« 2006年11月 | main | 2007年01月 »

December 31, 2006
  日本の音(6)

お葉の自作自演による音源のリスニングは叶わぬ夢なのでしょう。
その代わりと言ってしまっては演者にたいへん失礼なのですが、先日クリックしたCDが届きましたので、早速「散るは浮き」を聴いてみました。

ところがこのCDのこの曲、出来があまり良くありませんでした。CD全体が良くないのではなく、この曲を歌われた方の出来の問題であります。声質そのものは渋みがあるのですが唄をうたうための安定した発声に難があるように思えます。いや詳しくは知りませんが、おそらくこのCDにピックアップされている演者はみなこの世界では名の在るお師匠さんなのでしょう。そういった方に対して小唄初心者のわたくしが評をすることは甚だ失礼千万なのではございますが、これでも20年音楽の世界で生きてきた、そして数えきれぬ音楽テイクをジャッジしてきた立場から、敢えて発言させていただいております。正直幻滅いたしました。

しかし作品そのものの魅力には抗えません。お葉が一部加筆した不昧公による詩はたいへん美しいものです。初めて全文を読んだときにはサーッとその情景が目に浮かびました。
それを引用に留まらず全文をここでご紹介しても、既にパブリック・ドメインであるでしょうからまったく問題はないと思いますが、あえてやめておきます。
その代わり、その詩から想起したイメージを写真として作品化し後日ここでご紹介したいと思います。おそらくは1年後。そのころまでに作品化できればと考えております。
わたくしが想起したのはほんとうに拙いイメージ。それをお見せできる写真として表すことができるかどうか、「柳橋」作品群の最後を飾る一枚として作ることができるかどうか、それを来年の目標に掲げましょう。

さて、大晦日を迎えました。これが本年最後のエントリーになります。
この1年も多くのみなさまに支えていただきまして感謝に尽きることはありません。
どうかみなさま良いお年をお迎えくださいませ。

2:01 AM permalink | comments (2) | trackbacks (0)

December 30, 2006
  柳橋日記(その0)

(個人的メモ)

12月2日(土)晴れ (16:00~18:30)
ロケハン兼ねて撮影。Acros @EI 35.


12月9日(土)雨 (17:00ごろ)
雨の中撮影。雨の柳橋もなかなか乙なものです。
Super Presto @EI 1600.


12月22日(金)晴れ (19:00ごろ)
忘年会真っ盛りだろうと予測。案の定、多くの屋形船が出て行きました。
舟を中心に撮影。Super Presto @EI 640.


12月30日(土)晴れ (18:00~19:00)
寒かったぁ。もうほとんどの船宿は閉まっていました。
ロケハン時に撮った橋の構図を煮詰めて、Super Prestoで再撮。
Super Presto @EI 640.

11:59 PM permalink | comments (0) | trackbacks (0)

December 29, 2006
  日本の音(5)

「唾玉集(だぎょくしゅう)」という書籍が明治39年に刊行されました。これは当時の文豪(露伴、紅葉、二葉亭、緑雨、鴎外など)、芝居人や音楽家、そして市井の庶民(網頭、探偵、芸妓や行司なども)などから文学談、芸談、苦心談などを聞き出したインタビュー集です。これはこの本の編者が文芸雑誌「新著月刊」に明治30年ごろ掲載したものを集め再編したもの。わたくしは1995年に平凡社・東洋文庫より復刊されたものを図書館から借りてきました。
このインタビューのなかに前エントリーで触れました、この時代の名人、五世清元延寿太夫が養父母である先代四世とお葉を伴って清元節について語っているのです。

始めに五世より清元発祥から代々の履歴が話され、当時の芸人社会と自分たちの在り様、そして先人の苦心談から古典曲へと話しが移ってゆきます。そしてその後お葉によって作譜(作曲)について語られるのですよ!

