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February 27, 2007
<柳橋日記、遠征編 山谷掘 その1>
久しぶりに冬らしく寒い一日でした。
柳橋から小舟を急がせ 山谷堀~
以前「柳橋から」という江戸小唄の詩、をご紹介しましたが、寒気が覆った24日土曜日に、その山谷堀跡まで行ってまいりました。
ここは柳橋から大川を猪牙舟(ちょきぶね)と呼ばれた船足の速い小舟で上り、吉原へ遊びに行く旦那たちが経由した堀があった処でございます。ただいまは暗渠となり、その上は遊歩道のような公園に様変わりをしております。大川から堀にはいる口には水門がございますが、堀が暗渠となっているためこの水門も周囲をコンクリートで固められ上部構造だけをずんぐりと突き出した恰好で、南に草野球場、北にスポーツセンターに挟まれた河岸に不似合いな姿を晒しております。
今日では猪牙舟を駆ってというわけにはなりませんから、柳橋最寄の浅草橋駅前よりバスに揺られてゆきました。江戸通りを北上し、蔵前、浅草と経由、言問橋西詰めの五叉路から吉野通りに入ります。今戸の停留所までいってしまいますと少し遠くなりますので、手前の浅草7丁目で下車。この吉野通りがかつて堀を渡っておりました吉野橋跡より、暗渠上の公園を歩きます。夏場は水が張られるのでしょうか、人工の流れが、寒風に吹かれるまま石底を晒していました。ときおり飼い犬を散歩させる人とすれ違うだけの寂しい夕暮れでございます。
待乳山聖天(まつちやましょうでん)神社のある高台を右に見上げ、そして永井荷風の中編「すみだ川」で長吉がお糸を待った今戸橋、その橋柱跡を見て、大川と平行する江戸通りを渡ります。隅田公園内に入りますと野球少年たち、スポーツセンターに来た人たち、犬の散歩と、こちらは賑わっておりましたが、それも日没までのわずかな時間で、辺りの暗さが増すにつれ、だんだんと人影もなくなってまいりました。
わたくしは、かつての掘りに沿って在ったのでしょうか、柳の木の根元の切り出された岩の上に撮影機材を置き、しばらく様子をながめながら、水門を置く構図を練ります。大川対岸のマンションなどが水門でうまく隠れる位置を探しながら、水門の上部から突き出した照明が灯るのを待ちます。
灯りました。5時50分頃です。上空はいい塩梅の群青色に暮れております。しかし雲がありません。少し前の時間には薄いすじ雲がところどころ走っていたのが、北のほうに残っておるだけで、これではとてもつまらない背景になってしまいます。まぁ仕様がありませんね。今日はあたりをつけるだけで、また来るといたしましょう。
f11まで絞ったときの露出は30秒。アクロスを詰めていますから、この秒数では相反則不軌を考慮する必要はありません。15秒、30秒、1分と段階露光することにしましたが、レリーズしている最中にかぎって川沿いを走ってきた自転車が、水門前を迂回するように通り抜けてゆきます。ありゃ。この間のカットは自転車のランプで白い線が横走りになっていることでしょう。
そうこうして、なんとかよいタイミングのカットを収めることができましたので今回は撤収といたします。宵の始めは通過する自転車が多く撮影に影響することがわかりましたので、次回いかがいたしましょうか。車を使い、もっと遅い時間にやって来るか、いっそのこと日の出前を狙うか、此処へも何度か通うこととなりそうでございます。
再びバスに乗り浅草橋へ戻ります。風がいちだんと冷たくなってまいりましたが、柳橋へ。橋詰にある船宿の鉢植えの梅が花を咲かせていることでしょう。
(メモ:2月24日、山谷掘、午後6時前後。柳橋、6時半から8時ごろ迄。
Acros @EI 25+1/2)
posted by mniijima : Feb 27, 2007
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