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May 31, 2007
  真間から菅野へ(7)

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"Untitled"
May '07, @Ichikawa, Chiba.
Taken with the Nikon new FM-2 with the Nikkor 28mm f2.8 lenz.
Fuji Neopan 1600 Super Presto @EI 800, dev in Kodak X-tol (1:3)
Forte Polygrade RC, Semi-matt, dev in Home brewed D-72 (1:2)

真間大門通り、「真間の継橋」というレプレカの橋近くに建っておりました。かつては喫茶店であったという情報もあります。

7:02 PM permalink | comments (0) | trackbacks (0)

May 30, 2007
  真間から菅野へ(6)

真間山弘法寺へは、急な石段を登ってゆかなければなりません。そしてその途中には「涙石」と呼ばれる常に濡れているひとつの石がございます。おそらくはその石の箇所も地下水路の出口なのでしょう。湧きでるほどではなく、滲みだす程度の細い水路が通っていると想像するのでございます。

わたくしが訪れた日は石段の下におりましても太鼓の音がどんどこどこどこと響いており、寺内でなにか行われている様子が窺えました。
さて、石段を登りきりますと立派な仁王門に迎えられます。
太鼓の音はさらにその奥から聴こえてまいります。どうやら正面の祖師堂というお堂で、手児奈太鼓という女性によるグループが練習していたようで、その成果は地元の様々な祭りやイベントなどで披露されているとのことです。

寺内は、先日掲載しました鐘楼や、太田道灌によって寄贈され水戸光圀に「遍覧亭」と名づけられた茶室、樹齢400年の枝垂桜「伏姫桜」などが、逞しい低音を響かせる太鼓の音のなか、ひっそりと佇んでおり、悠々たる古くからの歴史を感じさせるに充分なロケーションでございました。
ところで、石段を登りきり、先の仁王門を潜らずに手前を右(東)にゆきますと、鬱蒼とした小さな森が待っております。

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"習作・真間山の森 May 2007"

May '07, @Ichikawa, Chiba.
Taken with the Nikon new FM-2 with the Nikkor 28mm f2.8 lenz.
Fuji Neopan 1600 Super Presto @EI 800, dev in Kodak X-tol (1:3)
Ilford MG4 RC, Pearl, dev in Home brewed D-72 (1:2)

その森を抜けると、野球の内野グランド程度の大きさの草地になっておりました。戦国時代には城砦化されていた処の土塁跡だそうです。そして草地の先には、かつての入り江と市川砂洲、現在の真間、菅野から八幡にかけての住宅地が眼下に広がっていたのです。

Taken with my ケータイ

8:07 PM permalink | comments (0) | trackbacks (0)

May 29, 2007
  真間から菅野へ(5)

JR市川駅附近は繁華な街でございます。その賑わいから逃れるように少し東に向かい、千葉街道を渡り、消防署からさらに一本東側の路地を北に向かうと、進行方向左側(西側)、丁度消防署の裏辺りに、松の木が茂っているのが見えます。
ああ、市川砂洲であったその上を歩いているのだなぁ。

市川駅からスタートした、わたくしの真間、菅野歩き。広い通り、商店が連なる通りを避けながら、京成真間駅を超え、さらに北へとまいります。しばらく歩くと目の前に護岸がしっかりと固められた川にぶつかりました。
真間川です。川幅はそれほど広くありません。
真間小学校の脇を川沿いに歩き、手児奈橋の架かった交差を右に。この小学校の脇を通る道は「手児奈橋通り」と呼ぶのだそうで、昭和の頃を感じさせる商店が並んでおりました。
その「手児奈橋通り」沿いを少し北へ向かうと、すぐに真間稲荷神社への参道がございました。
稲荷へお参り、そして後ろを振り返り、入り江時代の名残とも云われる「手児奈の池」を撮影、そして手児奈が祀られている「手児奈霊神堂」にもお参りをいたしました。


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"習作・手児奈の池 May 2007"

May '07, @Ichikawa, Chiba.
Taken with the Nikon new FM-2 with the Nikkor 28mm f2.8 lenz.
Fuji Neopan 100 Acros @EI 50, dev in Ilford Perceptol (1:3)
Forte Polygrade RC, Semi-matt, dev in Home brewed D-72 (1:2)

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12:04 PM permalink | comments (2) | trackbacks (0)

May 23, 2007
  真間から菅野へ(4)

