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March 20, 2007
「下町だからねぇ、幼い頃は銭湯に行くのが楽しかったよ。女湯には芸妓の姐さんたちがたくさんいて、たまに父と一緒に男湯に入れば、こちらはこちらで、背中はもんもんだらけの木場の職人連中がいてねぇ、そりゃぁイキな処だったよ。」
母は昭和10年、深川に産まれました。戦争が激しくなると疎開を強いられましたが、戦後、高校を卒業するまで、かの地で暮らしていたそうです。イキな町は母を伝法で鉄火な性格に育てあげ、それはそれは山の手の奥様たちとは月とすっぽんな勢いなのでございます(笑)
さて、わたくしは柳橋の作品を制作すると同時に、同じ水辺のシーンとしてこの深川を考えておりました。
母が産まれ育ったところ、そこはもう当時の姿を木場も含めて見ることはできないのですが、大川を西端に携えた現江東区は水辺の宝庫。縦に横に堀、運河が廻らされた処なのでございます。
この堀や運河は、戦後のあるころまで流通の要として水上交通に盛んに利用されていたそうです。
ところで東京だけでなくこの国の河川は徹底的に護岸工事が為されており、水辺は作りものの世界、風情など今となっては味わうことは叶わないのでございます。もちろん風情なんていう無責任な発言は、わたくしたちよそ者が口にすることでありまして、こういった護岸整備は流域の住民にとってたいへん重要なこと。増水時の害から生活を守る必須のことであります。
わたくしが柳橋を撮り始めた動機に、遅れて産まれたかなしさ、というものがあります。花街往時の姿を知ることなく訪れた者としての、残念な気持ち、それがわたくしを突き動かしたのです。もちろん作品として仕上げるにおいては、わたくしのセンチな動機など私的な感情は一旦脇におきまして、あくまで今の柳橋から得られる造形が勝負なのですけどね。
深川周辺の水辺も同様でございます。櫓を漕ぐ船頭、木場の木材、辰巳芸妓、そういったものは既に過去の風景でございまして、それでも写真という手を使って、水辺を描けるのか、そこがものづくりの根幹となりわたくしを奮い立たせるのです。
本来の深川からは少し離れていますが、まずは前回のエントリーでご紹介しています横十間川、そして仙台堀川の一部をロケハンしてみました。この河岸は親水公園と化しており、まさに作りものの極み、暖かい昼間などは散歩に興じる方々で賑わうのでしょうね。桜の季節に人の出はピークになるのでしょう。また夏場は水上アスレチックで遊ぶ子供たちを見ることができるでしょう。しかし、そういった特異な姿にはいっさい目を向けず、この作りものの世界の普段の景色を淡々と撮ってゆきたいのでございます。
そしてもうひとつ。暖かい季節になったら今年72歳になる母を誘って、深川不動さんと、富岡八幡に詣で、深川飯でも食って1日を過ごしてみようかなと考えているのです。
posted by mniijima : Mar 20, 2007
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