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October 20, 2006

  前衛絵画

先週末、娘とクレヨンで塗り絵遊びをしました。アニメーション映画のワンシーンが描かれた線画に色をつけていったのですが、主なるキャラクターが描かれた上半分を娘が担当し、下半分の脇役や海の底を描くのが僕の担当。娘はまだきちんと枠内に納まるように塗れはしないのですが、その大胆な色づけに興味を覚えながら、こちらはきちんと枠の中に色を置いてゆく。そんな自分が塗った跡を見ながら、なんて不自由なんだろうと思いましたです。どうしてはみ出しちゃイケナイノかな? 娘は単に未熟なだけで色を枠内に収めることができないんだろうか。

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ところで先日、写真制作で使う小物を購入することが目的で画材屋に出かけました。必要なものを見繕いレジを済ませた後、またフラフラと商品を冷やかしで見てまわりました。画材屋って楽しいんですよ。
白状しますと10歳から16歳まで油彩をやっておりました。小学校の放課後、美術の先生に習い始めたのがきっかけです。中学に進んでからは月1回か2回、記憶が定かではありませんが、その先生が自宅で営んでいらした絵画教室なるものに通っていたのです。ところが同時期に急速に芽生えた音楽への憧憬が強くなり、その教室はだんだんと退屈な時間へと変わってゆきました。およそ6年も描いていながら、まともな作品を作れなかったことは、今では悔しくもあり、コンプレックスをも感じるに至っております。
画材屋でフラフラしたのは、娘と塗り絵をしながら、また何か描いてみたいな、、、なんて過ったからなのです。
いまさら油をやろうとは思ってもいません。どうせ素人の戯言ですからいきなりヘナチョコな、それこそ枠に捕らわれない絵を描いてもいいのですが、まずは当時もへたくそだったデッサンから再学習してみようかしら。どうも僕は技術をマスターし、そのうえで表現を行う仕事に従事してきましたので、基本技術というものをまずは得られないことには始まらない性格になってしまったようです。
たとえ時の前衛に立ち、過去の概念に囚われなかった優れた作品でも、その根底には確固たる基本技術の習得が必須であったことは、かつてパブロ・ピカソの作品と習作を見たことで理解しました。

そんなわけで鉛筆1本、スケッチブック1冊から、モノを捉えることを始めようかなと思う今日この頃なのです。パースや遠近法、ライティング、量感の導入、空間配置、、、それらは写真制作においても役立つでしょう。鉛筆だけで、モノの質感が描き分けられるようになれば楽しくなるのですが、、、ところで、いつ描くんだ?

posted by mniijima : Oct 20, 2006

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comments

絵画と写真......やはり、相通ずるものがあるのですね。ここのところ、つくづく、そう思うことが多くなりました。
問題は、「時間」ですね。私も、道具だけは、いっちょまえに揃えたのですが(と言っても、ノートと万年筆だけですが)、白紙を前に、溜息ばかりついています(苦笑)。
そうそう、新機材の導入、おめでとうございました!

by marmotbaby : October 23, 2006 11:11 PM

marmotbabyさん、コメントありがとうございます。
描くのは、なんでもいいのではないでしょうか?
例えばノートを開いたのが、カフェならば、カップを描いてみる。公園だったらベンチを描いてみる。なにも見当たらなければ、自分の手(ペンを持たないほう)を描いてみる。

さてさて、僕もようやく自宅プリント開始です。あれも焼きたい、これも焼きたい。新作もどんどん作りたい。
ああ、こうしてデッサンを学習する機会が失われてゆくのです。(と言い訳している。)

by M.Niijima : October 24, 2006 1:09 AM

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