどうせ持っていなかっただろうから」と若きころの叔父が写っている写真を何点か、叔母と従兄弟に渡しておりました。
わたくしも初めて見るような写真でした。以前記しましたが、母は東京・深川で産まれ育ちました。多くの写真は既に変色しておりますが、なかにはよい陰影を捕らえた、恐らくは写真館で撮られた本格的な肖像写真もありまして、なかなか見応えがございましたです。なかでも叔父が出征するときに写された家族の写真には緊張感もあり、ただ10歳に満たない母だけが、あまり様子を理解せず、祖母の脇で無邪気な顔で立っている姿におかしみを感じたのですが、それもそのときの叔父が無事に帰ってきていたからだと思い、1枚の写真に残された様子が、その後の時間、歴史の中で、人に与える印象を様々なものに変えてしまうものであることに気付いたのでした。

さて、実の祖父は千葉の銚子の出身で、上京後、深川、門前仲町に住み、祖母とのあいだに4人の子供をもうけました。昨年亡くなった叔父が第一子の長男で、母は末っ子の次女でございます。

祖父は築地市場で魚の仲買人をしていたのだそうです。

市場が築地にできたのは、関東大震災の後、大正12年12月に海軍省が所有しておりました土地を借り受けて臨時の東京市設魚市場を開設したのが始まりとのことです。
それは震災によってかつての市場が壊滅させられたことにより、かねてから移設のはなしも出ていたことも加わり、日本橋から全面的に移ったのだそうです。

魚河岸が日本橋にありましたころ、祖父はまだ仲買人ではなく、河岸で卸売りしている会社に勤めていたとのこと。銚子から上京してきた若きころの祖父はまず丁稚のようにあくせく働いていたのだと想像しております。そして日本橋から築地へ移り、祖父も念願の仲買人として力を振るうことに相成ったのでしょう。
母の持つ写真には日本橋も築地も、魚河岸の写真は1枚もありませんでしたけれど、戦前戦中戦後の家族の様子が垣間見れる写真の数々。これらは母の大切な宝だと思います。
そして、母が他界したときには、それらの写真はわたくしが手にすることになるでしょう。わたくしにとってもそれらは大切な宝物になるに違いありません。
ところでお宝というものは夢見ているときが、もっとも輝くときでございます。ですからそれらのお宝を手にすることが、なるべく遅くなり、わたくしの心の中だけで輝き続けてほしいと、母には長くそれらを手にしていてほしいと強く願うのであります。

posted by mniijima : Jul 12, 2007

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comments

なかなか感慨深い、お話ですね。実は、僕もつい先日、実家に祖母の友人が遊びに来ていて、その時に祖母が19歳だった頃の写真を、その友人に見せていました。今から70年くらい前の写真です。その頃の写真は、引き伸ばすというものではなく、おそらく密着だったのでしょうね。サイズが小さいです。

先日の、イロコイ族の口承ではないですが、年寄りしか知らない事実というのは、それが語られなければ、その人が他界した時点で、永遠に失われてしまいますよね。

数十年前の写真は、歳月を経たというだけでも僕は、とても貴重なものだと思います。

by Oe : July 12, 2007 10:53 PM

こんばんは。
しっとりと胸を暖かくしながら拝読しました。
私の実家にも、若かりし頃の祖父母の写真があります。そして、「かろうじて」と言うべきでしょうか、曾祖父母が写っている集合写真やスナップ写真もあります。
その写真に写っている者が曾祖父母であることを、子どもの頃、祖父母から教わりました。しかし、その周りに写っている人たちが誰なのか、皆目、見当は付きません。
すっかり褪色している写真の裏に、写っている人物の氏名や日付が万年筆で書かれていたり、貼り付けているアルバムの脇にメモ書きがあったりするのを見て、ようやく、それが何者かが判ることもあります。しかし、名前は判っても、その縁故を知る術はありません。
そうして忘れられたり、消えてしまうことを繰り返しているのが、人の営みであり、人が人たる所以なのかもしれませんね。だからこそ逆に、たとえそれが他人様の写真であれ、古い写真は私たちを惹きつけずにはおかないのかもしれません。

by mb : July 12, 2007 11:42 PM

Oeさん、いつもコメントをありがとうございます。
密着でしょうね。叔父出征のときの写真は写真館で撮られたもののようで、背景もそんな感じでしたし、サイズはカビネでした。5X7の写真機でしっかりと撮られたのでしょう。ただし戦中のこと、処理はあまりよくなさそうで、印画紙の端から銀粒子が浮いてきているような感じになっていました。
とはいえ、それでもとても貴重なものであることには変わりありませんね。少なくともうちの家族にとっては。