この世界では、家元の奥方はたいてい節付け(作曲)をしていたそうで、初世の妻「えつ」は鼻の高いところがあり天狗という渾名があったそうですが、つけた節は名作として多く残っている(五世談)、またお葉の母、二世の妻「磯」も節をつけていた。お葉が17歳になると母と合作で劇場の浄瑠璃はすべて二人で節をつけたのだそうです。それに先立ちお葉、16のとき、前エントリーにも書きましたが不昧公による詩「散るは浮き」が出てきた。そこで端唄のようなものに拵えたらいかがだろうと母に相談すると、それはよろしかろうということに。ところが実際に節をつけてゆくと文句(詩)が足りない。大それたことだけれど私(お葉)が加筆して唄えるものに拵えたとのこと。
おお!伝説の人の生の声です。

さらに興味深かったのは、最近(明治30年ごろ)おまえさんも何かを蓄音機に入れて(録音して)おけばと勧められたのだと言います。で、入れるものに困ると応えたのだそうです。これといって自分に弟子はいないが、器用な人に教えると自分より上手くやる。ところがいくら教えても他人にはできないものがあるならば一つ入れてもよいと。
ところがその後実際に入れたのか入れなかったのか記録や資料がございません。おそらく録音はしていないのでしょうね。エジソンの発明から二十余年、既にベルリナーによる円盤レコードも登場している時代ですが、電気吹き込みは始まっておりません。もし残っているとすれば大きなラッパの前で演奏し、それをダイレクトに切った盤ということになりますが、もしそれがあるなら是非聴いてみたいです。お葉の自作自演を。

さてこの「唾玉集」は借りてきたばかりで、まだ清元の項と、芸妓の姐さん「千歳米坡」さんの項しか読んでおりませんが他の項も期待できそうですね。清元の3名も、千歳さんも、昔はよかった、ところが最近の若い奴らぁ、と言っているのが、あれ?これ昭和か平成のことかと思えて面白い。
ところで数々のインタビューが「唾玉集」としてまとめられ初版が発行された明治39年には、各人への取材(明治30年ごろ)からだいぶ時間が経っているのですが、そのとき既に四世延寿太夫とお葉は亡き人となっていたのです。

(続く)

4:37 PM permalink | comments (0) | trackbacks (0)

December 28, 2006
  日本の音(4)

「小唄」は前々エントリーにて少しだけご紹介いたしました「うた沢」より少し遅れて「端唄」の影響を受け生まれてきた音楽ですが、その発生には「清元節」という浄瑠璃音楽が強く絡んでおります。
わたくしも詳しくはないのですが、浄瑠璃とは文楽に代表される「語り物芝居」の音楽および語りで、「義太夫節」を筆頭に「豊後節」から別れた「常盤津節」「富元節」「新内節」「清元節」など多彩な流派を形成しているとのこと。
「清元節」はもっとも新しく(江戸後期に)起こった、分派した、浄瑠璃で、もっとも「粋」で「いなせ」なものであるとのこと。とても気になります。創始者は初世清元延寿太夫。

さて「小唄」は二世延寿太夫の実子(=初世の孫)である「お葉」が、清元贔屓であった雲州松江の殿様・松平治郷不昧公による詩「散るは浮き」に節をつけたのが始まりということです。そのときお葉は16歳だった。もちろんお葉は清元においても数多くの節をつけ(作曲を為し)、夫である四世延寿太夫、そして明治から昭和初期において希代の名人とされた五世延寿太夫(四世とお葉の養子)の両人に多大な影響を与えているとのこと。伝説的な女性アーティストなのであります。

そのお葉による小唄発祥の楽曲「散るは浮き」をどうしても聴いてみたいと思い、こんな商品を買ってしまいました。

(続く)

6:41 PM permalink | comments (0) | trackbacks (0)

December 27, 2006
  日本の音(3)

小唄は三味線の撥を使わず爪弾くのだそうですが、それがなんとも言えない味わいを伴奏に付加しており、弾き語り音楽としても充分広がりのある豊かな音楽的世界観を内包していると思えます。
さて、そんな小唄を聴いていると、

   柳橋から小舟で急がせ 山谷掘 ~

ありましたよ、「柳橋から」という古典楽曲が。山谷掘(※)すなわち舟で吉原へ向かう経由地です。君を思えば逢わなかった時間がずいぶんと長かった、今日はどうしていらっしゃったの?という最初の声を聞きにきたんだ、という粋な唄でございます。
わたくしが聴いているCD(小唄名曲集/日本伝統文化振興財団)ではこの曲「市丸さん」という有名な歌手によるテイクが収録されています。市丸さんは歌謡曲なども歌っていらっしゃったのですが、本来長唄、清元、そしてこの小唄において名取となるほどの実力をもった元芸妓さんで、艶やかな声はたいへん魅力的です。と言いつつ、個人的にはその艶のあるお声はたいへん美しいのですが長く聴くには渋みが足りないような、、、もっと皺枯れているほうがこの小唄をCDというメディアで聴くのには良いのかもしれないと思い上がった感想を漏らしてみたり、、、