JR総武線で都心から千葉方面に向かい、都と県の境にあたる江戸川を越えていますと、千葉県側の北の方角にこんもりとした台地があることを確認できます。もっとも目立つのは、その台地上に建つ和洋女子大のタワーですが、それも川を渡りきり市川駅に近づきますと、JR線に沿って建ち並ぶ中層のビル群によって視界から遮られてしまいます。

ところで手児奈伝説ですが、傷心の彼女は真間の入り江に入水したのです。すなわちかつてのこの地には海、もしくは湖があったというわけです。
そこで想像するに、現在のかなり内陸にまではいり込んだところに当時の海岸線があったのではないかということ。真間山のある台地が当時の陸地で、そこから南側は海であったのではないかと思ったのです。

調べてみますと、「真間散歩」というサイトさんの「市川砂洲」というページがたいへん解り易いです。
これによりますと現在流れている真間川の北側まで入り江となっているのが解ります。そしてJR総武線から見える台地が真間台地と呼ばれており、此処が手児奈がいた時代の陸であったようです。

またJR総武線の北側からしばらくは市川砂洲と呼ばれた砂地であったことが解ります。事前に拝見していました「Kai-Wai散策さん」の、エントリーにて、このあたりには松の木が多く見られるとのこと、それらはクロマツの育成に最適な砂地という環境を利用して、江戸時代に江戸城の修復利用のため幕府が植林したことを知ったのですが、先の「真間散歩」さんの地図上に描かれたように俯瞰的に捉えることができますと、ほほう、なるほどと、わたくしの鈍い頭にも反応がよろしいようでございます。

そこでわたくしは、この市川の真間から菅野へかけての撮影ロケハンを兼ねた散歩を、手児奈が入水しただろう入り江と、陸地の境を確認すべく、真間台地上の弘法寺から始めてみようと思いました。

11:59 PM permalink | comments (0) | trackbacks (0)

  真間から菅野へ(3)

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"習作・弘法寺の鐘楼 May 2007"

May '07, @Ichikawa, Chiba.
Taken with the Nikon new FM-2 with the Nikkor 28mm f2.8 lenz.
Fuji Neopan 1600 Super Presto @EI 800, dev in Kodak X-tol (1:3)
Forte Polygrade RC, Semi-matt, dev in Home brewed D-72 (1:2)

真間山弘法寺にございました立派な鐘楼です。日光東照宮にあるものと豪華絢爛さでは比べようはありませんが、スタイルが酷似しています。リンク先の写真は鼓楼ですが、陽明門を挟んだ反対側にも同じような鐘楼が建っておりました。
スカート状の裾の部分から、袴履きと呼ぶのだそうです。
この鐘楼から真間山に響く鐘の音を聞いてみたいです。

11:39 AM permalink | comments (0) | trackbacks (0)

May 22, 2007
  真間から菅野へ(2)

溝口健二監督による映画「雨月物語」を見よう見ようと思いつつ、未だあの名高き映像美の世界をこの目にしておりません。
興味を持ったのはこの映画を撮ったキャメラマン・宮川一夫氏のドキュメントを98年か99年ごろNHKアーカイブで見たのがきっかけでした。(宮川氏に関しては、撮影監督とか、カメラマンとか記すよりも、キャメラマンと綴るのがもっとも似合いそうという、まったく私的な理由によってそうさせていただきます。)
「役者だけじゃねぇ、キャメラも演技しているんだ」という哲学でもってフィルムをまわしていた宮川氏。その「雨月物語」の有名な霧の中を行く船のシーンでは、スタジオ内にプールを作っての撮影なので、天井からのライトが水面に反射してしまうのを嫌ってスモークを焚いたと。すると結果、期待以上の演出になったなどと、いまではごく普通の技術かもしれないことですが、それを戦後すぐの時代に行っていたこと。
また近景はコントラストを強く、遠景は弱く描くため、墨汁と筆で、あちこちセットの中を描き込んでいたというエピソードなど、たいへん興味深く、その技術の結果が作品としてどのような付加価値をもたらしたのか、「雨月物語」の鑑賞には大きな期待を抱いております。

「雨月物語」は1776年(安永5年)に出された上田秋成による怪異小説九篇からなる戯作が原作となっておりまして、映画版はその原作から「浅茅が宿」と「蛇性の婬」の2篇を脚本化したものだそうです。その「浅茅が宿」というのが「真間の手児奈伝説」をベースにかかれているとのことで、これは上田秋成も読まねばならなくなってまいりました。

