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May 22, 2007

  真間から菅野へ(2)

溝口健二監督による映画「雨月物語」を見よう見ようと思いつつ、未だあの名高き映像美の世界をこの目にしておりません。
興味を持ったのはこの映画を撮ったキャメラマン・宮川一夫氏のドキュメントを98年か99年ごろNHKアーカイブで見たのがきっかけでした。(宮川氏に関しては、撮影監督とか、カメラマンとか記すよりも、キャメラマンと綴るのがもっとも似合いそうという、まったく私的な理由によってそうさせていただきます。)
「役者だけじゃねぇ、キャメラも演技しているんだ」という哲学でもってフィルムをまわしていた宮川氏。その「雨月物語」の有名な霧の中を行く船のシーンでは、スタジオ内にプールを作っての撮影なので、天井からのライトが水面に反射してしまうのを嫌ってスモークを焚いたと。すると結果、期待以上の演出になったなどと、いまではごく普通の技術かもしれないことですが、それを戦後すぐの時代に行っていたこと。
また近景はコントラストを強く、遠景は弱く描くため、墨汁と筆で、あちこちセットの中を描き込んでいたというエピソードなど、たいへん興味深く、その技術の結果が作品としてどのような付加価値をもたらしたのか、「雨月物語」の鑑賞には大きな期待を抱いております。

「雨月物語」は1776年(安永5年)に出された上田秋成による怪異小説九篇からなる戯作が原作となっておりまして、映画版はその原作から「浅茅が宿」と「蛇性の婬」の2篇を脚本化したものだそうです。その「浅茅が宿」というのが「真間の手児奈伝説」をベースにかかれているとのことで、これは上田秋成も読まねばならなくなってまいりました。

さて、その「真間の手児奈伝説」とは、諸説あるようですが、奈良時代以前、国造の娘・手児奈は嫁ぎ先の国と出身地勝鹿との争いごとに巻き込まれ、真間に戻ってくる。ところが美しい手児奈は放っておかれることなく、複数の男達から求婚され、終いには争いごとにまで発展。その原因は自分にあると心を痛めて真間の入り江に入水するというのが代表的な説のようでございます。

この伝説、古代から多くの歌人、文学者に創造を喚起させたようでして、万葉集の高橋虫麻呂や山部赤人らがうたを詠んでおります。
また行基菩薩という奈良時代の高僧は、その手児奈の霊を慰めるために求法寺(ぐほうじ)という寺を建立されたとのことです。この求法寺が現在も真間の地にある(現在は--注--同じ読みの)弘法寺の創建時の名称でございます。


(注)737年(天平9年)に行基によって真間山求法寺(ぐほうじ)として創建された後、822年(弘仁13年)の空海の来訪を機に名を真間山弘法寺(こうほうじ)と改めたとされています。鎌倉時代の1276年(建治2年)、日蓮宗に改められ、寺名も真間山弘法寺(ぐほうじ)になったのだそうです。

posted by mniijima : May 22, 2007

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