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December 29, 2006
「唾玉集(だぎょくしゅう)」という書籍が明治39年に刊行されました。これは当時の文豪(露伴、紅葉、二葉亭、緑雨、鴎外など)、芝居人や音楽家、そして市井の庶民(網頭、探偵、芸妓や行司なども)などから文学談、芸談、苦心談などを聞き出したインタビュー集です。これはこの本の編者が文芸雑誌「新著月刊」に明治30年ごろ掲載したものを集め再編したもの。わたくしは1995年に平凡社・東洋文庫より復刊されたものを図書館から借りてきました。
このインタビューのなかに前エントリーで触れました、この時代の名人、五世清元延寿太夫が養父母である先代四世とお葉を伴って清元節について語っているのです。
始めに五世より清元発祥から代々の履歴が話され、当時の芸人社会と自分たちの在り様、そして先人の苦心談から古典曲へと話しが移ってゆきます。そしてその後お葉によって作譜(作曲)について語られるのですよ!
この世界では、家元の奥方はたいてい節付け(作曲)をしていたそうで、初世の妻「えつ」は鼻の高いところがあり天狗という渾名があったそうですが、つけた節は名作として多く残っている(五世談)、またお葉の母、二世の妻「磯」も節をつけていた。お葉が17歳になると母と合作で劇場の浄瑠璃はすべて二人で節をつけたのだそうです。それに先立ちお葉、16のとき、前エントリーにも書きましたが不昧公による詩「散るは浮き」が出てきた。そこで端唄のようなものに拵えたらいかがだろうと母に相談すると、それはよろしかろうということに。ところが実際に節をつけてゆくと文句(詩)が足りない。大それたことだけれど私(お葉)が加筆して唄えるものに拵えたとのこと。
おお!伝説の人の生の声です。
さらに興味深かったのは、最近(明治30年ごろ)おまえさんも何かを蓄音機に入れて(録音して)おけばと勧められたのだと言います。で、入れるものに困ると応えたのだそうです。これといって自分に弟子はいないが、器用な人に教えると自分より上手くやる。ところがいくら教えても他人にはできないものがあるならば一つ入れてもよいと。
ところがその後実際に入れたのか入れなかったのか記録や資料がございません。おそらく録音はしていないのでしょうね。エジソンの発明から二十余年、既にベルリナーによる円盤レコードも登場している時代ですが、電気吹き込みは始まっておりません。もし残っているとすれば大きなラッパの前で演奏し、それをダイレクトに切った盤ということになりますが、もしそれがあるなら是非聴いてみたいです。お葉の自作自演を。
さてこの「唾玉集」は借りてきたばかりで、まだ清元の項と、芸妓の姐さん「千歳米坡」さんの項しか読んでおりませんが他の項も期待できそうですね。清元の3名も、千歳さんも、昔はよかった、ところが最近の若い奴らぁ、と言っているのが、あれ?これ昭和か平成のことかと思えて面白い。
ところで数々のインタビューが「唾玉集」としてまとめられ初版が発行された明治39年には、各人への取材(明治30年ごろ)からだいぶ時間が経っているのですが、そのとき既に四世延寿太夫とお葉は亡き人となっていたのです。
(続く)
posted by mniijima : Dec 29, 2006
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