さて、その「真間の手児奈伝説」とは、諸説あるようですが、奈良時代以前、国造の娘・手児奈は嫁ぎ先の国と出身地勝鹿との争いごとに巻き込まれ、真間に戻ってくる。ところが美しい手児奈は放っておかれることなく、複数の男達から求婚され、終いには争いごとにまで発展。その原因は自分にあると心を痛めて真間の入り江に入水するというのが代表的な説のようでございます。

この伝説、古代から多くの歌人、文学者に創造を喚起させたようでして、万葉集の高橋虫麻呂や山部赤人らがうたを詠んでおります。
また行基菩薩という奈良時代の高僧は、その手児奈の霊を慰めるために求法寺(ぐほうじ)という寺を建立されたとのことです。この求法寺が現在も真間の地にある(現在は--注--同じ読みの)弘法寺の創建時の名称でございます。


(注)737年(天平9年)に行基によって真間山求法寺(ぐほうじ)として創建された後、822年(弘仁13年)の空海の来訪を機に名を真間山弘法寺(こうほうじ)と改めたとされています。鎌倉時代の1276年(建治2年)、日蓮宗に改められ、寺名も真間山弘法寺(ぐほうじ)になったのだそうです。

7:59 PM permalink | comments (0) | trackbacks (0)

May 21, 2007
  真間から菅野へ(1)

「菅野の記」が綴られた「父-その死(父・こんなこと 新潮文庫に所収)」は読んでいてたまらなく痛い文章でした。幸田文による、父・露伴の最後を綴った文章のことです。
戦後、寝たきりとなった露伴とともに娘・文、孫娘・玉の一家が菅野(現千葉県市川市)に移住し、そこで日ごと死に近づいてゆく父露伴、その壮絶な看護の日々。親子の愛憎、そしてその憎が単に情に絆されることで溶解してゆくのではなく、死に近づき本人以外のものになってしまいそうな父を、走り、汗をかき、つまづき、思い悩みながら看護するなかで、ついに父そのものが見えてくるに至る、強く静かな緊迫が描かれております。決して当時の菅野の地に思いを馳せることができる、そういう呑気な文章ではありませんでした。

さて、永井荷風も露伴一家と同じ昭和21年に菅野に移り住み、人生最後の13年間を過ごしています。ところが荷風を敬愛していた石川淳に云わせると戦後の荷風には読むべきものはないのだそうですが、それでも「葛飾土産」だけはよいとのことで、文庫には未収録のこの作品を読むにあたりまして図書館より全集ものを借りてまいりました。

葛飾とは東京都葛飾区だけでなく、千葉県市川市、埼玉県北葛飾郡などの江戸川流域の広い地域を指しておりますが、荷風が描いた「葛飾土産」は彼の終焉の地となった現千葉県市川市でのことであります。
まさに荷風の真骨頂のような文章、「東京の郊外が田園の風趣を失い、繁華熱閙の巷となった」ことに積憂の情を示し、それでもこの「市川の町の附近に、むかしの向嶋を思出させるやうな好風景の残つてゐたのを知つたのは、全く思ひ掛けない仕合せであった」と綴っております。
そして、わたくしは「真間川はむかしの書物には継川ともしるされてゐる。手児奈(てこな)という村の乙女の伝説から今もつて其名は人から忘れられてゐない。」という箇所でページを捲る手が止まってしまいました。

手児奈という乙女の伝説とは?


(注)イタリック体の箇所は、永井荷風著「葛飾土産」(筑摩現代文学大系 永井荷風集 筑摩書房刊)より引用

※「葛飾土産」=文庫には未収録と書きましたが、「荷風随筆集 上(岩波文庫)」に所収されていることを知りましたので、ここに訂正をさせていただくとともに、お詫び申しあげます。(2007/7/6追記)

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May 18, 2007
  80年前のストリート・スナップ

写真好きでありながら、普段あまり写真集なるものを購入しないわたくしですが、その理由は以前に記しました。
ところが今年2月に出版されたある一冊、おそらくは(出版元には申し訳ないのですが)あまり注目されることもないでしょうし、ローカルで、小規模な出版元(決してネガティブな意味で云っているのではありません。逆に今後も良品の出版を期待してしまいます。)故に増刷される見込みも少ないだろうと勝手に判断しまして、思い切って購入してみました。

はこだて記憶の街 / 熊谷孝太郎・撮影(Mole、はこだて写真図書館叢書版)