ところで「小唄」はたいへん耳にやさしく、深夜暗室作業をする際には恰好のBGMとなっております。西洋の音楽はクラシックであろうが、ポップスであろうが、基本的に縦に積まれた響きを、横に断続的に変化させてゆく音楽であると考えることができますが、日本の音楽は基本的に横、すなわち時間的な移ろいに要点があるように思われます。間(ま)がとにかく大切なのかもしれません(間といっても音的なブレイクを必ずや指しているわけではありません)。その音の移ろいは川面に反射した提灯のゆらめきのようで、耳を撫でるがごとく、聴いているとなんとも言えない心地よさに包まれ、最高のヒーリング・ミュージックとなっているのでございます。

(続く)


(※)山谷堀:現在隅田川に架かる言問橋、桜橋の中間あたりに注いでいた堀(川)で、三ノ輪近辺まで続いていたそうです。現在堀は暗渠となり、その上は公園になっております。

11:55 AM permalink | comments (0) | trackbacks (0)

December 26, 2006
  日本の音(2)

此処最近、柳橋に惚れ芸妓や花街について調べものをしたり、フィクションを読んだりしているうちに、どうしても聴きたくなった音楽がありました。「小唄」です。

江戸小唄と本来呼ぶこのジャンルは、江戸後期に起こり明治大正そして昭和と発展し続けてきた大衆唄ものであります。江戸大衆唄ものでは「端唄(はうた)」というものが先にあり、伝統的な「長唄」などを気楽に、そして短く庶民が歌ったもので、

     梅は咲いたか、桜はまだかいな

という詩、ときにはメロディも、多くの現代人も知っていることと思います。
またこの「端唄」をより芸術的に完成度を高めたものに「うた沢」というジャンルもあり、これも気になるところ。永井荷風の短編「深川の唄(すみだ川・新橋夜話/岩波文庫にカップリング)」の最後、夕刻の深川不動の境内で盲目のうた沢唄いが登場するのですが、かわりゆく景観に憂うこの小説の語り部の心境に深く染み入ってゆく江戸の芸が対比的に扱われ、たいへん印象的。この短編に素晴らしい余韻を与えておりました。

話しが逸れましたが、わたくしまずは「小唄」から聴いてみました。

(続く)

2:02 PM permalink | comments (0) | trackbacks (0)

December 25, 2006
  日本の音(1)

十代の頃より、多くのジャンルの音楽を聴いてまいりました。ロック、ジャズ、クラシック。そして民俗音楽の一部も早くから聴いておりました。ところがどうしても好きになれない音楽があったのです。
純邦楽。すなわち日本の伝統的な音楽がそれでした。

ところが年齢を重ねるうちにそれらの良さがだんだんと解るように。
最初は雅楽でした。この日本の宮廷音楽、最近ではポップスのアレンジにのって篳篥などを奏する方もいらっしゃるのですが、きちんとオフィシャルな雅楽もいいものです。あの時空感覚、全てが間延びされた感覚というのは宮廷音楽ならではのものでしょう。まったく唯一無二の世界であります。

次に仏教音楽である声明。これは僧侶による合唱といえるでしょう。儀式音楽で、特に密教系の儀式で盛んに行われていたようです。わたくしは天台宗の僧侶たちによるコンサート形式のものを聴いたことがあるのですがその荘厳なことといったら比較するものがありません。またわたくしの友人に日蓮宗のお坊さんがいるのですが、その宗派にも声明があるようで同宗の住職たちで声明グループを結成し、お花祭りのときなどに境内でコンサートをしているのです。これもまた興味深いものであります。やはり自分は日本人だったのだ、バッハのあの素晴らしいマタイ受難曲を聴くよりすんなりと体に染み入ってくるのですから。