そして年寄りだけが知っていることを、わたくしたちが聞き逃すことほどもったいないことはありませんね。
聞きたいことはたくさんあるのに、僕の祖父祖母はみな死んでしまいました。もちろんそのことに気付いたのは、彼らの死後なんですけどね。
ですから、Oeさんの御祖母様がご健在であるというのは、とても羨ましいことです。

by M.Niijima : July 13, 2007 12:38 AM

mbさん、
うちには曾祖父母が写っている写真はありませんでした。祖父母や叔父たちが親戚と写っている集合写真はありました。その写真の裏にはお約束どおり、写っているのが誰であるかを知らせる人名がメモされておりました。そうですね、その内の何名かは、母も判らない縁者のようです。
忘れられたり、消えてしまうことを、確かに繰り返しているようですね、僕たちは。

深川、門前仲町のあたりは、空襲により一面焼け野原になったそうです。幸い地方に疎開していた、当時の家族はその難を逃れました(二人の叔父貴は出征中、二人とも無事で終戦を向かえました)。加えて戦前戦中の写真も、無事に母の手に残ったことは、後世のわたくしや従兄弟にとっても当時の家族を知るうえでたいへん幸運なことでした。写真が写真として本当にその存在に価値を見出せるのは、そういった類の写真なのでしょうね。
温かいコメントをありがとうございました。

by M.Niijima : July 13, 2007 12:42 AM

更新楽しみに拝見させて頂いています。
心にじ〜んと響くお話ですね。
古いアルバムを開いて、私も祖父や祖母に思いを馳せたくなりました。
写真を撮るのが好きな方は、写真一枚から様々な思いを受け取るのだなあと改めて思いました。
小説好きの私にはちょっと文学の香りがしてきそうなNiijimaさんの文章が好きです。
Niijimaさんは、ちょっと私の年下の彼に似ているので、たまに、擬似的に照れたくなってしまいます。


by kumi : July 13, 2007 3:50 PM

kumiさん、
古いアルバムはいいですよねぇ。僕は自分がガキだったころのアルバムを見て、ちょっと企んでいることがあります。ただどのように消化してゆこうか、まだ見えてこないのですけどね。

おー! 彼氏に似ているのですか? 残念だなぁ。もうちっと僕も若ければ、、、(笑)

コメントをありがとうございました。

by M.Niijima : July 13, 2007 5:48 PM

いいお話をおきかせいただいてありがとうございました。中央区の聞き書きをしたときに、日本橋と築地の魚河岸の話は何度も出てきました。日本橋の人にとって、魚河岸はまだアイデンティティとして健在なのだと知りました。
語弊がありましたらおわびいたしますが、1920年代の写真は、人々にとって今よりもっと重要な意味をもっていたのではないでしょうか。そこに万年筆で記される筆跡もまた、記憶の一部なのですね。

by brary : July 15, 2007 9:15 PM

braryさん、こちらにもコメントをありがとうございます。
そうですか。日本橋の方々にとって魚河岸は大切な場所だったのですね。タイムドーム明石で当時の写真が展示されているそうですので、今度見てこようと思っています。

そして、まさに古い写真は重みが違うと言えるでしょう。1枚を撮る重み、1枚を撮られる重み。映像媒体を記録する術が限られていた時代におきまして、それらが残っていることの価値は掛替えのないものだと思います。
わたくしも写真を撮るものとして、1枚の作品を作るという重み、家族のある時間を切り取るという重みを常に意識してシャッターを押してゆけるよう努めたいです。さらには写真に付随するもの、裏側のメモ書きも、時間を運ぶ記録であり、記憶なのですね。

by M.Niijima : July 16, 2007 3:59 AM

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