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1:26 PM permalink | comments (2) | trackbacks (0)

May 17, 2007
  Star Navigation(4)

拙ブログ、「Star Navigation(2)」のエントリーにてご紹介しましたホクレア号は、5月11日に国内4番目の寄港地、福岡に到着しております。

ところでこの舟のクルーで、写真家でもある内野加奈子さんのブログにて、長い航海を経て沖縄の島影が見えたときのことを綴ったエントリー「遠く海の彼方、沖縄の島影」がアップされました。
島影が見えたときは
   『喜びも興奮も安堵も、思い描いていたものは何も出てこなかった。
そうです。そして、
   『かわりに湧き上がってきたのは、ただ感謝の思い。
だったそうです。

想い、描き、動き、共有し、そして得られたものだけが発することができるリアルに、甚く感動いたしました。

(内野さんの写真作品はkanaphotography.comで閲覧することができます。
わたくしは、まるで雲の上を飛んでいるかのようなイルカの群れの作品が大好きです。)


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11:32 PM permalink | comments (0) | trackbacks (0)

May 16, 2007
  ロケハン散歩

しばらく更新を怠っておりますが、頑張って写真制作をしております。
先だっての13日、日曜は、休日出勤の後、千葉県市川市へロケハン散歩へ。JR市川駅より、真間、菅野、平田、八幡と、およそ6キロくらい歩き、JR本八幡より戻ってまいりました。
ロケハンのつもりでしたが、何カットかはよさそうなネガができましたので、早々に焼いてみたいと考えております。

そして本日、16日。今週の土曜も仕事がありますので週の真ん中で休みをいただきました。
軽い風邪ぎみだったのですが、せっかくの平日休みですし、水曜日しか行っていないイベントへと、横十間川へ。午前中、とても気持ちの良い5月の光と風にあたり生き返る心地。
午後は門前仲町へ。
大横川、大島川西支流、仙台掘、平久川、そして古石場川親水公園と、門前仲町を中心とした、東西1キロ超、南北1キロ弱の四方を廻るこれもロケハン散歩を行ってまいりました。

市川市、門前仲町、ともに詳細は後日エントリーしてゆきますので、少しお待ちくださいませ。

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May 10, 2007
  花はどこへいったのか(10)

「柳橋」での作品は意図があって、こちらで発表するのを控えていたのですが、昨日のような記事をエントリーしますとアップしないわけにはいかなくなりました。
ということで、昨日ご紹介しました書籍に付帯する帯の写真と、同じ場所から撮影しましたプリントを緊急アップロードです。


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"タイトル未定"
Dec '06, @Yanagi-bashi, Tokyo.
Taken with the Nikon new FM-2 with the Nikkor 135mm f2.8 lenz.
Fuji Neopan 1600 Super Presto @EI 400+2/3, dev in Kodak X-tol (1:3)
Ilford MGFB Warm, Glossy, dev in Home brewed D-72(1:3)

もう少しやりたいことがありますので、プリントはさらに煮詰めようと考えております。

10:41 AM permalink | comments (4) | trackbacks (0)

May 9, 2007
  花はどこへいったのか(9)

本日立ち寄ったある本屋の書棚から、一枚の写真が目に飛び込んできました。
よく知った風景です。なぜなら、わたくしも同じ場所から、同じ方向にレンズ向け、撮影をしていたのですから。

江戸通り、浅草橋上から、神田川河口に向けて撮った写真。それは時代小説家、山本一力氏の最新エッセイ「東京江戸歩き」に被せられた帯だったのです。
山本氏の作品を読んだことはありません。そしてこのエッセイも、読んではおりませんし、購入することもないかと思います。おそらくは昨今数多くの書籍が出ております江戸趣味本といいましょうか、失われた江戸情緒もしくは昭和の時代の風景を尋ね歩くといった類の本のようで、浅草や、深川、神田など、今もわずかにその片鱗をうかがうことができる街ごとに綴られているようです。

浅草橋は神田川河口から数えて2番目に架かる橋。河口まで250メートルほどの位置です。すなわち、わたくしが最近の主題として撮影しております、河口間際に架かる「柳橋」が目と鼻の先に見えるところなのです。
わたくしは、其処から(35ミリ・フォーマットの)135ミリ・レンズを使い、ぐうっと、主題である「柳橋」を手前に引き出すように撮影しております。そして昨年末押し迫った、屋形船の出航がほとんどなかった寂しい晩に撮っておりましたので、暗い河縁に静かに舟が並んでいる様子を捕らえております。
そのプリントは未だ公には発表していないものです。