最近では能の音楽にも興味津々です。もちろん能は総合舞台芸術ですから音楽だけを切り取りどうのこうのするのは野暮なことなのですが、それでも囃子における笛、小鼓、大鼓、太鼓による四拍子は、アレンジという面からみて完璧であります。なんと素晴らしい音楽なのでしょうか。いつぞや必ずその舞台を生で見てみたいと思っております。

このように段々と日本の伝統的な音楽を聴くことができるようになってまいりました。それは年齢的なことも大きく関わっているのかもしれません。それはたいへん嬉しいこと。新しい音楽との出会いは常に刺激的でありますから。

(続く)

6:33 PM permalink | comments (0) | trackbacks (0)

  師走ですな

さすが師走、少し忙しくて此処の更新がそっちのけになっております。

とりあえず、
メリィ、クリスマス!
みなさんイブはいかがお過ごしでしたか?
24日が日曜ということで、我が家では23日を勝手にイブとし、24日に家族でささやかなケーキ・パーティーをいたしました。今年我が家にはサンタ・クロースならぬ2人の恰幅の良い運送業者さんが娘へのプレゼントを運んでまいりましたので、前の晩に「今年のプレゼントは大きいから、あとで届けさせます。サンタ・クロースより」という苦しい言い訳手紙を用意いたしました(苦笑)

さて先週はこういう時節柄、彼方此方で忘年会がたけなわであったと思いますので、わたくしも柳橋発の屋形船が賑わうだろうと思い、橋や周辺のことは置いておき、まずは船を中心に会社帰りを利用して撮影してしまおうと考えていたのですが、最初に書きましたとおり、仕事のほうが融通利かなくなり、結局金曜になってようやっと撮影に出かけられた始末でございました。
屋形船から吊るされた提灯が川面に反射し、風によっておこる波がその反射をゆらゆらと曲げ、捻る様をファインダーごしに見ていると、シャッターを押す手も留まるおかしさでありました。

1:51 AM permalink | comments (0) | trackbacks (0)

December 19, 2006
  花はどこへいったのか(6)

柳橋が舞台となった文学作品を紹介させていただきます。

●幸田文「流れる(新潮文庫)」

いわずと知れた露伴のご息女であられる幸田文氏。不勉強なわたくしはこのたび初めて文氏の作品を読んだのですが、いやぁ、これは素晴らしい小説でした。美しく粋な文体で斜陽になった置屋をめぐるトラブル、人情、かなしさが、そこで女中奉公することになった未亡人の視線で綴られてゆきます。文氏の他の作品も読みたくなりました。

なお、この「流れる」を原作とする成瀬巳喜男監督による映画が昭和31年に公開されており、田中絹代、山田五十鈴、高峰秀子、杉村春子など当時を代表する女優陣によって演じられています。この映画も見てみようっと。近所のツタヤにあるかな?(関係ないけど「流れる」の置屋の女将は「つた奴」という源氏名でした。)

●山本周五郎「柳橋物語・むかしも今も(新潮文庫)」

元禄期を舞台にしたプラトニック・ラブ・ストーリーの極み。
作品中、
    「此処に橋があればよかったんだ」
     参詣人のなかでそんな話をしているものがあった。
    「まったくよ、どんなに小さくとも橋があればあんなにたくさん死なずに
     済んだんだ、なにしろ浅草橋の御門は閉る、うしろは火で、どうしよう
     もなく此処へ集まっちゃったんだ、見られたありさまじゃなかったぜ」
    「橋を架けなくちゃあいけねえ、どうしても此処にあ橋が要るよ」

                   山本周五郎/柳橋物語(新潮文庫)より引用

という箇所が印象的でした。もちろんこれはフィクションでありますが、江戸の大火事で逃げ切れなかった人々の多くが現柳橋界隈で命を落としたことを受けての、群集のなかから聞こえる台詞であります。

と、柳橋を舞台にした小説に浸かったあと、なにげなく谷崎潤一郎の「陰翳礼讃(中公文庫)」を読んでいたところ、その巻末の解説が吉行淳之介氏の筆によるもので、

      花柳界には私は縁がないが、稀に柳橋あたりに招待されることがある。
     このごろの芸者には日本髪の女はほとんどいないが、節分とか燈籠流し
     の日には昔ながらの姿を見ることがある。

             吉行淳之介(中公文庫/谷崎潤一郎/陰翳礼讃 巻末の解説)より引用

という文が! こんなところにも柳橋はその姿を垣間見せてくれました。

12:03 PM permalink | comments (0) | trackbacks (0)

