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June 14, 2007

  いま、そこに咲く花(1)

柳橋、江東区、そして市川と、撮っているこのごろでございますが、実は代官山と、神楽坂にも足を向けてアプローチを開始しております。
代官山はわたくしが五歳まで過ごしたところ。記憶の中にある街の姿と、まったく様変わりしてしまった現在のイメージを重複させることで、なにか作品ができないものかと、考えているのです。

東京都新宿区にございます「神楽坂」の一部は今も続く花街であります。東京に残る花街で、唯一花街的雰囲気を保っている処ではないでしょうか。かつて東京最大最盛の花街でありました柳橋は、ひとりも芸妓がいない街となって久しく、そこでわたくしは目にしたことのないかつての輝きに対し、遅れて産まれた者の愁嘆を作品に結び付けようと足掻いているのでございます。ところが神楽坂にはその花がございます。もちろん実際に花を摘んで遊ぶことができるような身分ではございませんが、日が暮れた街を歩いてみますと、なんともいえない風情に心を奪われることを拒むことができません。それでも現役ということに甘えて、撮影をする、という行為を延ばしておりました。

ところが過日、戦慄を禁じえない出来事が起こりました。

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数台では治まらない夥しい消防車のサイレン音が千代田区内の勤務先にも響いてきました。かなり大規模な火災が起こったことが窺われます。しばらくの後、火災は神楽坂の路地であったことを知りました。

あの路地で?

神楽坂3丁目、4丁目には、腕を広げれば、左右に並ぶ塀に手のひらがついてしまいそうなほどの狭い路地が入り組んでおります。足下には石畳、夕刻に歩けば、打ち水が撒かれ清々しい気分を招いております。
それら狭い狭い路地が火に包まれ、建物が黒煙を上げているところを想像し、ぞおうっと背筋が強張る思いがいたしました。

火災は「かくれんぼ横丁」と呼ばれる路地の一角でおこりました。
まず、なんら予告無く消えてなくなる場合もある、ということを認識いたしました。またこのような出来事を経て、奇跡的に残存していたこの界隈の「路地」というものの存在が最考される可能性もなくはありません。いつまでも“今のまま”が続くことは無いにしろ、変化への動向が早まる可能性もございます。

その思いは、わたくしを衝き動かしました。撮らなければ、と。

そうして神楽坂撮影をはじめたのですが、気付くと嘗てより路地歩きをしている人が増えているようです。わたくしはほとんどテレビを見ることがありませんのでまったく存じ上げなかったのですが、この界隈の料亭を材にしたドラマが放映されていたことを、界隈の商店の軒先に貼られたポスターによって知るに至りました。
6月2日に赤城下町へ向かうときにも、神楽坂から、赤城神社あたりには、立派なカメラをさげて散策する何人ものお散歩写真家に出会いました。もう観光地といった風趣でございます。

メディアによる露出を経た人気、
街の観光地化、
そして、路地の火災、

斯様な状況下から憶測されますことに、この地元で事務所を開いていらっしゃる建築家・玉井一匡さんのブログ「MyPlace」のエントリー「路地と火事:神楽坂」をご参照されるのが宜しいかと存じます。

posted by mniijima : Jun 14, 2007

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comments

あ、そうか。Niijimaさんはあんまりテレビ見ないんでしたっけ。
ここ数年、都内の街歩き系の番組って多いんです。しばらく前から、ちょっとした神楽坂ブームなんですよね。
ちなみに、ボクはプチ観光スポットみたいな所に行くと、写真を撮ってる人たちを撮るのが好きです。