山本氏の本の帯は、本文に挿された写真も含め、金澤篤宏氏という写真家によって撮影されております。(帯は)おそらく67などの中判機に準広角くらいの画角レンズでもって、光射す様子から判断するに、夕刻ころ撮影されたのだと思われます。この画角レンズですとパースがついて、「柳橋」は随分小さく写ることとなり、主題になるだけの存在感を出すことができません。この写真は神田川の川面と、河縁にずらっと並んだ屋形船の景色が主題となっているのです。そして河岸両脇にそびえるビル群が脇役としてしっかり存在しておりました。

先にリンクしましたアマゾンのページで紹介されている商品写真は本体のみで帯が写っていませんでした。そこで帯を被せた状態で紹介されている紀伊国屋BookWebへのリンクも貼っておきます。こちらの商品写真はクリックすることで少し大きめの画像を見ることができます。

帯の写真では「柳橋」が主題を為していなかったことで、わたくしは少しほおぅと胸を撫で下ろしたのですが、最初に目に飛び込んできたときの焦りと緊張は少々嫌なものでございました。

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  妖白木蓮姿

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"妖白木蓮姿"
Feb '07, @Yokohama.
Taken with the Nikon new FM-2 with the Nikkor 35mm f2 lenz and the Sunpak B3000S flash light.
Fuji Neopan 100 Acros @EI 25+1/2, dev in Ilford perceptol (1:3)
Forte Polygrade RC, Semi-matt, dev in Home brewed ID-78(1:3)

関連エントリー:はやいはやい春の訪れ

10:59 AM permalink | comments (0) | trackbacks (0)

May 8, 2007
  花はどこへいったのか(8)

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"柳橋での習作(2)"

Feb '07, @Yanagi-bashi, Tokyo.
Taken with the Nikon new FM-2 with the Nikkor 28mm f2.8 lenz.
Fuji Neopan 100 Acros @EI 25+1/2, dev in Ilford perceptol (1:3)
Forte Polygrade RC, Semi-matt, dev in Home brewed ID-78(1:3)

3:09 AM permalink | comments (0) | trackbacks (0)

May 6, 2007
  Star Navigation(3)

夕方から降雨と雷鳴による荒天でしたが、これからライブを見にゆこうという遅い時刻には街は穏やかさをとりもどしておりました。
去る4月28日、店内がカフェにもなっている家具屋さんラケルメジェールへ、目黒まで行ってきました。
見ると頑丈なつくりをした大きなテーブルの上に楽器が乗せられています。あら素敵、此処が本日のステージですか。ライブ会場にするには狭い店内には、既に多くの人が集まっており、空いている席を探すとその大きなテーブル、舞台の真ん前にひとつ。ようし、今夜は一番前で楽しませていただきましょう。

テーブルの上に専用の台を置き、その上に乗せられた楽器は立派な25弦琴。その独奏でライブは始まりました。と思いきや、この奏者、少しだけ擦れ気のある声でうたも歌いはじめました。ゆったりと、ゆったりと流れる旋律は25弦琴の音色によく混じり、とても良い心地がします。
さらに、楽曲の展開、和声の展開にしっかりとした仕事の跡を聴くことができ、感覚的世界観とそれを支える音楽的充実のバランスを感じ、むむむ、やるなぁとオープニング曲から感心させられました。
2曲目で今日のユニットの、もう1名が加わりました。デュオになってのうた、その混じった声の質感という感覚的な面と、ハーモニーのつけかたという技術的要素と、ここでもそのバランスの心地よさが聴こえ一気に彼女達の世界に入り込んでゆきました。
ゆったりとしたメロディ、はねるアッパーな曲、どちらにも現れる、独特な柔らかさ、包み込まれるような感触。最前列から見上げると歌うお二人の周囲に点在するこのお店の商品であるアーティスティックな意匠の電灯の傘から透過する様々な色の灯り、ゆれるリズム、ゆれるふたりの白い衣装。

いっさいのPA機器を使わず、生の声と、楽器の音がこんなにも心地よく、決して音響的には響かない空間でありながら、心の根に響いてきたこの夜のライブを繰り広げたのは、25弦琴を奏で、うたい、カホンなどのパーカッションも同時にあつかった「かりんさん」、2曲目から登場したヴォーカリスト「玉井夕海さん」、おふたりによる「Psalm」というユニットでした。