December 18, 2006
  近況(笑)

こんな時期ですので、只今せっせとプレゼント用プリントを焼いております。

そんなわけで、此処でプリントを公開する機会がしばらく減ることをご容赦くださいませ。
(被写体がアーティストもので、肖像使用の許可をいただいたものはアップしてゆきたいと考えております。)

12:13 AM permalink | comments (0) | trackbacks (0)

December 15, 2006
  花はどこへいったのか(5)

"柳橋での習作(1)"

(click on the image for enlarged)


Dec '06, @Yanagi-bashi, Tokyo.
Taken with the Nikon new FM-2 with the Nikkor 85mm f2 lenz.
Fuji Neopan 100 Acros @EI 25+1/2, dev in Ilford perceptol (1:3)
Forte Polywarmtone plus FB, Grossy, dev in Home brewed D-72(1:2)

-

continue reading "花はどこへいったのか(5)"

2:13 PM permalink | comments (2) | trackbacks (0)

December 14, 2006
  花はどこへいったのか(4)

さて柳橋ですが、此処は元々「川口出口之橋」または「矢の倉橋」と呼ばれていたという説(橋の南側袂にある碑文より)と、最初から「柳橋」であったとする説(中尾達郎著「江戸隅田川界隈(三弥井書店刊)」からの孫引きになりますが、「武江年表」元禄六年(1693)八月の条に、この月、浅草に初めて柳橋を架す。 と記載。もちろん中尾氏は「川口出口之橋」説も紹介されています。)があります。ところがこの元々の木橋は大正の関東大震災で落ちてしまったそうで、現在架かる永代橋をモデルとし耐震に配慮された鉄橋は昭和4年に完成したのだそうです。
平成4年には親柱の補修を行い、同時に橋上歩道に御影石を敷き、前回(3)でご紹介しました簪を模したレリーフをあしらい、そして夜間ライトアップされるような照明も設置されて今日に至っております。

先に記した袂にある碑文には、

   春の夜や女見返る柳橋

   贅沢な人の涼みや柳橋  (ともに 正岡子規)

と子規の2句が紹介されているのですが、柳橋およびこの界隈は他の多くの文学でも取り上げられております。

10:50 AM permalink | comments (0) | trackbacks (0)

December 8, 2006
  静物の習作 - 椿

(click on the image for enlarged)

"静物の習作 - 椿 Dec '06."
Taken with the Mamiya C330proS with the Mamiya-Sekor S 80mm f2.8 lenz.
Fuji Neopan 400 Presto @EI 200, dev in Ilford Perceptol (1:3)
Forte Polygrade V RC, semi-matte, dev in Home brewed D-72(1:2)

-

continue reading "静物の習作 - 椿"

6:03 PM permalink | comments (6) | trackbacks (0)

December 7, 2006
  花はどこへいったのか(3)

 ...花はどこへいったのか(1)
 ...花はどこへいったのか(2)

さて、もうお気づきかと思います。このかつての花街、そして現在屋形船がひしめく柳橋付近と神田川をテーマに作品づくりをしてゆこうと動き始めたのです。
昨12月2日土曜日、休日出勤の後、現地にロケハンにいってきました。陽がだいぶ短くなったこのごろの午後、斜陽がどのように入り込むのか、暗くなるとどのような雰囲気を醸し出すのか、周囲の街並み、などチェックすべきことはたくさんありました。
そして一番肝心なこと、花街としての風情はもうほとんど残っていないことも確認してきました。しかし一度はそういう街として栄えたところ。きっと何かの痕跡があるはずです。古くからある社、稲荷、など未確認な場所もあるわけです。そして現在も魅力的な河岸。晩秋から初冬の季節の狭間、弱いとはいえ大分冷たくなってきた風が吹くなかでも何艘かの屋形船が客を乗せてでてゆきましたし、これが暖かい季節ともなれば、河岸の様子も華やいだものになるのではないか、そんな気がいたします。
そのような雰囲気を、スナップ的に、または景観描写として写実してゆくのではなく、より抽象化したかたちで捉えることができれば占めたもの。なぁんて理想を述べているのですが、、、そうやって自分を追い込むことも必要です。

yanagi-kanzasi.jpg

そうそう、ここがかつての花街であったことは街としても想い出深いものになっているようです。柳橋の欄干には芸妓の象徴である簪(かんざし)を模したレリーフがいくつも装飾されていました。ただしこれを写しても作品にはなりませんね。