漫画家のくらもちふさこさんの作品(「東京のカサノバ」だったと思う)で、主人公の青年がタクシーに乗って世田谷の住宅地を通るのだけれど、運転手さんが「このあたりは道が細くて込み入ってて」と不満をもらすと、彼は「この街は運がいいんですね、この街に住みたい」というような事を言う。爆撃も受けず、火災や震災も逃れてきたからこそ、宅地や路地が整理されてない。
それを読んだとき、もちろんボクは主人公の青年の言うことに共感したのだけれど、後に営業の仕事で実際にそうしたところを走り回っていた頃には、タクシーの運転手さんの気持ちになりました。我ながら、人間って勝手だな、と(汗)。

by karipee : June 15, 2007 9:37 AM

最近見たテレビ番組、娘が見ているプリキュアなどを別にすれば、「のだめカンタービレ」ドラマ版、ってこれ去年のことか(笑)
最近街歩きをして見かけるのはライカやローライなど、みんないいカメラ持っているんですよねぇ、ってあまり興味ないんですけど。でも撮っている現場には意外と遭遇しないんですね、僕の場合。

街って、個人所有の土地という法的エリアを除外すれば、様々な人間によって共有されているものだと思います。そこには様々な立場があって、そのバランスを如何にとってゆくか、官民共々より考えてゆかなければならないのでしょうね。
コメントをありがとうございます。

by M.Niijima : June 15, 2007 10:54 AM

神楽坂は大変近しい街です。
しかしそれ以上にこの一文に目を奪われました。
「代官山はわたくしが五歳まで過ごしたところ。記憶の中にある街の姿と、まったく様変わりしてしまった現在のイメージを重複させることで、なにか作品ができないものかと・・・」

代官山は、わたしが7歳まで過ごしたところでもあるのです。現在の代官山はわたしにはあまりにつらくて、訪れる勇気がありません。手垢のついた言葉ではありますが、この「失われた原風景」問題について、しかしいつかどこかで落とし前をつけなければならないとずっと考えているのです。
本当は自分でしなければいけないことですが、Niijimaさんのメッセージを拝見して、光明をみたような気がいたしました。
私的なコメント、どうかご海容ください。

by brary : June 15, 2007 11:55 AM

braryさんもそうでしたか。
わたくし正しくは鉢山町に居りました。そして同潤会アパートの敷地内に在りました保育園へ、つかの間、通っておりました。
代官山から鉢山へ、此処もわたくしにとって路地の街です。此処を如何に写真にするか、悩ましいところでございます。
わたくしなりの落とし前、いずれこのブログにて。

コメントをありがとうございました。

by M.Niijima : June 15, 2007 7:00 PM

鉢山町におりました。バプテスト教会の裏に。

by brary : June 15, 2007 9:32 PM

おおっ! braryさん、それはかなりお近くです。
うちは第一商業と、猿楽町(交差点)の間、その道沿いでしたから。
昭和40年に産まれましたので、45年夏まで過ごしておりました。

by M.Niijima : June 15, 2007 9:59 PM

わたしは昭和45年の春までいたのです。同じ風景です。
何度も本当にごめんなさい。

by brary : June 16, 2007 7:17 AM

braryさん、同じ景色を確実に見ているでしょうね。
なんということでしょう。
なんだかとても胸騒ぎがしてまいりました。

by M.Niijima : June 16, 2007 10:55 PM

以前から神楽坂の路地を歩くたびに、さまざまな気持が混じりあいます。
いつまでこれが生き残るのかと案じたり、このようなまちがもうあまり残されていない東京という都市はあまりになさけないと思ったり。
すてきなまちというのは、モノだけではなくて使われ方がいいといいうことでもあるのだから、外から訪れる人、住んでいる人、働いている人が、まちをすてきにするようにふるまうこともいいまちの一部分ですね。それに、niijimaさんやmasaさんのように、まちにひそむすてきなところを見つけ出すことも、まちを魅力的に育ててゆくことなのですね。

by tam : June 20, 2007 10:16 AM

tamさん、
素敵なコメントを寄せてくださり、拙いエントリーに膨らみが出たようです。
ありがとうございます。

> すてきなまちは、使われ方がいい

素敵な言葉ですね。そして鋭い視点だと思います。
神楽坂はすごく頑張っていると思います。
テレビの影響による人気は一過性のものでしょうし、それはそれで宜しいのではと思います。
それを経て、街が芯を強くして、ほんとうにこの街が好きで、必要としている、訪問者や勤労者、地元の方々によって育んでゆければ、もっともっと素敵になると思っています。

by M.Niijima : June 20, 2007 7:05 PM

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