あるご縁がきっかけで玉井夕海さんを知り、そしてご招待いただいたこの夜のライブでしたが、此処へ来る前にStar Navigationのこと、ホクレア号のこと、を教えてくださったのが玉井さんでした。
想いを描いて、星に導かれるように、海を渡ってゆくがごとく、「Psalm」のおふたりは前進されているようです。そこに、少しでも、なんらかのお手伝いができたら光栄なことだなぁと、この夜のライブを拝見して感じました。

玉井さんはかつて立った天草の地で、映画を撮りたいとずうっと思い描いていたのだそうです。そして脚本を書き、主演を為し、音楽もPsalmでつくった。そんな映画があるそうです。
もんしぇん」と題された映画、わたくしは未見です。とてもとても興味があります。いつか、近い日に、この映画の上映を見たく思っております。

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May 3, 2007
  Star Navigation(2)

古代のポリネシアの人々は、六分儀、クロノメーター、方位磁針といった航法器具を用いずに、遙か彼方まで遠洋航海を為していたのだそうです。そう、彼らは天文学を利用した天文航法に長けていたのです。

Star Navigation

ところで、その「外海航海術を駆使して、太平洋に散在する島々にたどり着き、定住を始めたというポリネシア人起源・拡散説。その科学的な立証を主な目的に建造された(※注)」舟があるのです。
その航海カヌーは、「ハワイ語で“幸せの星(Hokule'a)”と名づけられ(※注)」ている『ホクレア号』のことです。
ホクレア号は、「1976年のハワイからタヒチへの初航海以降、現在までの航路距離数は10万マイルを超え(※注)」ているそうで、その航路距離をさらに延ばすことになる航海に今年の1月出航しています。

その航海の目的地は日本。

そしてホクレア号は4月24日に沖縄の糸満港に接岸しました。

そんなことを教えてくださった方がおりまして、わたくしは、いま、毎日、そのホクレア号の日本での動きを、彼らが発信するブログを通じてチェックしております。

このエントリーをアップした5月3日現在、船舶の航行が非常に多い海域を慎重に熊本に向け航海をしているとのこと。その後は長崎、北九州、山口、広島、宇和島を経て、そして6月上旬の予定で横浜までやってくるのだそうです。


ホクレア号航海ブログ(日本語版)
http://hokulea.aloha-street.com/

ホクレア号が日本にやってくる
http://www.gohawaii.jp/hokulea2007/

Spirit of Hokule'a(ホクレア号の詳細)
http://www.gohawaii.jp/history/


(※注)Spirit of Hokule'a内の文章から引用させていただきました。


(続く)

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  Star Navigation(1)

モンゴロイドが居住地域を拡大していった話しには、たいへんな興味を覚えます。
誰もが知っているのはベーリング陸峡(現海峡)を越えていった、アメリカ大陸への移住のことでしょう。現在の北米大陸に住む、所謂ネイティブ・アメリカンの部族には、このころからの古い古い歴史が口承伝として残っているのだそうで、各部族の代々のシャーマンによって語り継がれてきたとのこと。
その口承史は長い長い叙事詩のかたちをとっているのだそうですが、それを現代語に訳したシャーマンの血をひく女性がいらっしゃいます。
ポーラ・アンダーウッド氏です。
そしてその現代語訳は原題(と副題)をTHE WALKING PEOPLE - A Native American Oral History と云い、日本語訳(訳者:星川淳氏)版は「一万年の旅 - ネイティブ・アメリカンの口承史」として翔泳社より1998年に刊行されています。

わたくしは、その初版本が出るやいなや購入し読んでみたのですが、いやいや驚きの内容でございました。口承伝という性格上、どこまで史実に忠実なのかという問題もあるのですが、それ以上に太古の時代から社会性(著者の言葉では、それを知恵と云う)というものを育んできたこの一族の姿に、古代人に対する概念を一掃されたのでした。
また文中、おそらくはベーリング陸峡越えであろう箇所もあり、アドベンチャー的要素も充実しており、なかなか分厚い本なのですが、一気に読んだ記憶があります。

さて、ベーリング陸峡越えから5千年経過しますと、ユーラシア大陸のモンゴロイドは、次に太平洋の真っ只中に向けてどんどん進出するようになったそうです。
彼らは帆走能力を持つカヌーで、何千キロという遠洋航海を為していたと云います。

(続く)

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