11:20 AM permalink | comments (6) | trackbacks (0)

December 6, 2006
  花はどこへいったのか(2)

 ...花はどこへいったのか(1)

神田川の最下流、隅田川に注ぐ直前に架かる橋、柳橋。
この周囲は幕末のころより花街として栄えた区域だったそうです。
花街といえば黒板塀に囲まれた料亭を想起します。もちろんわたくしは花柳界で遊ぶことができる身分ではございませんが。ところが現在ここいらあたりを歩いても割烹と看板を掲げた1軒しか黒板塀に囲まれた料理屋を見ることができません。往時の老舗料亭のいくつかは残っているようですが、外観はたいそうなビルに変わっており、花街風情を楽しむことはもう相成らないわけです。そして前世紀の終わり、1999年には芸妓の組合も解散したとのこと。

ところで花街として栄える以前から河岸には多くの船宿が並び、大川(隅田川)向かいの両国への渡し、また大川上流へ、とくに遊郭のあった吉原へ遊びにゆく旦那衆を乗せる渡船場でもあったそうです。
現在の神田川は柳橋から、江戸通り(国道6号)を渡す浅草橋、そしてその隣の左衛門橋までのおよそ半キロの間、宴会用屋形船の発着場として多くの船宿が並び、何艘もの提灯を吊った船がひしめく特異な河川景観を見ることができます。

(続く)

6:00 PM permalink | comments (0) | trackbacks (0)

  公園での習作(5)

(click on the image for enlarged)

"公園での習作(5) @Rinshi-no-mori"
Nov '06, @Meguro, Tokyo.
Taken with the Mamiya C330proS with the Mamiya-Sekor S 80mm f2.8 lenz.
Fuji Neopan 100 Acros @EI 50, dev in Ilford Perceptol (1:3)
Forte Polygrade V RC, semi-matte, dev in Home brewed D-72(1:2)

参照:晩秋の趣き

-

continue reading "公園での習作(5)"

11:10 AM permalink | comments (2) | trackbacks (0)

December 5, 2006
  花はどこへいったのか(1)

中央線・吉祥寺駅の南、御殿山1丁目に古くから建つマンション群の背後、切り落ちた断崖の裾から湧く水は井の頭公園の池を満たし、そして公園の南東から一筋の川となって流れ出てゆきます。
これが70年代に唄にもなりました神田川の源であります。

川は、ときに大きく、ときに小さく、南へ北へと蛇行しながら、徐々に東へ東へその流れを進めてゆきます。かつて梅雨から台風の季節まで、いくども氾濫し、流域にある住宅が浸水するニュースを多く聞きましたが、最近は地下の一時貯水施設が機能しているようで、そういった被害を聞くことはなくなったように思われます。
さて流域の自治体は1市8区におよび、もうここは下流と呼べるであろう新宿区と文京区の境を流れ千代田区と交わる飯田橋にて皇居外濠に合流しその一区画を担います。水道橋手前の小石川橋からは日本橋川を分流し、都市の河川景観としてたいへんユニークな御茶ノ水を経て、最後に古典では大川と呼ばれる隅田川に注いでその流れを終えます。

ところで隅田川に注ぐ直前に全長40メートル弱の鋼鉄製の小さなアーチ橋が架かっております。その神田川に架かる最後の橋の名を柳橋といいます。

(続く)

6:04 PM permalink | comments (4) | trackbacks (0)

December 4, 2006
  公園での習作(4)

lds_rins061104l.jpg

(click on the image for enlarged)

"公園での習作(4) @Rinshi-no-mori"
Nov '06, @Meguro, Tokyo.
Taken with the Mamiya C330proS with the Mamiya-Sekor S 80mm f2.8 lenz.
Fuji Neopan 100 Acros @EI 50, dev in Ilford Perceptol (1:3)
Forte Polygrade V RC, semi-matte, dev in Home brewed D-72(1:2)

-

continue reading "公園での習作(4)"

11:50 AM permalink | comments (0) | trackbacks (0)